ドキドキ!(意味深)可愛いアイドル

 研究センター事務所。源吾郎は自身のデスクの上でだらしなく突っ伏していた。

 ちなみにあと数分で昼休憩が終わるという時間帯である。しかし今日に限って言えば、昼休憩の時間は全くもって休憩と呼べる代物ではなかった。その原因は、源吾郎が突っ伏する鼻先にどっしりと鎮座している。


「ピ、ピュ、プイッ!」


 軽やかな啼き声を耳にした源吾郎は、けだるけに目を開き、眼球だけを動かして声の主を見やった。新品の鳥籠の中、十姉妹じゅうしまつのホップは餌をつつきながらさえずっていた。餌であるアワやキビの粒を摘まむたびに頭を上下させ、雀のそれに似た嘴をせわしなく動かしているのが見える。小鳥なので顔だけで表情を確認するのは難しい。しかしホップが今とても楽しいと思っている事は源吾郎にはしっかりと伝わっていた。源吾郎を恐れる素振りを見せぬホップを観察し、源吾郎は深々とため息をついた。任務を遂行した安堵感と、ホップに対して抱いた微妙な感情が心の中で複雑に絡み合っていた。

 ホップが今こうして美味しいアワやキビをつつき、広々とした鳥籠で落ち着いていられるのはひとえに源吾郎が奮起したからだ。


 昼休憩になると同時に、源吾郎は研究センターを飛び出してママチャリで手近なホームセンターに向かった。ペットコーナーの店員に訳を話し、一時的とはいえ十姉妹を飼育するために必要な物品を一式買いそろえたのだ。懐が突発的な大寒波に見舞われるのも気にせずに、そのまま研究センターに戻り、現在に至るという事である。

 十姉妹のために買い出しに行って戻る。言葉にすれば何という事は無いが、源吾郎にしてみればかなりの重労働だった事もまた事実である。手近と言ってもホームセンターは職場から数キロ離れていた。普段ならばどうという事もないのだろうが、時間内に戻らなければという焦りが疲労として源吾郎にのしかかったのかもしれない。

 とはいえ疲労を源吾郎がはっきりと感じたのは、仮の器にと水槽に入れられていたホップが、鳥籠の中でペレットそっちのけで皮付き餌をつついていたのを見届けた直後の事だった。

 鳥籠等の飼育用グッズを一式用意した源吾郎だったが、実は餌は二種類購入していた。千絵が使っていたペレットと、昔ながらの配合飼料である。当初餌はペレットだけ購入すれば良いだろうと思っていたのだが、店員がアワやキビなどの種子が配合された、文鳥・十姉妹用の皮つき餌をしきりに勧めるので、渋々購入した次第である。

 だがホップが喜んでついばんだのはペレットではなくて皮付き餌の方だった。ペレットにはもはや見向きもしない。源吾郎がつまんでホップに渡しても、一、二度嘴で咬んだかと思ったらすぐにポロリと落とすのだ。今は皮付き餌とペレットを同じ餌入れに半分ずつ混ぜて入れているのだが、明らかに皮付き餌を狙ってついばんでいた。

 保護した十姉妹が元気に餌を食べているという光景は、本来ならば素直に喜ぶべきものなのだろう。しかし彼にとってなじみのあるペレットではなく、それよりも格段に安価な皮付き餌をつつく所を見ていた源吾郎の心境は複雑なものだった。

 皮付き餌よりも栄養バランスの良いとされるペレットは千絵がわざわざホップたちの健康を考えて与えていた物である事を源吾郎は知っていたからだ。千絵の許に送り届けた時に、彼女が用意しているペレットを食べなくなったとあれば、それはそれで申し訳が立たないとも思っていた。


「おや島崎君、君の可愛いが上機嫌でいるというのに、君は随分と辛気臭そうな表情だねぇ」


 含みのある声が頭上から降ってくる。源吾郎はぎょっとして居住まいを正した。もしかしなくても声の主は萩尾丸だった。源吾郎と十姉妹入りの鳥籠を見つめるその顔には明らかに笑みが浮かんでいた。

 源吾郎も横目で十姉妹をちらと確認してから萩尾丸を見つめ返す。餌をつついていたホップは、ただならぬ気配を萩尾丸から感じたのか、餌をつつくのをやめ、動きを止める。心なしか身体が細くなっていた。


「こいつは僕の弟なんかじゃあないですよ」

「しかし島崎君。その十姉妹は君のではないんだろう? 紅藤様もオスの若鳥だと仰っていたし」


 源吾郎は渋い表情で萩尾丸を見つめ返すのがやっとだった。萩尾丸の言っている事は嘘ではない。だが源吾郎が論点としている所とは大いに外れていた。いやわざと外していると言うべきであろう。

 そういう問題ではありません。源吾郎は一言一句はっきりと発音した。


「ホップはあくまでも僕の知り合いの飼い鳥なんです。何らかの理由で逃げたのを保護したに過ぎないんですから。ですから、僕の飼い鳥でもないですし、ましてや弟だなんて……」

「ホップ君だっけ、それにしては大分島崎君に懐いているみたいだけどなぁ。十姉妹ってそんなに人懐っこい鳥だったっけ?」


 萩尾丸の素朴さを装った問いかけに源吾郎は言葉を詰まらせた。ホップの、源吾郎に対する異常な懐っこさはむろん彼も気付いていた。ホップは源吾郎を全く恐れなかった。それどころか水槽から鳥籠に移そうとおっかなびっくり入れた源吾郎の手に飛び乗り、手のひらの僅かなくぼみに柔らかな腹を押し付けてきたくらいである。何も事情を知らぬ者から見れば、源吾郎こそがホップの真の飼い主であると思ってもおかしくない程の振る舞いを、ホップは行ってのけたのだ。


「十姉妹は用心深くて臆病な性格だってお店の人は言っていました」


 源吾郎はぼんやりとした眼差しをホップに向けた。ホップは翼の手入れをせわしない様子で進め、その場で羽ばたいていた。


「……何故ホップがあそこまで僕に懐いているのか、正直言って解らないのです。ですがそんなに僕に懐いてくれるのなら、用意したペレットを食べてほしいとも思うんですよ……食べる物が変わったら戸惑うだろうと思ってわざわざ用意したのに、当のホップはペレットよりも安い餌の方に飛びついちゃうなんて」


 鳥籠から視線を逸らし、源吾郎はうっそりと笑った。愚痴めいた繰り言を口にしてしまったが、それを気に掛けるような心の余裕は源吾郎には無かった。


「そんな事言わなくて良いじゃないの、島崎君」


 源吾郎の発言をたしなめたのは、萩尾丸ではなくて紅藤だった。彼女の瞳には相変わらず慈愛の光が宿っていたが、その声はあくまでも毅然としていた。眼差しは小さな十姉妹に、声は源吾郎に向けて放っていたのである。


「相手はちっぽけな小鳥なのよ。安価でも何でも、食べるべき物を食べて元気にしているという事をひとまず喜んであげないと……何も食べられないで衰弱して膨らんでいるよりも、大分マシだと思わないかしら?」


 紅藤に問いかけられたものの、源吾郎は黙ったままだった。深刻な表情の師範に、源吾郎はただただたじろいでしまったのだ。問いに応じない末弟子を紅藤は糾弾しなかった。


「……いくら私と言えども、弱って死に逝く運命にあるものを救う事は出来ないのですから。いいえ違うわね。私にできる事なんて、あなた達が思っている以上に限られているのよ」


 紅藤様……源吾郎はここでようやく声が出た。おのれが放った愚痴から、話がとんでもない所に飛躍し始めている。助けを求めるように萩尾丸に視線を向けたが、目を逸らされてしまった。源吾郎はため息をつきたい気分になっていた。

 紅藤は日頃、活発で快活とは少し違うものの明るく朗らかな雰囲気を源吾郎たちに見せている。しかし何かの拍子に、こうして昏い表情と言動が文字通り顔を覗かせるのだ。別に彼女が何かをするわけではない。だが源吾郎などには窺い知れぬ何かを抱えているという事実が表出するたびに、源吾郎は情けない小動物のように恐れおののくしかできない。源吾郎はだから、紅藤にはいつも明るく朗らかでいて欲しいと思っていた。

 何とも言えない空気が漂う中、ホップだけがマイペースに動き回っている。やはり彼の喉や胸が小さく波打ち、啼き声が上がる。ちょこまかと動くホップの姿を見た紅藤の表情が、柔らかく朗らかに和らいだ。


「安心して大丈夫よ島崎君。ホップちゃんの事は島崎君が買い出しに行っている間に勝手に調べておきましたが、全くもって健康そのものですからね」

「ありがとうございます、紅藤様」


 源吾郎の顔にも安堵の表情が広がる。紅藤は多くを語っていないが、調査の結果ホップが健康そのものという言葉を源吾郎は素直に受け止めていた。それは源吾郎が紅藤の能力や知識に全幅の信頼を寄せているという事実の裏返しでもある。


「まぁ、健康で元気が一番って事だね島崎君。小鳥にしろ、仔狐にしろ」


 ずっと黙っていた萩尾丸がここで口を開いた。彼の視線は源吾郎とホップの間で何度も往復している。


「紅藤様の言うとおり、ひとまず君はそこの十姉妹君が元気はつらつなのをもっと喜ぶべきだと僕も思うよ」


 一度ここで言葉を切ると、萩尾丸は笑みを源吾郎に向けた。


「島崎君、妖怪であろうと妖怪でなかろうと、自分以外の生物が完全に自分の思い通りになるなんて事はんだよ? まさか島崎君、その事を知らなかったとか?」


 源吾郎の反応などをお構いなしに、萩尾丸は言葉を続けた。


「まぁ、自分に当てはめて考えてみたまえ狐のお坊ちゃま。君は生まれてから今日に至るまで、親兄姉のあらゆる期待に――」

「解りましたよ萩尾丸先輩!」


 半ば萩尾丸の言葉を遮るかたちで源吾郎は声を出した。放っておけば嬉々として話を続けるであろう。萩尾丸は嫌がらずに口を閉ざした。炎上トークを好む萩尾丸であるが、こういう時は不思議と行儀よく(?)振舞ってくれるのだ。


「自分以外の生物は、身内であっても子供であっても完全には思い通りにならない。それが自然の摂理ですよ」


 ダメ押しとばかりに源吾郎は言い添える。十姉妹のホップの振る舞いに少し落胆していた源吾郎であるが、萩尾丸の主張が純然たる正論であると今は受け入れつつあった。それは彼の指摘通り、わが身に置き換えればすぐに解る話だった。源吾郎は誰かの思い通りになるような生き方を歩んできたわけではない。彼は彼なりにおのれの生き方を定め、それに向かって進んでいる最中だ。、大妖怪である紅藤に弟子入りし、彼女の許で大妖怪になるべく研鑽を積んでいるのだから。


「よしよし。君も段々と上に立つ者の心構えが出来てきたんじゃあないかね。そう言う気持ちがあるのなら、使い魔を迎えてもまぁトラブルも少ないだろうね……」


 思案顔の萩尾丸は、何かを思い出したと言わんばかりの表情で源吾郎を見やった。


「そう言えば、島崎君って最近使い魔がどうとかそういう話をしなくなったねぇ? 僕が焚き付けた、いやアドバイスをしてすぐの時なんか、妙に焦ってどうしようかって考えていたみたいだけど」

「――使い魔を確保するよりもやるべき事はありますからね」


 唐突な話題の転換に多少の戸惑いを覚えた源吾郎だったが、実のところそこまでうろたえたわけでもない。萩尾丸は紅藤のように昏い部分を見せる事もないためだ。それに年長者は考える事が多いから、話があちこちに飛ぶものだとも源吾郎は密かに思っていた。


「それに以前先輩も仰っていたじゃあないですか。妖怪として生きる以上、あれこれと焦って動く必要は無いと」


 使い魔。その言葉から源吾郎は珠彦の姿をぼんやりと思い浮かべていた。僕、島崎君の使い魔になっても良いっすよ。前に会った時珠彦は笑いながらそんな事を言ってのけたのだ。萩尾丸に言わされたのか珠彦の本心なのか或いはからかわれただけなのか。発言の意図は不明である。ともあれ源吾郎は唐突な珠彦の提案に驚き、それを拒絶した。源吾郎は珠彦の事を友達だと思っている。使い魔としての関係は存外自由度の高いものであるが、友達だと思っている相手とそういう関係を結ぶのは不健全だと反射的に考えたのだ。

 そんな直近の出来事を源吾郎は思い出していたがついぞ口にはしなかった。

 それもそうだね。萩尾丸のあっさりとした返答に源吾郎は半ば安心していた。


「いずれにせよ、そこの小鳥ちゃんに慕われているみたいで良かったじゃないか。君にも、特に何かした訳でなくともこうして親愛の情を向ける生物がいるという証明が出来てさ」

「そりゃあまぁ、生き物に慕われるのは良い事だと思いますよ。ですが先程も申し上げました通り、ホップは僕の鳥ではなくて友達の鳥なのです。あくまでも僕とホップは、数日間一緒にいるだけに過ぎません」


 源吾郎はそっとホップを見やった。ひとまずホップの住と食を確保した源吾郎であるが、まだまだ行わねばならない事がある。千絵に連絡を入れればならないし、交番にも小鳥を拾ったと届け出なければならないのだ。


「これはまた随分と人間らしい事を考えているんだね、島崎君」


 驚いたような声音で呟いた萩尾丸だったが、源吾郎と目が合うと微笑んだ。皮肉の色が見えない、妙に優しげな笑みだった。


「いや、君の考えと行動に僕らは口出しはしないよ。その小鳥の問題は、君と小鳥の飼い主と小鳥の問題なんだからさ」



 午後の中休み。源吾郎はデスクのホップを見つめながら、千絵のSNSにメッセージを送っていた。実は買い出しの段階で、千絵が自身のSNSに十姉妹の飼育状況をアップしている事は知っていた。彼女はご丁寧にも十姉妹たちに与えていたペレットの銘柄も記載していた。小鳥用のペレットもよく見れば幾つも銘柄があったので、その情報はありがたいものだった。

 そして案の定、SNSには十姉妹の一羽が逃亡したという記載も発見できた。日付によると先週の金曜日の事らしい。書き込みの内容からしても、やはり源吾郎が保護している十姉妹こそが彼女のホップであろう。

 しかし、逃亡を記した文言には引っかかるものを感じていた。

『飼ってた十姉妹の一羽が逃げちゃった(困った表情の顔文字)……勝手に鳥籠から出ていたみたい。目的があるみたいに飛んで行っちゃったけれど、探した方が良いのかな』


――何故だ? 生唾を飲み込みつつ、源吾郎は千絵の短い書き込みを凝視していた。飼い鳥の逃亡を驚く意図は伝わってくるのだが、逃げた事が悲しいとか、すぐにどうにかしなくてはという気概が、文面からは伝わってこないのだ。

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