手乗りアイドルに魅せられて

「皆、さっき私が一人暮らしで寂しくないかどうかって言ってたでしょ? でもね、私にはこの子たちがいるから寂しくないのよ」


 言うや否や、千絵は鳥籠の入り口を開けた。彼女の左手にはさも当然のように小鳥が飛び乗る。ある鳥は千絵の手の上に行儀よく止まっているが、ある鳥は手のひらの上から勢いよく離陸し、すぐ傍のローテーブルに着地している。先に新天地に着地した小鳥を追いすがる鳥もいた。三羽とも、白地に茶褐色のまだら模様が入っている。


「この子たちは手乗り十姉妹じゅうしまつなの」


 千絵の澄んだ声が室内に響き渡る。千絵以外の面々は、今や鳥籠を出て我が物顔で跳ねて飛ぶ小鳥たちに釘付けである。もちろん源吾郎もだ。

 ジュウシマツぅ? ちょっと間の抜けたような声が女子の誰かから上がっていた。小鳥好きか小鳥好きが近くにいなければ、確かに十姉妹が何であるか首をひねる者がいてもおかしくはないだろう。

 しかしそんな事は十姉妹たちも千絵すらも気にしていないようだった。千絵は自分の手に未だ留まっている一羽の頭部から背を優しく撫で、それから探検を続けている二羽に視線を向けていた。


「それぞれトップ、モップ、ホップって言うの。一番大きくて堂々としている子がトップ、頭の羽毛が逆立っている子がモップ、他の子よりちょっと小さくておどおどしているのがホップなの」

「千絵のネーミングセンスって独特だねぇ」

「モップちゃん以外はどっちもそっくりだけど、千絵には見分けがつくの?」


 独特と称された名前であったが、当の十姉妹たちは特に気にしていないらしい。探検していた二羽――トップとモップであろう――は、胸を膨らませて一声啼くと、今再び千絵の許に戻ってきた。巻き毛のあるモップは千絵の方に止まり、トップはさも当然のように未だ広げられた千絵の手のひらに舞い戻る。仲間が戻ってきた事に驚いたらしく、ホップと思しき十姉妹は渋々と言った様子で千絵の手のひらから離陸し、近場に舞い降りた。

 他の女子たちはさておき、源吾郎は既に三羽の十姉妹の区別がつき始めていた。トップとホップは兄弟姉妹なのか確かにまだら模様の入り方やシルエットは似ている。しかし態度と体格は異なっていた。千絵の言うとおり、トップの方が体格も良く動きもどことなく横柄である。一方のホップは、痩せてはいないものの他の二羽よりやや小さく、相手の様子を窺うような仕草さえ見せている。

 そんな風に密かな観察を進める源吾郎をよそに、千絵はトップと思しき十姉妹が乗った手を掲げた。


足環あしわを付けてるの」


 四対の瞳が千絵の手許、そこに止まっている十姉妹の足許にまず向けられた。十姉妹の右足首には、確かに赤いリングが通されている。薄っぺらいプラスチック製であろう。源吾郎はすぐに他の二羽の足首も注視した。いずれも右足首に似たようなリングが通されている。巻き毛のあるモップは青色、申し訳なさそうにローテーブルをうろつくホップは黄色の足環だ。成程これならば個体識別は容易いであろう。


「最初はトップとホップが似てたから、私も足環で区別をしていたんだけど、一緒に暮らしているうちに個性の違いが判ってくるようになったのね。今では、特に足環を見なくても誰が誰なのか解るわ」


 得意げな千絵の言葉に歓声が上がる。それに気付いているのか否か、十姉妹たちは気ままにさえずったり飛び跳ねたりと思い思いに動き回っていた。

 個体識別できるのなら足環は要らないのでは……理屈っぽいが至極まっとうな意見が上がりもした。もっともな話だとその意見に対して源吾郎は思ったものの、特に口は挟まなかった。今でも十姉妹たちに足環があるという事は、何らかの意味があるという事だろうから。


「ほんと可愛いわよねぇ。まん丸くてフワフワで、シマエナガそっくりかも」

「面倒見るのって大変じゃあないの? こんなに小さいから」

「あー、やっぱ小鳥も可愛いなぁ。でもうちにはマルがいるからちょっと無理かも」


 自由に動く十姉妹たちを見ながら女子たちはてんでに思った事を述べている。ちなみに女子の一人が口にした「マル」とは猫の名である。かつて源吾郎たちが発見した仔猫たちの一匹だ。後の二匹は他の家に貰われていったのだが、身体が小さく不器量だったマルだけは長らく演劇部員が面倒を見ていた。源吾郎は実はマルを引き取りたいと思っていた事もあったが、色々あって同級生の家の許に落ち着いた次第である。


「うふふ、やっぱりこの子たちって可愛いでしょ」


 十姉妹たちと部員たちとを交互に眺めていた千絵は、持っていたスマホを源吾郎たちに見せた。画像を保管するギャラリーの部分に難なく入ると、何とそこは十姉妹たちの画像で埋め尽くされていた。千絵は器用にスマホの表面を操り、古そうな画像をタップした。

 小さな画面に広がったのは、三羽のひな鳥が居並ぶ画像であった。およそ二か月前の画像らしい。羽毛の色合いや模様から辛うじて今遊んでいる三羽と同一個体である事は判る。しかし身体つきも小さく羽毛の生え具合も所々不揃いで、今よりもうんと幼い頃の画像である事は明白だ。


「一人暮らしにも慣れた頃に飼ってみたんだ。本当は文鳥とかキンカチョウとかでも良かったんだけど、小鳥屋さんでたまたま扱ってなかったから十姉妹にしたの。値段も結構安かったしね」

「餌やりとか大変じゃなかったの?」

「確かに小鳥のヒナってさし餌をやらないといけないらしいのよ。でもね、割合大きくなった頃に飼ったから、さし餌をするのも三、四日くらいで大丈夫だったわ。買ってきた時から、さし餌のほかにもペレットとかもつついてたし」

「そっかー。それだったら楽よねぇ……」


 朋子ともこがしみじみとした様子で声をあげた。確か彼女は理科は苦手だったが小動物に興味があった。


「従妹も少し前にインコを飼いだしたらしいんだけど、ヒナの時にさし餌を受け付けなくて大変だったって聞いたのよ。動物病院に連れて行ったら費用がかさんだとか、退院してからまたちょっと元気が無くなったとかで大変だったらしいわ。

 まぁ、退院後ずっと様子を見ていた叔父さんと叔母さんが、二人がかりでそのインコに無理くり餌をあげてたら、数日後にはすっかり元気になったらしいんだけど」

「多分それは、冷えていたからでしょうね……」


 朋子のインコ話に対して、千絵は解説を行おうとしていた。だが十姉妹たちの甲高く鋭い啼き声を聞き取りそれどころではなくなった。十姉妹たちはいつの間にか三羽揃ってローテーブルに止まっていた。跳ね回り、啼き、身体を伸び縮みさせ動きを伴っていた。しかし愛くるしい見た目とは裏腹に剣呑な気配が三羽の間には漂っていた。

 十姉妹の一羽が、別の一羽に対して嘴を向け、近付いたら突こうと身構えているのだ。巻き毛のモップは居丈高な方にすり寄り、状況次第では突かれそうになっている一羽に冷徹な眼差しを向けているように源吾郎には見えた。

 足環を見ずとも、突こうとしている方がトップで、突かれそうになっているのがホップなのが源吾郎には解っていた。


「あら」


 三羽の十姉妹の飼い主、彼らの保護者ともいえる千絵は、三羽の緊張状態を前に気の抜けたような声をあげた。幼子のヤンチャを見守る若いママのような声音だった。


「きっとこの子たち、お腹が空いているのよ。それで気が立っているのね」


 そんな事を言うと、千絵は膝立ちのままゆっくりと移動した。黄褐色のツブツブが入った袋を取ると、袋の口を開いて中にあるものを手のひらに乗せていく。


「この子たちがいつも食べてるペレットよ。手乗りだしみんなの手の上に置いてたら来てくれると思うわ」


 ペレットと呼んだ粒々たちを、千絵は演劇部員たちの手のひらに少しずつ置き始めた。餌につられて小鳥たちがやって来る。この状況に、女子たちは満場一致で喜んでいた事は、彼女らが千絵に手のひらを見せていた事で明らかだろう。

 一応源吾郎もこれに倣ったが、自分のところに十姉妹たちが来るという期待はしていなかった。並の妖怪以上に妖力を持つ源吾郎は、実は妖力を持たない動物たちからは、おおむね恐れられ避けられていた。人間以上に勘と本能の鋭い動物たちは、妖怪が脅威をもたらす存在である事と妖怪の持つ妖力がになる事を感じ取っているのだろう。

 もちろん、妖怪がその場にいるだけで他の動物たちに害や影響が出るわけではない。妖怪が多く住んでいる所にも動物たちが訪れたり住まいにする事はあるにはある。しかし動物たちの多くは、妖怪の放つ妖気の影響をなるべく受けないように動くのが普通の事だった。

 そういう源吾郎の考えをよそに、千絵は源吾郎の手のひらにもペレットを置いてくれた。しかも他の女子たちよりも多めにである。源吾郎が何故か動物に好かれない事、それでも源吾郎が動物に興味を持っている事は彼女も良く知っていたのだ。



 三羽の十姉妹たちは、案の定ペレット目当てに女子たちの手のひらに飛び乗った。源吾郎は彼女らの手の上でペレットをついばみ小さく啼く十姉妹たちを密かに見守っていた。今のところ自分の手のひらにやって来る十姉妹はいないが、妖怪ではない小鳥を見ていて確実に彼の心は和んでいた。妖怪でも何でもない、普通の鳥がこんなにも癒しと安心感を与えるものであるとは夢にも思っていなかった。


「あ」


 そうこうしていると、源吾郎の許に一羽の十姉妹がやって来た。手のひらに乗ってきた衝撃も、細い脚から伝わる重量も実にささやかでそれが却って新鮮な驚きをもたらした。源吾郎の声に驚いたらしく、十姉妹は小首をかしげ、喉を膨らませて啼いた。申し訳なさそうな表情のその鳥は、黄色い足環のホップだった。もしかすると、他の所で餌をつついていて、他の二羽に追われてしまったのかもしれない。

 源吾郎は手の震えを抑えつつ、ホップがペレットをつつくのを眺めていた。小さな生き物の動きに半ば感嘆していた源吾郎だったが、気弱なはずのホップは源吾郎の手の上でリラックスしていたらしい。というのも、彼は源吾郎の手のひらに乗っていたペレットのみならず、源吾郎が気付かぬ間に作っていた指のまでつつき、薄皮を咬んでいたのだから。 

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