第一幹部は調停す
雉鶏精一派の第一幹部である峰白は、幹部会議が行われている会場に入り込んだ。その足取りも表情も、気負った所はひとかけらも無い。
思いがけぬ闖入者に誰も彼も度肝を抜かれていた。二人でにらみ合っていた紅藤と灰高さえも、一瞬彼女に視線を向けたくらいなのだから。
「紅藤の所の狐と雷園寺家の当主候補の話だからそんなにもめないと思ったけれど、そうでもなかったみたいね」
峰白は軽やかに紅藤たちの傍らに歩み寄る。彼女が緑樹の結界の内側にいるのか外側にいるのかは判らない。しかし紅藤や灰高が発する妖気の圧などは問題にならない、と言わんばかりの素振りだった。
いやそもそも妖気云々の問題を差し引いても、峰白の行動はとんでもないものだった。結界の内側にいて、紅藤たちの妖気に影響されないはずの八頭衆たちでさえも、固唾を呑んで成り行きを見守るほかなかったのだから。
峰白の視線が紅藤と灰高に向けられる。野良猫の喧嘩を観察した通行人のような表情を彼女は浮かべていた。
「紅藤。もしかしてそこの灰高と闘うつもりだったのかしら? 一人でやろうとするなんて水臭いわねぇ。それならそうと私に一声かければ良かったのに。
――可愛い妹の願いを聞き入れるのは姉の役目ですもの」
妹と姉。両者の関係性を示す言葉を口にしながら、峰白は紅藤に語り掛けていた。義妹である紅藤を気遣うというよりも、今のこの状況を愉しんでいるという気配の方が濃い。
「お、お姉様……違います。ちがうんです、わたし……」
たどたどしく言葉を紡ぎ、紅藤は俯いてしまった。大恐竜の幻影さえ浮かぶような爆発的な妖気を放っていたのが嘘のようだ。目の前にいる彼女は圧倒的な妖気を操る怪物でもなければ頭目の生母であり上位幹部として君臨する女傑でもない。ただただ途方に暮れた、いたいけな少女にしか見えなかった。
――もちろん、紅藤は少女などと言う歳ではない事は源吾郎も知っているが。
峰白は冷徹な眼差しで義妹の様子を観察していたが、すぐに視線を灰高にスライドさせた。
「峰白殿も参戦されるとなると面白い事になる……と言いたいところなのですがね。貴女を敵に回すと厄介な事は私も流石に存じております。流石に最盛期の妖力は無いでしょうが、貴女の最大の武器は妖力ではなくて冷静で明晰な頭脳ですからね。紅藤殿と二人がかりで襲撃されれば、いかに私でも無事では済まないでしょう」
「よーく解っているじゃない、灰高」
灰高の峰白に対する反応は、紅藤に挑発を送り続けていた時とはまるきり異なっていた。紅藤に対してはサシで勝負になっても負けないと言わんばかりの言動であったが、峰白には一目を置いているとでもいうのだろうか。
あるいは、峰白と紅藤が同時に襲い掛かってくる事を懸念しているのかもしれない。大妖怪に劣る妖力しか持たぬ峰白の事を大妖怪の灰高が恐れているという図は、考えてみればやや奇妙な点もあるにはある。しかし峰白の堂々とした態度を見ていると、それがまた当然の事のようにも思えた。
「でもちょっと残念ねぇ。私を前にしても翼をたたまず嘴を向ける程の気概があれば、私も私でひと暴れ出来たのに。ええ。最近平和すぎるから私もちょっとなまっている気がするのよ。妖力の増え具合もひところよりも遅くなってるしね。そんなだから、まぁ軽く運動でもできればと思ったんですけれど……」
峰白はそこまで言うと、紅藤をちらと見やった。
「そうだ紅藤。あんたはどうなのかしら? そこの鴉を私と一緒にぶちのめしたい? それとも私が殺るのを見とく?」
ぶちのめすとかやるという塩梅にオブラートに包んでいるが、要は生命のやり取りが絡む物騒な話だろうと源吾郎は思っていた。峰白は冷徹であるが烈しい気性も併せ持ち、歯向かう相手は文字通り首が飛ぶとも聞いている。今もきっと、峰白は殺る気満々なのだろうか。紅藤に敢えて聞いているという事は、紅藤の返答次第という事なのかもしれない。
紅藤は顔を上げ、首を振った。
「良いんですお姉様……私が少しうろたえただけですから。そんな、あんな事くらいで動揺したら駄目なのに……」
「そこまで気に病まなくて良いでしょ、紅藤」
峰白の落ち着いたその声には、呆れと優しさとどちらが含まれているのか源吾郎にはよく解らなかった。それに彼女は、既に灰高に視線を向けている。
「命拾いしたわね、灰高。紅藤の意見一つであんたは八頭衆のみならずこの世から退場させられていたかもしれないんだから……我が
「それは
峰白の言葉に対し、灰高は割と軽い調子で受け流す。
「峰白殿が妹君を大切にしているお陰で、仰る通り私も命拾いしたという事ですね。峰白殿。なまっているのは貴女だけではなく私にも当てはまりますし」
「ああ、やっぱり鴉って賢いわね。ああだこうだ言いつつも、本当は私が殺る気じゃない事は見抜いていたんじゃあなくて?」
ひょうひょうとした態度の灰高を見据えながら峰白は鼻を鳴らしていた。
「ええ。既に気付いていると思うけれど私個人としてはあんたを殺したく無いと思ってるわ」
――峰白様。若い頃殺しまくったとは聞いてましたけれどモロに殺すとか言ってしまってますやん
源吾郎は心中でツッコミを入れていた。多分雪羽とか八頭衆の面々とかも何も言わないがその辺りはツッコミを入れているだろう。
峰白はそんな源吾郎たちの心境など意に介さず言葉を続ける。
「今のこの状況で八頭衆の一人が欠けるのは雉鶏精一派にとっても大きな痛手になりますもの。これが第六幹部以下の若手ならばまだしも、あんたがいなくなるとなると……
喜びなさい灰高。この私にそう言わしめるほどにあんたは特別なのよ。外の情勢の動きに誰よりも敏感だし、組織をまとめる心得もある。それに何より私たちに臆せず意見が言えるんですからね」
灰高を見つめる峰白の顔には笑みが浮かんでいた。笑みと言っても、紅藤が日頃源吾郎たちに見せる笑みとも、萩尾丸が見せる笑みとも全く異なっていたけれど。要するに彼女の笑みは、権力者・女帝の笑みだった。
情も何も籠っていない峰白の笑みに対して、灰高も笑みでもって応じている。
「それはまぁ、私が利用価値のある手駒であるという事でしょうか? そこの義妹さえも利用できるか否かで判断しているようですし」
「ええもちろんよ。胡喜媚様の……あのお方の血を存続させる為ならば私は何だってやるわよ。利用できるものは利用して、敵対する者は潰すのみ」
「やはり安心しましたよ。今更あなた方に情愛がどうだのと言われても却って信用できないと思っていましたからね。
まぁそもそも、雉鶏精一派自体もあなた方のエゴによって生み出された組織そのものとも言えますからね。峰白殿は胡喜媚に抱いた愛情を実現させるため。紅藤殿は仙道の研究を進めるため。その二つの願望を叶えるためだけに、あなた方は組織を再興させたと私は思っておりますが?」
「エゴで動く事の何が悪いというのかしら?」
灰高のねちっこい質問に対して峰白は真正面から答えなかった。その代わりに質問を灰高にぶつけたのである。
「確かに組織運営に当たって自分のためにやっているという所はあるわよ。私も紅藤もね。だけど、それはあんたたちだって当てはまるでしょ? あんたたちがこうして雉鶏精一派の幹部の座に収まっているのだって、雉鶏精一派の恩恵に縋りたいというエゴでもって動いたとも言える。違うかしら」
雉鶏精一派を再興させたのは峰白と紅藤の願望を叶えるため。しかし後に構成員となった八頭衆も、何がしかの利己的な思惑によって今ここにいるのだ――峰白の主張はいささか身勝手ではある。しかしそれを聞いた面々は神妙な面持ちで頷いたり、互いに顔を見合わせたりしていた。
無論エゴによって雉鶏精一派に所属したというのは源吾郎にも当てはまる。彼自身、最強の妖怪になり世界征服を行う野望を持っているのだ。野望の途中で雉鶏精一派の幹部になるというイベントもあるだろうが、それも最終目的の通過点、良い方は悪いが踏み台のようなものとも言えるわけだし。
「エゴで動けると言い切れる潔さは羨ましい限りです。ですが内部の動きだけで満足していて外側の動きを蔑ろにしていたら、後々痛い目を見るのはあなた方ですよ」
灰高はそこまで言うと、笑みをふっと消した。今まで気付かなかったが、真顔の灰高は中々に凄味がある。
「ご存じかと思いますが、私は刑部狐の盟友として浜野宮家を率いておりました。今は浜野宮家当主ではありませんが、当時の繋がりを切り捨てたわけでもありません。峰白殿であれば、その意味はお解りですよね?」
「まぁ要するに、あんたやあんたの配下を害すれば、外部勢力が黙っていないという事よね」
灰高の言葉に応じる峰白は、少しばかり渋い表情を浮かべていた。おのれの組織に敵対する妖怪たちは潰すと覚悟している彼女であっても、他の勢力と相争うのは悪手だと思っているのだろう。
「外部勢力と雉鶏精一派との動きに意識を配ってくれるのも良いけれど、あんまり雉鶏精一派の内部をかき乱したりしないで欲しいのよ。まぁ、八頭怪の話を聞いて灰高も灰高なりにうろたえているんだろうという事はイメージできるけどね。
まぁ灰高。あんたも八頭衆の座に居座り続けたいのならば、あんまり妹をいじめないで欲しいのよ。紅藤は大抵の事は笑って受け流せるけれど、全ての言動がそうとは限らないから。今回の案件も、全くお咎めなしにする事も出来ないわよ」
かくして、紅藤と灰高が真正面からぶつかるのではないかと思われた幹部会議であったが、峰白の乱入のお陰でどうにか丸く収まったのだった。
もちろん灰高に対する懲罰を何にするかという議題はあるにはある。しかし皆一様に疲労困憊した様子を見せており、幹部会議はひとまずここでお開きになる気配が濃厚だ。
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