増えた課題と大妖怪の心得

 使い魔。それは特定の術者や妖怪に従い、使役される者たちの総称である。服従と使役。この単語たちには不穏な気配が見え隠れしているように見えるが、実像は何という事はない。妖怪たちの間では、使い魔というのもれっきとしたの一つとして見做されているのだ。

 もちろん、初代術者との契約と忠義と義務によりその家に代々仕える使い魔もいるにはいる。しかしそういう存在は実は少数派である。多くの、特に若手の妖怪たちは、忠義や愛情ではなく賃金と労働規約によっておのれのあるじと繋がっているだけだ。雇用主とサラリーマンと置き換えても遜色のない、実にな関係性である。こちらの方が、むしろトラブルもストレスも少なく主従関係を結べるのだ。感情的なものが絡まない分、互いに変な期待を持たないためである。

 要するに、あるじになろうと思う術者や妖怪は、ある程度の財力と良識さえあれば、使い魔を雇い入れるのはそう難しくはないという話だ。良識と、財力さえあれば。




 萩尾丸先輩。源吾郎は彼をしっかと見据えながら口を開いた。源吾郎にしてみればいつもより十五分ばかり早い出社だった。しかし昨日調べ物をした影響か、早くに目が覚めてしまったのだ。そこから普段通り朝食を摂り身支度を進めたのだが、結果としていつもよりも物事が前倒しに進み、いつもよりうんと早い時間に研究センターに到着したという次第である。

 始業時間はまだまだ先であったが、研究センターの面々はおおむね揃っている。青松丸などは紅藤と一緒にこの敷地に暮らしているというからまぁ解る。

 だがやや遠方の自宅から通勤しているという萩尾丸が始業時間よりもうんと前に到着し、なおかつ優雅に仕事に備えているのを見ると不思議な気持ちになってしまう。勤務先が遠くとも、社会妖しゃかいじんならば真面目に出勤し、仕事に備えて準備を怠らないという事なのだろうか。だが見る限りでは、萩尾丸はコーヒーを飲みつつ新聞に目を通しているだけである。ある意味デキるサラリーマンらしい振る舞いともいえるのだが。


「おはよう島崎君。珍しく早くやって来たんだね。朝早くから切羽詰まった顔をしているけれどどうしたのかな」

「使い魔の確保について、思う事があるのです」


 興味深そうにこちらを覗き込む萩尾丸を見つめながら、源吾郎はおのれの主張を口にした。


「あれから使い魔の事について調べてみたのですが、今の僕では確保するのが難しそうなのですね。主に財力的な問題で、ですが」


 使い魔の話を萩尾丸から持ち掛けられた源吾郎は、その日のうちに使い魔に関する情報収集を行ったのだ。スマホやラップトップを使ったという事ではない。この土地を監督している自警団の許に赴き、使い魔に関する求妖きゅうじん情報を確保したのである。源吾郎はそこで、五十歳未満の若手妖怪であっても雇い入れるのにそれなりの出費がかさむという事を悟ったのだ。もちろん、パートタイムや週何日と指定すれば多少は安くて済むわけであるが。

 萩尾丸は僅かに驚いたような表情を見せていた。だがカップの縁に口を付けたかと思うと、彼の表情はいつもの含みのある笑みに戻っていた。


「あれからって、僕が使い魔の話をしたのって昨日か一昨日の話だよ。もしかして島崎君、僕の話を聞いてすぐに調査したの?」


 ええもちろんです。源吾郎は臆せず頷いた。


「大切な事だと思いましたので……それに僕自身、厄介事ほど先に片づけたい性質みたいでして」


 萩尾丸は数秒ほど源吾郎の顔を凝視していた。源吾郎の主張に思い当たる部分を見出したらしく、納得した様子で彼もまた頷いている。


「まぁせっかちな島崎君の事だから、僕の話を聞いてやる気が出たんだろうねぇ……良いんじゃないかな。君だってまだ若いし、モチベーションが低いよりも高い方が色々と良いだろうね」


 源吾郎は神妙な面持ちで萩尾丸の言葉を聞いていた。言葉だけを捉えれば、萩尾丸は源吾郎を褒めてくれてはいる。だがそれで安堵するのはまだ早い事を源吾郎は知っている。きっとニコニコしながら源吾郎に言葉の刃を向けるに違いない。深呼吸をして、源吾郎は口撃に備えた。

 使い魔確保云々の話は、数か月から数年のスパンで考えても問題ないよ。そんな前置きをしてから萩尾丸は口を開いた。案の定、口許は笑みで歪んでいる。


「それにしても、財力面で使い魔の確保を諦めかけているとは、ある意味君らしくないじゃないか島崎君」

「ですが、平社員の僕には専属に使い魔を雇い入れて賃金を支払うなんて甲斐性は残念ながらないんですよ。別に、研究センターの賃金に不満が……」


 僕が言いたいのはそういう事じゃないよ。源吾郎の言葉を遮り、萩尾丸は有無を言わせぬ様子で告げた。


「広く浸透している使い魔が賃金制だと知ってだね、賃金が捻出できないから使い魔が持てないなんてありきたりな考えに囚われているのかい?

 島崎君、君は三大悪妖怪の一人、玉藻御前の曾孫でしょ? しかも君自身は未だに野望を胸に抱いているんだろう? だというのに、そんな凡狐みたいな考えの持ち主というのは面白いね……」


 次に萩尾丸は何を言うのか。源吾郎は固唾を呑みつつ様子を窺う。既に雲行きが怪しくなっている事は明白だった。


「島崎君。前に誰かにも言われたかもしれないけれど、本当は君は結構強いんだよ? ああ別に、君を褒め殺しにして良い気分にさせようとか、そういう変な意図ではないから安心したまえ。

 だって考えてごらんよ。四半世紀も生きていない上に人間の血が四分の三まで流れているのに四尾の中級クラスに喰い込むほどの妖力を持ってるんだよ? 才覚のある凡狐ですら、四尾になるには百年単位の歳月が必要である事を念頭に置けば、君の実力が如何なるものか解るよね?

 お金がないとかそんなしみったれた事を考えずとも、君がその気になれば、君自身の力で雑魚……いや弱小妖怪たちを従える事なんて出来るんだよ。それこそ、今君が世話になっている自警団の連中を蹴散らしてこの土地のあるじになる事だって理屈の上では可能なんだよ」


 君は強い。源吾郎がこの言葉を聞くのは二度目だった。それも、源吾郎と世代の変わらぬ若手妖怪ではなく経験を積んだ大人妖怪からである。

 萩尾丸の言っている事は信用できると源吾郎も思っている。それはおのれの力を過信しているからという訳ではなく、萩尾丸の見識と洞察力の深さを知っているからだ。

 とはいえ、萩尾丸の先の主張に同意できるかどうかは別問題だった。


「力があれば、他の弱い妖怪を無理に従える事が出来るという話ですよね?」


 源吾郎の問いかけに萩尾丸は小さく頷いただけだった。話を続けて良いという合図であると源吾郎は解釈し、言葉を続ける。


「確かに妖怪たちの社会が実力主義である事は否定しません。萩尾丸先輩も、紅藤様も実力と実績を持った強い大妖怪ですし。ですが萩尾丸先輩。十分な強さがあったとしても、強さを笠に着ているでは、他の妖怪を従える事は難しいのではないでしょうか? そりゃあもちろん、怖くて従うという事もあり得るでしょうが」


 妖怪の社会は、人間のそれよりも実力主義の側面が強い。上昇志向のある強い妖怪が組織の上位に君臨するのは珍しい話ではない。ただ強いだけでは他の弱者を従えるに足る条件は満たしてはいないのではないか? 源吾郎はそのような疑問を抱き始めたのだ。

 相槌を適宜打ちながら聞いていた萩尾丸は、源吾郎の主張が終わってからうっそりとした笑みを浮かべていた。


「あは、ははは……島崎君。君も僕が思っていたよりも賢くなったみたいだねぇ。やっぱり若いから、色々と吸収するのが早いのかな? それとも、短命な人間の血も引いているからかな」


 おどけた調子で言い放った萩尾丸だったが、言葉を切って一呼吸置いた時には真面目な表情になっていた。


「強者として君臨する方法は一つではないんだよ。僕が提示した方法、自分以外の他者の考えなどお構いなしにおのれの欲望を押し通すというのもその一つさ。身近な例では峰白様や紅藤様がこの成功例を収めていると言っても過言ではないだろうね。

 とはいえ、島崎君が口にした内容が間違っているという訳ではないよ。欲望を適度に抑えつつ、周囲の面々と協力しながら強さを求めるというのは邪道でも何でもないからね。むしろこちらの方が王道かもしれない。

 重要なのは、強者として君臨するいくつかの方法のじゃあないんだ。自分にはどの道がふさわしいか、どの道を選びたいと思っているのかそれがはっきりとしているか否かなのだよ」


 萩尾丸の強い視線を感じ、源吾郎は思わず視線を落とした。カップに未だ残るコーヒーの表面に、源吾郎の面がほの白く映っている。


「あくまでも現時点の話になるけれど、島崎君には相手を蹴落とし踏み台にしてのし上がる方法は不向きなようだね。かといって、他の妖怪、特に同年代や年下の相手と巧く関係を構築するのはまだ苦手みたいだもんねぇ……君のご近所付き合いがどんなものかは知らないけれど、少なくとも小雀の連中を前にしてイキリ散らしているでしょ? もちろん実力の無い輩が無闇にイキリ散らせば白い目で見られるのは当然の事だけど、君みたいに実力があったとしても……」


 萩尾丸はここで何故か口を閉ざした。イキリ散らす妖怪の代名詞と言えば萩尾丸も該当する。このまま持論を言いきったら、それこそブーメラン発言になってしまうとでも萩尾丸は思ったのだろう。彼は源吾郎以上に賢い妖怪なのだから。


「ああだけどね島崎君。君が単なるイキリ小僧だなんて僕は思っていないよ。同年代の面々とのやり取りに難があるだけに過ぎないし。むしろ君は、紅藤様や僕みたいな年長者の前では結構自然体で振舞っているように思えるんだ。強い妖怪相手でも変に委縮しないし媚を売る訳でもない。それでいて分をわきまえて動いているように映るしね。しかも君の言動には、年長者の心を掴むようなものがある……魅了の力とやらに頼っていなかったとしてもね」

「それはまぁ……末っ子の特性かもしれません」


 萩尾丸の分析の鋭さに内心驚きつつも、源吾郎は小さな声で呟いた。

 源吾郎が同年代や年下の面々との関係の構築が苦手な事、その反面年長者に好かれやすい性質を持ち合わせている事は彼も重々把握していた。

 それはもちろん、源吾郎が末っ子であるという生い立ちが大きく影響している事は言うまでもない。誠に残念な話であるが、末っ子というのは家族の中で最も無力な存在である。上位者たる保護者達(両親・兄姉・叔父叔母)の感情の機微を読み取り、彼らの歓心を買うための動きは、末っ子が末っ子として生き延びるために必要なスキルに過ぎない。


「君もまだ子供みたいなものだからね。ご両親や兄弟からの影響に左右される部分はあるもんねぇ。そうとも。君自身は玉藻御前の末裔である事をよすがとして傍若無人にふるまう事を赦されるような強者になる事に憧れているみたいだけど、根っこの部分は品の良いお坊ちゃまに過ぎないもんねぇ……

 少なくとも、『俺は母親の胎を喰い破って産まれたんだ』なんて言えないでしょ?」

「そんな化け物みたいな産まれ方はしてませんよ。僕の時も安産だったと聞きますし、母も父も健在です」

「あはは……まぁそうだろうね。三花さんは気丈な、むしろ芯の強い方だからね。君みたいな息子の一人や二人にうろたえる手合いではない事は僕も知ってるさ」


 萩尾丸の先程の過激な一文に源吾郎は反論してみたが、萩尾丸はそれを承知だと言わんばかりに笑うだけだった。やはり萩尾丸は大人の妖怪なのだと思い知らされた。それから、見た目はさておき源吾郎の母よりも彼の方が年上である事も思い出した次第である。


「……まぁともかく、君も修行を始めたばかりで色々と大変な所なのに、惑わすような事を言ってしまった事は謝るよ。まぁ、狐が天狗に惑わされるというのも面白い話だと思わないかね」


 源吾郎は軽く首をひねっただけだった。そうしていると萩尾丸が言い添える。


「そういう訳だから、君は君が進みたい道を見定めて動けば良いと思うよ。何だかんだと他の連中から色々言われるかもしれんが、君がまだ若くて妖怪業を始めて間がない事も彼らは一応知っているんだ。君もまともにやっていれば、まぁ彼らと馴染む事も出来るだろう。そうしているうちに、君を慕う相手も出来るんじゃあないかな」


 何事もそう焦らなくて良いのだ。取ってつけたような月並みな文言でもって、萩尾丸は話を締めくくったのだった。

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