乙女の牙城と就職談義

 源吾郎が通っていた中学校の同窓会があったのは六月中旬の日曜日の事だった。その案内は実家に届いていたのだが、すぐに実家から連絡があったため源吾郎も僅かなタイムラグを挟んだものの催しの存在を知る事となった。

 同窓会に参加するという判断は両親や兄姉らを十二分に驚かせたらしい。しかし実のところ、当事者である源吾郎も何故参加するという判断を下したのか、その辺りはフワフワしたものだった。人間として暮らしていた日々に未練があるなどと言う、重々しい理由などはない。源吾郎自身は妖怪としての暮らしに順応し、力を付けようと奮起している最中だ。

 だがもしかすると、心の中で妖怪としての暮らしに少しの疲れを感じていたのかもしれなかった。紅藤の許に弟子入りしてすぐの頃は、源吾郎も割と明るく単純な心持でいる事が出来た。偉大なる玉藻御前の血統と、自身が持つ潜在能力を無邪気に信用していたからだ。源吾郎の心に宿っていた無邪気な過信は今はもう大分薄れて消えかけていた。見掛け倒しの潜在能力も、大妖怪の血を引いているという事実さえも確かな実力が無ければ無意味である事を、妖怪として生きるようになってから嫌という程思い知らされたのだ。

 源吾郎とてすぐに雉鶏精一派の大妖怪たちに認められるなどと考えてはいなかった。しかし少なくとも弱小妖怪・雑魚妖怪と呼ばれる連中からは強者であると認められ、称賛されるに違いないと思っていたのだ。実際には、源吾郎が密かに雑魚妖怪と見做していた面々に実力面で圧倒され、どうにかこうにか頑張って彼らにであると思わせるところで精一杯だったのだが。

 まぁ、人間の血を多分に引くという特性を持ちつつも、若手妖怪から疎まれたり憎まれたりせずに紆余曲折はあれど仲間と見做されるようになったというのは、源吾郎なりの頑張りであるともいえるだろう。


 同窓会で顔を合わせるのは人間たちが大多数だ。源吾郎は自分が実際には何を行っているのか、彼らに言うつもりはもちろんない。今や妖怪として生きる事を選んだ源吾郎は、妖怪の力で人間の世界をかき乱す事が無いようにと身内からきつく釘を刺されていたのだ。

 そういう忠告が無くても、そもそも源吾郎には人間たちにおのれの力を誇示しようなどと言う意志は持ち合わせてはいなかった。妖怪が様々な面で人間よりも優れた存在である事は源吾郎も知っている。妖怪同士でマウントを取り合うのはまだ良いが、人間相手にそんな事をするのは彼自身の妖怪としての沽券にかかわる問題であると割と真剣に思っていた。

 とはいえ、同窓会で仔羊のようにしおらしく顔を出すだけにとどめるつもりでもない。自分の近況の全てを口にする事は不可能だが、一部を明らかにするのは問題ないであろうと源吾郎は考えていた。同じ中学校に通っていた仲間たちがどのような進路を辿ったか、源吾郎はその全てを把握している訳ではない。しかし大半が大学なり専門学校なりに進んだ所謂進学組であろう。中には浪人した者もいるかもしれない。いずれにせよ源吾郎のように高校卒業を機に就職した者は少ないはずだ。

 妖怪の世界を満喫すべく邁進まいしんしている事は言えないが、皆よりも一足飛びに就職した事を言ったとしてもばちは当たらないだろう。源吾郎は素直にそんな事を思っていたのだ。

 結局のところ、源吾郎は出席前に思っていた事を実行した。すなわち、同窓会の席で近況を聞きに来た連中に就職したのだと伝え、人生の夏休みとやらを満喫しているかつての同級生を驚かせたという事だ。



 演劇部の仲間たちで集まる事が決まったのも、これもまた当然の流れの事のように源吾郎には思えた。中学校の演劇部は割合大所帯で、同学年の部員は源吾郎も含めて五名いたのだ。源吾郎以外の同学年の演劇部員四名は全員女子揃いである。

 源吾郎が演劇部の中で恋愛を育む事は無かったが、彼女たちと良好な関係性を構築できたと言っても遜色は無かった。そうでなければ、中学校の同窓会に触発されて開かれた演劇部のOB・OGオフ会の案内が届くどころかそのような会合の存在も知らずじまいだっただろうから。

 元演劇部部長にして女子大生となった廣川千絵ひろかわちえの一室で行われた。このオフ会に、源吾郎も当然のように出席した。遠方の大学に通う事になった千絵は実家を離れお洒落なアパートで一人暮らしを始めていたが、男である源吾郎が訪れる事を厭いはしなかった。男に対する警戒心が薄いというよりも、源吾郎に対する信頼の篤さによる結果であろう。それに今回は千絵と源吾郎がサシで会う訳ではなく、他の部員たちも勢ぞろいしている訳であるし。従って源吾郎もそれほど緊張してはおらず、割合リラックスした心持で千絵の牙城に入る事となった。

 もっとも、演劇部という目的の許に結集してから今日に至るまで、源吾郎と彼女らはあくまでも同じ目的を持った仲間であり、異性であるという意識は割合乏しかったのだが。


「随分とお洒落なところに暮らしているのね、千絵」

「本当ねぇ……しかも一人暮らしなんでしょ? うちらまだ実家暮らしだからうらやましいな」

「一人暮らしかぁ……楽しそうだけど大変だなって私は思うかも。自分一人で色々とやらないといけないし、夜とか怖くない?」


 千絵の許に招かれた、源吾郎と同年代の女子三名は思った事を口々に述べていた。源吾郎はそれを見守るだけで彼自身はまだ特に発言はしていない。思う所が無いわけではない。むしろ千絵と同じく一人暮らしを行っている身分だから、思う事は三名の女子たち以上にあるにはある。だが敢えて何も言わず様子を窺っていた。うっかり自分が何かを言った事で、千絵や他の女子達の気を悪くしてはいけないと用心していたのだ。


「えへへ……部屋の事を褒めてくれたり私の心配をしてくれて、みんなありがとう。でも私は大丈夫よ。一人暮らしももう三ヶ月経ってるし、料理とか洗濯も近くにコンビニやコインランドリーがあるからちょっとくらいサボっても大丈夫なんだ」


 女子達の言葉を受け、千絵はニコニコしながら応じていた。他の女子達もそうだが、千絵も彼女なりにお洒落を楽しんでいるらしく、ブラウスとズボン姿ながらもお洒落で可愛らしく見えた。もっとも彼女らのお洒落は、男子ウケを狙っているよりも女子ウケを狙っているように源吾郎には思えた。男である源吾郎がその事に気付けるのは、それこそ女子ウケをリサーチするために女子向けの雑誌にも目を通しているからだ。

 ともあれ千絵を筆頭に、演劇部の女子達はあか抜けた感じになっていた。会わなかった三年間のうちに彼女らは成長し変化したのだろう。成長と変化は無論源吾郎にも当てはまる事であるのだが。

 さてそんな事を考えている源吾郎をよそに、千絵は上機嫌といった様子で一人暮らしの詳細を説明しようとしていた。彼女はすっと腕を伸ばし、窓を彩るカーテンに手指を添える。カーテンは二重で、内側には淡いパステルの水玉模様のものが、外側は灰色がかった紺色の、さも無骨そうな物がかけられていた。


「このカーテンはね、防犯対策なのよ」


 女子アナよろしくちょっと得意げに語る千絵に対して、女子達は驚きの視線を向けていた。かつての仲間たち、未だ実家暮らしを敢行する少女たちの驚きの念に千絵は気を良くしたらしい。廣川部長は女優気質だったなぁ……ドヤ顔をキメる千絵を見ながら、源吾郎はぼんやりとそんな事を思った。


「この、可愛い感じのカーテンだけだったら、女子が住んでるって外から丸わかりでしょ? だからね、外に見せる用にごついカーテンもセットにして、それでカモフラージュしているの」

「そういう防犯対策をきっちりするって良い事だと思うよ、廣川さん」


 ずっと黙っていた源吾郎だったが、ここでようやく口を開いた。千絵を筆頭に女子達の視線が集中し、源吾郎は少しだけ面食らった。彼女らはただ源吾郎に注目しているだけではない。その瞳の奥には、それぞれ驚きの色が見え隠れしてさえもいた。

――何故皆はこんなにも驚いているんだろう。やっぱり俺は黙っておくべきだったのかな

 源吾郎は密かに考えを巡らせていた。同年代の面々とのやり取りはまだ苦手な源吾郎であるが、それでも気を遣うべき時は気を遣っているであろうと自分では思っている。相手が女子ならなおさらだ。しかしそれでも失敗する事はある。今回もそういう事だろうと源吾郎は思い始めていた。


 すごいね島崎君! やっぱり目の付け所が違うかも! 驚いていた女子達が放ったのは、歓声混じりの源吾郎への称賛だった。妖狐ながらも狐につままれたような顔で、源吾郎は注意深く千絵を見つめ、それから他の女子達に視線を移した。彼女らは四名とも感心したような様子で源吾郎を見ているではないか。


「やっぱり島崎君って物知りよね。いの一番に防犯対策の事とかに気付いてくれるって。部活のときとかも、私らに色々うんちくとか教えてくれてたし。思い出したら結構面白かったなぁ」

「あはは……」


 無邪気に笑う千絵を前に源吾郎も愛想笑いで応じた。物知りと言われる事は嬉しいが、かつて仲間たちにうんちくを垂れていたという話を思い出すと気恥ずかしい思いが滲み出てきたのだ。あのうんちくで当時の彼女らを少し辟易させていた事に気付いているからだ。

 とはいえ知識も武器であると信じている源吾郎にしてみれば、知識が多い事を褒められるのは素直に嬉しい。


「なに、両親や一番上の兄とかが言っていた事を思い出しただけさ。姉も廣川部長みたいに若い頃から一人暮らしを始めたんだけど、危ない事が無いようにって上の兄が心配していたのを思い出してね……」

 

 照れ隠しを交えつつも語った源吾郎の言葉に、女子達は納得したようだった。源吾郎の知識の源が、歳の離れた兄姉らの言動である事を彼女らはよく知っているのだ。それに源吾郎が兄姉らの話を必死さを押し隠して聞いて知識にしていたのも真実である。

 上の兄、と源吾郎の口から出てきたのを聞いた女子達は、またも歓声を上げた。今度は黄色い声である。彼女らは源吾郎の兄姉を、特に長兄と長姉を慕っていた事は源吾郎も知っている。

 中学生だったころ、源吾郎は諸々の理由で彼女らを家に招いた事があった。長兄の宗一郎は彼女らを末弟の友達として手厚くもてなし、彼女らの信頼を勝ち取っていたのだ。これは秀麗な容姿や妖狐の持つ魅力云々を抜きにして、宗一郎自身の面倒見の良さがもたらした結果であると源吾郎は固く信じている。


「そう言えば、島崎君も一人暮らしだったわよね」


 客人のひとり、前田朋子が思い出したように源吾郎の方を見やった。確か彼女は大学生、それも実家暮らしだったはずだ。頷くと、今度は別の女子から声が上がった。


「しかもうちらと違って就職したのよね」


 そうだよ。驚きと感嘆の念が籠ったその言葉に、源吾郎は自信たっぷりに頷いた。


「就職先の研究センターが実家から離れていたからね。それで安アパートを借りて一人暮らしにしゃれこんだ次第さ」


 源吾郎は思わせぶりに言葉を切り、さっと視線を千絵の部屋の四方に走らせた。カーテンの外側のみはやや無骨だが、それ以外の部分は可愛らしくまとまっている。女子の部屋という感じがした。壁に沿うように四角い銀色の鳥籠があるのが見えたが、不思議と部屋のレイアウトにマッチし、見苦しさとは無縁だ。


「……だけどまぁ、廣川部長みたいにお洒落な部屋じゃあないけどね。部屋のレイアウトまではまだ手が回らなくて」


 茶目っ気たっぷりの言葉を放ち源吾郎は締めくくった。しかし案の定、女子達は源吾郎が就職し尚且つ一人暮らしを行っているという所に強い関心を向けていた。彼女らにしてみれば、源吾郎の近況は意外性のある物だったらしい。

 そう思われるのも、実は源吾郎にしてみれば織り込み済みの事だった。彼女らは源吾郎が自分たちよりも幼いと思っている事を知っていた。源吾郎としては恥ずかしい話ではあるが真実なのだから仕方がない。兄弟喧嘩どころか保護者代わりになる兄姉らがいる末っ子。気宇壮大な野望に取り憑かれた早生まれ。何処をどう取っても幼いと見做されてしまうのは致し方ない話だった。


「あーっ! そう言えば島崎君って就職したのよね。しかも研究センターってすごいわね。島崎君って、理科が苦手なイメージがあったから」

「文系だったけれど、センター長と俺の親族が知り合いだったから、特別に採用してくれたんだ。まぁ、所謂縁故入社ってやつ」

「そうだったんだぁ……ねぇ研究センターってどんな所なの? やっぱり男の人ばっかりなの?」

「人数は少ないけれど男女混合のセンターなんだ。センター長は女性だし」

「センター長が女性なんだ! やっぱりすごいわよ! それで、そのセンター長ってどんな人? 女の人で研究センターを統括してるから、やっぱりバリキャリなのよね?」


 女性の研究センター長。この単語に女子達は思いがけず食いついてきた。メンバーの中には晴れてリケジョになった者もいたから、やはりその辺りは気になるのだろう。

 バリキャリ、ねぇ……源吾郎は女子達の口から出てきた単語を拾い上げつつも、あいまいに笑うだけだった。彼の言う女性センター長は言うまでもなく紅藤の事だ。しかし紅藤の存在とバリキャリという単語は源吾郎の中で上手く同化しなかった。

 源吾郎たちに見せる態度はさておき、紅藤が実のところ仕事熱心な存在である事は源吾郎も認めている。しかしバリキャリで済むような代物ではないと判断していたのだ。


「ま、まぁバリキャリになるかな……」


 それでも源吾郎は彼女らの言葉を否定せず、言葉尻を濁しつつも応じた。実際には紅藤は新体制創設時から立て直しに奔走し、今もなお幹部の座を護る女傑中の女傑である。だがこれを仔細に語ってしまうと、それこそ妖怪の話に足を突っ込みかねないと源吾郎は判断したのである。

 とはいえ、女子達はまだ源吾郎の話を詳しく聞きたいようだった。さてどうしたものか。

 

 小さく乾いた拍手が一度響いたのは、源吾郎が密かに悩み始めた丁度その時であった。反射的に女子達も源吾郎も音源に視線を向ける。音の主は、この部屋のあるじの千絵だった。彼女はちょっと唇を尖らせ、何故か源吾郎に挑むような視線を向けていた。


「ねぇ皆。島崎君の話も良いけれど、私の優雅な一人暮らしライフも、まだまだ語るべきところがあるのよ」


 本当を言えば、一人暮らしじゃあないのよ。この子たちと一緒に暮らしているから。

 得意げに千絵はそう言うと、わざわざ立ち上がって壁際に置いた鳥籠へと向かった。鳥籠の中には、雀よりも一回りか二回りも小さい鳥が、三羽入っているのが源吾郎には見えた。

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