白き雷獣の四面楚歌

 八頭衆が緊急会議にと選んだ部屋は、奇しくも源吾郎や他のスタッフたちが昼休憩に使ったのと同じ部屋だった。バイキング会場だった時とはテーブルや椅子の配置が変化している。テーブルは両側の壁際に沿って配置されていた。もちろんテーブルに向かう形で座るように意図されたレイアウトなのだろうが、その一方で部屋の中央にも単なる椅子が五、六脚置かれている。

 

 結局のところ、テーブルの傍に着席したのは八頭衆たちであり、中央の椅子に座らされたのは源吾郎たちだった。

 大阪一等地のホテルという事もあり椅子も上等な物であったが、その椅子の座り心地の良さやデザインの上品さに感心する余裕は今の源吾郎には無かった。

 妖力を一気に消耗した疲れはある程度収まっていたが、今の源吾郎の心中は強い緊張状態にあった為である。ドキドキワクワクで言い表せられるような可愛い代物ではない。口を開ければ裏返った内臓が飛び出すのではないかと思うほどに緊張していたのだ。

 言うまでもない話だが、源吾郎の緊張の理由は隣に座る狐娘の米田さんではない。おのれに鋭い視線を向ける大妖怪たちの存在の為だった。

 源吾郎にとって救いなのは、ここまで緊張し震えているのが自分だけではない、という事だった。雪羽の取り巻きであるカマイタチとアライグマも仲良く椅子をくっつけて恐怖をひた隠しにしようと奮起していた。彼らも彼らなりに事の重大さを把握したらしい。雪羽から離れた所に椅子を置きなおし、その上で大妖怪たちの視線に晒されていた。

 今回の緊急会議の元凶である雷園寺雪羽も緊張状態にあるらしかった。酔いが回って紅潮していたはずの頬はすっかり血の気を失い、むしろ額や首筋には蒼い静脈が浮き上がっている。呆然としているようにも静かに憤慨しているようにも見える表情だったが、少なくとも取り巻きたちよりは落ち着き、若いながらも威厳を示していた。

 その名の通りの白皙の面も相まって、やはり彼もまた青い血を宿す妖怪なのだろうと思わしめるものがあるにはあった。


「一体全体、ってどういう意味で仰られたんですかね、皆さん」


 張り詰めていた静寂を打ち破ったのは三國の声だった。切羽詰まった響きを伴っている。


「前もって言っておきますが、雷園寺雪羽を害するという事であれば、俺は徹底して闘いますよ。八頭衆の上位幹部だろうと何だろうと関係は無いからな」


 三國は未だに自席に座していたが、状況次第では立ち上がって他の誰かに躍りかかりそうな気配を見せていた。灰色の髪が揺れ、周囲でやはり小さな放電が起きている。ある意味雪羽によく似た叔父だった。


「まぁまぁ三國君。そんなにいきり立ちなさんな」


 ひょうひょうとした声音で三國を制したのは萩尾丸だった。灰高を前にした時とは異なり、普段通りの余裕たっぷりの表情を――取り繕っているだけかもしれないが――彼は見せている。


「峰白様はあくまでも間引く場合があれば、と仰っただけに過ぎないんだよ。甥っ子を可愛がるのは構わないけれど、変な所で過剰に反応してああだこうだ言い募るのは却って不利になるだけだと思うんだけどなぁ……

 そもそも、雪羽君の処遇については紅藤様が決定なさると僕は思っているんだ。何せ君の甥っ子は、紅藤様が可愛がっている島崎君にちょっかいをかけたんだからさ。

 それに――峰白様が雷園寺家の肩書で怯む御仁だと思わないようにね。そんな事を言えば、もしかしたら翌々日にはが亡くなっている、なんて事もあるかもしれないよ?」


 そうですよね、紅藤様。いささか物騒な萩尾丸の言葉に対して、紅藤は重々しく頷いていた。


「……峰白のお姉様はいささか物騒な物言いをなさったのだと私は思っているわ。もちろん、雷園寺君をそのままお咎めなしにするつもりはありませんが」


 紅藤の言葉が終わると、他の幹部たちもそうだとばかりに頷いている。その中には灰高の姿もあった。生誕祭に集うスタッフたちが雪羽の言動に用心していた事は源吾郎も知っていた。しかし幹部たちもそれなりに気にしていたとは。


「もっとも、懲罰が必要なのは雷園寺君の保護者である三國殿も同じでしょうねぇ。雷園寺君の行状はさておき、それを指導するのは保護者の責任でもあるのですから」

 

 どっしりとした声音で言ったのは第四幹部の灰高だった。


「あ、でも三國さん。降格処分は多分無いと思いますから、凹まなくて良いんじゃないですかね」

 

 灰高の隣席に控える若い男の姿をした妖怪が、ひょうひょうとした様子で言い放つ。双睛鳥と名乗る鳥妖怪である。大陸風の名前であるものの、彼は西欧に住まう魔鳥・コカトリスの血を引いているのだそうだ。そのためか、その風貌は何処となくバタ臭さが漂っている。

 先祖のような猛毒や相手を死に至らしめる邪眼を持たないものの、その両目には魔力が宿っているそうだ。

 三國共々八頭衆の中ではかなりの若手であり、ゆえに将来の伸びを期待された若手ともいえる存在だった。


「だって三國さんは第八幹部でしょ。僕らみたいに下がいる幹部たちだと降格処分はあるだろうけれど、流石に第八幹部から下に転落する事は無いかなって……」


 言いながら、双睛鳥は偏光眼鏡の奥で探るような眼差しを他の幹部たちに向けていた。年若い第七幹部の言に真っ先に反応したのは紅藤である。


「そもそも幹部の定員も四名までだったのよ。峰白のお姉様に無理を言って今の八頭衆にしてもらった訳ですから、第九幹部・第十幹部と席次を作るのはもうできないわ。あんまり増やしても、幹部の意味合いも薄れるでしょうし」


 紅藤の言葉を皮切りに、第三幹部から第七幹部までの妖怪たちがそれぞれ意見を口にし始めた。自分の手下に適任者はいないかだとか、まさか紅藤様はこのどさくさに紛れて飼い狐を幹部に据えるのではないかだとか、ある意味取り留めのない話題である。

 緊張していた事も相まって、源吾郎はそれらを遠い世界の出来事が語られているような気持ちで聞き流していた。明確な序列がある八頭衆の幹部システムであるが、実の所下克上や地位剥奪なども存在する流動的な物である事は源吾郎も知っている。

 それよりも、めったにお目にかかれない八頭衆の話し合う姿そのものに源吾郎は緊張も忘れて興味を惹かれた。優劣はあると言えどもいずれも並の妖怪とは言い難い大妖怪揃いである。それでも彼らの意見の出し方や仕草、話し方などからははっきりと個性が垣間見える。しかも強そうな見た目だから強い意見を出すとも限らないあたりが中々に興味深い。


「あのぅ……そろそろ、本題に入りましょう」


 議論ともつかぬ意見が何回か飛び交った後、第三幹部の緑樹が口を開いた。彼は酒呑童子を祖父に持ち、神通力を持った妖怪仙人である白猿を父に持つ、由緒ある大妖怪である。二メートル近い頑健そうな巨躯と、凶悪そうに見える強面は、酒呑童子に連なる者である事を暗に示していた。

 但し――立派な先祖の血統とは裏腹に、緑樹自身は内気で大人しい性質の持ち主のようだが。彼の穏和な気質は、先程の声掛けにも如実に表れていると言えよう。


「そうだね緑樹さん。あんまりああだこうだと私たちが話しても、話題の論点がずれていくだけですから」


 灰高はすぐ上の幹部の言葉に鷹揚に頷くと、周囲をぐるりと見渡した。

 どうやら今回の司会進行は灰高が行いたがっているらしい。天狗というのは鴉天狗であれ大天狗であれ出しゃばりというかリーダー気質が強いから、ある意味灰高がこうして司会役を買って出たがるのも当然の話なのかもしれない。


「ひとまずは、雷園寺君が今日何をしでかしたのか、その辺りをはっきりさせようじゃありませんか」


 一音一音はっきりと発音し、灰高は周囲を、いや源吾郎たちに視線を向けた。猛禽やそれ以上に獰猛な生物の視線に、源吾郎はびくっと身を震わせてしまった。もっとも、それは雪羽や彼の取り巻きも同じだったが。


「あらかじめ言っておくけれど、正直に答えた方が身のためですからね。私や萩尾丸さんの術があれば、あなた方の意思とは無関係に喋らせる事は出来ますが……そういう事を若い子にするのは流石に心が痛みます」


 気安い笑みと共に灰高は言ってのける。心にもないリップサービスだろうと思ったが、無論そんな事はおくびには出さない。術云々の話以前に、源吾郎は問われれば真実を語るつもりでいたわけであるし。

 そんな灰高の視線は、まず雪羽に向けられた。


「雷園寺君。私が来た時には君が作ったという馬鹿げたグラスタワーは既に崩落した後だったけれど、あれは偶然だったのかな。それとも、君がグラスタワーを片付けようとしたスタッフと揉み合いになったからなのかな?」


 優しげに問いかける灰高を見ながら、雪羽が唇を舐める。彼は確かに何かを言いかけた。しかしその声よりも大きくはっきりとした声が、雪羽の主張をかき消した。


「確かに、雷園寺はグラスタワーを片付けようとしたウェイターたちに突っかかったんですよ。揉み合いじゃあないですけれど、彼の剣幕に驚いてスタッフの一人が転んだのがきっかけだったので……」

「そう、そうなんですよ。俺たちはそんな事をしたら駄目だって彼を止めたんですけどね」


 声の主は雪羽の取り巻きだった二匹の妖怪たちである。雪羽があるじだと言わんばかりに付き従っていた彼らは、至極あっさりと雪羽の非を認めた。というよりも、切羽詰まりつつも若干の媚を孕んだその声には、悪事狼藉を一切合切雪羽に押し付けようという気概さえ感じられるほどだった。

 灰高は興味深そうにおとがいを撫でていたが、視線を源吾郎たちに向けた。相違ないかと問われ、源吾郎は素直に頷いた。米田さんも鳥妖怪の若者も同じように振舞っているからまぁ問題は無かろう。


「結局のところ、たまたまその場に玉藻御前の末裔が、島崎君が居合わせて術を行使したから大事には至らなかったようですね。しかし何故ウェイトレスに扮していた島崎君が、雷園寺君の傍にいたのでしょうか?」

「それは――」


 灰高は雪羽たちを注視していたが、源吾郎は気にせず声をあげた。


「俺、いや僕は雷園寺さんに捕まってしまったんですよ。あの時雷園寺さんは相当酔っていて、それで僕を単なる妖狐の女の子だと思って、何のつもりか解りませんが捕まえて連れまわしていたんです! そういう事もあって、僕はグラスタワーの崩壊に居合わせたんです」

「島崎君の意見に相違はないかな」

「彼の主張は嘘ではない、と私は信じます」


 灰高の事実確認にまず応じてくれたのは米田さんだった。彼女の声を聞いて、源吾郎は不思議と安心した心持ちになっていた。


「私はあくまでも雷園寺さんが彼を引き連れてグラスタワーの傍まで来ていた所を目撃しただけですが、雷園寺さんは彼の手首を掴んで、半ば強引に引っ張る形で歩いていたような印象を受けました。

 少なくとも、島崎君が彼自身の意思で同行しているようには見えませんでした」

「うん。俺もそれは思った」


 米田さんの主張を裏付けるように、鶏妖怪の青年も鳩のように頷いている。


「雷園寺は昔から女癖が悪いと思ってたんですよ。今回も、嫌がってるのに無理やり連れてきてましたし」


 取り巻きのカマイタチは呆れ声でそんな事を言ってのけた。まるで、自分は雪羽の蛮行を止められなかったと悔いている常識人のような物言いである。もちろん、もう一匹のアライグマの方も同調している。

――いやいやいや、こいつらウェイトレスに化けた俺を雪羽の奴が捕まえるのを見て面白がってたじゃないか。灰高様とか、大妖怪に睨まれてるから手のひらを返したんだな。


「成程。無理やりウェイトレスの女子を連れて行こうとしたんですね。まぁ、いつもの雷園寺君の様子を見ていたらそんな感じだと思いましたよ。

 さてここからが本題です。雷園寺君、あなたは相手が島崎君だと解った上であのような事をしたのですか」

「違う、違いますっ!」


 雷園寺雪羽はここで初めてはっきりとした主張を灰高にぶつけた。その声音には流石に媚も恐怖もない。むしろそこはかとない怒りの念がこもっていた。


「俺は純粋に可愛い女の子だと思ったから声をかけたんだ。そんな、まさか女装趣味の変態狐だと解ってたら声なんてかけなかった。それだけさ!」


 案の定、雪羽は宮坂京子が源吾郎の変化である事に気付いていなかったらしい。だが源吾郎はその事実よりも自分がしれっと変態呼ばわりされている事の方が気になって仕方が無かった。

 確かに源吾郎は少女に化身する事がままあるが、あくまでも女子会などに混入し女子の好みをリサーチするためだけに使っている。破廉恥な目的は一切介在しないから、それを変態呼ばわりするのはおかしいだろう。しかも雪羽は品行方正な少年ではなくむしろ女好きである。

 俺が変態ならお前はドスケベだろうが……大妖怪たちの視線も忘れ、源吾郎は一人静かに憤怒していた。

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