晒した本性、隠された本心

 源吾郎も千絵もツボにはまってしまったらしく思った以上に笑っていた。源吾郎の視界は涙でうっすらと滲み、千絵も目許をぬぐっている。もし今千絵の目許から涙が見えたとしても、源吾郎はそう驚きも戸惑いもしないだろう。何せ笑いによって滲んだだけの涙なのだから。

 ねぇ島崎君。ひとしきり笑い終えた千絵は、ホップをまた一瞥してから源吾郎に向き直った。心持ち真面目な表情である。


「ええと、島崎君はホップが怖いって思った事は無いのかしら?」


 僅かな緊張の色を千絵の瞳から読み取った源吾郎は、素直に小さく頷いた。妖怪である源吾郎にしてみれば、非力な妖怪に過ぎないホップは脅威などではない。しかし、彼との触れ合いが恐ろしい事に思えたのもまた真実だ。


「えへへ、最初はホップを触るのは怖かったよ」


 言いながら、源吾郎もホップを見やった。構ってもらえないと思ったのか、ホップはホップでひとりつぼ巣の破壊活動に勤しんでいる。


「もしかしたら他の十姉妹よりも大きいのかもしれないけれど、俺の手のひらにゆうゆうと収まるくらい小さいんだよ? 撫でたり捕まえようとしているうちに力加減が狂ってホップに何かあったらって、それが一番怖かったよ」


 源吾郎はホップの異形ぶりを恐れてなどはいない。彼は単に、力加減を誤ってホップを傷つけてしまわないかと、その事が恐ろしくてならなかったのだ。

 既にホップが源吾郎の許に来て二週間が経とうとしている。ホップとの触れ合いに慣れてきた源吾郎だったが、未だにホップを片手で掴んだ事は無かった。両手で空間を作り、その中にホップを包む事はあったけれど。

 千絵は驚いたように目を瞠って源吾郎をまじまじと眺めていた。それからもう一度ホップにも視線を向ける。もう一度源吾郎に視線を戻した時、少し腑に落ちた、と言いたげな表情になっていた。


「そっかぁ、そういう意味でホップと触れ合うのが怖かったんだ。やっぱり島崎君らしいわ。ちょっと繊細な所とか」


 俺って繊細なのかなぁ……千絵を見ながら源吾郎は静かに思った。妖狐の血を引いているがゆえに、五感が鋭く普通の人間が見落とす事にすぐ気づくという面はあるにはある。それに源吾郎自身も細かい所を気にして動く事は往々にしてあった。やはり細かいところまで気付いてマメな男ほど女子たちの評価も高いからだ。


「そう言えば島崎君って怪奇現象とか、そう言うのは怖くないの?」


 物思いにふけっていた源吾郎に、千絵は静かに問いを重ねる。やはり驚きの念とか、こちらの意図を探るような気配がうかがえた。彼女の疑念も無理からぬ事だと源吾郎は思っていた。実は源吾郎が怨霊とかが出てくるホラーが苦手である事を彼女は知っている。それにいくら小鳥が可愛いと言えども、鳥籠の檻を曲げる十姉妹を普通の人間が手放しに可愛いと言い放つ態度に疑問を抱くのは普通の事であろう。

 源吾郎が怪奇現象や妖怪を恐れない事にはきちんとした理由がある。真の理由を千絵に明かすつもりはないが、それでも道理の通った返答は可能だ。


「怪奇現象とかそういう手合いの話には実は慣れてるんだ。そう言う事を研究する学者とか、オカルトライターが身内にいるからさ」

「あ、そういう事だったのね……」


 源吾郎の返答を耳にした千絵は、至極あっさりと納得してくれた。この内容で納得してくれるのならばそれに越した事は無い。妖怪絡みの学者やオカルトライターが身内としているのならば、源吾郎がそういう物に動じない理由として千絵も納得してくれるだろう。

 それに源吾郎の父が学者で長姉がオカルトライターである訳だから、嘘をついている訳でもない。

 父親や姉からは結構構ってもらったから、自然とそういう物に馴染んでいった……ダメ押しとばかりにその事実も告げようかと源吾郎は思っていた。

 だがその必要は無かった。千絵の注意は、すぐに源吾郎とは別の物に移ったからだ。


「ピィ、ピュイ、プイッ!」


 元気いっぱいの声の主はホップである。つぼ巣の破壊活動に勤しみ自分の世界に没頭しているのだと思っていたのだが、彼はいつの間にか鳥籠の壁面にへばりつき、身体全体を震わせて啼いている。細い指がきっちりと檻を掴んでいる所や、黒々としたつぶらな瞳がこちらをしっかりと見据えている所、ホップの声が軽く開いた嘴からごく当たり前に出てきている所などが源吾郎にははっきりと見えた。

 ホップ、遊んで欲しいみたいだよ。囁くような声音で千絵は言った。


「ね、島崎君。ちょっとだけホップを外に出して遊ばせてあげたらどうかしら? 私たちを見て外で遊びたいって言ってるみたいよ」


 千絵の提案に、源吾郎は決然とした態度で首を横に振った。千絵の言わんとしている事も、ホップが遊びたがっている事も源吾郎にははっきりと解っていた。


「そうだね。確かにホップは構ってもらってほしそうだけれど、いつもなら俺は仕事でホップは留守番をしている時間帯なんだ。今遊んでやる事は出来るけど、それでホップに変に期待を持たせたら可哀想だからね……」


 源吾郎の主張を聞くや、千絵は驚いたように目を瞠り、嘆息の声を漏らした。数度瞬きをすると、感心したように口を開いたのである。


「島崎君、ホップの事を可愛がってるだけじゃなくて、色々と考えてくれてたのね。本当に、ホップのお父さんかお兄さんみたいね」

「あはは……そりゃあ俺も男だから流石に姉代わりにはならないよ。まぁ真面目な話になるけれど、ホップには俺しかいないんだ。だから俺がしっかり面倒を見てやらないと……」


 気取った物言いだと思われたかもしれないが、やはりこれも源吾郎の本心だった。言葉を濁らせたのは、千絵の反応ではなくおのれの心に浮かんだイメージに驚いたためだった。ホップに対する接し方や考え方が、図らずとも兄たちに、特に長兄の宗一郎のそれに酷似している事を源吾郎は悟ったのだ。兄でありながら保護者らしく振舞う宗一郎の事を、時々疎ましく思っていたにも関わらず。

 それこそ、血は争えないという物なのかもしれない。


「この前みんなと一緒に会った時は恥ずかしくて言えなかったけれど」


 そんな源吾郎の心中の動きはさておき、千絵は感心した様子で源吾郎を見つめていた。


「島崎君、大分大人っぽくなってるからびっくりしたわ」

「まぁ、三年ぶりだもんねぇ。お互い大人になると思うよ。でも、廣川部長にそう言われると照れるな……」


 大人っぽくなった。同学年の中でも割合大人びている千絵にそう言われ、源吾郎の心中は嬉しさと気恥ずかしさでないまぜになっていた。何しろ、子供だった頃の源吾郎を知っている相手なのだから。

 案の定、千絵は一人で小さく頷き、過去を思い返しているようだった。


「本当に世の中って不思議よね。リアル中二病で、世界に挑むとか他にも色々面白い事を言って私たちを笑わせてくれた島崎君が、まさかうちらの中で真っ先に就職するなんて夢にも思ってなかったわ」


 やっぱりサラリーマン生活って大変なんでしょ? この問いに源吾郎は即座に頷いた。


「あ、あの頃は俺も若かったからね。ついつい稀有壮大な事を言ってみんなを驚かせてしまっていたのかもしれないな。だけどやっぱり現実的な道を選ぶ事が大切だって事が解ったから就職したんだ。俺は大丈夫だよ廣川部長。現実を見据えながらも、自分のやりたい事に進んでいる最中だからさ」


 名目上は研究職であるにもかかわらず、営業マン顔負けの滑らかな口調でもって源吾郎はおのれの状況を千絵に語って聞かせた。

 ちなみに現実を見据えつつもおのれの道を進もうとしているという言葉も嘘ではない。源吾郎は幼少の頃より育んできた世界征服の野望を未だ育んでいる。独力では実現が難しいから、大妖怪たる紅藤の許に弟子入りという形で就職し、力を蓄えているのだ。

 そしてまぁ、サラリーマン生活が大変であるという事も真実であろう。週に何度か他の妖怪たちと実力を競う訓練があるというのは人間のサラリーマンとは大分違うかもしれない。しかしそこでおのれの実力を含めた現実に源吾郎は直面し続けていた。最近では、他の妖怪に勝つという自信を源吾郎に与えるためではなく、今の源吾郎には何が出来て何ができないのかを浮き彫りにする事が真の目的ではないかと思い始めているくらいだ。

 

「本当に、色々と安心出来て良かったわ」


 千絵はそう言うと明るく微笑み、グラスにある麦茶を飲み干した。新たに注ぐべきか否かと考えていると、千絵は言葉を続ける。


「ホップの事も私以上にしっかり面倒を見てくれているみたいだし。あとはまぁ、ホップが凄い事を島崎君の前でやっちゃわないかどうかがちょっと心配かも」

「それは多分大丈夫だと思うよ、俺は」


 源吾郎も朗らかな表情で千絵を見た。ホップは確かに妖怪化しているが、彼が何がしかの妖術や怪現象を起こすとは思っていない。紅藤によるとホップは源吾郎の許に向かうためだけに鳥籠をめんで千絵のアパートから脱出を図ったのだ。源吾郎に会い現状に満足しているホップが、さらに何かをしでかす可能性は低い。

 それに妖怪化していると言えども、ホップの妖力は現時点ではかなり少ないのだから。


「ホップはまだ子供だし、怪現象をそうポンポンと起こすとは――」


 おのれの意見を述べようとした源吾郎は、途中で言葉を切った。ここにきて異変を察知したためだ。小さな扇風機が舞うような音が鳥籠の中から聞こえた。数瞬遅れて、千絵の顔に強い驚愕の色が表出する。そう。ホップが鳥籠をめんだと言った時に浮かべていた表情だ。


「島崎君! 今、ホップの周りでちっさいつむじ風が……」


 うろたえた様子の千絵の声を聴きながら、源吾郎はホップを注視していた。ホップは鳥籠の床、フン切り用の網の上に鎮座している。脚を傷めないようにときちんと網の上には新聞紙を引いているのだが、ホップ自身がこの新聞紙をちぎったり引っ張ったりしているので、網の部分があらわになっている。網の下、ホップの太く短い嘴が届かぬ部分に藁や小さな新聞紙のかけらが落ちているのだ。


「プイッ! プププププ……」


 さえずりとは異なる、しかし妙に気合の入った声がホップの身体からほとばしる。にゅうと半ば直立する形で伸び上がったかと思うと、半分ばかり両翼を広げ、はばたき始めた。飛ぶためのはばたきではない事は、ホップが浮き上がらない事からも明らかである。

 源吾郎も瞠目し、絶句した。今先程千絵が言ったとおり、ホップの目の前でつむじ風が発生していた。風が巻き上がる状況そのものは流石に源吾郎も視る事は出来ない。しかしまき散らした種子の皮やペレットやわらくずなどが巻き込まれて舞い上がっている所から、つむじ風が発生している事は十二分に確認できた。


「ホップ! 一体何をやったんだい」


 源吾郎はスススと鳥籠の傍に近付きホップに声をかけた。源吾郎に見下ろされながら、ホップは巻き上げたわらくずを一本嘴にくわえている。源吾郎は生まれて初めて十姉妹のドヤ顔を見た気がした。鳥類は表情筋に乏しいから顔の表情自体に大きな変化はない。しかし首の角度や目つきからして得意満面といった様子が源吾郎にはしっかりと伝わってきた。


「ホップ。そんな妖怪化してるからってさ、わざわざ妖術なんて使わなくても良いだろう? ティッシュのこよりでもわらくずでも粟穂でも後で渡してやるからさ……それにしても、ホップも術が使えるようになったのかい? まさか俺を見て使うようになったとか? でも俺はそんな術は使わないし」


 驚いた源吾郎は矢継ぎ早にホップを問いただそうとしていた。無論効果はない。ホップがどれだけ人語を解するか未知数であるし、源吾郎もホップの啼き声から彼が何を訴えているのか解読できるわけでもない。

 案の定ホップは、尾羽まで震わせて啼くだけだった。物をくわえていても啼き声を出せるのは、鳥類の発声が哺乳類のそれとは異なったメカニズムであるためだ。


「しまざき、くん……」


 おずおずとした千絵の声に反応し、源吾郎は勢いよく振り向いた。おのれの悪癖が出たのだと源吾郎はすぐに悟った。一つの事に意識が向くと他の事がおろそかになる。これが源吾郎の悪癖である。要するに、千絵の存在を放っておいてホップに妖術とか妖怪化という不穏なワードで問いただすという奇行に走ったという事だ。


「あ、ええとね、実はホップは妖怪化してしまってて、まぁ何というか普通の十姉妹とは違う存在になってしまったんだよ。うん、そりゃあ廣川部長だって怖がるのも無理もないよ。普通の十姉妹とは違うんだからさ。

 とはいえそもそもの元凶は俺にある訳なんだ。俺自身もまぁ妖怪みたいなものでさ、その影響でホップは妖怪化してしまったんだよ……」


 奇行に対する論理的な説明が悪手中の悪手であると悟ったのは、自分もまた妖怪に近い事を告げた直後の事だった。

――俺は何を口走ったんだ? そもそも妖怪の話には触れずに一切スルーして、それでまぁ穏便に話を進めるつもりじゃあ無かったのか?

 自問する源吾郎の耳にホップの声が妙に響く。千絵はもう完全に呆然としている。事の発端はホップであるのは事実だ。とはいえ、千絵を二度も驚かせた責任はおのれにあるのだと源吾郎は思った。しかも隠し通すはずだったおのれの本性すらも暴露したのだ。

 さてどうすれば良いのか……源吾郎は数度瞬きをしながら思案を巡らせる。兄姉たちの顔や萩尾丸の言葉や彼の部下の姿が脳裏に浮かんでは消える。

 どうすれば良いのか。短い思考時間ながらも源吾郎は判断を下した。目を伏せ薄く息を吐きだしてから、決然とした目つきで千絵を見やった。


「は、ははは。お前らには隠し通すつもりだったが、しょうもない事で露呈してしまったか……」


 相手を小馬鹿にしたような哄笑と共に、普段以上に乱雑な物言いで源吾郎は言い捨てる。直後、彼の背後で銀白色の四尾が顕現した。室内である事と千絵や鳥籠にぶつからぬよう配慮していると言えど、それぞれ全長一メートル強もある。巨大な白蛇、或いはそれ以上の威圧感を見せているはずだ。


「露呈してしまったからには仕方ない。教えてやるよ。俺は人間の血も引いているが人間なんかじゃあない。三國を震撼させた大妖狐・玉藻御前の直系の曾孫。それがこの俺島崎源吾郎だ!」


 そう言う間にも、半袖から覗く源吾郎の両腕が変質していく。尻尾と同じ色合いの毛皮が両腕を覆い、その先にある指先と爪が鋭く尖り始めた。獣と人の要素を融合させたいびつな腕を千絵に見せつけているのである。

 本来の姿は妖狐の尾を生やした人間のそれなのだが、狐の姿に変化する術も最近覚えた所である。怪物らしさを見せるにはいっそ狐の姿になっても良かったのだろうが、四足獣の姿には慣れていなかったし人型に戻った時に服を着なおさないといけないので腕だけ異形化させる事で留めておいたのだ。

 千絵は声も出ないまま源吾郎を見つめている。酷く戸惑い、或いは怖がっているのかもしれない。源吾郎には無論彼女の動揺と恐怖は解っていた。敢えてそれを無視し、言葉を続ける。


「俺はもとより妖怪として生きていく事、強くなって他の連中を従える事ばかり考えていたんだが、いかんせん力が伴わなくてな。ある程度強くなるまでには時間が必要だったから、間抜けな人間どもの間に紛れ込み、人間として何食わぬ顔で暮らしていたという訳さ。

 ははっ。俺の役者ぶりも中々の物だろう? 学校の連中も誰も彼も欺いて、俺は間抜けで無害な人間のふりをして過ごしてきたんだからさぁ。いやぁ、表向きは風采の上がらない生徒だって思われていたけれど、それも演技のうちだったから楽しくて楽しくて仕方なかったぜ」


 言い切ってから源吾郎はいったん言葉を切った。哄笑交じりに紡ぐおのれの声が、笑い以外の要因で震えていないか気がかりだった。そろそろ会話に決着をつけるべきだとも思っていた。千絵を怖がらせるのは承知の振る舞いだが、そうクドクドと行っていい代物でもない。


「ああそうだよ。俺は悪狐の血を色濃く受け継いでいるからな。お前らが知る俺の姿なんて全て嘘、まやかしさ。狐が人を騙して欺く事はお前らだって知ってるだろう?

 しょうもない友情ごっこ、演劇ごっこだったなぁ。まぁ、しかしお前らは俺の演技にコロッと騙されていたからこそ、三年も会ってないのに部屋に招き入れたりもしたんだしな。間抜けだとは思ったが、おかげでそこの十姉妹を使い魔として得る事が出来たから万々歳さ! 一目見て、俺はそいつをモノにしようと思っていたからな」


 止めとばかりにゲス丸出しの高笑いをかましつつ、源吾郎は千絵の出方を窺った。

――廣川さん。お願いだ……どうか俺の事を心の底から

 千絵たちを欺き邪悪なる存在として陰で愚弄し嘲笑していた――この旨の発言こそが、源吾郎が行った演技であり嘘であった。自分がそういう悪辣な存在であると千絵に信じ込ませる事が源吾郎の狙いだったのだ。無論源吾郎の「」を知った千絵は、源吾郎を心底軽蔑し、嫌悪し、憎みさえするだろう。だが彼女はそうするべきだし、そうして欲しいと源吾郎は切実に思っていた。

 千絵は妖怪とは関わりのない人間だったのだ。にもかかわらず、源吾郎の不手際により妖怪・怪異の恐ろしさを無駄に味わせてしまった。ホップが妖怪化したのも源吾郎の不手際であるし、ホップが術を使わないと高をくくっていたのも源吾郎の責任だ。

 それならば自分が汚れ役になり、千絵に憎まれるべきだ。それにより千絵に対する責任を果たすのだと源吾郎は考えたのである。

 無論彼女を騙すのは辛かった。ライフスタイルが異なる二人は今後会う事も少ないだろう。だからこそきっちり仲直りを行っておきたかった。今ではそれも叶わぬ話であるが。しかし妖怪化したホップを恐れた千絵の正当な気持ちに寄り添えなかった自分への罰としては十二分だろう。


「……嘘よ。今言った事、全部噓でしょ」

「嘘なものか。今俺が言った事こそが本当の事さ」


 千絵はまっすぐ源吾郎を見つめていた。感情の揺らぎが少ないのが気になるが、概ね予想通りの反応である。だからこそ源吾郎も割合冷静に応じる事が出来た。

 後は千絵の罵倒を待つだけだ。裏切者、化け物、腐れ外道……どのような言葉が投げかけられたとしても問題ない。

 ところが、千絵の顔に浮かんでいるのは嫌悪ではなく儚い笑みだった。


「島崎君の演技が上手って言うのは私も否定しないわ。今のだって、別に台本を用意していた訳じゃあないのよね?」


 千絵の問いかけはあくまでも穏やかな物だった。源吾郎が目を白黒させていると、千絵は笑顔のまま言い添える。


「だけど、嘘が苦手なのは前と変わらないわね」

「…………」


 源吾郎は肯定も否定もせず視線を床に向けた。変質していた両腕が戻り、顕現していた四尾も姿を消した。

 千絵の言葉は穏やかだったが、源吾郎にしてみれば罵倒や平手打ちよりも打撃の大きなものだった。奸計が見抜かれる事程間抜けな事は無いだろう。源吾郎は静かにそう思っていた。


「島崎君のノリに応じれば良かったのかもしれないわ。だけど、さっきの島崎君、とっても辛そうだったから」

「……廣川さん。俺を赦してくれるの?」


 ゆっくりと源吾郎は顔を上げ、千絵に視線を向けた。彼女がゆっくりと頷くのが目に映る。


「そりゃあさっきの話には驚いたけれど、でも今まで不思議に思ってた事で腑に落ちるところもあったし……特にホップとの事とかもね。

 少し周りが見えなかったり何か色々と正直すぎるところがあるけれど、島崎君のそういう所、私は嫌いじゃないよ?」


――大人っぽいだなんてとんでもない。彼女の方がずっと大人じゃあないか

 源吾郎は複雑に混ざり合う心中を抱えながら静かにそう思った。ホップは機嫌よくさえずっているらしいが、今の源吾郎には遠くから聞こえてくるようだった。

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