半妖は人の心を思い知る

 ホップが源吾郎の使い魔になるという事はあっけない程とんとん拍子に決まってしまった。元の飼い主である千絵はもはやホップの所有権を主張する事は無いし、ホップは既に単なる十姉妹を逸脱し、幼いながらも妖怪化しているからだ。

 とはいえ、源吾郎とホップの暮らしが月曜日を境に激変したわけでもない。使い魔は通常あるじの任務を聞きこれを遂行する事が仕事になるのだが、ホップは使い魔としても妖怪としても幼すぎる。ホップの仕事はただひとつ。源吾郎の許で養われ、明るく元気に日々を過ごす事だった。そしてそんなホップを見守り、彼が憂いなく過ごせるよう環境を整える事こそが源吾郎の責務だった。



 昼食を摂り終えた源吾郎は研究センターを出て敷地内をブラブラしていた。彼が向かうのは隣接する工場のエリアだった。厳密には工員たちが休憩時にたむろする休憩スペースやベンチの近辺である。

 工員ではなく研究員である源吾郎がわざわざ工員たちが憩う場所に出向いているのは、工員である鳥園寺さんに会いたいと思っていたからだ。若い男が女性に会いたいと思って動いているというと色々な憶測が飛ぶかもしれない。源吾郎はしかし、純粋にホップがらみの案件を鳥園寺さんに相談したいと思っているに過ぎない。

 半袖のカッターシャツにチノパン姿の源吾郎は、夏でもかっちり作業着を着こむ工員たちが集まる中ではそれはもう浮き上がって見えた事であろう。だが前以上に工員である妖怪や術者の卵たちが注目しているようだった。中にはひそひそ言い合っている連中さえいる位だ。噂を言い合いながら工員たちは勝手に盛り上がっているようだったが、源吾郎は気にしないで放っておいた。昼休憩も有限だから早いうちに鳥園寺さんを見つけたかったし、噂話は勝手にやっていればいいと思っていたからだ。

 源吾郎は玉藻御前の曾孫、それも途方もない野望を抱えた男である。噂の一つや二つ、周囲は勝手に行ってしかるべきだと思っていたのだ。


「相談事?」


 鳥園寺さんは、きょとんとした表情で源吾郎を見つめ返した。源吾郎の切実そうな表情を見ている間に、彼女の面に笑みがじわじわと浮かびだしてきた。


「あ、もしかして島崎君のおうちに転がり込んだカワイ子ちゃんの事かしら? もうね、こっちでも噂になってるのよ。季節は夏だけど、島崎君に春が来たってね。でもそんな大切な相談、私じゃあ荷が重いかもしれないわ。一応生物学的には女だけど、女子力が絶無だってお兄ちゃんたちや友達や元カレによく言われていたのよ……」


 鳥園寺さんは気遣っているというよりもむしろ面白がっているような素振りを源吾郎におしげなく見せている。源吾郎は今ホップという可愛い十姉妹(オス)を養っているのだが、可愛い美少女と源吾郎が同棲しているという塩梅の噂になって広まっているのだろう。


「カワイ子ちゃんはカワイ子ちゃんですが……鳥絡みの話になるんです」

「ああ、そういう事だったのね」


 鳥絡み。この言葉がトリガーだったかのように鳥園寺さんの表情が変わった。真面目に話を聞こう、というオーラが彼女から放出され始めたのである。


「――ええ。島崎君の今の飼い方で、特に問題らしい問題は無いと思うわ」


 居候兼使い魔となったホップの飼育環境についての話を聞いた鳥園寺さんは、落ち着き払った様子で源吾郎に告げた。やはり鳥園寺さんは鳥を使い魔にしている家系だけあって飼育場の注意点には詳しかった。


「今のその状態でずっと面倒を見続けていたら大丈夫じゃないかしら。話を聞く限り、島崎君も結構勉強熱心みたいだし、ホップちゃんも島崎君にベタ馴れみたいだもんね。

 本当に凄いわね、まだ子供で任務は出来ないと言えども、すぐに使い魔をゲットできちゃうなんて」

「……ありがとう、ございます」


 鳥園寺さんの賛辞の言葉に、源吾郎は照れながら礼を述べた。


「他に何か気になる事は?」

「あります!」


 半ば食い気味に応じた源吾郎に対し、鳥園寺さんは真面目な表情で目を細めた。源吾郎は彼女の眼差しに面食らいつつも、思い切ってもう一つの悩みを、ホップを巡って元の飼い主だった千絵と口論になった事を打ち明けたのである。



「……島崎君は人間の血も引いているけれど、気持ちはかなりって事がよく解ったわ」


 千絵と口論になったいきさつを全て聞き終えた鳥園寺さんは、淡々とした口調でまずそんな事を述べた。そんな鳥園寺さんの顔を源吾郎は眺めていた。自分が妖怪としての意識を持っている事は重々承知している。しかし、鳥園寺さんの言葉を聞いていると妙な気分になっていた。


「島崎君。初めて会った時、私は妖怪なんて嫌って言ってたのは覚えているかしら」

「ま、まぁそんな感じでしたね」

 

 やや戸惑いながら源吾郎が頷くと、鳥園寺さんはうっすらと微笑む。噂を耳にして喜んでいた時とは質の違う笑みだった。


「あの時うちのアレイも言ってたと思うけれど、普通の人間たちは多かれ少なかれ妖怪を生き物なの。たとえ見た目が可愛らしい小動物であっても、無害で人間に友好的であったとしてもね。ましてや、十姉妹みたいな臆病で大人しい小鳥だと思っていたのが、大きなハエを捕まえたり鳥籠をめんだりしたのを目の当たりにしたら、怖がるなという方が無理があるわ。一般人ならなおさらよ」

「…………」


 言葉もなく、源吾郎は静かにうなだれた。人間としての立場での鳥園寺さんの発言は、ホップを疎み源吾郎に譲渡した千絵の主張が正しいものである事を源吾郎にはっきりと伝えたのである。

 目元がしょぼしょぼするのを感じながら、源吾郎はため息をついた。


「やはり僕は軽率で、愚かだったんですね鳥園寺さん」


 千絵との口論は気分の良いものではなかったが、今一度おのれの言動の浅はかさを源吾郎は噛み締めていた。あの時の源吾郎は千絵を無責任に飼い鳥を手放そうとしていると思い込み、憤りをぶつけてしまった。しかし妖怪を恐れる人間の本能に過ぎないというのならば、そもそも源吾郎の怒りも理不尽なものでしかない。しかもホップの妖怪化は源吾郎が誘発したものなのだから。


「自分の言動を顧みて、愚かと評価できる人は本物の馬鹿ではないわ」

 

 それにね。鳥園寺さんは困ったような笑みを源吾郎に見せていた。


「廣川さんって子の言い分に一理あるように、島崎君の言い分も間違ってはいないのよ。ぬいぐるみやおもちゃじゃあるまいし、気に入らないからそのペットを手放すなんて話が腹立たしいと思う気持ちもごく当たり前の事だもの。ただ島崎君は、妖怪に対する人間の意識という物を考えなかっただけに過ぎないわ」

「……色々とありがとうございます」

「別にいいのよ。私もちょっと暇だったし」


 源吾郎の言葉に対して、鳥園寺さんは照れたように笑っている。そんな彼女を見つめながら、頑張って千絵と連絡を取り、彼女と仲直りをしようと源吾郎は決意を固めていた。

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