天狗もくろみ狐は演じる※女体化表現あり

 ああそうだ島崎君。萩尾丸は何かを思い出したかのように声をあげた。やや素っ頓狂な気配があったので、源吾郎は目を丸くしてしまった。


「やっぱり入社一年目のぺーぺーなのに、大切な生誕祭に出席するのは緊張するし、あんまり気乗りしないよね? 今さっき心の準備も出来ていないって言ってたし」

「ええと、はい……」


 半ば念押しのように畳みかけられ、源吾郎は控えめながらも頷いていた。本人には直接言いはしないが、萩尾丸は時折、話しかけながら相手に圧をかけ、誘導しているようだった。今回もその誘導の気配を感じはしたが、源吾郎が生誕祭に赴く心の準備が今一つだったのもまた事実である。

 源吾郎の頷きが思惑通りであった事は、萩尾丸の笑顔を見れば明らかだ。


「そうか、君の今の気持ちはよーく解ったよ。それじゃ島崎君。君は調。それで構わないかな?」


 構わないかな? などと問いかけの体を保っているものの、それが問いかけなどではない事は源吾郎は既に気付いている。源吾郎は目を瞬かせるだけだった。

 もちろん源吾郎の心中では、萩尾丸の発言に対する疑問が渦巻いていた。源吾郎を生誕祭に出席しない流れに運ぼうとしている事は解る。しかしその場合自分はどうすべきなのか? そもそも体調不良などではないのに嘘を言い出したのは何故なのか……様々な考えが源吾郎の脳裏に浮かんでは消えていった。


「萩尾丸。島崎君が急な体調不良に見舞われたって事にするのは良いけれど、一人でこの研究センターに留守番をさせるつもりなのかしら?」


 萩尾丸の発言に真っ向から疑問をぶつけてくれたのは紅藤だった。彼女の疑問は、源吾郎の疑問と半分合致していた。半分だけなのは、紅藤も何故か源吾郎が体調不良になったという事を容認している所だ。


「研究センターにこの子一人で留守番させるのは危険だわ。私たちのうちで誰かが監督していれば変な事はしないでしょうけれど、知らないうちに機材をいじったり何か余計な事をして、壊されたら大変だわ」


――なんだ紅藤様。心配なのは俺じゃなくて機材の方なのか。それにしても留守中にイタズラをして機材を壊すなんて思ってらっしゃるとは……俺の事は仔猫か何かとでも思っているのだろうか。

 むっつりとした面の内側でそんな事を源吾郎は思っていた。紅藤も萩尾丸も思った事を臆せず率直に述べる性質である事は既に彼もよく心得てはいる。それでも、師範である紅藤が源吾郎よりも機材を心配しているという事実は少しショックだった。


「いいえ紅藤様。僕は別に、島崎君を留守番させるとは言っていませんよ」


 紅藤も狐につままれたような表情を浮かべるのだろうか? 源吾郎の脳裏にそんな考えが浮かんだ。だが萩尾丸は、そのようなリアクションを取る暇を与える事無く話し始めたのである。


「方便として島崎君が体調不良で出席できないと皆に伝えるのですが、島崎君自身を生誕祭の会場に連れて行かないわけではないのです。

 彼も曲がりなりにも妖狐ですから、本来の姿とは違う姿に変化してもらって、日雇いのスタッフの一人として紛れ込ませようと思っていたのですが、如何でしょうか?」

「スタッフに紛れ込ませるのね。それも良いかもしれないわね。面白そうだし……」


 おっとりとした口調で紅藤が言うのを、源吾郎は微妙な気持ちで眺めていた。善し悪しと面白いか否かがごっちゃになっている所が何というか彼女らしい。紅藤に限らず、年齢を重ねた妖怪の中には、善悪ではなく面白いか否かで物事を判断してしまう手合いがいるのだ。


「何も難しく考える事は無いよ、島崎君」


 老齢な妖怪について考えていた源吾郎の許に萩尾丸の声が届く。


「スタッフというのはね、要するに喫茶店やレストランで働くウェイターやウェイトレスと同じなんだよ。料理の配膳とか食器の片づけとかを彼らが請け負っているから、僕ら八頭衆は心置きなく飲食や他の幹部陣とのやり取りに勤しめるってわけさ。

 ああ、言うまでもなくスタッフのみんなは狐とか狸とか普通の妖怪だから本性がばれるとかそういう事は心配しなくて大丈夫だからね。

 素性に関してはまちまちかな。僕や他の幹部たちが日頃こき使ってる子飼いの手下もいるし、その日だけの飛び入りの派遣もいるしね。まぁいずれにせよ、妖員じんいんの手配は僕らの方で行っていると思ってくれたら問題ないよ」


 つまりだね。つらつらと生誕祭のスタッフについて説明を重ねていた萩尾丸が、一拍間を置いてから改めて源吾郎に声をかける。


「君は本来の君とは違う何者かに化身してウェイターかウェイトレスとして立ち働くという事になるんだ。まぁ……イケるよね?」

「変化の方は問題ありませんよ、萩尾丸先輩」


 源吾郎は真正面から萩尾丸を見据え、きっぱりと言い切った。彼自身変化術は得意であるという自負があったし、やはり自分が何を言ったとしても「何者かに変化し、スタッフとして生誕祭をやり過ごす」というプランが揺らぐ事は無いと解っていたからだ。

 とはいえ、この急な申し出を完全に呑み込んだわけでもない。源吾郎は手指を鳩尾のあたりで絡ませ、懸念している事を静かに口にした。


「但し、僕はバイトらしいバイトを行った事が無いのですよ。そこだけがちょっと不安ではありますね……」

「実にお坊ちゃまらしい不安だねぇ」


 源吾郎の懸念事項に対し、萩尾丸は半ば茶化すような様子を見せて笑っている。その部分はお坊ちゃま云々とは違う次元の話ではないかと源吾郎は思っていた。通っていた高校では大々的にアルバイトが禁止されていた訳ではない。それでもバイトに精を出す生徒などは殆どいなかった。


「さっきも言ったように、スタッフがやるのは料理や食器を運んだり、後片付けや床掃除、それと会場に置いてある植木や小物のメンテナンスとかなんだ。こんな事を言っちゃあなんだけど家での食事の準備とか細々とした手伝いに近いかもしれないね。

 バイトだろうと最初のうちは緊張するのは当然の事だよ。だけどスタッフたちも普通のひとたちでも出来てるから、君もすぐに慣れると思うよ。

 それにだね――緊張すると言っても幹部やその重臣たちと立場ある存在として向き合うよりも大分気が楽な物さ」


 生誕祭の陰でスタッフとして立ち働くのは、それこそ野良妖怪とほとんど変わらないような若手の弱小妖怪がほとんどなのだという。大妖怪たちが集まる中で働くと言えども、彼らが危険な思いをする事はほとんど無いそうだ。生誕祭の場においては、幹部たちは自分の勢力を誇示したり、他の幹部と協力できるか否かをはかったりと、祭りと言えどもまあまあ忙しい。従って、食事を運んだり雑事をこなす若い妖怪に構う余裕は無い。それに人間の世界と同じく大妖怪であるのに弱小妖怪に難癖をつけて絡んだら、それはそれで印象が悪くなるだけだ。

 そこまで話を聞いて、源吾郎はようやく萩尾丸の提案の意図が何であるかを知る運びとなった。仔細な所まで聞かされ、十分に納得できた源吾郎の心中にはもう不安などはほとんどない。むしろ紅藤同様に面白いと思い始めていた。


「玉藻御前の末裔として幹部の皆様の前に顔を出せないのはちと残念ですが、スタッフに扮して会場に出入りするって言うシチュエーションも中々興味深いと思います。そういえば外国のドキュメンタリー番組で、社長とか会長みたいな偉い立場の人が、それこそ掃除人に扮して社内の問題点を探り出すって言うのがあるんですよ。今回もそれに似てるなって思ってワクワクしてきました」


 かつて見た番組の事を源吾郎は萩尾丸たちに語って聞かせた。先輩たちである青松丸やサカイさんは微妙な表情で互いに顔を見合わせている。萩尾丸もよく見れば苦みを伴う笑みで源吾郎を見つめているではないか。


が僕らには不安なんだよ……やはり君にはスタッフとして動いてくれた方が面倒事厄介事は発生しないだろうね。君は確かに玉藻御前の末裔だけど、今はまだのだから。

 念のため言っておくけれど、スタッフとして働く時はあんまり色々と喋らないようにするんだよ。無口キャラとして演じた方が良いんじゃないかな。そりゃあまぁ、聞かれたら答える位はやらないといけないけれど」


 萩尾丸は言葉を切ると、左手首に巻いた腕時計をちらと見やった。


「さてそろそろ丁度良い時間になってきたし、変化してもらおうか」

「はい喜んで!」


 ファミレスで働く若い店員みたいな調子で返事を返すと、源吾郎はおもむろにその姿を変化させた。本来の姿はやや小柄で堅肥り気味の青年であるが、今の源吾郎の姿は十代後半ほどのすらりとした体躯の少女だった。男の姿には変化した事は無いし今度も変化する事は無い。そう思っている源吾郎が少女の姿に変化するのは、彼の中ではある意味当然の話だった。


「あの、どうでしょうか萩尾丸先輩」


 少し小首をかしげ、手指を胸元で合わせつつ源吾郎は問うた。萩尾丸は今度は苦笑いではなく、心底面白いものを見たと言わんばかりの笑みを向けてくれた。


「ああ……中々良いんじゃないかな。今日の君は、ウェイトレスとして潜入してくれるって事だね。ある意味賢い判断じゃないかな。玉藻御前の末裔で紅藤様の許に弟子入りしているのは男だってみんな知ってるからさ、まさか女子に化身しているなどとは誰も思わないだろうし。

 服装はブラウスにパンツスーツで、まぁお堅い感じだけど問題は無いね。どのみちエプロンを付けるから服装も自由だしね。あんまり目立たせないのは却って良いと思うよ」


 ありがとうございます。少女姿の源吾郎は、可愛らしい声で萩尾丸に感謝の言葉を述べた。容貌はさることながら、声も仕草も本物の少女と大差ない。玉藻御前の血統を誇る変化力、そして卓越した演技力は伊達ではなかった。


「仕事中は宮坂京子とでも名乗っておくと良いよ。これから君を生誕祭の会場に案内するけれど、まとめ役のマネージャーには僕の斡旋でやって来た飛び込みのバイトだと伝えておくんだよ。

 終わり際は僕の配下の一人をこっそり君の許に向かわせるから、そいつの指示に従ってほしいんだ」


 それじゃあ君を会場に移すね。萩尾丸の奇妙な言い回しに源吾郎は軽く首をひねってしまった。周囲の景色が妙な塩梅に回転し始めて戸惑っていると、その回転も数秒も待たずして収まった。

 気が付けば、源吾郎は見慣れた研究センターではなく見慣れぬ広々とした部屋にぽつねんと立ち尽くしていた。他の若手妖怪がいたり部屋の雰囲気からしてスタッフルームのようだ。

 どうやら萩尾丸は妖術の類を使って源吾郎を一瞬にして生誕祭の会場裏に置いてきたのだろう。長じた天狗はその術が得意な事も、源吾郎は知っていたのだ。

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