密談は霧のはざまでおこなわれ
女妖怪を従え甥の許に駆け付けた
三國は、一言で言えば荒々しさと優美さを兼ね備えた若い妖怪だった。荒々しい本性を、優美な立ち振る舞いでコーティングしていると言ってもいいであろう。そんな三國の本性は彼のドレスコードから透けて見えていた。
一応はワイシャツとズボン姿なのだが、ビジネスの場の衣装というには余りにもカジュアルでラフな物だった。ワイシャツは淡いピンク色の地にワインレッドのストライプ模様が走り、さらに言えばそのストライプの間には金糸で縫い取られた稲妻の刺繍があしらわれている。しかも首許を細い鎖のネックレスで飾っていた。カジュアルを通り越して、いっそチャラチャラしていると言っても過言ではなかった。
下手を打てば悪趣味とも取れる衣装だったが、三國自身の見目が良いために見苦しくもなく不格好でも無いのが源吾郎の心をざわつかせた。凡庸な容姿の持ち主は余程頑張らねばお洒落だと認識されないものだ。その一方で、見目麗しい者はどんな衣装でも様になってしまう。世の中は無常なのだ。
若いエネルギーを持て余したチャラ男めいた姿は、雉鶏精一派の幹部の一端という荘厳な立場にはそぐわないように源吾郎には思えた。実際三國は第八幹部であり、幹部陣である八頭衆の中での地位は最下位だ。しかも百五十歳程度と、大妖怪としてだけではなく一般妖怪として見てもまだまだ若者の部類に入る。
八頭衆の末席で、妖怪としても若い。しかしその事実があるからと言って源吾郎は三國を軽んじていた訳ではない。むしろ逆だ。年長の幹部たちの間から末席だの若輩だの言われながらも幹部の座を護り続けている事は並大抵の事ではないと思っていたし、そもそも妖怪としての実力は源吾郎よりも遥かに上回っているのだから。
それどころか源吾郎は三國の佇まいや放つ妖気に圧され気味だった。若き大妖怪というものを、自分は初めて目の当たりにしたのだと源吾郎は思っていた。
もちろん、身近な大妖怪ならば紅藤や萩尾丸が該当する。しかし三國が漂わせる大妖怪としての気配や風格は紅藤たちのそれとは大いに異なっていた。大妖怪からも畏れられる紅藤は言うに及ばず、萩尾丸ですら無闇におのれの妖気をひけらかし、不必要に威圧的な気配を漂わせる事は無かった。
――萩尾丸先輩って見た目がアレだから若い妖怪かなって思ったけれど、若作りしているだけだったんだなぁ。まぁ、考えてみれば母様よりも年上だし。
真に若い大妖怪と向き合いながら、源吾郎は取り留めもない事を考えていた。大妖怪になり、その上で最強になる事を目指していた源吾郎であったが、一口に大妖怪と言っても格の違いがある事に、たった今気づいたのである。源吾郎自身がその大妖怪に匹敵する存在に到達するまでの道のりは未だ険しいと言えども。
「みーくん。認識阻害の結界の準備できたよ」
三國のすぐ傍で聞こえてきたのは女の声だった。親愛と甘えと若干の媚を含んだその声の主は、三國のすぐ隣にいた。黒のロングワンピースに黒いローブを纏った女妖怪である。彼女の背後では、薄紫のもやがゆるゆると蠢いている。風もないのに揺らめくローブの表面には、黒糸で虎柄を想起させる刺繍が施され、ローブかワンピースに付属するリボンは蛇の鱗模様だ。どうやら三國と共に現れ、術を行使した女怪は鵺らしい。
「ありがとう
「えーと、三分ぐらいは余裕で持つと思うよ。みーくんテキパキやるのが得意だから、三分もあれば大丈夫だよね?」
「大丈夫大丈夫。ああほんと、月華はいつ見てもいい女だよね。仕事面でも有能だし、プライベートの方も……へへへ……ま、俺が見込んだだけあるよ」
月華と名乗った鵺女との会話に三國はしばしの間没頭していた。警戒して様子を窺う妖狐のウェイトレスはおろか、実の甥である雪羽の事さえそっちのけである。
しかしそれにしても二人の会話は甘ったるいものだった。恐らく月華は三國の重臣の一人なのだろう。しかし、先の会話を聞いてそれだけの関係だと思うものはいまい。
不意に目撃してしまったゲロ甘展開に源吾郎が目を白黒させていると、月華の視線が源吾郎や米田さんに向けられた。
「こんばんは狐さんたち。私は月華って言うの。雉鶏精一派第八幹部・雷獣の三國様のサポート役だと思ってくれれば大丈夫よ。
さっきは驚かせてごめんね? 結界の中に入れられちゃったから驚いたかな? だけど三國様と雪羽君との会話が終わったらすぐに解除するから気にしないでね」
「…………」
源吾郎は思わず助けを求めるように米田さんをちらと見た。月華の説明は何というか突っ込みどころが多すぎた。先の説明で源吾郎が納得できたのは月華が三國の部下であるという点だけである。
結界を張ったうえで謝罪されても一方的に行った事には違いないし、そもそも叔父が甥と会話するにあたってわざわざ結界を用意する必要性を感じない。仮に必要性があると三國が判断していたとしても、それは甥の振る舞いに後ろめたさを感じているという事になるのではないか……源吾郎はもう既にクタクタになっていたが、疑問は脳内を駆け巡り落ち着きそうになかった。
米田さんと視線が絡み合う。彼女が源吾郎の意図を汲み取ってくれたのか否かは定かではない。米田さんは微笑むと、驚いて何も言えない源吾郎の代わりとばかりに口を開いた。
「ええ、私どもは大丈夫です」
米田さんは短く、しかしきっぱりとした調子でそんな事を言っただけだった。源吾郎とは対照的に驚きの色は無く、妙に落ち着いた表情を見せてさえいる。
大丈夫で済まされる内容ではなかろうに……源吾郎はそう思っていたが、そんな事は誰も意に介さない。
三國の関心は既に月華から甥の雪羽に移っていた。
「さて雪羽。お前のいる辺りで何か派手な動きがあったように思えたけれど、また何かしでかしたのかい?」
「ま、まぁね」
三國の優しげな問いかけに対して、雪羽は照れたように応じている。そこには気恥ずかしさが入り混じっているものの、悪事が露呈した事への後ろめたさや罪悪感は無い。
「グラスタワーをそこの狐が片づけようとしてたんだ。それが気になって近付いたら急に崩れちゃって……あ、でも俺は大丈夫だよ。傍にいた狐の女の子が、術を繰り出して俺たちを助けてくれたからさ」
源吾郎の瞳がぐっと引き絞られる。雪羽の証言が真実とは違う事に目ざとく気付いたからだ。
「それじゃあ特に大した事は無いんだね」
しかし、三國は鷹揚にそう言っただけだった。結界で周囲を遮蔽した所から既に気付いていたが、やはり三國には雪羽を叱責する意図でここに来たわけではないようだ。
それよりもさ。雪羽は興奮に頬を火照らせ源吾郎たちを指差す。三尾が揺らめき、床を鞭のように叩いてさえいた。
「叔父貴、そこの狐の女の子凄かったんだぜ。さっき言ったけど、グラスタワーが崩れちゃったときに、めちゃくちゃにならないように術を使ってくれたんだ。フツーの見た目の良い女の子かなって思ってたんだけど、もしかしたら良いとこのお姫様かも」
「雪羽は何を珍しがってるんだい?」
興奮冷めやらぬ様子の雪羽とは対照的に、三國は不思議そうに首をかしげている。
「そこにいる狐の女の子って、玉藻御前の末裔を名乗っている事で有名な米田さんじゃないか。まぁ確かに努力家なんだろうけれど、雪羽が興奮するほど凄い娘だったっけ?」
「違うよ叔父貴。俺が言ってるのはこっちの娘だよ」
雪羽は今一度源吾郎を指し示した。ああ、この子の事か……三國は呟き、その顔に意味深な笑みが拡がる。
「確かに興味深そうな子だね。凄いじゃないか雪羽。ウェイターもウェイトレスも大勢いるのに、この子を見出す事が出来たなんて……」
三國は興味深そうな視線を宮坂京子に向けていたが、尻尾を揺らしている雪羽の方に向き直った。
「それじゃあ雪羽、今あった事をおさらいするね。そこの狐の子を見つけて一緒にブラブラしている最中に、たまたまグラスタワーが崩れる所に出くわした。そういう事だよね」
「そうだよ叔父貴!」
叔父の確認に雪羽は元気良く応じる。三國は一層笑みを深め、頷いた。
「そうか、それなら良かったよ。何一つ問題が無いからね」
――問題が無いだって。ふざけた事を……
三國と雪羽。血のつながった叔父と甥の微笑ましいやり取りを見聞きしていた源吾郎は、言いようのない怒りを感じ始めていた。雪羽は悪事をおくびにも出さず白々しい嘘を口にしている訳であるし、三國は真実を知りつつも雪羽の言動を事実として受け取ろうとしている。
源吾郎の怒りは、悪事が隠蔽される事への義憤とは少し違っていた。その要素もあるにはある。だがそれ以上に彼が感じていたのは強烈な嫉妬だった。雪羽は叔父の三國に懐き甘えているが、源吾郎は叔父である苅藻や叔母であるいちかに懐いていた。しかし苅藻やいちかは、源吾郎が懐き甘えるのを容認したが、必要以上に甘やかす事は無かった。むしろ実の両親以上に厳しい一面を見せる事さえあったくらいだ。少なくとも、悪事の隠蔽など彼らは決して赦しはしないだろう。
躾のなっていない甥をあくまでも甘やかそうとする叔父の姿。それが道義上よろしくない事は解っていても、羨望や嫉妬と言った俗っぽい感情が浮かんでくるのは抑えられなかった。
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