38. 黒い手帳、古い地図

 エルはアイクにだけ聞こえるように、声を潜めた。

「なぁアイク。バズの言ってたこと、本当だと思うか」

 仰向けになっている体をアイクのほうへ向け、肘を立てて頭を支える。

「あの気味の悪いじいさんは胡散くさかった。でも……うまく言えないけど、なんとなく予感みたいなものがあるんだ。これは重要なことだぞって、誰かに言われているような感じっていうか――だから、俺は魔女の家ってのはきっと本当にあると思う」

 アイクは笑みを浮かべままエルの話を聞いていた。

「やっぱりおかしいよな、こんなの」

「いや、そんなことはない。ただ、昨日この手帳を見つけた時も同じようなことを言っていたなと思ってさ」

 アイクはズボンのポケットから「極秘・持ち出し厳禁」と書かれた黒い手帳を出した。図書館の司書を務める老人が、町の住人に対する個人的な感想を記したおぞましい手帳だ。

「それはもういいって」

 昨日の恥ずかしさが蘇ってくる。あのエロジジイめ、とエルは胸のうちで悪態をついた。

「なんでそんなもの持ち歩いてるんだよ」

「今朝ツリーハウスの隅に落ちているのを見つけてさ。暇だったから読んでたんだけど……あぁ、そうか。思い出した」

 アイクは手帳を開き、ぱらぱらとページを繰った。

「魔女の家って言葉を聞いてからずっと引っかかってたんだけど、ようやく思い出した。これを見てくれ」

 そう言って、アイクは開いた手帳をエルに差し出した。

「ほら、ここだ。魔女って書いてある箇所がある」

 彼が示したページにはびっしりと人名が並んでいて、その横には一言ずつコメントが添えられている。アイクの言うとおり、その中の一人に「魔女」という文字が付されていた。そんな不名誉な形容を与えられた人物の名前はJとしか書かれておらず、フルネームで記載されている他の人たちとは様子が違っていた。

「たしかに、書いてあるな」

「まぁ、ただの偶然だとは思うんだけどさ」

 エルたちの会話を聞きつけた他の三人が会話に入ってきた。一通り説明を聞いたロビィは、興奮した様子で手帳を覗き込んだ。

「これ、住所も書いてあるじゃん!」

「でも、このJって人だけ住所が大雑把だな。てか、これ住所か?」

 そうジャッキーが指摘したとおり、他の人々の住所は細かく記載されているのに、Jだけは「外れの森、崖のそば」としか書かれていなかった。

 外れの森はエルたちのいるツリーハウスから町を挟んで反対の位置にある。森の先には人の手が入っていない広大な森林や荒野があるばかりで、住民たちが近づくことはほとんどなかった。

「あっち側って、どうなってるのか全然分かんないよね」

 そうロビィがこぼしたのを聞いて、エルは昨日リンデが学校から古い地図を持ちだしていたことを思い出した。

「あの地図になら、もしかしたら外れの森のことが書いてあるかも。たしかツリーハウスの中にあったはずだ。見てくるよ」

 エルは体を起こし、ツリーハウスの梯子を上っていった。昨日持ってきたばかりの地図は一晩のうちに様々なガラクタの中に埋もれてしまっていて、見つけ出すのには少し時間が必要だった。


 地図を持って下におりてみると、リンデが図書館から戻ってきていた。だが、少年たちの輪に加わっているのはリンデだけではなかった。

 そばには大きなバスケットを持ったソフィアがいて、梯子を下りてきたエルに手を振っていた。リンデと一緒に行動していたソフィアがここへやってくることは理解できる。だが、少し離れたところに立っている少年の存在は不可解だった。

 リンデがこちらへ近づいてくる。

「エル、お疲れさまです。お母さんから、お昼をお預かりしてきました。みなさんの分も用意していただいていますから、一緒に食べましょう」

「あぁ、うん。――ちょっと待ってて」

 リンデの横を通りすぎると、エルは場違いな少年の前に立った。

「なんでいるんだ、ジェイムズ」

 アルバートは素知らぬ顔でグラウンドの方を眺めていたが、声を掛けられてようやくこちらへ顔を向けた。

「いたのか、ストーム。存在感が薄すぎて気づかなかったよ」

 エルがさらに一歩前に出ようとしたところで、アイクに肩を掴まれた。

「まずは話を聞こう、エル」

「冗談だろう。こいつとまともに会話なんてできると思うか?」

 母を侮辱された一昨日の激しい怒りを、エルはまだ忘れてはいなかった。

「さっさと帰れよ」

「お前の指図なんか聞くか。だいたい俺だって、除け者にされてるお前らなんかと――とにかく、目障りに思ってるのはこっちも同じなんだ。お前が帰れよ」

「ちょっと待てよ、俺たちが除け者ってどういう意味だ」

 アルバートがなにを言おうとしているのかは分かっていたが、エルはあえて聞いた。

「そのまんまの意味だ。エル・ストーム、アルフレッド・リード、ロバート・マイヤーズ、ジョン・グレイ。四人とも学校中の生徒から白い目で見られてる変人だ。いつもお前たちがつるんでるのは、他のまともなクラスメイトじゃ全然相手にしてくれないからだろうが。お前らなんて、アイクがいなかったら――」

「たしかに俺たちは人気者じゃないけどさ」

 エルはアルバートの話を遮って言った。

「でも、お前にだけは言われたくない。俺たちに負けないくらい、いや、俺たちよりもよっぽどお前のほうが嫌われてるじゃないか」

 睨み合う二人は今にも殴り合いを始めそうなほど険悪だった。そんな二人のあいだに割って入ったのはリンデだった。

「二人とも、落ち着いてください。――アルバート。あんな意地悪な言い方はよくありません。あとで冷静になったら、ちゃんと皆さんに謝るべきだと思います」

 そう言うと、次に彼女はエルのほうへ目を向けた。

「アルバートがここにいるのは、わたしが誘ったからなんです。一緒にお昼を食べましょうって」

「そんなわけ――」

「本当よ、エル。午前中のあいだ、ずっと三人で図書館にいたんだから」

 横からソフィアが口を挟んだが、とても信じられる話ではない。

 だが、今ほどリンデがアルバートに見せた態度からして、初対面ではないようだ。そしてなによりも不思議なのは、アルバートが彼女に反論しないことだった。人の話なんて全く聞こうとしないアルバートがなぜこんなにもしおらしく、バツが悪そうに俯いたりしているのだろう。

 困惑しているエルに向かって、リンデが決定打を放った。

「そんなに驚くことではありません。ただ、アルバートとお友達になっただけです」

 そう言って彼女は微笑み、小さく首を傾げた。

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