31. 終末の断片

 ポッドは急速に向きを変え、狭い木々の間を抜けた。

 直後、後方から続けざまに轟音があがり、今ほど通り抜けてきたばかりの木々が弾け飛んだ。エルは敵が一体だけではないことと、リンデがずっと注視していた赤い光点が敵の位置を表しているということにようやく気づいた。

 それらの光点と現実の敵の位置関係を把握しようと後方を振り返ったエルの目に、意外なものが映りこんだ。倒れていく木々を背景にして、人影がひとつ立っているのだ。

 頭から膝の辺りまでをマントのような黒い布が覆っているため、容姿ははっきりとしない。だが体全体のシルエットと、マントの下から突き出している二本の足からして、そこに立っているのが人間であることは間違いなかった。当然、彼はそれをリンデに伝えようとした。だが、その前に。


 唐突に横から強い衝撃。ポッドは横転し、そのまま地面を滑って大木に激突した。周囲の映像は途切れ、暗闇の中でリンデの呻き声が聞こえた。映像が戻って内部の様子が分かるようになると、エルはシートの後ろから飛び出して床に倒れているリンデに近寄った。額から血が流れていた。

「どうしよう、血がこんなに……」

 次々に溢れてくる赤黒い血に動揺するエルを制するように、リンデがきっぱりとした口調で断言した。

「問題ありません」

 彼女はシートへ戻ると、薄いビニールのような服の袖で血を軽く拭った。顔の三分の一ほどをべっとりと血で染めながら、それでも彼女は微笑んだ。

「このポッドと同じで、わたしも丈夫なんです」

「でも、その怪我じゃ――」

「それより、囲まれてしまいました」

 リンデの言葉を待っていたかのように、何体もの敵が木々の陰から姿を現していた。周囲を見まわしながら、彼女はポッドをゆっくりと後退させる。こちらの動きに合わせるようにして、あちらもじりじりと間合いを詰めてくる。

 ポッドを取り囲んだ不定形の敵たちは示し合わせたかのように岩状に変化していき、前面部を突起状に膨らませていく。グロテスクな光景が、否応なく恐怖心を煽り立てる。彼は叫びだしそうになるのを必死にこらえ、次の瞬間にやってくるはずの衝撃に備えて息を飲んだ、その時。

 爪の先が白くなるほど力をこめてシートを掴んでいた彼の手を、柔らかで冷たい感触が包む。先ほどと同じように、震える彼の手の上に彼女の手が重ねられていた。彼女は真っ直ぐに、エルの瞳を見上げた。

「決してあなたを傷つけさせません」

 そうして世界から光が消えた。光だけではない。待ち構えていた衝撃も、轟音も、かすかな振動さえも消え去った。真っ暗な空白の中でただひとつ、リンデの手の感触だけが彼の全てを満たしていった。



「遥かな、あまりにも遠い時代のことです」


 すぐ近くから、ささやくような声がした。いや……どうだろう。じっくりと聞いてみると、とても離れた場所で叫んでいるように聞こえないこともない。


「この星、地球と呼ばれたこの惑星にはかつて七十億もの人類が生きていました。海で繋がれたあらゆる大陸に人が住まい、多くの国と文明が長きに渡って栄えました。

 もちろん、幸福な時間ばかりではありませんでした。常にどこかで争いが起こり、ほんの一時であろうと戦火が絶えたことはなかったのです。資源や利権の奪い合いや、欺瞞に満ちた主義や自尊。そういったもののために、人類は同胞たちと殺し合いました。ですが、長きに渡る戦いの歴史も、ある日あっけなく終わりを迎えました。ウェパルが現れたのです」


 ここはどこだろうか。体は宙に浮いているように所在なく、いま自分が目を開けているのか閉じているのかも分からない。もしかするとこれが「死」というものだろうか、とぼんやりと考えてみる。


「ウェパルはどこからやってきたのか。多くの研究者たちがその答えを探し求めました。ですが、一向に成果は挙がりませんでした。答えを見つけ出す前に、彼らのほとんどが亡くなってしまいましたからね。

 ウェパルとの邂逅からわずか四年のうちに、九十二パーセントの人類が命を落としました。まだ辛うじて残っていた国際機関はウェパルを「人類の天敵」と定め、自分たちを絶滅危惧種と認定しました。もちろんそんなものには、言葉遊び以上の意味はありませんでしたが」


 だけど。右なのか左なのかは判然としないが、たしかにまだ繋がっていた。つめたいのにあたたかな誰かの存在を、彼はまだ掌に感じていた。


「ほとんどの人々は終末を受け入れました。ですがどんな時代にも、最期の瞬間まで諦めない人々はいるものです。彼らは残された人々をまとめ上げ、持てる全てを結集し、天敵と戦うための力を生み出しました。それが人造可変粒子『リドリオン』であり、それを運用するために建造された、超複合戦略型決戦工廠群『セントエルモ』でした」


 胸に鈍い痛みが走って、まだそこに胸があることを知った。この痛みはどこからやってきたのだろうか。心当たりはひとつしかない。悲しみの中から絞り出されるこの声が、胸の奥に深々と降り積もっていく。


「その圧倒的な戦力によって、人類の勝利は目前でした。月軌道での最終局面。あの熾烈な戦いの末に、ついにわたしたちはウェパルを駆逐したと確信して……その一瞬の隙を突かれました。

 ウェパルの最後のあがきによって、宇宙へ逃れていた多くの避難民と、わたしたち人類軍は地球へ帰還する道を閉ざされてしまいました。為す術もなく、太陽系外宙域へと退避するしかありませんでした。そうして地上に残されたあなたたちと、わたしたちの道は分かたれたのです。あれからもう、一万年もの時間が経ちました」


 もういいよ、と伝えたかった。もうこれ以上言葉なんていらないから。どうかこれ以上、悲しまないで。だけど、それを聞かせて欲しいとねだったのは誰だったか。


「一万年――たしかにそれは途方もない歳月ですが、わたしにはつい先日のように思えるのです。実際わたしの体感時間では、地球を離れたのはつい三か月ほど前のことです。わたしたちはずっと眠り続けてきました。冷たいカプセルの中で、いつか地球へと帰る日を夢に見ながら」


 いくつもの風景が過ぎていった。ジャイアント・セコイアの何十倍も大きな建物が砂の城のようにあっさりと崩れ落ちるところ。平原を真っ赤に染め上げる無数の潰れた「なにか」。銀色の森で舞い踊る羽の生えた小人や、空を隠すようにして飛ぶ巨大な魚の群れ。他にもたくさんの風景が、ぶつかり合い、混ざり合い、ばらばらになりながらとてつもない速度で過ぎ去っていく。

 何度も繰り返し現れるものもあった。それは途方もなく大きな、空に浮かぶ機械の塊。無数の突起に埋め尽くされた、継ぎ接ぎだらけの鋼鉄の星。幾度となく空を駆け、大地を、海を、宇宙を炎で埋め尽くした。

 だがそれもついには流れ去り、最後には暗闇だけが残った。無限の星々が見渡す限りに敷き詰められているのに、そこはどこまでも暗くて寒い。際限はないのだ。この光景こそが人類の到達した未来であり、終着点だった。世界がゆっくりと滲んでいく。

 

 あぁ、そうか。


 俺は/わたしは泣いているんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る