鴉天狗の挑発、雉仙女の激昂

「私が混沌をもたらしているですって?」


 紅藤の放った言葉に、灰高は正面から疑問をぶつけた。その顔には相変わらず笑みが浮かんでいるが、紅藤に対するあからさまな侮蔑と呆れの色も滲んでいた。


「紅藤殿。やはり貴女は鳥目なのですね。確かに私よりも貴女はうんと若いですが、研究センターに籠り過ぎてヤキが廻ったのでしょうか?」

 

 表情だけに留まらず、灰高の言葉も嘲弄的だった。感情の揺らぎを一切見せず、いっそ穏やかで平板な口調であるから、尚更不気味さを際立たせている。


「視野狭窄に陥っているというほかありませんね紅藤殿。秩序が護られるべきは、何も雉鶏精一派という小さい枠組みの話ではないのですよ。むしろ、雉鶏精一派の中で争いが無かったとしても、雉鶏精一派の動きそのものが他の組織に混乱をもたらしているのであればそれはそれで問題だと思いませんかね。

 紅藤殿はお気付きではないのですか? 関西の妖怪組織の多くが、雉鶏精一派の動向を警戒し始めているという事に」


――ううむ。難しい話だけれど灰高様の言葉にも一理、あるのかな?

 源吾郎は眉が寄るのも気にせずに灰高の言葉を脳内で反芻していた。紅藤に噛みつき、ついで三國の甥である雪羽の不祥事を明るみにした灰高の事を、雉鶏精一派の自治を敢えて乱そうとしている輩なのだと源吾郎も思っていた。そこにはおのれの本性を暴かれた私怨だとか、師範や先輩を追い詰めようとする態度への怒りがあるにはあったのだが。

 齢十八の源吾郎は、もちろん妖怪同士の派閥闘争や権力構造について多く知る訳ではない。しかし灰高の言葉にもある程度の正当性はあるような気もしてきた。雪羽の不祥事を正したうえで次期当主に推す事も、色々と影響力のある玉藻御前の末裔の動きを警戒するのも、外部の目を気にしていると言えば辻褄が合う。


「……確かにそういうお考えになるのは私も何となく解りますわ」


 紅藤の言葉は柔らかいものだった。ついでに言えばその面にはほんのりと笑みが浮かんでいる。ヤキが廻っただの視野狭窄だの色々と言われたうえでこのような笑みを浮かべられる点が、彼女の偉大さを示しているようだった。

 源吾郎が同じ立場だったら、多分六回ほどブチギレているだろうから。


「灰高のお兄様は元々浜野宮家として、私たちが根城にしていた白鷺城周辺を護っておいででしたものね。今は浜野宮家当主の座をご子息に譲っておいでのようですが、それでもやはり、浜野宮家として関西の妖怪情勢が気になるという事ですね」

「……確かに、浜野宮家としての務めという部分は今でも私の中から抜けてない所も多々ありますね」


 しかし訂正していただきたいところがあります。そう言った時、灰高の顔にわずかに渋いものが浮かんだ。彼がそんな表情を見せるのは初めてだった。


「まず一つ目として、浜野宮家はもうすぐ孫娘が当主になるんですよ。息子もあなたより少し若い位なのですが、彼も彼で色々あるのでしょう。

 それとですね、私は雉鶏精一派に入ってから今日に至るまで、君のような存在をと見做した事は一度たりともありません」


 豆鉄砲でも喰らった鳩のように、紅藤がきょとんとした表情を浮かべる。灰高はもはや表情を繕わず、不快感たっぷりに言葉を続けた。


「それにしても気持ち悪い癖を四百年も五百年も引きずり続けているのですか。そもそもあなたが同じ組織の同じ立場の相手を無理やり兄弟姉妹に当てはめるのは、雉鶏精一派の初代頭目にしていた時の名残ではありませんか。私の記憶が正しければ、仙道を教えると甘言を餌に、体のいい奴隷扱いした胡喜媚の事を、紅藤殿は今もいらっしゃるのではなかったのですか? まぁ、そのような心境ながらも今もなお胡喜媚の亡霊に囚われていると思えば、それはそれで面白いですがね」


 言い終えてから事もあろうに灰高は高笑いをかました。本性が鴉である為に、その笑い声は鴉の啼き声に実にそっくりだった。

 会議の中では場違いすぎるこの笑い声を遮る者は誰もいなかった。誰も彼もが灰高の発言に度肝を抜かれていたのだ。


 妖怪たちが直面している実力主義の世界は実に厳しい。強者であればある程度好き放題に振舞えるかもしれないが、それはおのれより強い者に無作法を働けば文字通り瞬殺されても文句が言えないという事の裏返しでもある。

 だから実際には、真に好き放題に振舞う妖怪というのはごく少数なのである。これは弱小妖怪であろうと強力な妖怪であろうとあまり変わらない事である。

 というよりもむしろ、強大な力を持つ妖怪の方が言動には慎重になるという。大妖怪ほど知能が高く理知的であるというのが妖怪たちの一般常識のようなものだ。大妖怪というのはおおむね永い年月を生き抜いた個体がほとんどであるので、そうなるまでに殺されずに生き延びて智慧を得ている訳であるから、これはある意味根拠のある通説でもある。


 源吾郎や雪羽と言った若手妖怪のみならず、八頭衆のほとんどが驚愕したのは、灰高の大妖怪らしからぬ言動にあった。「強者に対しては慎重に行動すべし」という妖怪たちの不文律を鑑みれば、灰高の言動は失格も良い所である。同じ八頭衆のメンバーと言えども、第四幹部の灰高は第二幹部の紅藤に歯向かうべきではない。さらに言えば、紅藤は単騎であっても八頭衆の他の面子を、いや彼らが保有する精鋭部隊を殲滅せしめるほどの力を持ち合わせているのだ。容易く怒らせたり逆らったりしても良い相手などではない。

 果たしてその事実に灰高は気付いているのか? 源吾郎は灰高の事を多く知る訳ではないが、その佇まいや物言いからおおよその性格は察していた。ついでに言えば灰高が意図して紅藤を煽っているのか否かも。

 灰高は相当な切れ者のようであるし、尚且つ冷静さも眼力もきちんと具えている。しかも紅藤も一目を置いている。そのような男が、おのれの発言が紅藤をいら立たせていると気付けないなどという事がどうしてあるだろうか?

 つまるところ、灰高は紅藤が立腹するのもで彼女に噛みついているのだ。何とも絶望的な気分の中、源吾郎はそのように判断を下すほかなかった。

 そりゃあ、生きていれば気に入らない相手というのは妖怪であれ人間であれ出てくるだろう。灰高ももしかすると、紅藤に対して抱く気に入らない部分があって、それを色々と言いたくなっただけなのかもしれない。

 しかし源吾郎自身は紅藤の愛弟子である。師範である紅藤の事は尊敬している。尊敬する師範の事を悪く言われるのはやはり気が悪い。何より大妖怪同士のいざこざを目の当たりにするのは心臓にも悪い。


「い、いくら何でも言いすぎですよ、灰高様……」


 見かねた緑樹が灰高に抗議してくれた。しかし妖力も血統も申し分ないはずの第三幹部の言葉は、思いがけないほどに弱弱しく情けない響きを伴っている。


「ありがとう緑樹。でも私は大丈夫よ」


 情けないほどにオロオロする緑樹に対し、紅藤は柔らかく微笑んだ。慈愛に満ちた笑顔を前に、緑樹は当惑した様子を見せつつも何も言わなかった。

 酒呑童子と白猿の血を引くというこの大妖怪は、実のところ紅藤たちの弟分に相当する。峰白と紅藤は義弟として彼を可愛がる一方で、緑樹も紅藤たちを姉として敬意を払っている……そんな話を源吾郎は思い出していた。


「灰高の


 紅藤は紫の瞳で灰高を見据えている。口調は柔らかであるが、揺ぎ無いものを持っていると言わんばかりの圧があった。穏やかな態度が目立つものの、紅藤も実のところ頑固な一面を持ち合わせているのだろう。


「いつも以上に色々と私に言い募ってらっしゃるみたいですが、その理由が何故か解りましたわ。

 今回もお兄様は配下の鳥妖怪たちの中から胡琉安様の伴侶になりそうな娘たちを見繕って引き合わせておりましたが、あのお方のお眼鏡にかなう娘はいなかったみたいですものね。

 雉鶏精一派のみならず、外部との調和をも考えなさるお兄様の事ですから、今回の見合いモドキの結果にも落胆し、立腹なさっている。そういった所だと思うのですが……」


 聴衆は灰高の毒舌に度肝を抜かれていたが、紅藤のこの長広舌にも驚いていた。何かと率直な物言いの多い紅藤が、まさかこうして皮肉と当てこすりにまみれた言葉を放つとは予想だにしなかった。

 しかしそれこそが、ある意味彼女の今の心境を示しているのかもしれないが。


「はーっはっはっは」


 灰高が動揺を見せたのは一瞬だけだった。次の一瞬には顔をしかめたように見えたが……すぐにまた彼は高笑いを上げたのだった。


「確かに私たちの世界には『牝鶏ひんけいあしたを告げる』という諺は通用しませんね。ですが今のあなたの発言は、昔の事を知っている私にしてみれば上等な漫才に匹敵するほどの面白さを感じますね。

 紅藤殿。母親面や雌鳥面をしてもあなた方の過去の所業は覆る事は無いのですよ。胡琉安様が、何故いい大人であるのに妻を得ようとしないのか、その理由はあなたならば十二分にご存じではありませんか。何せ若かりし頃の胡琉安様が真に愛した娘をあなた方が謀殺し、あまつさえ――」

「――今更そんな話を蒸し返して、どうなさるおつもりですか?」


 灰高は何か物騒な事を言いかけていたが、紅藤がそれを臆せず遮った。彼女は椅子を跳ね飛ばしたのも気にせずに立ち上がっていた。彼女の身から放たれる濃密な妖気は、爆発的な勢いでもって会場を覆い始めている。

 爆風、或いは台風の中心に似たその妖気こそが、彼女の心中を如実に物語っていた。

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