八頭衆の揃い踏み

 周囲には重々しい沈黙が流れていた。耳が痛くなるような沈黙の中、時間が長く引き伸ばされたような錯覚を源吾郎が抱くほどに。

 紅藤を怖れぬという灰高の言葉に、誰も彼も驚き切っていたのだ。あの萩尾丸でさえ絶句したほどなのだ。幹部と言えどもまだまだ若さの抜けない三國などがあれこれ言及できるだろうか。他の若手妖怪たちも同様だ。

 しかし、この沈黙を打破する次なる動きがあったのは、そんなに時間が経っていなかったらしい。


「皆一体どうしたの。この騒ぎは何かしら……」


 長い裳裾を翻しながら灰高たちの所に近付いたのは紅藤だった。いや、他の八頭衆のメンバーもいるようだ。

 ただ、先頭を歩いているのが紅藤というだけの話である。


「紅藤様」

「紅藤様」


 灰高と萩尾丸がほぼ同時に紅藤に呼びかける。しかし完全にシンクロしたわけではなく、微妙にタイミングがずれていた。もっとも、二人の呼びかけで決定的に異なるのはタイミングではなくその声に込められた感情だった。

 紅藤が歩を止めると、他の幹部たちも足を止めた。幹部たちだけではなく彼らに従う重臣たちもいるのかもしれない。しかし源吾郎には誰が誰なのかよく解らなかった。大妖怪や実力のある妖怪たちが集まっているのであろう事は解るが、馴染みのある紅藤だけが浮き上がるように存在して、それ以外はおぼろな存在であるようにも思えた。

 そんな風に感じるのは、源吾郎が紅藤や萩尾丸以外の幹部たちの顔を、あまり覚えていないからなのかもしれない。

 集まって源吾郎を見物していた若手妖怪たちはいつの間にかいなくなっていた。きっと八頭衆が集結するのに驚いて、別な仕事をする体で退散したのだろう。


「ようやくお出ましになりましたか。雉仙女殿、いえ紅藤様」

「胡琉安様と少し話し込んでおりまして。遅かったでしょうか」


 灰高の呼びかけに対し、胡琉安という思いがけぬ名を紅藤はさらりと出した。


「この度の生誕祭の主賓は胡琉安様なのですから……それにと言えども会う機会も少ないですし、色々と息子の身を案じて話し合うのは当然の事だと思うのですがいかが思われますか」

「そう言えば、雉仙女殿は第二幹部である前に、胡琉安様のでありましたねぇ……」


 息子とご母堂。胡琉安を巡る関係性を示す言葉を、紅藤も灰高も殊更に強調しているようだった。口調こそどちらも穏やかな物であったが、丁寧であるからこそ却って不穏な気配が見え隠れしているように源吾郎には感じられた。

 さて雉仙女殿。灰高は源吾郎をちらと一瞥してから紅藤に声をかける。


「あの狐はいったいどういう事でしょうか。私どもには病欠であると連絡を入れていたようですが、実際にはこの会場にいます。それも別の存在に変化した状態で」

「そうね、その通りね灰高のお兄様」


 源吾郎を一瞥してから紅藤も呟く。その声は思っていたよりも落ち着き払っていた。


「島崎君が病欠であると皆様に伝え、その上でスタッフに変化させて紛れ込ませたのも、私の一存で考えた事ですわ。もし皆様を混乱させてしまったのならばここで謝罪いたします」

「べ、紅藤様……!」


 あまりにも堂々とした物言いに、八頭衆の面々の中にも驚きたじろいだ者もいたらしい。どよめく声がさざ波のように広がっていく。

 もっとも紅藤の宣言は灰高の心を揺らすには至らかなかったようだが。

 それよりも意外な事に、先の紅藤の発言で最も強く驚いているのは何と萩尾丸だったのだ。


「良いのですか紅藤様。今回の島崎君の動きは、私が考えて紅藤様に提案なさったのですから……」

「良いのよ萩尾丸」


 就職間もない若者のようにうろたえる萩尾丸に対し、紅藤は淡く微笑んだだけだった。


「案の出所が誰であれ、その案を認めて使おうと思ったのはよ。だから今回の案件も、私に責任があると考えているわ。

 私の言った事や考えに逆らえないのは、萩尾丸も島崎君も同じなのだから」


 紅藤様……呟く萩尾丸のその面には、師範への尊敬の念がありありと滲んでいた。やはり彼は紅藤の弟子、一番弟子なのだと源吾郎は思い知った。


「――灰高のお兄様。そして他の幹部の皆様。会議になるのならば場所を変えて話を続けましょう。議題が二つもあるという事ですし、きっと立ち話では済まないでしょうから」


 背筋を伸ばして告げる紅藤の声は、そう大きくはないはずなのにはっきりと聞こえた。


「その会議とやら、あたしは参加しないからね」


 数秒も待たぬうちに蓮っ葉な声が響く。硬質な足音と共に紅藤のすぐ傍にやって来たのは第一幹部の峰白だった。やり手のエグゼクティブよろしくスーツ姿の彼女は、興醒めした様子で紅藤とその周囲に集まる妖怪たちを睥睨していた。


「緊急の会議と言っても、第八幹部の所のどら息子の処遇と、紅藤の所の狐の話でしょ。まぁ色々と込み入った話になるかもしれないけれど、所詮は幹部勢の中で解決できる話に過ぎないわ。八頭衆の人員整理に繋がる訳でもないでしょうし……」


 峰白はそこまで言うと、紅藤を凝視した。


「まぁ要するに今回の会議で私は特に意見は無いって事ね。強いて言うならば、紅藤、あんたの意見が私の意見になるとでも思ってくれれば問題ないわ。

 そんなに大事になる事は無いと思ってるし、万が一誰かをって事があれば、それだけ連絡して頂戴」

「……承知しましたわ、峰白のお姉様」


 それじゃあ私は戻るわね。言いたい事を言いきったのか、晴れやかな表情で峰白は幹部たちの集まりから離れていった。


「折角胡琉安様のお祝い事だというのに、幹部たちがあのお方をほっぽって内輪もめの後始末をするなんておかしな話でしょ。胡琉安様はもう一人前のお方ですが、それでもいい気分はなさらないでしょうし」


 峰白は鳥妖怪らしく早歩きも得意らしい。素早く足を動かしているようには見えなかったが、彼女の姿はすぐに遠ざかっていった。


「そ、それでは関係者の方は会場に移りましょうか。部下に連絡して、空き部屋を一つ確保しておりますので」


 峰白の姿が見えなくなってから、控えめな調子で萩尾丸が言った。

 かくして生誕祭の会場だというのに緊急の幹部会議が始まってしまうという文字通り緊急事態が出来したのである。

 騒動の発端となった源吾郎と雪羽がこの会議に連行されるのは言うまでもない話である。それ以外には重要参考妖として、米田さんと鶏妖怪の青年、そして雪羽の取り巻きだった妖怪たちも会議に参加させられる事と相成った。

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