第3章 魔女の家
34. レイモンド急襲
朝食を食べていると玄関ベルが鳴った。
母が玄関へ向かうのを横目に見ながら、エルは重い頭をゆっくりと回した。森から帰ってきて二時間ほど眠ることができたが、体はまだまだ睡眠を求めていた。
テーブルを挟んで向かい合っているリンデも彼と同じく睡眠不足のはずだったが、そんなことを感じさせない明るい表情でソフィアの相手をしていた。リンデは彼の視線に気づくと、頬を綻ばせて小さく首を傾げる。その笑顔のおかげで、ようやくエルの頭も目覚めはじめた。
「ちょっとエル、そんな目でお姉さんを見ないでよね」
ソフィアがじっとりと湿った視線をエルに向ける。
「そんな目ってなんだよ」
「鏡を見てきなさいよ。いやらしい目をしてるから」
「いやらしいって……別に、俺はそんなつもりは――」
そう言いながら、エルは数時間前の森での出来事を思い出していた。エルの声が若干裏返っていたことを、目ざといソフィアが見逃すはずはない。
「あれぇ……エル、お姉さんに変なことしてないわよねぇ?」
「そ、そんなことするわけないだろう。なぁ、リンデ」
助けを求めて、エルはリンデに話を振った。しかし彼女は、
「えぇ――はい、そうですね」
と意味ありげに微笑み、ソフィアの疑惑の火種に油を注いだ。
「怪しい! ちょっとエル、お姉さんになにしたのよ!」
ソフィアは椅子から飛び降りると、腕をぶんぶんと回してエルに迫った。
「お前には関係ないだろう!」
「あるに決まってんでしょうが! このヘンタイ兄貴!」
そう叫ぶと、ソフィアはエルに飛び掛かってきた。
「お前な、いい加減にしないと――」
唐突に、手を強く打ち鳴らす音が部屋に響いた。
「はいはい二人とも。たまには喧嘩をするのもいいでしょう。でも、今はお客さんがいらしてるんですからね」
母の後ろから男が現れた。スーツを着た長身の体。髪は短く刈り上げており、痩せた顔に頬骨が浮かんでいる。その男――サントークの町長であるレイモンド・ジェイムズは、服を掴み合っているエルとソフィアを蔑むように見下ろした。
「いつからサントークに動物園ができたんだい、リリィ。しつけのなっていない猛獣どもは、きちんと檻に入れておいてくれ」
町長が吐き捨てるようにして言う。
「あらいやだ。そういえばまだ、あなたから入園料を頂いていなかったわね」
母は広げた掌をレイモンドのほうへ差し出した。その手にちらりと目をやったレイモンドに、母は続ける。
「家庭は動物園なんかよりもずっと賑やかで楽しいものよ、レイ」
それを聞いたレイモンドは、短く鼻で笑った。
「君には敵わないな。出会ってからずっと、君にはやられっぱなしだ」
「そんなことないわよ。ハイスクールの時に……って、こんな話は止めましょう。珈琲でも淹れましょうか。時間はあるんでしょう?」
「遠慮しておくよ。これからボブに会わなきゃならないんだ。一昨日の祭りのことを聞いて急いで出張を切り上げてきたんだが、仕事に取り掛かる前に君の顔が見たくなってね」
そう言って、レイモンドはエルたちを見まわした。エルとソフィアはすでに椅子に戻っていて、憮然とした表情でレイモンドを見上げていた。町長はソフィアの隣に座っているリンデに目を留め、首をかしげた。
「君は誰かな? 見たことのない顔だが」
エルは周りに気づかれないほど小さく舌打ちをした。サントークは小さな町だ。町長は当然、住民全員を把握している。
「わたしはアイクの従姉で、リンデ・クルスといいます。一昨日の試合を見るためにクレストから来ました」
「ほう。それがどうしてストーム家で朝食を?」
「私が誘ったのよ」と母が口を挟んだ。「この子のこと、とても好きなってしまったの。昨日はうちに泊まってもらったのよ」
「……なるほど」
射るような目で、レイモンドはリンデを見つめた。
「アイザックの父親のことはよく知っている。流れ者だったあいつの世話をしてやったのは私だからな。だが、クレストに親類がいるという話は聞いたことがない」
「言わなかっただけだろう」
横から助け舟を出そうとしたエルを、
「お前には聞いていない。子供は黙っていろ」
とレイモンドが一蹴した。エルはすぐさま言い返そうとしたが、リンデに止められてしまった。
「おじと母は不仲だったと聞いています。きっと、近くに親戚がいることを隠したかったんでしょう」
「いくら仲が悪くても、肉親の葬式くらいは出席するものだと思うがな」
リンデの表情から笑顔が消えた。彼女はアイクの父親が亡くなっていることを聞かされていないはずだ。嫌な汗がエルの背中を伝った。
「母は知らなかったんだと思います。少なくとも、私は何年も知りませんでした」
「ほう。まさか君のご両親は新聞も読まないのか? アイザックの父親を車で轢き殺したのは、クレストで商売をしている男だった。新聞には男が酒を飲んでいたことだけでなく、被害者の顔写真や名前も大きく掲載されていた。もし君のご家族がなんらかの理由で新聞を購読していなかったとしても、近隣の誰かが被害者の正体に気づいたはずだがな」
そう畳みかけながらも、レイモンドはじっとリンデを観察していた。その目に宿る光は冷酷でありながら、一方で彼女の反応を楽しんでいるようでもあった。
「それは――」
と口を開きかけたリンデを、母がさえぎった。
「答える必要はないわ」
母はリンデの姿を隠すようにして、町長の前に立ちはだかった。
「レイ、ちょっと悪ふざけが過ぎるわよ。疲れているのかもしれないけれど、私の大切なお客様をこれ以上困らせないでちょうだい。家庭の数だけ事情があるのよ。私たちにも、あなたにも、ね」
レイモンドは先ほどと同様の冷たい目で母を見下ろしたが、短く息をつくと表情を和らげた。
「悪かった、リリィ。つい仕事の癖が出てしまった。知っているだろう? 気になることは徹底的に突き詰めなければ気が済まない主義でね。お嬢さんもすまなかったね。どうかサントークで良い休暇を過ごしてくれたまえ」
町長は踵を返してリビングから出て行こうとしたが、唐突に立ち止まって振り返った。
「最後に一つだけ、個人的な質問をさせてくれ。もちろん、嫌だったら答えなくてもいい。その青い髪は生まれつきか?」
「――いえ、四年ほど前からです」
「そうか」
レイモンドは頷くと、口元にかすかに笑みを浮かべて続けた。
「とても綺麗な髪だ」
町長はそのまま玄関へと向かい、母も見送るためについて行った。
「嫌なやつ! あんな失礼なことを言うなんて信じられない。お姉さん、気にしちゃダメですからね」
ソフィアはいたわるようにリンデの腕に触れた。
「私は大丈夫です。ありがとう、ソフィ。――ところで、あの人は誰ですか?」
「そうか、リンデは知らないよな。あれはサントークの町長で、レイモンド・ジェイムズ。さっきので分かったと思うけど、ものすごく嫌な奴だ」
「ほんと、嫌なやつ! なにが『とても綺麗な髪だ』よ。格好つけてんじゃないわよ!」
怒りが収まらないソフィアはマグカップに入った牛乳を荒々しくあおった。エルも妹と同じく腹を立てていたが、一方で町長の追及から逃れられたことに安堵してもいた。
「あななたちの天使のような可愛い声、玄関までばっちり聞こえてたわよ」
リビングに戻ってきた母は子供たちの陰口をたしなめながらも、心配そうに窓の外へ目をやった。
「レイったら、相当疲れていたわね。大丈夫かしら」
「そうかな。いつもあんな感じだと思うけど」
「私は付き合いが長いから、なんとなく分かるのよ。それにしても、エル。間違っても町長なんかになっちゃダメよ。あんな大変な仕事をしていると、すぐ老けちゃいますからね」
リンデが椅子から腰を上げ、母に礼を述べた。
「ありがとうございます、リリィさん。とても助かりました」
「いいのよ。それより、せっかくの素敵な朝に嫌な思いをさせてしまったわね」
母はテーブルの上のティーカップを取り、目の高さまで持ち上げた。
「お詫びに、とびきり美味しい珈琲をごちそうするわ。お砂糖たっぷりのね」
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