配膳係は皆の新たな顔を知る
源吾郎が少女に化身する事を覚えたのは中学生の頃、厳密な年齢を言うと十三、四くらいの頃だった。ギャラリーに顔を出さなければならなくなった末の兄・庄三郎に「彼女役」を頼まれたのがそもそものきっかけだった。
既に二十歳を超えていた庄三郎であるから、おのれが放出する魅了の力はおおむね制御できているはずだったのだが、過去の経験のために彼は用心深くなっていた。不用意に不特定多数の人間の前に顔を出せば、あてられる人間が出るのではないかと。それでも庄三郎をしたいベタベタとくっつく娘がいるのならば、彼ら彼女らの庄三郎への執着はマシになるだろうと。
弟である源吾郎にその役を任せるのは奇妙な事に思えるかもしれないが、庄三郎の彼女役を行うには源吾郎が最も適任だったのだ。庄三郎の性格と能力上、赤の他人にこのような依頼は不可能だ。さりとて、姉や叔母にその役目を負わせるのは荷が重い。兄弟間の序列などが明確に存在するわけではないが、末弟であれば自分のいう事を聞いてくれるだろうと思ったに違いなかった。源吾郎が他の兄姉たちに対してほとんど反抗しないのを知っていたためだ。
庄三郎の思惑通り、源吾郎は彼の言う事に従った。とはいえ、無理強いされたとかそういう気持ちは源吾郎の中には無かった。当時源吾郎は中学校に通う子供に過ぎなかったが、既に女子にモテたい・好かれたいという願望が心の中にはあった。ついでに言えばそれらの研鑽のために演劇部でも活躍し始めていた頃である。
――女子に化身してみたら、女子たちの様子を間近で見れる。そうすればより一層モテるための研究が出来るのではないか。
思春期を迎えた女子たちは理由はどうあれ男子を警戒し遠ざける事があるという独特の性質を源吾郎は既に知っていた。しかし内面はどうであれ女子に擬態出来たら話は別なのではないか。そんな考えが源吾郎の脳裏に浮かんできたのである。
源吾郎は男であった。生物学的な性別も性自認としての性別も。それでもなお女子に化身する事にノリノリなのは、女子に化身する事で本物の女子の生態を間近で知り、それをモテスキルに還元できると思っているからに他ならない。
※
さて話を戻そう。萩尾丸の術によって会場に連れてこられた宮坂京子もとい源吾郎ははじめのうちこそぼんやりと周囲を見渡していたが、すぐにチーフと思われる
そこからの一連の流れは実に鮮やかで、狐でありながら狐につままれたような気分を味わったほどである。源吾郎は宮坂京子として飛び入りでスタッフとなったのだが、向こうは彼女の事を知っているらしく、すぐにスタッフとして受け入れられた。
もしかすると、萩尾丸は源吾郎がスタッフに扮して潜入するという事もずっと前から見越していたのかもしれない。一瞬だがそんな考えが脳裏をよぎった。
スタッフとして立ち働いていた方が、玉藻御前の末裔として幹部たちと渡り合うよりも気が楽だ。萩尾丸の言葉が本当なのかどうか、源吾郎には今のところよく判らなかった。判る判らない以前に動き回る事に集中して考えるどころではなかったからだ。
スタッフとしての仕事の忙しさは予想を大幅に超えていた。とはいえ、これが普通なのか普通以上に忙しいのかさえ源吾郎には判断がつかなかった。
初めは厨房の裏方としてサラダや果物の盛り付けを任されていた。しかし生誕祭が開始した事や源吾郎の盛り付けにスピード感が無かったなどの諸般の事情により、急遽ウェイトレスとして飲み物やちょっとした食事を運ぶ事となったのである。
生誕祭の出席者たち、雉鶏精一派の頭目と幹部たちは、宮坂京子の存在に特段注意を払う事は無かった。正体はさておき、宮坂京子そのものは労働に勤しむだけの若き庶民妖怪の一人だと、彼らは思ってくれているようだ。もっとも、それ以上に大切な事を考えている幹部たちは、いちいち集まって働くスタッフたちに思いを馳せていないかもしれないが。
ちなみに源吾郎は、二杯目の飲み物を運んでいる時に紅藤たちの様子も垣間見る事が出来た。紅藤たちも萩尾丸も兄弟子たちも、源吾郎もとい宮坂京子の存在に気付いても淡泊な反応しか示さなかった。
幹部・重臣としての務めがある彼らが、一介のウェイトレスに必要以上に構わないのは当然の事である。スタッフたちは日頃従えている子飼いの配下か、そうでなければ日雇いでやって来た単なる労働者に過ぎないのだから。むしろ親しげな様子を見せたら却って他の重役たちに怪しまれるだけだ。
そのような事はもちろん源吾郎も知っている。しかしそれでも、宴の席で見せる紅藤たちの姿には源吾郎は大いに驚き、戸惑い、色々な事を感じていた。
まず紅藤の雰囲気がいつもとはまるきり異なっていた。日頃のおっとりのんびりした雰囲気はなりを潜めていた。権力者にして絶大なる実力者として、彼女はそこに佇んでいた。いつもよりも濃い目のメイクだとか、妙に装飾の多い唐風の女道士の衣装なども目を引いたが、それらも彼女自身の風格の前ではお飾りに過ぎなかった。そんな彼女の姿を見て、源吾郎は自分が誰を師範に選んだのか思い知った。
権力に興味が無いだとか早く隠居したいなどと常日頃言っていたのが冗談のようだ。冷静な、遠くを見渡せる鳥の目で周囲を観察する紅藤は、まさしく大妖怪の中の大妖怪と言っても過言ではない。しかも多少緊張していると言えども、無闇に威圧的な気配を振りまいていない所も大妖怪らしい。
紅藤はおのれの力を「イカサマで得た力」だと思って今のおのれの地位もお飾りに過ぎないと考えているらしいがとんでもない話である。彼女が何かをしたのを直接見たわけではないが、紅藤が雉鶏精一派最強の大妖怪として恐れられ、尚且つ第二幹部の座を三百年間護り続けているのは当然の流れなのだと源吾郎は素直に思っていた。よくよく考えれば、一番しんどい時から雉鶏精一派の運営に携わり、頭目の生母として裏に表に活躍を果たした御仁である。もし紅藤が本当にただ力があるだけの無能であれば、とうの昔に幹部の座を追い落とされていただろう。
もう一人の幹部、萩尾丸の振る舞いもまた興味深いものだった。彼の衣装は普段とはそう大きな違いは無かったのだが、まるで別人かと思うほどに腰が低く、朗らかで穏やかな姿を見せていたのである。日頃の若手妖怪たち(特に源吾郎)をからかい、炎上トークを巧みに操る姿とは百八十度も異なっていた。
だがそれも、萩尾丸の幹部としての立場から考えれば当然の事なのかもしれない。
確かに、萩尾丸が研究センターの一番弟子であり、自身が擁する組織の長である事は事実だ。しかし幹部陣として見れば彼は第六幹部である。幹部は八名しかいないから、その中での序列は低い事になってしまう。だからこそ、上位の幹部やその重臣たちに対して穏やかに敵意が無い事を示しているのかもしれない。それはそれで処世術の一つなのだろうか。
源吾郎は萩尾丸にも一目を置いている。実力はさることながら、相当に賢い妖怪であると思っていた。だが萩尾丸の賢さ優秀さも、日頃源吾郎が目にしていたのはごく一部に過ぎなかったのかもしれない。
日頃仕事で接する上司や先輩たちの普段と違う一面に感心する一方、源吾郎の心中には言い知れぬ寂しさも沸き上がっていた。
研究センターでは決して見せぬ表情を浮かべる紅藤や萩尾丸たちを見ていると、彼らが自分とは別の世界の住民であるような、見知らぬ土地に置き去りにされたような、そんな気分になってしまったのだ。無論今の源吾郎が、第二幹部の重臣ではなく単に立ち働く若手妖怪として振舞っているという事を加味したとしても、である。
事あるごとに源吾郎は仔狐だのなんだのと言われていたが、それはある意味事実なのだと思い知らされた。
※
表の会場ではとうに乾杯の音頭も終わり、二杯目三杯目の飲み物を配りだした最中だった。そこで少しばかり余裕が出来たので、源吾郎は裏手の厨房に戻る事が出来た。室内は妖術か空調で程よい涼しさを保っていたが、先程まで運びものをしていた源吾郎の身体は火照っていたし汗ばんでもいた。当然喉も渇いている。舌全体が乾いた感じがしてどうにも気持ち悪かった。
チーフに発見されてから今に至るまで水や飲み物を口にしていない事に源吾郎は気付いた。しかも動き回っていたのだ。喉が渇くのも道理だろう。
源吾郎はちらと厨房側に視線を向ける。とっておきの一品たち以外はバイキング形式となっている会場であるが、それでも余裕がある訳ではない。減った料理を都度補填しなければならないからだ。あらかじめ用意している物もあるだろうが、場合によっては作り足す必要もあるのかもしれない。
「嬢ちゃん、水が欲しけりゃ貰っても大丈夫だからな」
氷だけが入ったグラスを眺めていると、カウンターの向こう側で料理の確認をしていたシェフが声をかけてくれた。体格のいい壮年の鬼の男であるが、いかつい見た目とは裏腹に物言いは親切そうだった。
「お偉いさん方の中に、裏まで覗き込むような物好きはいないからな。それよりも、変に我慢して熱中症とかで倒れられた方が困るんだ」
「ありがとう、ございます……」
少女の声音で源吾郎は礼を述べ、グラスを一つ取った。隣にある水差しで水を六分目程注ぐと、グラスや水差しが乗せられたカウンターから距離を取る。源吾郎はカウンターに背を向け、ぼんやりと会場を眺めた。シェフの言うとおり、幹部とその重臣たちは互いに話し合ったり笑いあったりするのに集中しているようだ。時折大きな笑い声が上がったりしている。楽しい話でもしているのかもしれないと源吾郎は思った。
「あー。それにしても毎度毎度ボスたちもご苦労な事よねー」
「ホントそれ。八時間近く飲みっぱなし食べっぱなしって、やっぱり大妖怪様も大したものよね」
ふいに少女たちの声が近くで聞こえ、源吾郎はちょっとだけ驚いた。声の方に視線を向けると、スタッフの一員である若い妖狐が二人ばかり裏手に戻って来ていたのだ。彼女らも水分補給のために戻ってきたのだろう。
彼女らが幹部たちの子飼いの部下である事はすぐに判った。話の内容もさることながら、実は制服がわりのエプロンの小さな模様で区別がつくようになっていたからだ。
「それにしてもさ、今回は玉藻御前の曾孫がやって来るとかって聞いてたけど、あいつ体調不良で急にこれなくなったみたいだね」
源吾郎はグラスを右手で握りしめたまま、少女らの言葉に注意を払っていた。何をどう思ったのかは定かではないが、彼女らは重臣として出席するはずだった玉藻御前の末裔、要は源吾郎の事を話題に出したためだ。
「大妖怪の子孫なのに体調不良とかマジウケるんだけど。でもさ、これなかったのってうちらにとってはラッキーだったんじゃない?」
「ま、まぁどんな奴なのかって言うのは気になってたから少し残念に思うところもあるかな」
「そんな、チカってば呑気なこと言っちゃダメでしょ。あいつってかなりヤバい奴だって聞いてたしさ」
「ヤバいって言ってもどーせめっちゃ強くなりたいって言ってるだけの中二病でしょ?」
源吾郎は水を飲むふりをしながら聞き耳を立てていた。冷えたグラスを持っているのに身体の火照りは収まらない。むしろより暑さを感じ始めたくらいだ。
どういう話に転がっていくのか……そう思っているともう一方の少女がため息をつくのがはっきりと聞こえた。
「中二病だけだったらそんなにヤバくないわよ。それよりも女に餓えてるって方が厄介なのよ。今でも気に入った女子を部屋に閉じ込めてるとか、女子一人では物足りないから気に入った女子を攫おうと画策してるとか、色々言われてるのよ」
「うっそー。いくら何でもそれはヤバいわよね」
「そうそう、ヤバいのよあいつって。うちらだって可愛いし美少女だからさ、絶対あいつに目ぇ付けられてたと思うのよ」
「やっぱり休んでくれて良かった」
事の一部始終を宮坂京子として聞いていた源吾郎は、グラスを一気に呷ると洗い場の方にそれを押しやり、そそくさと裏方を立ち去った。
目立つ事、他の妖怪たちに陰で噂される事の恐ろしさを思い知ったような気分であった。少女たちの話は、特に後半の女性絡みの話は全くの虚構である。源吾郎はもちろん女子に興味があるし、好みの美少女たちを侍らせ傅かれたいという欲求もあるにはある。しかし無理くり彼女らを攫ってまで行使しようなどと言う考えは持ち合わせてはいなかった。
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