混沌をもたらしたるは誰なのか

 幹部会議第二部が始まるという事もあり、周囲の空気が一変するのを源吾郎は感じた。雪羽が糾弾される事でしばし忘れていた内臓がひっくり返るようなあの感覚がまた戻ってきたのである。

 ちなみに雪羽は既に疲労困憊と言った様子で視線を床やおのれの手指に向けている。萩尾丸の口撃はやはりこたえたと見える。


「さてこれで今回の会議の本題に入れるね」


 第二部に入ったという合図をしたのは灰高だった。彼は源吾郎のみならず八頭衆の幹部たちにも視線を配っていたが、その頬はほころび、始終笑みを浮かべていた。一見すると柔和そうな笑みに見えなくもないが、全くもって油断ならない事は既に解っている。

 何せ彼は、萩尾丸の脅しにも屈しなかったどころか、紅藤と正面から敵対する事すら厭わないと言い放っていたのだから。


「第二幹部・雉仙女こと紅藤殿のが、玉藻御前の末裔が姿を偽ってこの生誕祭の会場に紛れ込んでいた理由と、その件に関する責任の所在について追及しようと思っております」


 朗々とした声で灰高が告げる。その声を聞いた面々の反応は様々だった。源吾郎はおのれが紅藤ののように紹介された事が不満だったが、むっつりと押し黙って成り行きを見守るほかなかった。八頭衆の面々はおおむね神妙な面持ちだったり、緊張している素振りを見せていたりしていた。

 ちなみに雪羽は飼い狐という言葉がツボだったのか、その面にいびつな笑みを浮かべていた。源吾郎としては面白くないが、それをなじるような元気もない。


「島崎君、でしたっけ。彼はそもそも病欠という事で欠席であるという連絡が入っておりましたが、それは表向きの話でした。実際には今こうして皆様がご覧になっておりますように、スタッフの姿に変化して紛れ込んでいた次第です」


 話もまだ途中であるだろうに、灰高はわざわざ言葉を切り、ついで源吾郎の方をそっと右手で指し示した。聴衆の視線を源吾郎に向けさせようと、実に手の込んだパフォーマンスを行ってくれている訳だ。

 そんな灰高の努力もあり、源吾郎は見事に今この場では晒し者になっていた。幾つもの無遠慮な視線にさらされながら、源吾郎はたまらず視線を床に落とした。常々注目されたいと思っていたが、こんな注目のされ方は望んでなどいない。


「彼がああして紛れ込む理由と言いますか、紛れ込むまでの背景は大きく分けて二つが考えられます。一つ目は彼が自分で考えて我々を欺いたという事。もう一つは――彼の上司、すなわち紅藤殿の命令によって我々を欺いたという事、です」


 欺くという言葉が出てきたためであろう。聴衆たる雉鶏精一派の幹部たちの中から驚嘆の声が上がる。声をあげなかったのは紅藤と萩尾丸くらいだった。その萩尾丸でさえ、唇を噛んで渋面が浮かぶのをこらえていた。紅藤は表情の揺らぎを見せず、彼女が今何を思っているのか掴ませないように奮起しているようだった。


「まだ詳細まで言及していませんが、紅藤殿も萩尾丸さんも後者であると認めています――そうでしたよね、お二方?」


 なぶるような視線と口調でもって、灰高は紅藤と萩尾丸を見つめた。第六幹部である萩尾丸まで標的になっているのは、ひとえに彼が紅藤が信頼を置く重臣でもあるためであろう。


「その通りですね、灰高様」

「ええ。灰高のお兄様の言う通りです」


 萩尾丸も紅藤も灰高の言が事実である事に異論は唱えなかった。返答する様子は二人とも異なっており、それが彼らの今の心境、ひいては灰高との力関係を如実に表してもいた。

 萩尾丸は若者のように露骨にうろたえる事は無かった。しかしそれでも灰高に対して窺うような挙動が見え隠れしている。一方で紅藤は「お兄様」と呼んで敬意を示しているものの、その声は揺らがない。

 紅藤たちのある意味素直な返答に、灰高は笑みを深めつつ頷いている。


「やはりあなた方の差し金だったのですね。皆様も聞いておりますし、言質も取れましたから、今後意見を覆す事はかないませんよ。もっとも私は、聞くまでもなく島崎君はあなた方の差し金で今回会場に紛れ込んだんだろうと推測していましたがね。玉藻御前の末裔だとか前途有望だとかと言って何かにつけて持ち上げているようですが、所詮は経験の浅い仔狐でしょうし」


 一体この会議は何処へ向かおうとしているんだ? 小さなイカダに乗せられた漂流者のような心細さを源吾郎は感じていた。それはやはり、萩尾丸の態度から灰高が並の妖怪ではない事を感じ取ったからに他ならなかった。

 萩尾丸は源吾郎の兄弟子に相当するが、彼が高い能力を持つ大妖怪である事は源吾郎も既に知っている。というよりも、萩尾丸がああして困り果てる所を目撃するなどとは夢にも思っていなかった。源吾郎の知る萩尾丸は、常に余裕に満ち満ちていて、追い詰められる事とは無縁であるように見えたからだ。


「それにしても、何故あなた方は島崎君を変装させて生誕祭の会場に潜り込ませたのでしょうか? 何か意図があるように思えてならないのです。その意図に関して、説明していただけますね」

「むしろその前に、何故そこまでこの件を執拗に追求しようとしているのか、灰高様のお考えをお聞かせ願えますか。話はその後でいくらでも行います」


 灰高の質問に対して質問を返したのは紅藤だった。狼狽する萩尾丸とは対照的に落ち着き払った声と態度であり、それが何故か却って不気味だった。

 紅藤に促された灰高だったが、彼は口を開こうとはしない。紅藤も窺うように灰高を見つめている。大妖怪同士は無言で数秒ばかり睨み合っていた。

 結局のところ、折れたのは紅藤の方だった。


「……年長者につまらない意地を張っても仕方ありません。ひとまずは私どもの狙いをお話ししましょう。私どもが島崎君を飼い狐として皆の前にお披露目していれば、このような事態にはならなかったでしょうね。

ですが第二幹部である私の重臣の一人として、いえ飼い狐として生誕祭に出席させるには少し不安があったのです。島崎君は確かに妖怪として高い能力を保有してはおりますが、社会経験が圧倒的に少ないですからね。皆様方にご迷惑をかける危険性もあると鑑み、それならばと思って変化させてスタッフに紛れ込ませた次第です」


 紅藤は長々と説明したのだが、一度深く息を吐いてから再び口を開いた。


「要するに、皆様にあらぬご迷惑をかけないように、敢えて島崎君を欠席扱いしたのが真相です。研究センターに置いておくのも不安だったので、スタッフに化身させた。それだけでございます」


 紅藤の言は、まるで源吾郎が未熟な仔狐である事を前提にしているような主張だった。いや、実際問題源吾郎は未熟であるし彼自身もその事は知っている。 

 確かに保有する妖力だけに注目すれば、普通の大人の妖怪と同等かそれ以上の能力はあるにはある。しかし、この妖力を操り術として行使する経験が、源吾郎にはほとんど欠落していたのだ。その事は、珠彦や文明と言った純血の若い妖怪たちと訓練していて嫌というほど思い知らされた。

 幼少期や若年期において、保有する妖力の多さや強さは先天的な部分がある程度は絡む。しかしその力を有効活用できるか否かは後天的な環境がかなり重要なのだ。妖怪を父母に持つ純血の妖怪の場合、それこそ幼子の頃から妖術を適切に使う事を学んでいく。学ぶと言っても大げさな話ではない。兄弟姉妹や友達とのじゃれ合いの中で身に着けていくようなものなのだ。

 源吾郎にも無論兄姉たちはいるが、年齢差が大きすぎてじゃれ合うような間柄ではない。しかも兄姉らは完全に人間として生きる事に順応している。雉鶏精一派に就職するまで、妖怪としての力を振るう機会に乏しかったのは、無理からぬ話だ。

 それらの事を踏まえても、紅藤にあからさまに未熟と言われるのはこたえた。萩尾丸や峰白、或いは文明みたいな萩尾丸の部下に言われるのならまだショックは少ないだろう。しかし日頃優しく接してくれる紅藤の言葉だから、余計にショックを受けるのかもしれない。もちろん、優しくぼんやりした雰囲気の奥に明晰な頭脳と観察眼が隠されている事は源吾郎も知っているけれど。

 あるいはもしかすると、そのショックを受ける感情こそが、源吾郎が紅藤を師範として尊敬し慕っている証拠なのかもしれないが。


「ま、まぁ確かに」


 主張を終えた紅藤に引き続き、声を上げたのは萩尾丸だった。


「僕たちの試みは九部通り成功していたんですよ。彼は確かにスタッフとして演じている身分を全うしていましたからね。僕は彼の一部始終を見ていませんが、雷園寺君との騒動があるまでは、他のスタッフたちに疑われる事なく仕事が出来ていたのではないかと思います。もちろん、聡明なる八頭衆の皆様には、真相が見抜かれていたかもしれませんが」


 見抜かれていた。思いがけぬ言葉に源吾郎はぶるっと身を震わせた。三國は宮坂京子を見て源吾郎であると勘付いていたのを思い出した。幹部らの中で若手である三國でさえ気づいたのだ。源吾郎はおのれの術に自信を持っていたが、それでも幹部たちをも欺けたと思うのはやはり傲慢なのかもしれない。


「正直な所、僕は初めて気付いた口ですよ」


 おずおずと言ったのは第三幹部の緑樹だった。


「別に、島崎君の変化を見抜けない程衰えたとか、そういう意味ではありません。島崎君が欠席したという、紅藤様の言を信用したという事です。僕も紅藤様とは長い付き合いですが、策を弄して僕たちを欺くような真似はしないと思っていますから」

「それにまぁ、大勢いるスタッフの中に紛れ込ませているんですから、仮に紅藤様の言葉に疑問を抱いたとしても確認するのは難しいでしょうね。とはいえ、生誕祭も幹部会議も今後はスタッフの確認を強化したほうが良いのかもしれませんが」

「スタッフの確認強化は良い意見だと思うよ、双睛鳥の兄さん!」


 第七幹部・双睛鳥の冷静な意見に対して頓狂な声をあげたのは雪羽だった。


「俺が言うのもアレだけど、やっぱりスタッフだと思っていたのに変なのが混ざってたら大変だもん。それこそ、一般妖いっぱんじんと見せかけたテロリストが混ざっていたら、俺たちは死んでたかもしれないし」


 一度言葉を切ると、雪羽は源吾郎を見やった。翠眼をすがめ、じっとりとした眼差しである。


「まさかもしかして、俺たちの事を糾弾するためにスタッフとして送り込まれたとか……?」

「いい加減な推論は止めるんだ、雪羽」


 雪羽の好き勝手な言動に待ったをかけたのは三國そのひとだった。三國が日頃から甥の雪羽を甘やかしていたというのは事実らしい。雪羽は三國の鋭い口調に驚き、目を瞬かせていたのだから。


「陰謀論やトンデモ論が載ったしょうもない雑誌の読み過ぎなんじゃあないか? それに島崎君には感謝こそすれそう言った疑いの眼差しを君が向けてはいけないんだよ。何しろ、グラスタワーの崩落に巻き込まれそうになった君を助けたのは島崎君なのだから。まぁそれで、島崎君の本性がバレてしまった訳なんだけど」


 三國はどうやら源吾郎が雪羽を助け出した事について、勝手に恩義を感じているらしい。源吾郎としては複雑な心境だった。源吾郎にしてみれば、雪羽が助かったのは他の面々を助けた結果に付随したに過ぎない。もちろん雪羽が大怪我をすれば良いとは思っていないが、大々的に雪羽を助けたと言われると困るのもまた事実だ。しかも既に灰高が指摘している通り、あのグラスタワーの崩壊も、大本を辿れば雪羽の言動のせいである訳だし。


「確かに雷園寺君や三國君を失脚させるためにそこの狐を使った、という話は飛躍し過ぎだと僕も思うなぁ」


 萩尾丸は三國と雪羽の両者に視線を走らせた。灰高の言葉にしおらしく控えていた時とは打って変わり、余裕と自信がみなぎるような笑みをその面に浮かべている。弱いものには偉そうに出るという、天狗らしい習性を彼はまざまざと見せつけているではないか。


「実際の所雷園寺君は雷園寺家当主になるべく修行するって事で話は落ち着いたし、三國君だって第八幹部の座を追われる訳じゃあないでしょ? むしろ君らが抱えている問題点が明らかになっただけだから、失脚どころか正しく反映する足がかりが出来たくらいじゃあないかな。

 それにそもそも三國君。君はまぁ第七幹部と一緒で若手だからって事で幹部に取り沙汰されただけだし。君らが失脚しようが没落しようが僕らにはそんなにダメージは無いけどね」


 容赦のない萩尾丸の言葉に三國はぐ、と短く喉を鳴らした。八頭衆には序列があると聞き及んでいたが、まさか第七・第八幹部が単なる若手のお飾りだと断言する所には驚きだ。


「いくら何でもそれは言い過ぎよ、萩尾丸」


 柳眉をひそめて指摘を寄越したのは紅藤だった。


「双睛君も三國君も確かに若手である事を承知したうえで幹部に引き入れたけれど、何もお飾りだとか、ましてや使い捨てにできるなんて思っている訳じゃないわ。

 妖怪と言えども、同じ面々がずっと幹部の座を護り続けるのも旧態依然を招くきっかけになるわ。若くても、才能と責任感のあるが幹部の座に就いてくれることで、新しい体制を作り上げる事が出来たらと思っているんだから」


 紅藤のこの言葉に、萩尾丸のみならず八頭衆の面々は感動したらしい。表立って彼女を称賛する事は無かったが、敬服したと言わんばかりの眼差しを向けていたのだから。やはり権力から一歩引いた立場にいる彼女だからこその言葉なのだろう。

 そう思って感心していると、この静けさを打ち破らんばかりの笑い声が会場の空気を震わせた。笑い声の主は灰高だった。


「おやおや紅藤殿。研究者気質で率直な意見ばかり仰るばかりだと思っていましたが、美辞麗句を用いる事も出来るのですね。それもこれも側近である若天狗の影響でしょうかね。

 頭目の母として雌鳥面しているあなたがそんな事を仰ったとしても、やはり背後には何がしかの目論見があると勘繰ってしまいかねませんよ。

 若手を敢えて幹部に就けたのも、ゆくゆくは配下にした玉藻御前の末裔をスムーズに幹部に就任させるための方便であるように私には思えますがね」


 灰高は一度言葉を切ると、大げさに肩をすくめて息を吐いた。


「九尾の狐、特に玉藻御前は混沌の使いのようなお方なのですよ。王や帝などの権力者に近付き、混乱させ、破滅させたという来歴を紅藤殿とてご存じでしょう?ましてやあなたの狐は妖怪社会の頂点に君臨するという野望さえ持ち合わせているではありませんか。

 今は彼を無害だと思っておいでかもしれませんが、長じてそれこそ九尾になった時に、この雉鶏精一派を彼の手によって台無しにされるかもしれませんよ? 何せ曾祖母が、混沌と破滅をばらまくような妖狐だったのですから」


 灰高のいささか過激な言葉に場は騒然とした。大妖怪ばかりの八頭衆も、流石に玉藻御前の名を聞いて肝を冷やしたらしい。気になる相手とひそひそと話し合う声すら聞こえてくるくらいだ。


「島崎君が混沌と破滅の使者だと、そう仰りたいのですね」


 そんな中で、紅藤が静かに口を開いた。相変わらずその声には感情の揺らぎはない。というよりもいつも以上に平板な物言いだった。


「ですが、混沌をもたらし雉鶏精一派に混沌をもたらそうとしているのは、灰高のお兄様も同じ事ではないでしょうか?

 平穏な所に争いをもたらし内部を引っ掻き回す、天狗らしい習性と言えばそこまでかもしれませんが」


 紅藤の言はあくまでも淡々としていた。しかし冷静さを装いつつも、紅藤もある意味灰高に挑もうとしているのだと源吾郎はこの時悟ったのだった。

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