変化術ココロを照らす鏡なり

 萩尾丸が従える若手の弱小妖怪たちと闘うという戦闘訓練を再開すると聞いたのは昨日の事であった。源吾郎がその報せに震えたのは、何も初めての始末書を書いてクタクタになっていたためだけでもなかった。戦闘訓練と聞いて、脳裏に珠彦と闘った時の事を思い出したためである。口には出さなかったが、ああいう闘いが怖いと、源吾郎は思ってしまっていた。もしかすると、ぱらいそでの一件があったから、気弱になっていたのかもしれない。


「――何、そんなに気構える事は無いよ」


 黙って心の動きを隠し通そうとする源吾郎を見下ろしながら萩尾丸は笑った。眼力鋭い彼には、源吾郎の心中など手に取るように解っていたようだ。


「前回とは趣向を変えているから安心したまえ。前みたいなガチのデスマッチ形式は当分おあずけだよ。君もまだああいう戦闘には不慣れのようだし、そもそも『小雀』の面々も、デスマッチ形式は嫌がるからね」


 小雀に所属する妖怪たちの大多数は、源吾郎の保有する妖力の多さと突発的な火力の強さに一目を置き、恐れをなしている。萩尾丸に指摘され、源吾郎は初めてその事に気付いた。闘いが始まる前に勝負がついている事もあるのだとも萩尾丸は言っていたが、そちらは抽象的すぎて源吾郎にはピンとこなかった。


「しかし、自身の得意分野を競うような、いわば術較べだったら参加しても構わないって彼らは言ってたんだ。変化術とか、箱の中に隠した物品を探し出すとか、火術とか、結界術とか……まぁ君や彼らが知っている、もろもろの術だね」

「なるほど、そういう事だったんですね」


 源吾郎は得心が言ったという表情で頷いた。その顔からは不安の色は失せていた。術較べなら何となく予想がつく。同じ系統の妖術を扱い、どちらがより巧いかを競うのだろう。それなら楽しそうだと源吾郎は単純に思った。


「もちろん、そういう種類の訓練ならば私も賛成よ、萩尾丸」


 紅藤はデスクの上に源吾郎の始末書を置いてから萩尾丸を見やった。口許にはうっすらと笑みが浮かんでいる。


「術較べでしたら、前のデスマッチ形式に較べればうんと安全性も高いですものね……島崎君は言うまでもなく、対戦相手の子に何かあれば申し訳ないから」


 源吾郎のみならず相手の妖怪をも心配している所が紅藤らしい。萩尾丸の部下であるから余計に気になるのかもしれない。


「それに島崎君は思っていた以上に根性のある所を見せてくれたからね。気骨のある妖怪は伸びしろがあって是非とも飼い馴らし……いや弟分として可愛がるのにうってつけだけど、何分無理をしがちだからねぇ」


 萩尾丸は口許に笑みを浮かべ、源吾郎に視線を送る。


「野柴君との戦闘訓練で君が苦戦する事は予想していたよ。しかしまさか倒れるまで頑張ってくれたのは予想外だったね」


 さも驚いたという素振りを見せたが、相変わらずニヤニヤ笑いを浮かべていて空々しい。源吾郎は軽く鼻を鳴らし、射抜くような視線を投げ返した。


「そうでしょうとも。僕が萩尾丸先輩の想定を超えるほどの頑張りを行ったのは事実でしょうね。何せ僕が珠彦、いえ野柴君にフルボッコにされるだろうって予想なさっていたんでしょうから」

「それは半分正しくて、半分間違っているかな」

「…………?」


 意味深な言葉に首をかしげると、萩尾丸は言い添えた。


「確かに君が手も足も出ずにフルボッコにされる可能性も考えていたんだ。だがね、そうなる前に君が『今日は具合が悪かったんだ』とか『本気のコンディションじゃあない』とか言って途中で試合を放棄する可能性も僕の中にはあったんだよ」


 源吾郎が呆然としていると、萩尾丸は笑みを崩さぬまま続けた。


「小雀のメンバー同士でもタイマンの戦闘訓練をやっているんだけど、負けそうになったのをごまかす手合いはいるにはいるんだ。それに君の並々ならぬプライドの高さは僕も知っていたからね。自分よりうんと格下の野柴君に地力で負けたという事を皆に知られるのは、には出来ないだろうと思っていたけれど、どうやらそれは僕の見当違いだったという事だね」


 源吾郎は反駁する事もなく玉藻御前の血の貴さを説明する事もなく、ただただ呆然と萩尾丸の顔を凝視するだけだった。

 血統に起因する源吾郎のプライドの高さは、源吾郎自身もよく把握している。しかしだからこそ、萩尾丸が指摘したような行動に驚いていたのだ。



 地下訓練場での鍛錬は連休明け二日目から開始された。これは半ば源吾郎が志願したものであり、やる気満々の様子を見せている所に紅藤も少し驚いているようだった。

 ちなみに今週の金曜日に控える術較べの題目は変化術である。変化術で表出させたモノ同士を闘わせるという至ってシンプルな内容だった。あつらえたような題目に源吾郎が喜び勇んだのは言うまでもない。変化術は幻影を表出させるものも含めて源吾郎の得意分野だ。しかも柴犬の幻影をけしかけた事で珠彦との試合に勝利している実績もある訳だし。


「グルルルルルッ」

「ブモッ、ブモォォォォッ」

「ビィイイイイイイッ」


 訓練場の真ん中で三種の咆哮がこだまする。紅藤はもとより源吾郎もその声を耳にしつつも驚く素振りは無い。むしろ源吾郎などは下膨れ気味のその面に会心の笑みを浮かべていた。異形めいた、異形そのものの恐るべき咆哮のあるじは、他ならぬ源吾郎が作り出した幻影たちである。

 さも満足げな様子で、源吾郎は表出させた幻影を見つめた。この度彼が表出させたのは三体の異形である。

 一体は銀灰色の毛皮と額からせり出した鋭い角が特徴的な巨狼である。

 一体はがっちりとした体躯に戦斧を両手に持った豚の頭を持つ亜人。

 一体は黄金色の鱗と虹色に淡く映ろう被膜の翼をもったドラゴンだった。

 いずれも妖怪と言うよりもむしろモンスターに近い風貌と種族であったが、特段源吾郎は気にしていなかった。モンスターと妖怪の区別は妖怪たちとモンスターたちの世界ではあまり厳密ではないのだ。


「おっしゃあ。こいつらめっちゃ強そうやん」


 源吾郎は満足げな様子で三種のモンスターたちに近付いていく。表出したばかりの彼らは咆哮を上げた以外は全くもって大人しい。それも源吾郎の表出した幻影である為だ。

 変化術で表出した物品・生物に見えるモノたちは、術の発動者の意思に従って動く代物だ。従って、いくら自分よりも強く恐ろしげであったとしても、自分を害する恐れはないという事である。事実源吾郎は特段幻影たちに何も指示を下してはいないが、それぞれ互いに頭を下げて恭順の意を示している。


「中々大層な術が使えるのね、島崎君」

 

 興奮に頬を火照らせている源吾郎に声をかけたのは紅藤だった。先程まで少し離れた所で術の発動を見守っていた彼女だったが、今は顕現した幻影たちに興味を持ったと見えて、こちらに向かって歩み寄っている。


「紅藤様もそう思われますよね。今度は僕たち自身じゃあなくて、幻影同士を闘わせるって事なので、出来るだけ強そうなのを用意してみたんです」


 あ、でも……とある事を思い出して源吾郎は首をひねる。


「ですがまた、今回も対戦相手は誰か聞かされてないんですよね」

「その方が良いかもしれないって萩尾丸が思っているのでしょうね」


 源吾郎のやや不満めいた言葉に紅藤は笑みをたたえて説明をした。


「島崎君にしてみれば、相手がどんな子かその時に判った方が地力が出せるとか、そういう事じゃあないかしら」


 紅藤は源吾郎やモンスターたちの幻影から二、三メートルばかり距離を置いたところで歩を止める。言い終えた時には彼女の視線は源吾郎ではなく幻影たちに向けられていた。


「ねぇ島崎君。ちょっとその子たちをよく視てみたいの。だからちょっと協力してくれるかしら?」

「は、はい……」


 気の抜けた返事が終わるや否や、一角の巨狼がのそりと動いた。虎ほどの大きさの、それも鋭利な武器を額に持つ猛獣を前に紅藤は余裕の笑みを浮かべている。むしろ巨狼の方が紅藤を前に緊張しているようだった。いや違う――巨狼の表情は源吾郎自身の感情の発露なのだ。妖狐や狸たちの使う幻術は、使い手の意のままに動き、そして使い手の心のうちを反映させる。そう言う術なのだ。

 紅藤の手前で巨狼は誰に言われるでもなく伏せた。頭部の角で相手を損ねないよう、わざわざ首を斜め横にねじっている。

 そうしてやって来た巨狼に対して、紅藤は半ば無遠慮な様子でその頬を両手で撫でていた。不意打ちで歯向かう事もなければ唸り声を上げる事もない。巨狼に較べれば、人間の、それも小柄な女性に化身している紅藤は大分とちっぽけな存在に見えた。だがそれでも巨狼は紅藤に完全に服従していた。あるじの源吾郎がそうだからだ。

 紅藤は見分を行い、幻影である巨狼と使い手の源吾郎はそれを受け入れた。彼女の、巨狼の頭部や背中に触れる手の動きは、単なる撫でる行為とは違っているように見えた。それこそ、手指の皮膚やその下に蠢く神経を駆使して、巨狼の内側を精査しているような気さえしていた。


「もう良いわ」


 紅藤がそういったのはたっぷり五分ほど巨狼を見分してからの事だった。尻尾の房に這わされた手指が離れるのを悟ると、巨狼は立ち上がって源吾郎の許に戻っていった。豚頭の亜人と金色のドラゴンが巨狼を不安げに見つめている。


「見栄えは良いわ。だけど気になる所が幾つかあるの」

「一体何が気になると仰るのですか、紅藤様」


 紅藤の含みある言葉に源吾郎が食って掛かる。犬が虚勢を張って吠えるような仕草を見せる源吾郎とは裏腹に、巨狼は恥じ入ったように伏せたままだ。


「まずはその角ね。きっと相手を突き殺す武器なのでしょうけれど……その位置とその角度にあるのならむしろ生活に不便だわ」

「…………?」

「今さっき、その子が私の許に近付いた時に、わざわざ首を曲げて角が私に刺さらないようにしたでしょう? 私自身は多少刺さっても問題はないけれど、これがもし他の仲間や家族に近付こうとしたならば、中々不便を強いられると思ったの。

 もちろん、対面するのを避けて、真横に並ぶとか斜めからゆっくりアプローチするとかがあるんでしょうけれど」


――紅藤様は何を仰っているのだろう? 大いなる疑問を抱えながら源吾郎は彼女を見つめていた。難しい言葉を使っていないので、彼女が言った事そのものを理解できない訳ではない。だが何故そんな事を言ったのか、意図が読めなかった。

 ぼんやりと意図を探っているその間にも、紅藤が質問を投げかける。


「島崎君。この子は外観的には狼に見えるのだけれど、狼で良いのかしら」

「ええ、もちろん」


 何処からどう見ても狼にしか見えないはずなのだけれど。心中でぼやく源吾郎と巨狼を交互に見やりながら、紅藤は言葉を続ける。


「狼、狼のつもりだったのね。見た目に少しだけ違和感があると思ってチェックしてみたら、骨格はむしろ狐に近かったわよ。そりゃあもちろん、狐の近縁種であるタテガミオオカミもいるでしょうけれど……狼を作ったのに骨格は狐になっちゃったのね」

「…………紅藤様。まさか今回の変化術って、そういう正確さも競う内容になるのでしょうか」


 先程まで火照るほどに紅潮していた源吾郎の頬は、今や少し青ざめているほどだ。紅藤の、優しいが容赦のない指摘を受けた源吾郎は、憤慨するよりもむしろ不安を抱き始めていた。そりゃあもちろん細かい所を……と思いはしたが。

 ところが、源吾郎の問いに対して紅藤は首を振るだけだった。その顔にはうっすらと苦笑いさえ浮かんでいる。


「いいえ。多分単純に変化術で出した幻影の強さを競うだけでしょうから、変化術そのものの精密さを萩尾丸や対戦相手の子が重要視するわけではないと思うわ。

 ただ、さっきの指摘は私個人が気になった事を勝手に口にしただけよ。島崎君も知っている通り、私は生物学の方面に少し知識があるから、どうしてもそういう部分が気になってしまっただけでね」

「それなら少し安心しました」


 源吾郎はそう言うと、おのれの作った巨狼の背を撫でた。狐の骨格を持つという事だが、骨格の違いどころか背骨の感触さえ源吾郎には良く解らなかった。

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