見出されるは女狐の面影
かくして微妙な空気をまといつつも今回の生誕祭のあらましについて紅藤からひととおり説明があった。毎年の恒例行事であるにもかかわらず今再び丁寧な解説を行っているのは、やはりニューフェースである源吾郎の為であろう。
新入社員で齢十八の若者である源吾郎だったが、言うまでもなくこの度の生誕祭に出席する事は確定していた。紅藤が自ら従える配下の数が極めて少ないため、能力や年齢に関係なく彼女の部下は彼女の重臣と見做されてしまうのだ。
しかも源吾郎は単なる妖狐の若者ではなく玉藻御前の血を引く存在である。日本三大悪妖怪の一端であるというネームバリューは伊達ではない。玉藻御前の直系であるというブランドは、若輩だとかポンコツだという源吾郎自身の性質や評価を覆すほどのインパクトがあるのだ。無論だからこそ、軽率な動きは取れないのだが。
「……とまぁ、生誕祭についてはこんな感じだけれど大丈夫かしら?」
締めの言葉を聞く源吾郎の目線は斜め下に向けられていた。両手はズボン越しに膝頭の上にあり、軽く握りしめていた。教師に指名されないように必死であがく生徒と同じような態度でもってやり過ごそうとしていたのだ。
「大丈夫、何か質問は無いかしら島崎君」
しかし、このような振る舞いは大体が逆方向の結果をもたらすのが世の常である。ましてや相手が大妖怪をも凌駕する紅藤なのだから致し方なかろう。彼女の、いや他の妖怪たちの視線も源吾郎に注がれていた。わざわざ確認せずともそれは判っていた。
源吾郎は顔を上げた。見つめる先は紅藤ただ一人である。指を組みいじりながらも、思った事を口にする事にした。
「生誕祭ってほとんど一日行うんですね。僕もその、会社? のイベントについては疎かったのでびっくりしました」
源吾郎がまず気になったのは生誕祭が開催されている時間の長さだった。正午少し前から始まり、終わるのは夜遅くになるのだという。
妖怪は人間以上に体力があり、また夜行性の者も存在する事は源吾郎も知っている。しかしそれでも、妖怪たちの集まりがここまで長時間にわたるものであるという事を上手く理解できなかったのだ。紅藤や萩尾丸が先程ちらと言ったように幹部陣のやり取りがある事を加味したとしても。
そうよね。源吾郎の疑念に対して、紅藤は柔らかい言葉で肯定してくれた。
「島崎君は若いもの。そりゃあ、昼から夜までぶっ通しで生誕祭が行われるって知ったら驚くのも仕方ないわ。とはいえ、生誕祭は主要メンバーが集まる場になるから、どうしても多くの時間を取る事になるのよね。
それに、生誕祭の後は丸二日休みになってるから、それで釣り合いが取れるんじゃあないかしら」
「そう……かもですね」
頷く源吾郎の声はうつろだった。豪快な話だ、と源吾郎は思った。きっと生誕祭は時間も長く、二日分働いたのに相当すると判断したがために生誕祭の後に連なる平日二日を休日に置き換えるのだろう。生誕祭の後に休日が貰えるという事を嬉しく思う一方、平日が休みになるという状況に少し違和感を抱いてしまったのも事実だ。きっとそれは、まだ学生気分が源吾郎から抜けきっていないからなのかもしれない。学校であれば、平日と休日の境目は恐ろしい程にはっきりと分かれているのだから。
「丸二日休みなどと説明しても、紅藤様が仰るのであれば説得力も何もありませんよ」
少しの間を置いてから口を開いたのは萩尾丸だった。茶化すような気配を見せつつも、何処となく真剣な様子も見え隠れしている。彼は今どういう立場で発言をしたのだろうか。源吾郎はふとそんな事を思っていた。
萩尾丸は紅藤の一番弟子ではなくて、第六幹部としての立場で発言しているのだ。彼の瞳を見た時に、源吾郎は唐突にその事を悟った。
「まぁ、紅藤様の休みの振る舞いは今回は脇に置いておこうか。
それよりも、何故生誕祭で多くの時間を取るかについて僕が説明してあげるよ。それはやっぱり、幹部やその下に着く重臣同士で色々とやり取りがあるからに他ならないね。胡琉安様の歓心をどれだけ買う事が出来るか。一部の幹部連中とその腰巾着共は、その事に心を砕いていると言っても過言ではないんだよ。
例えば、重臣である鳥妖怪の娘が、胡琉安様の妻候補とか愛人になれるかどうかとかね」
「…………!」
あまりにも生々しく直截的な話題に源吾郎は声も出なかった。幹部陣がそれぞれ派閥争いを繰り広げているらしい事は折に触れて聞いていたが、まさかそこまで苛烈なものであるとは思っていなかったのだ。
源吾郎が茫洋と視線をさまよわせていると、萩尾丸はさもおかしそうに笑いつつ言い添えた。
「どうしたんだね島崎君。そんな事くらいで驚くなんて君も初心だなぁ……そうそう、胡琉安様だけじゃあなくて、島崎君にお近づきになりたいっていう女狐たちも今回の生誕祭に出席してくれるんじゃあないかな?」
一度言葉を区切ると、萩尾丸ははっきりと笑みを作って源吾郎を見つめた。
「あれ? 君って女の子にめっちゃ興味があると思ってたんだけど、あんまり嬉しそうじゃないね。どうしちゃったのさ」
「どうもこうもございませんよ……」
物静かな口調で呟きつつ、源吾郎は萩尾丸に視線を向ける。声色は優しげなのだが、皮肉めいたものがこもっている事を見落とすほど源吾郎は間抜けでもない。
「そりゃあ確かに女の子に興味があるのは事実です。ですけれど急にそんな事を言われても心の準備が整っていませんし……それに、僕の事を好きになってくれた娘が、ホップと上手くやっていけるかとか、そんな事も気になるのです」
「ああそうか」
源吾郎の主張を聞いていた萩尾丸は、納得したと言わんばかりに頷いた。青松丸はちょっと戸惑った様子を見せているが、その一方でサカイ先輩は納得した様子で源吾郎を眺めている。きっとサカイ先輩は心の隙間でも覗いたのだろう。
「島崎君が生誕祭に乗り気じゃあない理由が解ったよ。初めての事で戸惑っているのもあるだろうけれど、君が今面倒を見ている小鳥ちゃんの事とかで頭がいっぱいなんだね?」
「まぁ、そんな感じですね」
相も変わらず得意げに持論を展開する萩尾丸に対し、源吾郎は素直に頷いた。今先程ホップの事を自ら口にしたばかりであるし、ホップの事を色々と心配しているのも事実だからだ。
生誕祭が長時間行われているという事に対しても、ホップがらみの懸念は源吾郎の心中にあった。帰るのが遅くなって、夜遅くまでホップをほったらかしにしてしまうという意味合いで。
しかしそれを素直に口にするのも恥ずかしい。そんな事を源吾郎が思っていると、萩尾丸は少し間を置いてから言葉を続けた。
「ペット、もとい使い魔の小鳥ちゃんの事をそこまで気に掛けているとはねぇ……あれだね、叔母の桐谷君に似ているね」
萩尾丸の指摘に源吾郎は目を瞠った。萩尾丸を凝視しつつも、その脳裏には叔母のいちかの姿が浮かんでいた。
「そんな、大切な生誕祭の前に僕をからかうのは勘弁してくださいよ」
「別に僕は島崎君をからかっちゃあいないけどね。別に良いじゃないか。君はむしろ人間の祖父とか父親に似ているって言われるとへこむって聞いてるし」
相も変わらず萩尾丸の顔には笑みが浮かんでいる。源吾郎は深く息を吐いてから言い添えた。補足しておくが、源吾郎は叔母のいちかの事を疎んではいない。兄姉と異なり小姑めいた部分が強いと思う事はあるものの、叔母として一人の術者として彼女を慕っているのも事実である。
しかし、そんな叔母と自分が似ているという指摘を受け入れるか否かは別問題だった。
「そういう事を仰るのなら、せめて叔父上に、苅藻の叔父上に似ていると仰っていただければ嬉しかったんですが」
「君がそういうのは僕も想定していたよ」
源吾郎の申し出に対し、穏やかな調子で萩尾丸は返した。笑みが作り笑いに変貌している事を、源吾郎は幸か不幸か気付いてしまった。
「だけど島崎君、君はそんなに苅藻君に似ているって感じは受けないんだけどなぁ……何というか、苅藻君に較べて甘ちゃんだし。そういう意味で、いちか君に似ていると思ったんだけどねぇ。あと、むやみに従えた妖怪に肩入れしちゃうところとか」
源吾郎は本物の獣のように喉を鳴らしつつ萩尾丸を見やるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます