第六幕:祝い事背後に何が潜むやら

籠の鳥たちのたわむれ

「ピ、ピ、プイッ!」


 八月初旬の朝。今日も今日とて源吾郎はホップを籠から出し、部屋の中で遊ばせていた。ここ数日で源吾郎たちの生活にちょっとしたがあったのだが、朝と夕方の放鳥タイムは引き続き日課として行われていた。

 ホップは妖怪化していると言えど神経質な十姉妹だから、急な環境変化について行けるだろうか。源吾郎は密かに心配していたが、それは全くの杞憂だった。ホップは全く動揺せず、むしろ自然体に振舞っているくらいだった。源吾郎が見ている前で空元気を出しているだけではない事は、日々行っている体重測定の結果からも明らかである。小鳥は本能的に元気であるように装うというが、体重の増減まではごまかせない。

 実を言えば、変化に神経質になっていたのはむしろ源吾郎の方だったのかもしれない。ホップが新しい環境に馴染めるか、ホップがストレスを感じていないだろうか。数日間と言えども、その事ばかり気にかけている時期が源吾郎の中にはあったのだ。

 ホップは源吾郎が見ている前で気ままに遊んでいた。床の上をバウンドするように跳ねていたかと思うと翼を広げて飛び立ち、すぐ傍のバードスタンドや「別荘」である小さな巣に着地する。ホップは部屋の中をおのれが住む鳥籠同様安全な場所だと思っているらしかった。もしかすると、場所云々ではなく、源吾郎が傍にいるかどうかで安全性を確認しているのかもしれない。

 源吾郎はホップの様子を見、時々彼の遊びに付き合った。丸めたティッシュをホップの方に向けて転がしてみたり、手に乗ってきた時には軽く撫でてやったりした訳である。

 最近のホップは本当によく遊ぶようになった。特に好んで行うのは丸めた物を押したり引っ張ったり持ち上げたりする遊びだ。丸めた物のバリエーションも増えており、丸めたティッシュのみならず、源吾郎や他の妖狐の尻尾の抜けた綿毛を丸めた物などもある。妖怪化しているためなのか、ホップは妖狐の抜け毛を恐れず、フェルト上に丸まったそれを無邪気におもちゃだと思っているらしい。


「ピ! ピィ……」


 遊んでいたホップが一、二度啼くと、勢いよく飛び立った。彼は源吾郎を通り過ぎ、鳥籠の壁面に斜めにへばりつく。源吾郎の方を振り仰いでもう一度啼くと、ゆっくりと滑り降りて入り口付近に近付いて行った。


「ホップ、もう良いのか?」

「ププッ!」


 籠の中と源吾郎を交互に見つめるホップに、思わず源吾郎は問いかけていた。外で遊んでいるホップが、日中入っている鳥籠にへばりつくのは「部屋に戻る」という主張である事は源吾郎も知っていた。鳥籠の出入り口は閉じたままなので、源吾郎が開けてやらないとホップは入れないのだ。もっとも、そのまま源吾郎が放っておいたらそれこそ鳥籠の檻を曲げてしまう危険性もあるだろう。


「まだ遊んでていいんだぞ? 俺の事は気にしなくて大丈夫。出勤するまでに余裕はあるし」


 鳥籠に近付きながら、源吾郎は時計を一瞥した。ここ数日、ホップは朝の放鳥タイムの終わり際にもこうして「部屋に戻る」と主張するようになっていた。

 実は生活の変化に伴い源吾郎の通勤時間は大幅に短縮されていたのだが、ホップの朝の放鳥タイムが長くなったわけではない。ホップ自身が「部屋に戻る」と主張する時間は、前に源吾郎が彼を鳥籠に戻す時間とほとんど変わらなかったためだ。

 聞き分けが良いというべきか頑固と見做すべきなのか……思案に暮れていた源吾郎は、ふと仕事の予定の事を思い出した。今日はイベントがある日だ。イベント内容は雉鶏精一派の頭目に絡む事であるが、源吾郎もしっかり巻き込まれる運びである。源吾郎自身は平社員であるが、幹部の中でも大きな力を持つ紅藤の配下なのだからまぁ当然の事だろう。


「ピピッ、ピッ!」

 

 ホップはぼんやりと差し出された源吾郎の手のひらに乗っている。せかすように厚い指の皮を咥えるのも彼なりの自己主張だ。


「そうだなホップ。今日は忙しくなりそうだし俺もそろそろ支度するよ」


 言い聞かせながら、源吾郎はホップを籠の中に入れてやる。ホップは手の上で踏ん張り、未練なく止まり木の上に移動していた。小鳥らしいキレのある動きでもって、鳥籠の中を確認しているのを源吾郎は見届けた。



 身支度を終えた源吾郎はそのまま部屋の外に出た。半袖のカッターシャツにスラックス姿と、一応はサラリーマンとしての衣装で身を固めているものの、彼の歩みは何とも気軽でのんきな物だった。

 源吾郎とホップの生活の変化。それは端的に言えば引っ越しである。研究センターの居住区にある部屋の一つにて、源吾郎は現在寝起きするようにもなっていたのだ。

前に紅藤に持ち掛けられた時には聞き流していたにもかかわらず、数か月後の今になって何故居住区に住まう事になったのか。それもやはりホップの存在が大きかった。一人暮らしゆえに、家を空けている時はホップをひとりきりにしてしまう。ホップ自身はそう手のかかる存在ではないが、源吾郎が動けなくなったときなどの懸念があったため、ホップを研究センターの管理下に置くという決断を下したのだ。元々はホップを居住区に置いておいたら日中の部屋の温度管理も気にせずに済むと思っていたに過ぎないが、居住区に寝泊まりする方が源吾郎も何かと楽であると気付き、なし崩し的に居住区が「本宅」になりつつある次第である。

 ちなみに元々源吾郎が住んでいた安アパートの一室も、源吾郎は活用していくつもりである。ナンパの指南書やモテ男になるための書籍は向こうに置いているし、珠彦たちみたいな友達と部屋で遊ぶにしてもあっちの部屋の方が適しているためだ。



 居住区と研究センターは本当に歩いて数分の距離しかない。従って部屋である程度のんびりしたつもりであったのだが、それでも大分時間に余裕がある。

 源吾郎はだから、すぐには研究センターには入らず敷地の中をブラブラしていた。早い時間に研究センターに到着した時には敷地内をぶらつくのが最近の源吾郎の習慣の一つになっていた。深い意味はない。ただ身体を動かしていた方が楽しいのだ。

 時々工場で働いている妖怪や術者たちに見つかったりする事もあるが、源吾郎の行動は大目に見られていた。見つかると言っても向こうも仕事前でまったりしている所であるし、挨拶や会話をするくらいなので問題になるような事はそもそも何もないわけである。


「お、島崎君じゃないか」

「ああほんとだ、珍しいなぁ」

 

 今日もごくナチュラルに源吾郎の姿は他の妖怪に発見された。今回声をかけてきたのは二人組の妖狐だった。仕事モードに入りつつあるらしく、尻尾以外は人間の若者の姿と大差ない。工場勤務の際は尻尾を隠して窮屈な思いをしているのだろう。その反動なのか尻尾を伸ばし、振り子よろしく左右に振ったり上下運動させたりしている。一尾なので若い妖狐なのだろうが、服装と言い態度と言い源吾郎の声の掛け方と言いかなり仕事に慣れた気配を醸し出している。


「おはようございます、先輩方……」


 源吾郎の返した挨拶に妖狐たちは明るく微笑んでいた。工場で働く工員たちの名前と顔を、源吾郎はまだほとんど把握していない。従って名前が判らない時はと呼ぶようにしていた。嘘ではないし、向こうの工員たちも喜ぶのでチョイス的には良いのだろう。


「最近この辺をブラブラしているみたいだけどさ、何かあったの?」


 妖狐の一人、赤みの強い尻尾の持ち主が問いかける。こちらの挙動を知り抜いているような物言いであるが源吾郎は臆しなかった。自分が何かと注目されがちな事は心得ているからだ。

 近場に引っ越したんです。源吾郎はだから、問いかけに驚く事なく率直に返答が出来た。


「厳密には研究センターの居住区……ある意味社宅みたいなところですかね。元々はアパート住まいだったんで自転車で通勤してたんですが、小鳥を飼い始めたんで職場の近くに住むようにしたんです。何分小鳥なので、何かあっても大変ですし」


 源吾郎の説明を聞いていた妖狐たちは、何故か渋い表情を浮かべ、互いに顔を見合わせていた。

 源吾郎の方に視線を向けた時、彼らは腑に落ちないと言いたげに見えた。


「島崎君って本当にただ者じゃあないんだねぇ……小鳥を留守にするのが心配だからって、わざわざ雉仙女様のお傍に居を構えるって決めるには、中々のが必要だったんじゃあないのかい?」

 

 源吾郎は妖狐たちに軽く笑みを見せながら受け流しておいた。ただ者じゃない、勇気がある。この言葉が単純に源吾郎を褒めているだけではない事は源吾郎も見抜いていたためだ。

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