アイドル取り持つ仲直り

 土曜日の朝。仕事もないのでいつもならのんびりまったりと時間が過ぎるのを待つのが常なのだが、源吾郎は落ち着かない様子で部屋の内装を確認し、本棚に入っている本の並びを整理したり、床の上をコロコロで掃除したりとせわしく動いていた。

 前の土曜日は源吾郎がホップを連れて千絵の許を訪れた。だが今日は、千絵が源吾郎の家に訪れる約束なのだ。彼女と駅で落ち合う時間(アパートが辺鄙へんぴな所にあるので、最寄り駅に到着した千絵を源吾郎が出迎える運びになっている)はまだまだ先であるが、どうにもこうにも落ち着かず、こうしてちょっとした模様替えや掃除に勤しんでいるのだ。それはやはり、千絵が一人暮らしでお洒落に気を遣っていた事に対する引け目や、そもそも千絵ときちんと和解できるかという不安から生じているに違いなかった。


「プ、プ、プププイッ!」


 ちなみに落ち着かない若者は源吾郎だけではない。鳥籠の中のルームメイト・ホップも今日はいつになく活発だ。今は普段通りの動きに戻っているが、本日彼は二度も水浴びをし、鳥籠の床部分に敷いている新聞紙を嘴で破って一か所に集めたりと、何かとせわしなく動き回っていたのである。朝の日課として鳥籠の外でちゃんと遊ばせた後なので、何が彼を突き動かしているのか、源吾郎としては気になる所でもあった。


「プ、プイ!」


 源吾郎は作業を止め、鳥籠の方に近付いた。啼き声を真似てやると、ホップは瞬きをして小首をかしげている。


「どうしたんだホップ。廣川部長が、前の飼い主がやって来るって事で緊張しているのかい?」

「ピ、ピピピ……」


 今度は穏やかな口調でホップに語り掛ける。ホップがどれだけ源吾郎の言葉を理解しているのかは解らない。ある程度理解しているのではないかと源吾郎は思っている。現に今も、源吾郎の言葉に反応し、彼なりに返事してくれているではないか。

 源吾郎は何故ホップが動き回り啼き続けていたのか、彼を見つめているうちに唐突に悟った。ホップに源吾郎の緊張が伝わっていたのだろう、と。小鳥は弱者であるがゆえに群れを作り、仲間と行動を共にする。インコの類では、飼い主の挙動を見てそれを真似する事など珍しくないそうだ。ホップはインコではなく十姉妹であるが、群れで暮らす習性があるのはインコと同じだ。しかもホップは妖怪化しており源吾郎の事を完全に仲間であると見なしている。ホップが源吾郎の行動を意識し、真似ようとするのは当然の摂理であろう。


「大丈夫だよホップ。緊張する事は何もないんだ」


 言いながら、源吾郎は指を鳥籠の檻の隙間に近づけた。当たり前のようにホップは鳥籠の壁にへばりつき、源吾郎の指先に近付いてくれる。源吾郎の指先の皮をつつくのがホップの日課だった。そして源吾郎は、小さなホップの頬や胸を指先で撫でる行為に慣れつつあった。



「吉崎町へようこそ、廣川部長」


 待ち合わせ場所だった吉崎駅前で、源吾郎と千絵は難なく落ち合う事が出来た。彼女もまた緊張した様子で花壇の傍らにたたずんでいたが、ママチャリを押して近付く源吾郎の姿を見ると、ぱぁっと明るい表情を見せた。


「わざわざ迎えに来てくれてありがとう」

「そりゃあもちろん、辺鄙な所だもの……」


 当然の事さと言外に述べつつ、源吾郎はおのれのママチャリに視線を向けた。


「本当は車で迎えに来た方がスマートなのかもしれないけれど、あいにくまだ車を持ってなくてね……アパートまで歩いて二十分くらいだからまぁ大丈夫だとは思うんだ。でももし歩くのがしんどくなったら、俺の自転車に君が乗ると良いよ。俺はそれについていくから」


 源吾郎は彼なりに気を遣ったつもりだった。ところが千絵は源吾郎の言葉を聞くと、さもおかしそうに笑いはじめた。


「あはっ、やっぱり島崎君って面白いわね。迎えに来て俺の自転車に乗っても良いよって言うのは初耳かも。そう言えばバスだったらどうなの?」

「バスはねぇ……あるにはあるけど一時間に二本だよ。暑いしさ、しんどくなったら所々休憩を挟めば良いし。コンビニは無駄にあちこちあるから、涼を取るのにも困らないし」

「それならバスはやめて島崎君についていくわ」


 千絵はそう言ってから、軽く視線をさまよわせた。


「休憩を挟んでも良いって言ってくれたけれど、島崎君は早く家に戻らなくて大丈夫? ええと、その……」

「ホップの事なら大丈夫。時間がかかるかもしれないと思って部屋には冷房を付けてるからさ。熱中症にはならないよ」

「やっぱり大切にしてくれてるんだね、ホップの事……」


 かつての飼い鳥である十姉妹の名を呼ぶ千絵の姿は驚くほどしおらしかった。おしとやかというよりもむしろ自信に満ち満ちた性質の娘であるから、彼女の振る舞いは源吾郎にとってもある意味新鮮な物だった。それは、彼女もまたホップの事であれこれ考えている事の裏返しでもあるようだった。


 そんなわけで、源吾郎と千絵はゆっくりとアパートに向かっていった。千絵は小さなバッグを揺らしながら徒歩で、源吾郎はママチャリを押しながら。

 二人はただ黙って歩いている訳ではなかった。キャンパスライフやサラリーマン生活など、自分がどのような状況にあるのかという近況報告のような物をお互い行っていた。だがそれでも、両者の間柄を考えれば世間話というにはいくらかぎこちない空気が漂っていたのも事実である。

 歩きながらアパートに向かう間、ホップを筆頭とした十姉妹の話はついぞ出てこなかった。十姉妹の事を忘れていた訳ではない。むしろ不用意に話して、険悪な空気になる事を恐れていたのだと源吾郎は思っていた。彼自身がその懸念を抱いていたためだ。



 源吾郎と千絵は思っていたよりも早くアパートに到着した。午前十時過ぎと言えども丁度良く空が曇っていたので、それほど暑さを感じずに済んだためだ。もしかすると、世間話に夢中になっていたから時間の経過を感じなかったのかもしれない。

 冷房を付けていた室内はいい塩梅にひんやりとした空気に包まれている。曇天とはいえ暑さを感じていたのだろう。千絵が静かにほっと息を吐くのを源吾郎は耳にした。


「曇ってたけど暑かったよね……麦茶を用意するから、適当な所で座ってて」

「プイ、プイ、ピピピピッ!」


 千絵が控えめながらも部屋の一角に腰を下ろすのを見届けてから源吾郎は動いた。大きな鳥籠の中に入っているホップは、源吾郎の声に呼応するかのように啼いている。ホップ自身は起きている間ほぼずっと何事か啼いているのだが、源吾郎がホップに対して何がしかのアクションを起こした時に、一層目立つ声で啼くようだった。


「……私がこんな事を言うのもアレだけど、ホップが元気そうで何よりだわ」


 用意した(と言ってもあらかじめ冷やしておいたペットボトル入りの物をグラスに注いだだけだが)麦茶で喉を湿らせると、千絵はそんな事を言った。声音はやはり小さく、呟くような物言いである。

 源吾郎はホップを一瞥してから千絵に視線を戻す。しおらしい千絵とは対照的に、ホップは皮付き餌をついばんだりつぼ巣の上部を引っ張ってワラを引きずり出したりと元気一杯だった。


「ホップの事はもう弟みたいに思ってるからね。あの子が元気に楽しく過ごせるように心を配るのは俺の務めなのさ」


 千絵の表情が驚愕の色に染まる。一瞬の後、源吾郎はまた自分が妙な発言をしてしまったかと思った。おのれの発言が中二病かぶれだと一部の存在から言われる事もままあるし、そこまで行かずとも気取った発言だと捉えられるかもしれない。とはいえ、源吾郎がホップを弟と見做している事も、彼の生活を整えるのがおのれの責務だと思っている事も偽りのない真実である。


「そうね。島崎君ってそういう所があるもんね」


 そういう所ってどういう所だろう? ぼんやりと考えていると、千絵の顔にうっすらと笑みが浮かんでいた。


「私たちが拾った仔猫たちの事、マルとその兄弟たちの事は覚えているわよね? あの時も、島崎君は率先して面倒を見てたって事を思い出したの」


 ああなんだ、廣川部長が指摘したのはそっちの方か……発言が痛いとか気取っているとか言われるのではないかと妙に構えていた源吾郎はまず安堵した。仔猫、と聞いてしばしの間郷愁の念にとらわれたのは千絵と同じである。源吾郎は物騒な野望を持っている割に小動物を可愛がりたいと思っているし、ぬいぐるみとかフワフワしたものも結構好む性質である。


「ホップも……島崎君に拾ってもらって幸せだと思うわ」


 ぽつりと放たれた千絵の言葉に、源吾郎はどう反応すれば良いのか解らなかった。彼女の言を無邪気に肯定するのは何かが違う。それだけは解った。

 廣川さん。源吾郎もまた麦茶を呷り、手指を組みつつ彼女に声をかけた。


「この前は本当にごめん」


 源吾郎は率直に謝罪の言葉を述べ、シンプルに首を垂れた。


「あの時は、廣川さんがホップを突き放したと思ってつい頭に血がのぼっちゃったんだ。だけど、よくよく考えたら廣川さんも怖い思いをしてたって事に気が回らなくて、それで俺、責めるような事を言っちゃったんだよ。

 そりゃあそうだよな。可愛い無害な小鳥ちゃんだと思ってたのに、鳥籠をめんだりしたのを見てびっくりする方が当たり前だろうし。俺はそこを見落としてたんだ……」


 源吾郎は一瞬だけ視線を千絵からホップに移した。低い位置に設置された止まり木の上でホップは身体を伸ばしている。源吾郎と目が合うと、尻尾の先まで震わせながら短く鋭く啼いた。非難がましく聞こえたのは気のせいではあるまい。


「ああだけど、ホップが悪いとか、そんな事は思ってないよ。この件は誰も悪くないんだよ、きっと」


 誰も悪くない。この文言にひとひらの嘘が込められている事を源吾郎は知っている。この度のホップ妖怪化事件の元凶は他ならぬ源吾郎なのだ。だがそれは千絵に教えるつもりはなかった。彼女は霊感も何もない普通の人間だ。可愛がっていた十姉妹が鳥籠をめんだ事に恐れおののく感性の持ち主なのだ。そんな彼女に、妖怪の力を持つおのれが飼い鳥の一羽を妖怪化させたなどと言う話を聞かせたとして、何のメリットがあるというのだろう? むしろ千絵を戸惑わせ、さらなる恐怖をもたらすだけに過ぎない。

 ホップは妙な事を起こさないし、新しい飼い主になった源吾郎を慕っている――それを千絵に伝える事が出来れば十分なのだと源吾郎は思っていた。

 さて源吾郎の話を聞いていた千絵は、源吾郎をまっすぐ見据えて微笑んでいた。


「色々と気遣ってくれてありがとう、島崎君」


 他にも千絵は何か言うだろうか。そう思って次の言葉を待ってみたが、千絵はホップの事について言い出す事は無かった。ただ彼女は、時々鳥籠の方に視線を向け、遊んだり食事に勤しんだりするホップを静かに眺めるだけである。

 数秒の後千絵は源吾郎の方に視線を戻した。こちらこそありがとう。源吾郎ははっきりとした口調で告げた。


「廣川部長だって忙しいだろうしホップの事もちょっと怖いって思ってるかもしれないのに、わざわざ来てくれて本当に嬉しいよ。後になってから、俺も理不尽な事を言ってしまったって気付いたから、仲直りもしたかったしね」

 

 仲直り。口にしてみるといかにも子供っぽい響きを伴っている事に気付き、源吾郎はうっすらと顔を赤らめた。

 千絵は赤面する源吾郎を見て少し気分が和んだらしく、明るい表情を見せていた。源吾郎がよく知っている、いつもの快活な彼女が戻ってきたようであった。


「一度手放したとはいえ、元々は私がホップの飼い主だったもの。島崎君と会う時に、ホップがどうしているのかはきちんと見届けないとって思ったのよ。島崎君の事だから、ホップを粗末になんか扱わないって思ってたわ。だけど、思ってる以上に大切にしてくれているのね。うちのトップやモップよりも、良い暮らしをしているんじゃないかしら」


 茶目っ気たっぷりに放たれた千絵の言葉を受け、源吾郎もホップの入った鳥籠とその周辺を眺めた。まず鳥籠自体は居住用と一時避難用の二つが常備されている。

 鳥籠の外にはホップが羽を休めるための小さなバードスタンドや小さな巣がさり気なく配置されていた。もちろんこれらは源吾郎がポケットマネーで用意した物品である。


「廣川部長の所のモップたちがどんな暮らしかよく知らないけれど、廣川部長がそう言うんだったらそうかもしれないなぁ」


 源吾郎はひょうひょうと言ったつもりだが、その顔には明らかに笑みで緩んでいた。


「廣川部長の所にホップを持って行くまでは、いつかは返さないとダメだって思ってたから、鳥籠とか最小限の物だけを用意してたんだ。だけど晴れて俺の飼い鳥になってから色々と買い揃えたんだ。ホップは俺の鳥だし、存分に可愛がれるってね」

「ああほんと、島崎君らしいわね」


 千絵は最後の一文がウケたらしい。よく見れば手を叩いて笑っている。源吾郎もつられて笑うと、若い二人は笑いの引き際が解らずにしばし笑い続けたのだった。

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