幕間
ミチを拓くは虹色の卵
《平成二十九年七月某日 関西某所》
瀬戸内海側特有の明るくからりとした日差しが下界を照らし、木々の枝葉は爽やかな緑色に輝いていた。
明るく爽やかな風景の奥に、木々が鬱蒼と茂る一角があった。木々はいずれも御神木と見まごうばかりに立派に育ち、その部分だけ世界が違うかのような錯覚さえ見る人は抱くであろう。
実は青黒い葉を茂らせる大樹の奥には、他の邸宅にも劣らぬような立派な屋敷が鎮座していた。だがそれを視認できる人間は殆どいないであろう。
不気味さと壮麗さを内包する大樹の森の奥に潜むあるじは、要するに市井の人間とはかけ離れた存在であるという事だ。
※
橙色の柔らかな照明が屋敷の一室を照らしていた。血のように重く暗い紅色の絨毯が敷かれたその部屋は、剥製を含む多くの調度品やこまごまとした最新機器などを多彩に取り揃えていたが、照明と絨毯の色味のせいか、どうにも他の部屋に較べて薄暗い印象がぬぐえない。
しかしそれが、この屋敷の女あるじの意向なのだから致し方ない。
屋敷の女あるじは、今まさにこの部屋の、それもど真ん中に佇立している。年の頃は若く、二十歳前後から二十代前半くらいに見える。成人女性としては平均的な背丈の持ち主のようだが、出る所は出ているために中々に存在感のあるグラマラスな肢体の持ち主のように見えた。首周りの茶色い羽毛の襟飾り以外は殆ど装飾のない、簡素かつ身体のラインに沿った作りのワンピースを身にまとっているから、余計に彼女の身体つきが強調されているのかもしれない。
面立ちも美女ないし美少女と呼んでも遜色は無かった。バタ臭くない程度に彫りが深く、猫のような瞳、通った鼻筋、鮮やかな緋色の唇が印象的である。やや日本人離れした風貌のために、浅黒いともいえる褐色の素肌も彼女の美貌を損ねず、むしろ一層引き立てているようであった。しかもただ美しいだけではなく、見る者の心をとらえるようなコケティッシュさも具えている。但しそれは、彼女の美貌や魅了とは別格の、心胆を寒からしめる得体の知れなさと抱き合わせだったけれど。
うら若い娘にしか見えぬ彼女なのに何故得体の知れない気配をまとっているのか。簡単な話だ。彼女が見かけどおりの娘ではなく、人に化身した妖怪、それも大妖怪に準じる存在であるからに他ならない。彼女は
その彼女が真剣な眼差しで見つめているのは、小さな機械の中に入った一つの卵だった。この卵は先日彼女が産んだもの……要するに彼女の子供になる存在である。機械は言うまでもなく
異様なのは卵の表面であろう。山鳥の卵は通常赤みがかったクリーム色である。しかし彼女が見つめる卵は、緑を基調とした鈍い虹色に輝いていた。強いて言うならば、玉虫色と呼んでも良いだろう。
――早く生まれるのが見てみたいわ。既にこの仔が、父親たる「道ヲ開ケル者」の特徴を具えている事は明らかだもの
玉虫色の卵から一体どのような仔が育つのか――その未来を思い浮かべながら山鳥御前は微笑んでいた。まだ見ぬ我が仔を想うような暖かな感情はそこには無い。もとより今回の仔もおのれの手ごまに過ぎないのだから。
「こんにちは、おねーさん」
「――ッ、誰?」
真後ろから聞こえてきた声に、山鳥御前は鋭く反応した。思考にふけっている時に声をかけられたから驚いている訳ではない。何者かがこの部屋に侵入してきた事、侵入者が自分の配下ではない事を悟った為である。この部屋は山鳥御前が幾重にも結界を巡らせており、入れるのは自分と信用に値する数名の配下のみだ。そもそも屋敷に辿り着く事自体、普通の妖怪には難しい事なのに。
声の主を見据えながら、山鳥御前はいつでも戦闘できるように構えていた。その有用性から、玉虫色の卵を狙う輩が出る事は解っていた。だからこそ自衛に自衛を重ねてきたのだ。
「そんなに怖がったら、折角の綺麗なお顔が台無しだよ、
中堅妖怪が放つ妖気と殺気を正面から受け止めつつも、そいつはひょうひょうと佇んでいる。むしろ緊張しているのは山鳥御前の方だった。その姿を見て相手が誰であるのか悟ったのだ。首許を七つの珠で飾る青年――
「大丈夫だよ碧松姫ちゃん。別にキミがボクにうっかり殺気を放つくらいのおてんばさんでもさ、ボクはそんな事一パイカ(約四ミリ)も気にしてないよ。
むしろ可愛い可愛い姪っ子の元気そうな姿を見て嬉しいくらいさ。君はあの
胡張安。その名を耳にした山鳥御前の両眼の中で焔が怪しく揺らめく。雉鶏精一派初代頭目・
既に八頭怪への警戒心は薄れていた。異母弟の名に反応していた事もあるし、或いは極度の緊張の後に判断が鈍っていたのかもしれない。
「キミのやりたい事、ボクも手伝ってあげる。だってキミはスゴい事をやってのけたんだよ。このボクだって十世紀に一度会えるかどうかわからないようなご主人様との間に卵を設けたんだからさ」
八頭怪の視線が卵に向けられているのを見て、山鳥御前はようやくここでひと心地着いたのだった。
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