へばる妖狐は褒められる
なし崩し的に幹部会議は閉幕した。事を収めた峰白はそのままさっさと退出し、それが終わりの合図になったようなものだった。今までの司会進行は灰高だったのだが、流石に紅藤や峰白のやり取りを見られて気まずく思ったらしい。終わりの音頭を取ったのは萩尾丸だったのだ。
「最後になりますが、皆様を混乱させ多大なる迷惑をおかけした事をお詫び申し上げます」
皆が腰を浮かせ立ち上がろうとする直前に、紅藤はそう言って謝罪の意を示した。憤怒で妖気を放出させて皆を驚かせた事を、紅藤はかなり深刻に受け止めているらしい。しおらしい表情を見れば明白だった。
「そんな、こちらこそ何もお力添えできず申し訳ないですわ、伯母上様」
紅藤の謝罪に対して声を出して応じたのは紫苑だった。おば上、という言葉に源吾郎の脳裏に疑問符が浮かび、すぐに霧散した。確か彼女は胡琉安の従姉である。ならば彼女が紅藤をおばと呼ぶのはまぁ当然の話だろう。
伯母上様。紫苑はひたと紅藤を見つめている。その顔に浮かぶ笑みはまさしく友好的なものだった。
「紅藤の伯母様。今後何か厄介事があれば私に何なりとご相談くださいませ。伯母のピンチを助けるのは姪の役割ですもの」
「ありがとうね、紫苑ちゃん……」
紅藤は軽く目を瞠り、半ば感動した様子で紫苑に呼びかけていた。血縁的な親しみを好む彼女である。胡琉安の従姉でありおのれの姪とも呼べる紫苑の提案はさぞや嬉しいものなのだろう。
「だけどあなたも無理をしないでね。私への支援も、出来る範囲で大丈夫ですから。ああでも、もしかしたら姪にそんな風に気を遣わせちゃうなんて、叔母としては良くないかも知れないわね」
そんな事ありませんよ、伯母上様。紫苑の言葉に対し、紅藤は弱弱しく微笑んでいるようだった。先の会合のやり取りがまだ尾を引いているのかもしれなかった。
※
源吾郎は幹部会議がある会場をゆっくりと後にした。倒れそうなほどに疲弊している訳ではないが、両足両腕がやけに重たく感じた。疲れ切っている何よりの証拠らしい。
スタッフたちはまだ立ち働いていた。会場の後片付けというものは時間がかかるものなのか、そもそも幹部会議が思っていた以上に短時間だったのか。源吾郎には判断できなかった。
――これはとりあえず手伝わないと
ぼんやりとした頭の中でそう思うのがやっとだった。宮坂京子が架空の存在であると判明したと言えども、源吾郎がスタッフとして潜入したのはまごう事なき事実だ。であれば働くのが筋であろう、と。
ところが、源吾郎がふらふらとスタッフたちの傍に近付くと、年かさのスタッフが慌てた様子で彼の進路を阻むように立ちふさがった。
「君、第二幹部殿の配下で……玉藻御前の末裔である島崎源吾郎君だろう?」
「はい、そうです」
年長のスタッフは一度視線を泳がせると、源吾郎にはとりあえず休んでおくようにと告げたのだ。
「第六幹部殿の側近から事情は聞いているんだ。いやぁ、まさか我々も君が変化して紛れ込んでいるとは思わなかったよ……向こうも帰り支度まで少し時間がかかると仰っていたから、それまで休んでおくんだ」
かくして源吾郎は、そのスタッフに誘導され、これ見よがしに壁際に安置された椅子に座らされる運びとなったのである。
※
割と発言権のあるスタッフの命令と言えども、他の若手妖怪たちが働いている所で堂々と休めるような厚かましさを源吾郎は持ち合わせてはいなかった。
もちろんしんどい事には変わりない。しかし「こいつ働かずにサボってやがる」と同年代の妖怪たちに思われているのではないかと気が気ではなかった。現に、若手妖怪たちは働きつつも源吾郎の方をチラチラ見ていたのだから。面と向かって非難するような手合いはいない。しかしそれでも居心地が悪い事には違いなかった。
そう思っていると、若手妖怪の一人が近づいてきたではないか。源吾郎はそれまでだらりと座っていたのだが、疲れているなりに機敏な動きで居住まいを正した。近付いてきたのは金髪のセミロングを一本にまとめた女狐、バイトリーダーの米田さんだった。
「お疲れ様。今日は大変だったでしょ。色々あったけれど、島崎君が活躍してくれた事には感謝しているわ。ありがとうね」
「あ、う……」
愛想よい表情と声色で話しかけられたが、源吾郎は残念ながら間の抜けた応対しか行えなかった。疲れ切っていた事もあるが、スタッフの一人が、それも米田さんが接近してきた事にひどく驚いたのだ。
まぁとはいえ、気力体力が十全な状態であれば、もっとマトモな応対が出来たかもしれないが。
源吾郎の戸惑いぶりは米田さんもよく解ったのだろう。彼女は未だスタッフが立ち働く会場を一瞥してから源吾郎に視線を戻した。
「私の事は気にしなくて大丈夫。もうすぐあっちの仕事も終わるし、ちょっと島崎君の様子を見て欲しいってマネージャーから直々に言われたから……」
それにね。優しげな様子で米田さんが言い足す。
「今のあなたを見て、誰も不当にサボっているなんて言い出したりはしないわ。もしかしたら興奮して気を張っているのかもしれないけれど、今の島崎君は誰がどう見てもクッタクタに疲れ果てているってまるわかりだもの」
そういうと米田さんは何処からともなく鏡を取り出した。女子がメイク直しに使うような、長方形のコンパクトな手鏡だ。それを見た源吾郎は潰れた蛙のような声をあげていた。まるきり彼女の言うとおりだった。
源吾郎は深い呼吸を繰り返しながら彼女にかける言葉を練り上げていた。青ざめたゾンビみたいな感じになったおのれの顔を鏡越しに見た源吾郎は、何故か落ち着きを取り戻していたのだ。
「……申し訳ないです、米田さん」
冷静になった源吾郎の口からまず出てきたのは謝罪の言葉だった。不思議そうに首をかしげる米田さんを見つつ、言葉を続ける。
「僕は宮坂京子という存在しない狐娘に変化して、米田さんを……他の皆を欺いていたんです。もしかしたら、米田さんも俺の本性を知って嫌な思いをなさったのではありませんか?」
言いながら顔が熱くなるのを源吾郎は感じていた。米田さんは昼休憩の折などに自分の確保した料理を分けてくれたりと親切にしてくれた。しかしそれは薄幸な狐娘であると思ったからだろう。宮坂京子として動いていた時、源吾郎はナチュラルに女子として振舞い、女子の傍で動いてはいた。だが中身は島崎源吾郎という男である。その真相を知ってキモいと評した妖狐の女子たちも多かった。キモいと言われた事は確かにショックではあるが、まぁ彼女らの気持ちも解らなくもない。
要するに、今こうして源吾郎の世話を命じられている米田さんも、内心では源吾郎を「めっちゃキモいわこいつ」と思っているだろうと考えていたのだ。
「別に気にしなくて良いのよ」
ところが米田さんは軽く笑いながら首を振った。
「私も詳しい事は知らないけれど、島崎君も上からの命令で表立って出席する代わりにスタッフに紛れ込んでいたんでしょ? 上の命令に逆らえないのは、ある意味勤め
「……宮坂京子として働いている間、米田さんは俺に親切にしてくださりましたが、それはやっぱり俺が見た目通りの普通の女の子だと思ってたからですよね。もし……もし俺が変化していると知ってたら……」
「今になって思えば、島崎君ってかなり変化上手だったわね」
口ごもる源吾郎を眺めながら米田さんは呟く。
「宮坂さんとして働いていた時の様子も見てたけど、まさか変化していたなんて私も気付かなかったわ。まぁ、あんまり他の子と喋らないようにとか気を付けていたんでしょうけれど、ごくごく普通の女の子って感じだったもの。
多分、今回の雷園寺君の騒動が無ければ、誰にも疑われずに演じ切る事は出来たんじゃないかって思うわ。自信をもって良いのよ島崎君。演ずる事の才能は他の妖狐たちよりも抜きんでてるんですから」
「ありがとうございます……」
米田さんははっきりとした返答を口にはしなかった。しかし源吾郎の卓越した演技力が並ではない事、雪羽のグラスタワー事件というイレギュラーが無ければ本性が露呈しなかったであろう事を示唆してくれた。何事もなく生誕祭が終わっていれば宮坂京子の本性も疑われる事なかっただろう、という話である。
それを聞いて源吾郎は安堵していた。過大評価かもしれないが、米田さんは少女に化身していた源吾郎の事をキモいと思っている訳ではないと考えていた。他のスタッフだった妖狐の女子たちよりも幾分オトナな米田さんにまでキモいと思われていたら、割と真剣に凹むところだったかもしれないためだ。
「本当に大した演技力だったわ。私も途中までは宮坂さんの正体に気付かなかったもの」
「途中まで、ですか?」
源吾郎が尋ねると、米田さんは小さく頷いた。
「実はね、術を使って私たちを助けてくれた時に気付いたの」
そうだったんですね……源吾郎は目を瞠った。宮坂京子の正体は、雪羽の叔父である三國には見抜かれていた。しかしまさか米田さんまで気付いていたとは。となると、三國が宮坂京子にあれこれ話を投げかけていた時、米田さんは宮坂京子の正体を知ったうえで助け舟を出してくれていたという事になる。
妙な感慨に耽る源吾郎に対し、米田さんは静かに付け加えた。
「ほら、私って元々は術者の補佐がメインの仕事でしょ。それで、フリーの術者をやっている苅藻さんやいちかさんとも一緒に働いた事があるの。それで妖気の質とか匂いとかが似てたから気付いたって感じかな」
「あ、そういう事だったんですね」
叔父や叔母と面識があるのならばそりゃあ確かにピンとくるのも当然の流れだと源吾郎は思った。変化術こそは自分とは異なる存在を維持し続けていたが、術で使った妖気の隠蔽までは意識が回らなかった。またあの時、術を使う反動で汗だくになった上に鼻血まで出した始末である。妖気と血の臭い。どの妖怪か特定するには十分すぎる材料が揃っている。苅藻といちかを知っている米田さんならば、宮坂京子が誰だったのか知るのは容易い事だったという話だ。
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