閑話 焼きマシュマロは狐火の味

 三度目の戦闘訓練、牧村という名の狐娘との火術の術較べは火曜日に行われる事となった。今日は土曜日であり、本番まであと丸々三日ある。

 休日だが源吾郎は練習がてらにと公園に赴いていた。普通の人間の子供らが遊ぶための公園ではない。妖怪向けの公園、あるいは施設の一種と呼んでも過言ではない場所だった。

 妖怪たちは別に異世界に暮らしている訳ではない。人間や他の動植物が暮らしている世界と地続きの場所でごく普通に暮らしている。

 とはいえ、妖怪たちが妖怪らしさを丸出しにして活動すれば、人間たちに変に注目されてしまう。不要なアクシデントを避けるために、妖怪たちは妖怪らしく動ける土地という物を用意し、こしらえるのだ。変化の習得が未熟な子供の妖怪や、大人だけれど周囲を気にせず本性に戻りたい妖怪向けの広場、遊び場のような物だ。

 よく見れば人間の術者も数名施設の中を巡回しているが、無論彼らは妖怪たちの敵ではない。妖怪に馴染むため、あるいはうっかり迷い込んだ人間や他の動物を安全に誘導するために彼らもスタンバイしているだけに過ぎない。むしろ時々妖怪の子供らが困っていたら助けたり、妖怪自警団の面々と協力していたりするくらいなのだ。

 

 大妖怪と人間の血を引く源吾郎も、もちろんここを訪れても何も問題はなかった。むしろそれこそ自警団に所属する妖怪にここを教えて貰ったくらいである。安全面への配慮が万全であれば、妖術を使っても何ら問題はない。職場以外で妖術の練習を何処で行おうかと悩んでいた源吾郎だったが、その悩みは一挙に解決できそうだ。


「よーし、この辺で良いかな」


 源吾郎は荷物を脇に置くと確認するように声をあげた。独り言ではない。ツレとして珠彦と文明が一緒だからだ。元々は訓練として一人で黙々と行う予定だった。しかし偶然にも珠彦らと合流し、彼らも誘ってこの妖怪公園にやって来た次第である。

 行き当たりばったりに合流したために、珠彦たちの準備に付き合わざるを得なくなった源吾郎だったが、その事に対する不満は特になかった。

源吾郎自身は元々早い時間に動こうと計画していたし、そもそも土曜日だから時間の余裕もたくさんある。それに何より、友達になった妖狐二人が加わってくれるというのは源吾郎としてもワクワクしていたのだ。元々一人で火術の練習を行うという時点でも結構遊びの要素は多分に含んでいた。遊び盛りな妖狐の少年たちが混ざったところで、そのコンセプトは変わらない。むしろ強化されると言っても良いだろう。

 火術の練習のためにマシュマロを焼く。これこそが、源吾郎が今日この場所で行おうとしていた事である。別に直火でマシュマロを焼く訳ではない。源吾郎が火術で発生させるのはあくまでも種火だ。そこからかつて行ったキャンプやバーベキューの要領で火を育て、それでマシュマロをいい塩梅に焼こうというのが源吾郎の目論見であった。ここに遊び盛り食べ盛りの妖狐二人が加わったので、焼く食材はマシュマロメインではなく今やたんぱく質がメインとなっていた。


「夏前だし、ちょっとしたキャンプ気分でもう楽しいっすよ、島崎さん!」


 二、三畳ほどの面積があるビニールシートを敷く珠彦の声は、言葉通り明るく弾んでいた。まだ準備を始めた所だというのに、既に楽しみ始めている所が彼らしい。素朴な性格という事もあるだろうが、珠彦は実は街暮らしのシティー・ボーイでもある。田畑が広がるこの土地を新鮮に思い、興奮しているのかもしれなかった。


「狐火から焼きマシュマロへの連想は俺にも思いつかんかったけど、ともあれグッドアイデアなんじゃないかなぁ?」


 おどけた調子で言いながら笑うのは文明である。術較べで会った時とは違い、尻尾以外は人間の少年に化身した姿である。それでも彼の変化術は健在であり、既に彼自身の作業を肩代わりさせるためのチビ狐を五、六匹顕現させていた。相変わらずモルモット程度の大きさしかないチビ狐であるが、あるじに代わりまめまめしく袋に入った荷物を運び出そうと奮起している。幻術であり、なおかつ使い手がチャラ男であると解っていても中々に感動的な光景だった。


「火術と言ったらキャンプ、キャンプと言ったら焼きマシュマロ、そして焼きマシュマロは漢のロマンなんだ」


 源吾郎はちょっと興奮気味に言ってのけた。鼻息が荒いのは、文明の操るチビ狐に感動していた事への照れ隠しである。しかし、焼きマシュマロが漢のロマンであるという主張自体は嘘ではない。


「焼きマシュマロが島崎君のロマンって意外……いや何か島崎君らしいっすね」


 シートを敷き終えた珠彦は、準備の続きがてらにこちらにやって来ると、そんな事を言って笑った。らしいって何だよ。軽口をたたく源吾郎であったが、彼の顔にも笑みが拡がっていた。


「学校に通っていた頃にさ、林間学校っていう催しがあったんだ。まぁ学校ぐるみで行うキャンプみたいなやつさ。それでバーベキューみたいなのをやるんだけど、そこではもちろんマシュマロも焼いた」


 説明しながら源吾郎は目を細めていた。妖怪の子供らが上げる歓声も、源吾郎を注視する二人の妖狐たちの顔も、源吾郎自身から遠ざかっているように感じていた。

 源吾郎は過去の情景を思い出し、僅かに眉をひそめていた。


「マシュマロを焼くのは俺の役目だった……いや、俺が役目を買って出ていたんだ。そうすると女の子たちが悦ぶからさ。俺自身も楽しんでいたよ。良く膨らんで美味しそうに焼き色が付くのを見るのは楽しいものだし。だが、俺が焼きたてを口にする事は無かった」


……学生だった頃の源吾郎は、キャンプだとかで結構張り切って活躍していた方だった。マシュマロなどを上手に焼くと女子たちから褒めそやされる事を源吾郎は幼いながらも気付いていたのだ。しかし女子たちの歓声に気を取られ、焼き立てのマシュマロ等を自分が味わうという所を源吾郎はすっかりと忘れていたのだ。当時はそんな事など全く気付きもしなかったが、損な役回りだったのかもしれないと、後になってから苦い思いがこみ上げてくるのだった。

 そんな青春の一幕を塗り替えるべく、今回源吾郎は焼きマシュマロに挑もうとしていた。一人だったら食べ時を逃す事は無いだろう、と。狐火の術の訓練だとかはそれに付随する口実でもあった。


「……ま、まぁなんか悪いね島崎君。男ばっかりで駆けつけちゃってさ。カノジョもガールフレンドたちも都合が悪くてこれなかったんだ」


 ともあれ源吾郎の説明が始まってから終わるまでの間、珠彦と文明は何とも言い難い様子で黙って話を聞いていた。その沈黙を破ったのが文明だった。恋人であろうカノジョと、それに準じる存在と思われるガールフレンドたちを臆面もなく並列して説明するところが彼らしい。源吾郎もハーレムを夢見ているにもかかわらず、それを棚上げしてそんな事を思っていた。


「別にさ、男だけでも良いと思うけれど、フミッチ?」


 文明に対して自分の意見を口にしたのは珠彦だった。


「そりゃあさ、僕らの中に女の子が何人か混じってても楽しいのは変わりないっすよ。だけど女の子がいたらいたで色々気を遣わないといけないし気を遣ってても色々言われるかもしれないし……」


 妹分がいるという事で珠彦の言葉には妙な説得力があった。そう思っていると、彼の瞳が動き、源吾郎を捉えたのだ。


「島崎君だって、そう思うっすよね?」

「まぁ……うん」


 反射的に頷くと、源吾郎の顔を凝視する視線に文明も加わった。同意を求める珠彦に対し、文明は半ば面白がっているようでもある。はて何といえばカッコよく聞こえるだろうか……源吾郎は一秒も満たぬ間で考えを巡らせ、勿体ぶったように頷いてみせた。


「今回は漢のロマンを追及している訳だしさ。確かに、女子たちがいるよりも男だけの方が良いかもしれないな」


 さしあたり良い文言が思い浮かばなかったと、口にしながら源吾郎も思っていた。だから彼は支度を忘れていたというふりをして自身の手荷物を探り始めたのだ。

 実を言えば、源吾郎は今女子たちへの関心はかなり薄くなっていた。職場で行われる術較べに意識が向いていたためでもあるし、何よりそれ以上にぱらいそでの一件が尾を引いているのかもしれなかった。

 源吾郎の荷物の中にはもちろんマシュマロはあるが、それ以外に叔父が作った護符があった。妖術が外に漏れださないようにする結界用や火を消すのに使うための護符である。敷地内は妖術が変に暴走しないように調整してあるという事だが、こういう準備を行ったうえで妖術の練習をするのがデキる妖怪のマナーである。



 火術の練習という名目のバーベキュー自体はつつがなく進行していった。要するに源吾郎が火術で小さな種火を作り、それで思い思いの食材――狐用ソーセージだの厚揚げだのトウモロコシだのマシュマロだのだ――を火であぶり、ちょうどいい塩梅になったのを食べるという物である。言葉に起こせばそれだけであるが、何せ若い男が三人も集まっているのだ。焼いて食べるだけでも大いに盛り上がった。

 源吾郎も念願かなって美味しい時の焼きマシュマロなるものを口にする事が出来たので、まんざらでもない気分だった。まぁ要するに、学生時代のキャンプの苦い記憶を塗り替え、ついで最近親しくなった妖狐の少年たちと友誼を深められた事を無邪気に楽しんでいたのである。

 時折、こちらに何者かが鋭い視線を向けてくるのが気になったが、珠彦も文明らも一顧だにしなかった。人間の術者の視線であろう事は源吾郎も解っていたが、二人がそれほど警戒していなかったので源吾郎も気にしない事にしたのだった。

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