古参幹部が物申す

 頭目である胡琉安こりゅうあんを支える八頭衆やつがしらしゅうは、文字通り八名の妖怪で構成される幹部集団だ。第一幹部、第二幹部……と幹部たちの間でも序列が出来ているのは周知の事実である。

 、八頭衆のパワーバランスはそれだけで説明できるほど単純ではない。

 八頭衆の権限の大きさで見た区分分けは多岐に渡るが、上位の幹部たちは妖力・権力・発言力共に大きな猛者ばかりである事は言うまでもない。

 特に第一幹部から第四幹部までの上位四名は八頭衆の中でも「古参幹部」「上位幹部」と称されていた。

 彼らが特別視されるのは、初代頭目の胡喜媚が生きていた頃を知っているからに他ならない。この四名の幹部の内訳は、新体制の雉鶏精一派の立て直しを図った功労者であったり、雉鶏精一派に関与していた者だったりと、雉鶏精一派に相当縁深い存在である――第一幹部から第三幹部までは。

 初代頭目である胡喜媚と直接的に関与している面々で構成される古参幹部の中において、第四幹部である灰高だけは異質な存在ともいえる。元々は胡喜媚とは無関係の組織に属し、それどころか何度も矛を交えた事さえあるくらいなのだから。

 そんな灰高が何故雉鶏精一派に属し、あまつさえ幹部になっているのかは定かではない。古参幹部の中では一番地位が低いとはいえないがしろに出来ない存在である事だけは明らかである。雉鶏精一派との関係性を抜きにしたとしても、灰高自身は鴉天狗、それも八、九百年の歳月を過ごし妖力と経験を蓄えた老齢な鴉天狗なのだから。


 灰高に妖気の流れを乱された源吾郎は、彼本来の姿でそこにうずくまっていた。全長一メートル半にも及ぶ四尾は放射線状に伸びている。普段ならばこの長大な四尾の長さを調節できるのだが、強引に変化を解除された直後という事もあり、野放図に尻尾を垂らしてしまったのだ。

 グラスタワーはもう既に片づけられており、源吾郎の飛び出した尻尾が悪影響をもたらす事は無い。しかし傍にいた米田さんや雪羽に尻尾の一部が触れていた。

 源吾郎は顔を上げて尻尾の長さを調整する。妖狐などの獣妖怪の尻尾をモフモフと気安く触るというシチュエーションはフィクションの世界だけなのだ。

 顔を上げた源吾郎は、多くの妖怪たちが自分に注目している事に気付いた。露天で行われる大道芸を見にきた観衆のように源吾郎たちを取り巻いている。ここまで数が多いのは、グラスタワーの残骸を片付けていた面々に加え、灰高の声に釣られてやって来たからなのかもしれない。

 源吾郎は無言だったが、それは向こうも同じだった。驚いて呆気に取られているようにも見える。思いがけぬ出来事を目にした時、何がどうなっているのかきちんと把握できないのは、妖怪であっても同じ事なのだ。


「う、うせやろっ!」


 妙に張り詰めた静寂を打ち破ったのは雪羽の叫びだった。源吾郎を見据える翠眼は驚きで揺らめいている。


「そんな、俺はお前の事をただの狐の女の子だと思ってたのに! まさか男が女子に化けて、しかもそいつが玉藻御前の末裔だなんて……!」


 ひとしきりおのれの疑問と驚きをぶつけると、雪羽は叔父の三國みくにに視線を向けた。灰高の登場で目を白黒させていたらしいが、雪羽の視線に気づくと大人らしく落ち着いた笑みを浮かべて頷いた。


「そりゃあ驚くよね、雪羽」


 三國はそれだけしか言わなかった。しかし源吾郎には三國がどう思っているのか知るに十分過ぎた。雪羽とは違い、やはり三國は源吾郎が宮坂京子に化身している事は見抜いていたらしい。

 だが今の源吾郎の関心はこの雷獣たちではない。その背後にいる観衆の動向が気になった。三國と雪羽のやり取りがきっかけだったのだろう。彼らも口々にしゃべりだしたのだ。


「銀白色の四尾にあの面立ち……あいつ本物じゃね?」

「欠席だって聞いてたけどあれ嘘だったのか」

「それにしても女の子に化身してたよな」

「女子に紛れて仕事してたとか、玉藻御前の末裔と言えどもキモすぎるんだけど」


 一応は小声であるものの、観衆たる若妖怪たちは遠慮なく率直に思った事を口々に言い合っていた。彼らが驚き色々な感想を抱く気持ちは解らなくもない。源吾郎とて同じ立場だったら大層驚くであろうから。

 しかし相手の気持ちが解るからと言って、今置かれている状況を大人しく受け入れられるか否かは別問題である。動物園のジャイアントパンダ、もしくは珍奇な見世物小屋で養われる異形に向けられるような眼差しを、源吾郎は全身に受けていた。驚きの展開が続いた事で精神的に疲弊していたが、それでも羞恥心は源吾郎の中にあった。


「諸君、そこまで騒ぎ立てるのはやめたまえ」


 低い声で周囲の若手妖怪たちに告げたのは、第八幹部の三國だった。彼の視線は若手妖怪に向けられ、それから源吾郎や雪羽に注がれる。

 灰高の存在にうろたえていたと言えども三國とて大妖怪である。彼の言葉に若い妖怪たちは驚き、ひそひそと囁く事さえピタリとやんだ。

 三國はやや安堵したように息を吐いてから、灰高をまっすぐ見据える。


「……それにしても灰高様。わざわざこの事を明るみにする必要があったのですか」


 この事とは無論源吾郎が宮坂京子というウェイトレスに化けていた事を示すのであろう。三國の思いつめたような問いに対し、灰高は未だにうっすらと微笑んでいる。


「事の重大さを正しく把握していないようですね、三國さん」


 上辺だけの笑みを作った灰高の視線は、一瞬源吾郎に向けられた。


「私もそこの狐がただの野狐であったのならば、他の幹部の手下であったとしても何も言いはしませんよ。ですが彼は玉藻御前の末裔、それも一族の中でも野心に取り憑かれ現時点でも高い妖力を持つ輩です。その彼がわざわざ私たちを欺いたという事実は、我々八頭衆であれば見逃してはならないと思いませんか。

 この狐の曾祖母は千変万化に変化し時の権力者を惑わせました。その子孫たる祖母や母親は表立った悪事は働いていませんが、しかしいずれも狡猾な女狐には違いありません。その女狐の血を受け継ぎ女狐に育てられた彼を警戒するのは至極まっとうな事ですよ」

「そこまでクドクドと仰らずとも、俺とて彼が化身していた事は見抜いていましたよ」


 灰高の長広舌を一旦聞き入れてから三國が声をあげる。小型犬の吠え声に似た、切羽詰まった物が見え隠れしている。


「血統的にはとんでもない逸材かもしれませんが、それでも僕たちに歯向かう程無謀な輩でもないでしょう。第六幹部殿の定例報告でも、上司である第二幹部によく従っていると言われているじゃないですか」


 それに……三國は言葉を切り、すぐ傍にいる雪羽をちらと見た。


「彼は先程、僕の甥を助けるために動いてくれたんです。甥は事故に巻き込まれかけたのですが、彼が力を振るってくれたお陰で大事には至らなかったんですよ。

 それに僕が彼の正体に気付いたのも、力を振るった後の事ですし……」


 三國の言葉はある意味本性を隠して働いていた源吾郎をかばうような発言と言えるだろう。ところが源吾郎はそんな三國の発言を複雑な心境で聞いていた。事故を未然に防ぎ、雪羽を救った事には変わりない。しかしそれは結果に過ぎない。源吾郎は積極的に雪羽を助けようとした訳ではなかった。どちらかと言えば、巻き添えを喰らいかけた米田さんや鶏妖怪の若者を助けようとして動いただけに過ぎない。だから、と感謝されるとどうにも収まりが悪いのだ。


「その狐が大事な大事な甥御殿を助けたから、彼の本性や意図に目をつぶると言いたいんですね、三國さん。全くもって愚かしい――」


 甥御殿、と告げる灰高の言葉には、明らかに侮蔑と皮肉が混じっていた。


「そもそも甥御殿が巻き込まれそうになったのは事故ではなく単なる自業自得なのではないですか? いつものように乱痴気騒ぎを行っていたのでしょうし。

 それにしても、三國さんも変わりましたね。若い頃はそれこそ今の甥御殿のようにただただ遊び呆けて気に入らない相手には力を示そうとしていましたが、近親者の立場を巧く利用できるような知恵がついて、さかしくなりましたねぇ。

 甥御殿である雪羽君を大切にしているのも、雪羽君の父親で君の兄でもある雷園寺家の婿君から貰う養育費が目当てなのでしょうし。適当に面倒を見るだけで自動的にお金が入るんですから苦労はしませんよね」

「さっきから大人しくしていれば適当な事ばかりベラベラとのたまいやがって」


 三國の表情と口調が一変した。先程までは年長者という事もあって灰高に対して丁寧な口調で話していた彼だったが、今や敬語も恭順な態度もかなぐり捨てている。

 まなじりを釣り上げ背後で七、八本の尻尾を逆立てている三國は明らかに機嫌を損ねていた。灰高の言葉がきっかけであるのは言うまでもない。灰高の指摘が図星だったからなのか、或いは別の理由があるのか。今の状況では源吾郎には判らなかった。


「部外者であるあんたに何が解る。良いか、雪羽は――」


 周囲で小さな稲妻を放ちつつ言葉を続ける三國だったが、最後まで言い切る事は無かった。呆然と成り行きを見つめる観衆をかき分けて一人の闖入者ちんにゅうしゃが三國たちの前に姿を現した為である。


「あ……」


 訪れた闖入者を前に、源吾郎は声を漏らした。やって来たのは第六幹部の萩尾丸だったのだ。萩尾丸の登場に驚いている一方で、安堵してもいた。萩尾丸ならばどうにかしてくれる。そのような信頼感を源吾郎は萩尾丸に抱いているのだ。


「何やら大騒ぎになっているみたいですが、一体何事ですか」


 萩尾丸はまず集まっている観衆に視線を向けてから、三國や灰高に問いかける。激昂していたはずの三國は気まずそうに尾を垂らし、萩尾丸から視線を外した。他の妖怪たちも似た塩梅である。

 唯一冷静さを崩さないのは灰高のみだった。彼は天狗らしい笑みを萩尾丸に向けていた。


「おや、これは萩尾丸さんではないですか。大騒ぎと言いますか、あなた好みの面白い状況が出来たものでして――アレをごらんなさい」


 面白い状況と言ってから灰高が示したのは源吾郎だった。萩尾丸も源吾郎を見た。怪訝そうな萩尾丸の表情が、一瞬強い驚きと当惑に染まったのを源吾郎は見逃さなかった。


「失礼ですが、アレの何が面白いとお思いで?」

「とぼけなくても構わないのですよ、萩尾丸さん」


 萩尾丸はぼんやりとした問いを投げかけ、灰高は臆する事なくそれを受け取っていた。


「あなたの事だから血気盛んな少年のしくじりを見て喜んでくれると思ったのですが、あてが外れましたね。一応状況をお伝えしますね。第二幹部殿配下である玉藻御前の末裔は本日病欠という話でしたが、ウェイトレスに変化して紛れ込んでいたんですよ。今の今まで何も騒ぎが起きていないという事は、上手に本性を隠し演じ切っていたのでしょうね。しかし三國さんの甥御殿のおイタに巻き込まれた時に力を振るってくれたので、私も彼の存在に気付けました」


 灰高のかいつまんだ説明は、さらりと雪羽の行状にも触れてあった。萩尾丸の目つきが鋭くなる。その視線は源吾郎にも向けられたが、思わず目を伏せてしまった。兄弟子または第六幹部として何か聞きたい事があるのだろうが、怖いし混乱しているしで何か言えるような状況ではなかった。


「萩尾丸さん。第二幹部殿の傍で働いているあなたならば、彼の腹の底はご存じでしょう。もしかすると、病欠になった事と我々を欺き、陰で何か画策していた事も考えられませんか?」

「島崎君の変化を解いたのは、灰高様ですね?」


 萩尾丸はあくまでも穏やかな口調で灰高に問いかけていた。灰高は何も言わなかったが、笑みを深めただけだった。

 呆れたように息を吐き、萩尾丸は言い添える。


「どういう意図でそんな事をなさったのかは解りません。ですが、はどう思われるでしょうね?」


 萩尾丸の言葉は問いかけの体を保っていた。しかし実体は源吾郎をかばい、ついで余計な事をした灰高への脅し文句である。

 萩尾丸が第六幹部でありつつ紅藤の重臣である事、莫大な妖力と多彩な妖術を保有する紅藤が八頭衆の中では段違いの存在である事を鑑みれば、相当に効果的な脅し文句であろう。

 しかし――灰高は萩尾丸の言葉に怯む素振りなど見せなかった。むしろねっとりとした笑みを浮かべる程である。


「あはっ、あはははは、上手い塩梅に術中に嵌ってくれたね萩尾丸さん。ここで雉仙女殿の名を出したという事は、あの狐が変化して紛れ込んでいたのはあなた方の差し金であると認めた事になるのですよ」

「…………ッ」


 勝ち誇ったように言い放つ灰高を前に萩尾丸は歯噛みしているようだった。畳みかけるように灰高が続ける。


「ついでに申し上げますと、雉仙女殿から玉藻御前の末裔が欠席だという事を聞いていた時から、薄々こんな事だろうなと思っていたのですよ。

 しかしそれにしても面白い事になりましたなぁ。玉藻御前の末裔はトップの指示で周囲を欺いていて、ついでやりたい放題だった第八幹部の甥御殿にもお灸を据える事が出来ますし」

「面白がっている余裕なんてあるんですか、灰高様」


 萩尾丸の声音はあくまでも落ち着いていたが、それが一層彼の心中の烈しさを物語っているようだった。


「三國君の事はさておき、島崎君の件でのあなたの行為は、紅藤様への明らかな敵対行為とみなされる可能性だってあるんですよ」

というのです? 私が彼女ごときに怯むとでも?」


 ケロリとした表情で言ってのける灰高を前に、今度こそ萩尾丸は絶句していた。灰高の力量がどれくらいのものなのか源吾郎には解らない。しかし紅藤を敵に回しても怖くないというその発言は、はったりや強がりではないように思えたのだ。

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