若手術者の言いがかり
千絵のツブッターにアクセスした源吾郎はひとまず安堵の息を漏らした。千絵が源吾郎のアカウントをブロックしていない事と、千絵の許に残った二羽の十姉妹が元気である事をツブッター経由で知った為である。
『逃げてしまったホップは、色々あって私の友達に引き取られる事になりました』
つぼ巣の中で居並ぶトップとモップの写真の上に記された文言を見た時、源吾郎は胸の中がじんわりと暖まるのを感じた。源吾郎はあの日以降千絵と連絡は取っていない。これからツブッターにて接触を図るつもりだが、千絵も千絵なりに源吾郎と和解を求めているのではないかという明るい展望が持てたのだ。
千絵の飼い鳥であったホップを引き取ったのは源吾郎である。その源吾郎の事を、「知人」や「他人」ではなくわざわざ「友達」と記してくれた事が源吾郎には嬉しかったのである。
※
仕事終わり。未だ薄明るい空を眺めながら、源吾郎は意気揚々と駐輪場に向かっていた。源吾郎の住まう安アパートの一室では、今や弟分となったホップが待っている。小鳥のホップは夜には眠るが、源吾郎が帰宅してから小一時間ばかり籠の外で遊ぶのが彼の日課だった。ホップが籠の外で遊ぶ間、源吾郎はホップの挙動に気を配らねばならないのだが、無邪気なホップが跳ね回り飛び回る姿を見るのは、源吾郎としても楽しいものだった。
ホップの奴、昼間はお行儀よく留守番しているから、いっぱい遊んでやらないとなぁ……幼い弟を慮る兄のような気分に浸りながら、源吾郎は歩を進めていた。
「――玉藻御前の末裔・島崎源吾郎、だな」
低く野太い声が源吾郎に投げかけられる。その声に対して、源吾郎は水をかけられた野良猫のように、半ば大げさともいえる態度で応じてしまった。妖怪の血を引く源吾郎は、本来ならば人間や他の妖怪の気配に鋭いはずである。しかし考えこむと他の事が見えなくなる性質故に、声の主が近くにいる事に気付けなかったのだ。
声の主は一人の男性だった。小柄な源吾郎よりも明らかに背は高く、彫り深く眼光鋭いその面立ちは精悍な猛禽を想起させた。顔つきだけで正確な年齢が判る訳ではないが、二十代半ばか後半に差し掛かったところであろうと源吾郎は思った。
源吾郎の進路を阻むように立つその男は人間であった。しかし源吾郎は驚きと戸惑いで歩を止め、相手の問いに答えるどころではなかった。考え事をしていた時に呼び止められて驚いたというよりも、相手から剣呑な雰囲気を感じ取った為でもあった。
――この気配、前に受けた事がある。戸惑いの中、源吾郎はぼんやりと思った。以前マシュマロを焼いていた時に感じた視線は彼のものだったのかもしれない。
「俺の事は
柳澤、と名乗った男の顔にふわりと笑みが浮かぶ。柳澤が言葉通りのしがない工員ではない事は源吾郎も既に気付いている。この工場で働く人間は大抵が術者の卵かその係累であるのは誰もが知っている。それに彼は、源吾郎を見て玉藻御前の末裔であると呼びかけていたではないか。
「少し話がある。付き合ってくれるな」
提案を装った命令の言葉に源吾郎は頷いた。不穏な気配を滲ませる柳澤を見ながら、自分が二重に戸惑っている事に気付いた。すなわち、相手の剣呑な態度に戸惑い、その事に戸惑っているおのれ自身に戸惑っていたのだ。
「言うまでもないが、俺は別に君に危害を加えるつもりはないよ」
ママチャリを押す源吾郎の隣を歩きながら、柳澤はぽつりと言った。相変わらずその顔に笑みを貼り付けているが、どういう感情がわだかまっているのか判然としない。
「俺を術者と見抜いているから警戒しているんだろう? 君が術者をどんな存在であると考えているのかは知らんが、術者はあくまでも妖怪絡みの仕事を手広く行っているだけであって、妖怪を殺すだけの狩人や殺し屋ではないのさ。
それに――俺らのような人間の術者が本気で君を討つのならば、ベテランの術者が何十人も集まって挑まなければ敵わないというのが俺たちの見解なんだ」
「…………」
源吾郎は柳澤の顔をじっと見つめ、寒くないのに身震いをした。ただでさえ柳澤の醸す雰囲気に未だ戸惑っている所なのだ。しかも柳澤はそんな雰囲気のまま、物騒な話まで行いだしたではないか。源吾郎が震えたのも無理からぬ話であろう。
だがそれでも、源吾郎を見つめる柳澤の眼差しは冷ややかだった。
「君は妖怪の世界だけではなく俺ら術者界隈の間でも有名なんだぜ。中級妖怪ばりのポテンシャルと、とんでもない野望を併せ持つかなり強い妖怪だってね。君の事を危険視する術者も、一定数いるんだぞ?」
「それも、そうでしょうね……」
源吾郎はか細い声で柳澤の言葉に応じた。注目されているとか有名であるという事実を知った事への喜びの念は無かった。人間が自分を危険視している。この言葉を源吾郎なりに咀嚼し、今までの事に考えを馳せていたのだ。妖怪に縁遠かった千絵は妖怪になったばかりのホップを恐れていたし、術者である鳥園寺さんも、妖怪を人間が恐れるのは当然の摂理だと教えてくれたばかりだった。
「別に俺は、他の連中ほど君を恐れている訳じゃあないよ。むしろ強くて危険な妖怪らしく、もっと堂々として欲しいと思っているくらいだ。そうでなければ――俺が君をいじめているみたいじゃないか」
「……何が目的なのですか?」
そんな事を言われてもどうしようもない。その言葉を飲み込み、代わりに源吾郎は柳澤に問いかけた。善きにしろ悪きにしろ、柳澤は何がしかの目的があって源吾郎に接触しているのだろう。それこそ萩尾丸みたいに、源吾郎をからかうためだけにこうしてくっついているとは思えなかった。もっと切実な目的を抱えているのように思えてならなかった。
目的、かぁ……柳澤は源吾郎の言葉を繰り返し、視線をさまよわせていた。
「そんなに大層な目的なんてないよ。ただ、君がどういう奴なのか知りたいだけさ」
柳澤はそこまで言うと、鋭い眼光でもって源吾郎を見下ろした。
「君の野望は途方もないものだと聞いている。妖怪であっても平穏に過ごす事を望む者の多い中で、何故君は途方もない野望を抱いたのか、それが俺は知りたい。
何のかんの言っても、妖怪と人間の混血なんて珍しいからさ。しかも君はかなり妖怪としての要素も強いし……どちらでもない中途半端な存在として、身内や周囲の面々から迫害でもされたのか?」
「違う、違います!」
身内からの迫害。この言葉に源吾郎は鋭く反応した。その声はさほど大きくは無かったが、先程までとは異なり決然とした響きを伴っていた。
「末っ子だったから高校を卒業するまでは親兄姉に色々と干渉されて、それがちょっと鬱陶しいなって思った事はありますけれど、迫害されるなんて事は無かったですよ。まぁ、母や上の兄や叔父上たちは、妖怪の血が濃い僕が、妙な事を起こさないか気にしていましたけれど。
確かに僕の父は人間でしたが、僕の事は大分可愛がってくれたんです。夫婦仲も良かったので僕や兄姉たちに多少先祖の性質が出ている事も気にしてなかったみたいですし」
柳澤はそれほど表情を変える事は無かった。それでも皮膚の下で驚きの念を蠢かせているのは、妖怪の勘として源吾郎は察知している。
「……そうなるとあれか。妖怪の血を引いている事はさておき、普通の家庭で普通に親に可愛がられて育った口なのか」
「まぁそんな感じですね。ただまぁ、上の兄とは十八も年が離れているので、もう一人保護者がいるみたいな感じですが」
そういう事は別に良いんだ。柳澤は驚きといくばくかの呆れに似た表情を滲ませながら問いを重ねた。
「家で何もないのなら、学校でいじめられたり爪弾きに遭ったんじゃあないのかい? よくよく考えれば、若いうちは家族関係よりも学校での交友関係の方が色々とメンタルには来るだろう? スクールカーストの中でどう立ち回るかもあるし」
「それも別に問題はありませんでしたよ?」
源吾郎の返答に、柳澤は難しい表情をした。源吾郎の返答は柳澤の予想とは異なったものであるらしい。とはいえ、源吾郎が家でも学校でも割合平穏に暮らしていたのは事実なのだから仕方がない。
「家でも大切にされ、学校生活も平和に過ごしてきたのか……俺はてっきり、君の心中に心の闇だとかドロドロした鬱屈みたいなものがあって、それ故に世界征服などを望んでいるのだと思っていたよ。
人間と妖怪、どちらの世界にも属せぬ存在であるがゆえに、既存の世界を打ち崩して自分のための新しい世界を創ろうと思っているとか、そういう訳じゃあないんだな?」
「違う……全然違いますよ……」
源吾郎は半ば戸惑いを覚えつつも、柳澤の考えをきっぱりと否定した。源吾郎の半生を勝手に妄想する柳澤に対して、軽い苛立ちを覚え始めてもいた。
源吾郎はだから、鋭い視線を柳澤に向けたのだった。
「僕はただ単に、玉藻御前様の力を一族の中でもより多く受け継いだから、その能力を十全に活かしたいと思っているだけに過ぎないんです。別にその、柳澤さんが考えるような暗い過去とかはありませんよ! そりゃあまぁ、見た目がパッとしないから、恋愛の方はご無沙汰でしたけれど」
「そうか、君はただの中二病だったのか……それはそれで厄介というやつだな。やむにやまれぬ理由で恐るべき野望を持っているというのならば話は解るのだが……」
何とも言えない表情でぶつぶつと呟く柳澤を見ているうちに、源吾郎は彼が何を考えて何を求めていたのか唐突に悟った。彼は源吾郎が強大な力を持ち、尚且つ世界征服の野望を持つ事を知っている。口ではああ言っていたものの、多少は警戒もしているだろう。源吾郎がそんな野望を持つに足る理由が何なのか、彼はそれを知りたかっただけなのだ。そんな考えが源吾郎の脳裏に浮かんでいた。
「見た目がパッとしないから恋愛に不向きというのは、君には当てはまらないんじゃないのかね。君の先祖は籠絡術に長けた玉藻御前だろう?」
柳澤は大切な事だと言わんばかりに声を張り上げていた。先程まで呆気に取られてぼんやりとしていたのが嘘のようだ。
「僕は相手を魅了したり籠絡させるような術は持ち合わせておりません」
それに魅了の術は便利な物じゃあない――末の兄を思い浮かべながら言い足そうとしたが、柳澤は源吾郎の言葉を遮ってしまった。
「魅了の術とは無縁だなんて、とぼけた事を言っても無駄だからね」
「…………?」
「君の許にベタ惚れモードのカワイ子ちゃんが転がり込んでいるって言うのに、うちの工場で働いている鳥園寺さんにも粉をかけようとしてるだろう。妖怪だから多少は一夫多妻も一妻多夫も融通が利くと言えども、けしからん話だな」
言いながら柳澤が興奮しているのは、彼の頬が火照ったように紅潮している所から明らかだった。一方の源吾郎は、興奮交じりに吐き出された言いがかりを聞きながら、却って落ち着きを取り戻していた。彼の言が誤解と思い込みによって構成されている事は源吾郎にはよく解っていたためだ。
「それは誤解というやつですよ柳澤さん」
「申し開きが出来るのかい、チャラ男狐が」
「確かに僕の許にカワイ子ちゃんが転がり込んでいるのは事実ですが、そのカワイ子ちゃんというのはオスの十姉妹なんですよ。元々は友達の十姉妹だったんですが、色々あって僕が新しい飼い主になったんです。
それで、鳥園寺さんにはホップの、十姉妹の飼い方を教えて貰おうと思って昼休みにお邪魔して、あれこれ話を聞いていただけです。別にその、やましい事はありませんよ」
源吾郎は一度歩を止めると、懐からスマホを取り出して一枚の画像を呼び寄せた。源吾郎の自室で撮影したホップの画像である。綺麗にホップの姿が写った写真は少ないが、今回は一枚見せれば事足りるであろう。
これがうちのカワイ子ちゃんですよ。何とかきちんとホップが写っている画像を、源吾郎は印籠よろしく柳澤に見せた。仏頂面だった彼の顔は、十姉妹の画像を見た事であっけなく笑みほころんだ。
「ああなんだ。君も鳥を飼い始めたのか。それならば完全に俺の誤解だな」
疑ってすまない。源吾郎に視線を戻した柳澤は、何と頭を下げて軽く謝罪をしたのだ。何のかんの言っても鳥好きには悪い奴はいない。そんな独り言を彼は口にしている。目を瞬かせる源吾郎を一瞥し、彼は言葉を続けていた。
「それならば鳥園寺さんに話しかけたのも解るなぁ。彼女、鳥の事も詳しいし気立ての良い娘だしな。鳥絡みの事で相談したくなるのも無理からぬ話だよ。それにまぁ、彼女と鳥の話をしているだけだったのなら、俺も安心したよ」
柳澤が一人勝手に安心する中、源吾郎も実は安心していた。柳澤が源吾郎に唐突に絡んできた理由がうっすらと解ったからだ。
きっと柳澤は鳥園寺さんに好意を抱いており、その鳥園寺さんと親しげに話していた源吾郎に軽いジェラシーでも感じていたのだろう。
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