異形の小鳥が選ぶ先

「ねぇ島崎君。私が、トップとモップ、そしてそこのホップを可愛がっていた事は知ってるわよね?」

「うん、まぁ……」


 話の本題に入る前に投げかけられた問いに、源吾郎は頷いた。過去形であるところが気になるが、その疑問はグッと腹の奥に押しとどめる。


「トップは大きくてしっかり者でリーダー気質。モップは巻き毛の可愛いお調子者。それでホップは……二羽よりもちょっと小さくて、気弱だったのよ」

「そりゃあまぁ、俺だってホップが小さいのは解ってるよ」


 けだるげに語る千絵に対して、源吾郎は言葉を投げかけた。重苦しい話の流れを少しでも良い方向に変えたいと源吾郎は思っていたのだ。


「だってさ、ほんの十四、五グラムしかないんだよ? インコとか文鳥とか、他の小鳥に較べればうんと小さいよね」

「そんな、ホップが十四、五グラムあったの?」


 十姉妹としてのちっぽけさを思い知った事を伝えれば、千絵も落ち着くかもしれない。そんな意図で発せられた源吾郎の言葉は、むしろ千絵を驚きの渦に突き落とす事になってしまった。


「一番大きいトップでさえ、最近十四グラムになったところなのに……もともとホップはもっと小さかったのよ。やっと十二グラムになったとかそんなところで……やっぱり大きくなってるわね」


 千絵はキャリーケースの中のホップを見つめながら呟いた。ホップは羽繕いをしたり小さく啼いたりしているが、源吾郎が思っている以上に落ち着いている。

 ホップが大きくなったから、トップとモップが小さく見えたのか……興奮を見せないホップを眺めながら、源吾郎は静かに思った。十二グラムの十姉妹が十四、五グラムに増量したというのは相当な変化である。しかし肥り過ぎであるとかそういう事ではないはずだ。

 考えてみればホップは一時的と言えども外暮らしを行っていた身である。色々な物を食べて沢山運動もしたのだから、たくましくなるのも当然の流れだろう。


「……異変に気付いたのは確か先週の火曜日の事だったわ。講義が昼からだったからそれだけは覚えているの」


 千絵は伏し目がちに語り始める。十姉妹が甲高い声で啼き始めている。大声を出しているのはホップではなく別の二羽だった。トップもモップも緊張したように啼き交わし、そそくさとつぼ巣の中に隠れてしまった。


「最初は活発になって、ちょっと強気になったなって思っていたくらいなの。でもまぁみんなまだ若いし、大きくなるにつれて性格が変わる事もあるって聞いていたから、そんなもんだろうなって思っていたのよ。まぁ、弱気だったホップがトップやモップに負けないくらい強気になったり、鳥籠の外で遊ばせている時に、他の二羽よりも飛ぶ事が増えたって言う異変はあったけれど」


 千絵は決然とした様子で顔を上げた。リップを塗った唇が震えている。話す事を若干ためらっているような気配がうかがえた。


「恥ずかしい話だけど、部屋に一匹のハエが迷い込んでいたの。小豆くらいの大きさの、黒くてウンコにたかるような奴だったわ。あ、でも、別にたまたま部屋の換気をしている時に紛れ込んだだけだよ。別に、そんなハエが湧くような事なんて……」

「そりゃあ、ハエだって部屋に紛れ込む事もあると思うよ」


 どうやら千絵はハエが部屋にいた事を恥ずかしく思っていたらしい。美意識の高そうな彼女の事だから、ハエが部屋にいたという話を男子にする事自体が屈辱を感じていたのかもしれない。その割にはあっさりとウンコなどと言っていた気がするが、それはそれでツッコミを入れたらややこしい案件である。


「ハエなんて本当に厄介よ……トップたちに悪いから殺虫剤も使えないでしょ。けれどハエを見つけた時は、ちょうどトップもモップもホップも籠の外で遊ばせている最中だったから、窓を開けてハエを逃がすなんて事は出来なかったの。それこそ、そんな事をしちゃえば窓の外から逃げ出しちゃうでしょうし」


 逃げ出しちゃう、という部分をことさら強調し、千絵は力なく微笑んだ。


「どうしようかと飼い主である私が手をこまねいている時に動いたのが、他ならぬホップだったのね。信じられないと思うけれど、ホップは信じられない速さでハエの許に飛んで行って、そのまま足と嘴でハエを捕まえて喰い殺しちゃったの……残念ながらその時の写真も動画もないけれど、嘘なんかじゃないわ。私はこの目ではっきりと見たの」

「まぁまぁ落ち着いて、廣川部長。ホップがハエを捕まえて食べたという話、俺もちゃんと信じるよ」


 源吾郎はここで深呼吸をし、ある決断をした。源吾郎が外でホップを目撃した時の事を語る決心がついたのだ。


「廣川部長。俺は部長を驚かさないようにツブッターでは職場でホップを見つけたとだけ連絡したんだけどね。本当は、俺が見つけた時にはホップは蜥蜴を襲っていたんだよ」

「そ、そんな……」


 ホップの蜥蜴捕食の件は、やはり千絵にとっても衝撃的だったようだ。彼女は軽く手で頬を覆っている。ドラマのワンシーンのような光景だった。


「そんな事があってから、私はさり気なくホップの様子を見ていたの。トップとモップも異変に気付いたみたいで、ホップにちょっかいをかけなくなっていったわ。それどころか、ふたりともホップを怖がるようになっていたのよ。もしかしたら、私が留守にしている間に、ホップがトップたちに何かをしたのかもしれないわ」


 源吾郎は千絵の話す内容よりも、今となってはむしろその口調にこそ冷え冷えとしたものを感じていた。冷静な物言いとは言い難かったが、ホップを疎む気配はありありと伝わって来ていた。


「まさか廣川部長。それでホップを逃がしたとか――」


 違うわ。源吾郎の剣呑な言葉を正面から受け止めた千絵は、彼の問いを短い否定で遮った。彼女らしからぬヒステリックな声音で。


「ホップが変だって思い始めたのはほんとよ。だけど、ホップが逃げたのは……紛れもない事故に過ぎないの。ホップ自身が、逃げるきっかけを作ったのは事実だけど。

 島崎君。是非とも見てほしいものがあるわ」


 千絵はそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、部屋の隅に置いてあるものを手にした。それは明らかに鳥籠であった。但し中身は空である。

 ここを見て。源吾郎のすぐ傍に鳥籠を置くと、千絵は籠の一部を指差した。鳥籠の一部、金属製の檻の部分がひしゃげて変形していた。小型の鳥、それこそ十姉妹ならば難なく通り抜けられるほどのスペースが出来ていた。


「朝起きて窓を開けた途端に、ホップは開いた窓からそのまま飛び去ってしまったのよ。その時私は窓の傍にいたけれど、何もどうする事も出来なかったわ。外にいる雀とか鳩と同じ位のスピードで飛んで行っちゃったし、それにそもそも鳥籠にいるホップがそんな事をするなんて思ってなかったのよ。

 まさか鳥籠を閉め忘れていたのかなって思って確認したら、こんな事になってたの」

「これは……」


 変形した檻を見つめながら源吾郎も驚きの声をあげていた。ホップは何も語らないが、きっと鳥籠の檻を変形させ、自力で脱出したのだろう。論より証拠という言葉があるのは源吾郎も知っている。しかしそれでも驚きの念が勝るばかりだった。鳥籠は文字通り鳥を収容するための入れ物である。小さな十姉妹がどれだけ奮起しても変形するような代物では断じてない。現に源吾郎も檻に指を這わせているが、小鳥が出入りできるほどのひずみを作れるとは思えない。


「もう一度聞くわ。島崎君、ホップの面倒を見ている間、変な事は無かったかしら」

「無かった……と思うよ」


 千絵の問いかけに源吾郎は半ば戸惑いながら応じた。千絵がホップに対して変な眼差しを向けていた理由は既にはっきりとしている。源吾郎は今は千絵の態度ではなく、ホップの事に思いを馳せ、軽く当惑していた。


「まぁ本当に気になる所と言えば初対面同然の俺にホップがベタ馴れしちゃっていた事くらいかな。俺も詳しい事は知らなかったけれど、十姉妹って臆病な鳥らしいしさ。まぁちょっと元気一杯かなって感じはしたけれど、別に変だって思う事は無かったよ。何しろ元気な姿で廣川部長に戻さなきゃって思ってたし」


 源吾郎が言い切ると、待ち構えていたように千絵は深々とため息をついた。まつ毛を揺らしながら視線を上げると、きっぱりとした口調で彼女は言った。


「わざわざホップを連れてきてくれてありがとう。だけど今回は私の所に連れてこなくても良かったのよ」


 奇妙な言葉へのツッコミを入れる暇も与えずに、千絵は言葉を続けた。


「島崎君。ホップはちょっと変わったところがあるけれど、これからは島崎君が飼い主として面倒を見てあげて欲しいの」


 大人びた笑みを浮かべ、千絵はそんな事を言ってのけたのだ。源吾郎は愕然として千絵とホップを見較べる事しかできなかった。

 ウィンウィンの関係になると思わないかしら? 千絵は震える声音で源吾郎に畳みかける。戸惑いと、何故か微かな笑いを源吾郎は感じ取った。


「ホップを拾ってくれた時からずっと、島崎君はホップの事を連絡してくれたでしょ。私ね、島崎君がホップの事を気にかけていて、少しずつ自分で飼いたいって思い始めている事にも薄々気付いていたのよ。

 私としても、癒しを求めて十姉妹を飼ったのに、当の十姉妹の得体の知れなさにビクビクするのは困るのよ。だけど……」

「それ以上、ふざけた事は言わないでくれるかな」


 気付けば源吾郎は千絵の言葉を遮っていた。千絵はそれこそ豆鉄砲を喰らった鳩のようにきょとんとした表情を浮かべている。源吾郎の態度の変化を悟ったらしく、数瞬後には取り繕ったような笑みを見せた。


「ごめんなさい島崎君。ホップの怖さにオロオロして、変な事を口走っちゃったわ。そうよね、島崎君だってこんな得体の知れない鳥を押し付けられるなんて嫌よね?」

「俺が言いたいのはそんな事じゃないんだよっ!」


 源吾郎は今再び声を張り上げた。まさしく獣の咆哮に近い声音であったが、そこまで分析する冷静さは源吾郎には無かった。

 千絵の先の発言は、源吾郎をなだめる意図を持ち合わせていたのだろう。しかし源吾郎は、その発言に言いようのない憤りを感じるだけだった。千絵は確かに源吾郎の心情を慮っていたのだろう。しかし同時に、飼い鳥だったホップの境遇を一切無視した身勝手な発言でもあったのだ。


「今君がホップの事をどう思っているかはさておき、元々はホップは君の飼い鳥だったんだろう? そんな、ハエを捕まえたり鳥籠をするくらいが何だって言うのさ? そんな事くらいで得体が知れないとか飼いたくないなんて言うのは、余りにも身勝手だと思わないかい? そんな事じゃあ、ホップがかわいそうだよ」


 感情に任せておのれの考えを口にしていた源吾郎が我に返ったのは、すぐ傍で聞こえる十姉妹の啼き声だった。ホップは僅かに顔を上げ、源吾郎を見上げているようだった。顔を上げて千絵を見つめる。彼女の表情は複雑だった。激する源吾郎に怯えているようにも見えたが、その顔には困惑、羞恥、悔悟と言った様々な思いが浮かんでは消えている。

 改めて千絵と向き合う源吾郎の心中もまた複雑だった。憤怒に由来する激情は消え去り、後に残ったのは苦い後悔だけだった。こうして千絵に怒りをぶつける事など源吾郎は望んではいなかった。千絵の言うとおり、ホップを引き取る事は源吾郎が密かに抱いていた願望だったのだ。大人しく喜んでおけば良かったのではないか。

 しかしあれこれ考えてももう遅い。千絵のホップへの想いも、源吾郎の激昂ももう発露してしまったのだ。


「……ごめん。ホップの事でついカッとなっちゃって」


 良いのよ。千絵は力なく微笑んでいる。思っていた以上に怯えの色は薄い。むしろ憑き物が落ちたというようなさっぱりとした気配さえ見え隠れしている。


「そこまで島崎君がホップの事を思ってくれていると解って却って安心できたわ。偽善だとか何とか言われるかもしれないけれど、ホップの事、大切にしてあげてね」


 言われなくてもそうするよ。源吾郎は素っ気ない調子で応じた。

 果たしてホップはどういうつもりでいるのだろう……源吾郎はそっとキャリーケースの中を覗き込む。ホップはずっと源吾郎の方ばかり注目していて、元の飼い主の千絵の事など一顧だにしなかったのだった。


※めんだ:壊れたを意味する方言(作者註)

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