23. リンデとソフィアと母

 テーブルに置かれたハムエッグバーガーを見つめて、エルは複雑な心境だった。

「あら、どうしたのエル。あんまりお腹が空いてないのかしら?」

 隣に座っている母が、コーヒーに息を吹きかけながら言う。

「そんなことないよ」

 ようやく、彼は小さく一口目をかじった。普段なら思い切りかぶりつくのだが、今はそんな気分になれなかった。

「とても、とっても美味しいです! こんなに美味しいものは食べたことがありません」

 テーブルを挟んで向かい合っているリンデが勢い込んで言った。彼女は表情だけでなく、身振りをまじえながら全身で感動を表現しようとしていた。

「それほどでもないですよ。お母さんのレパートリーには、もっともっと美味しい料理がたくさんあるんですから」

 リンデの隣に座っている妹のソフィアが、得意げに胸を張る。

「ソフィ、そういう時は『ありがとう』って答えるものよ。ごめんなさいね、リンデ。暑いのにその子がずっとくっついていて」

 ソフィアはリンデの腕に肩が触れるほど椅子を寄せて、ことあるごとにリンデの顔を見上げては目を輝かせていた。

「お姉さんって、おいくつですか?」

「十五歳です。ソフィは?」

「先月、十歳になりました」

 そんなやり取りが昼食の前からずっと続いていた。エルはこの状況を喜んでいいのか分からず、落ち着かない気持ちのままもう一口食べた。こんな時でも、やはり母の作るハムエッグバーガーは抜群に美味しい。


 学校を出るとすぐに、ロビィがそれぞれの家に戻って昼食を食べようと言い出した。反対する者はおらず、午後からふたたびツリーハウスに集合することになった。そう決まるが早いか、ロビィは自宅に向かって猛然と走り出した。フレディとジャッキーもそれぞれの家へと向かい、エルとアイクとリンデの三人がその場に残された。

 辺りには人影もなく、熱せられた空気が通りの向こうの風景をかすかに揺らしていた。先に帰っていった三人は見落としていたようだが、彼らとは違い、リンデには帰る家などなかった。

「わたしは先にツリーハウスで待っています。お二人とも、ゆっくり休んできてください」

「昼ごはん、どうするつもり?」

 額の汗を拭いながら、アイクが聞いた。

「なんとかしますので、問題ありません」

「そうは言ってもな。どうするエル?」

 エルとアイクが持っている金を合わせれば彼女にサンドイッチとソーダをプレゼントするくらいはできそうだったが、もっといい解決策があった。

「うちに来なよ、リンデ。母さんと妹がいるけど、なんとかごまかせると思うし」

 アイクの家庭の事情を考えれば、エルが彼女を誘うべきだった。

「いえ、そこまでしていただくわけには……これ以上、あなたに迷惑を掛けるわけにはいきません」

「全然迷惑なんかじゃない。むしろ、母さんは喜ぶはずだ」

 彼女にはそう言ったものの、エルには不安もあった。母だけならまだしも、家にはソフィアもいる。あの生意気な妹がリンデを警戒し、妙なことをしなければいいが――。


「お姉さん、いつまでサントークにいるの?」

「どうでしょう。なるべく早く帰るつもりではありますが」

「えー! そんなこと言わずに、しばらく居てくださいよ。なんにもない町ですけど、散歩ならいくらでもできますから」

「ゆっくり滞在できればいいのですが――ごめんなさい、まだ分からないんです。でも、必ず一緒に散歩に行きましょう」

「やった! 約束だよ」

 つい先ほどまで不安を覚えていた自分を馬鹿馬鹿しく思いながら、しばらくは二人のやり取りを静観していた。だが、時間が経つにつれてソフィアの態度に我慢ができなくなってきた。

「リンデが困ってるだろう。あんまりベタベタするなよな」

 じっとりと湿った視線を兄に向けてから、ソフィアは甘えるような目でリンデを見上げる。

「ご迷惑……でしたか?」

「いいえ、とんでもない。とても嬉しいです」

「でも、お兄ちゃんが……」

「お兄さんはわたしのことを気遣ってくれているんです。でもそれは思い違いですよ、エル。わたしは大丈夫ですから」

 笑顔を向けるリンデと、勝ち誇った表情でこちらを睨む妹を同時に眺めながら、エルは口を閉じるしかなかった。彼の隣には微笑ましく二人を眺める母。もう好きにしてくれ、とエルは胸の内でつぶやいた。

 だが、冷や汗をかく場面もあった。エルはとても重要なこと――リンデが母の服を着ていること――をすっかり忘れてしまっていた。しかし母は「あら、あなたもレインバケッツのファンなのね? 私たち家族も、みんな彼らに夢中なのよ」と喜んだだけで、それが自室のタンスの奥から出てきたものだと気づいていないようだった。

 ソフィアにとっては、初対面の女性が自分と同じ野球チームを応援しているということは親密さに繋がる重要な要素であったらしい。母の背に隠れるようにしていたのも最初だけで、五分と経たないうちにリンデの後ろをついてまわりはじめた。

「昨日の青い光って、いったい何だったのかしら」

 唐突に母がこぼした。

「隣のシェーンおばさんは警察の人たちが調べてるって言ってたけど、もしなにか分かったのなら私たちにも教えてくれそうなものよねぇ」

「きっと、たいしたことなかったんだよ」

 慌ててエルが後を引き取った。

「何かあったのなら、いつも偉そうなあの町長が黙っているはずないし」

「こーら、エル。そんな言い方はよくないわ。レイはたしかにちょっと偉そうだけど、町の人たちのために一生懸命働いているんですから。それに、彼はいま仕事でサントクークにはいないそうよ」

 町長のレイモンド・ジェイムズとエルの両親はかつて同級生であり、父とは親友の間柄だったらしい。それについては興味はなかったが、母が町長のことをレイと呼ぶのを聞くとなんとなく居心地が悪い。そのため彼は、町長の話題にはつい辛辣になってしまうのだった。


 母が淹れたコーヒーを飲み終えると、ツリーハウスへ向かう時間になっていた。ソフィアはリンデが帰ってしまうことで明らかに気落ちしていたが、泣き言をこぼさないように我慢していた。母は玄関まで二人を見送りに来ると、また遊びに来てね、とリンデを軽く抱いた。

「もしあなたさえ良かったら、次は泊まりにいらっしゃい。ソフィも喜ぶから」

 そんな母とは対照的に、妹は腕を組みながら偉そうな態度でエルを見上げた。

「ちゃんとお姉さんの言うことを聞かなきゃダメなんだからね、エル。迷惑は絶対にかけないこと。いいわね?」

「はいはい。お前も良い子でいろよ」

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