使い魔を前に決意を新たにす

 朝。居住区内の一室に戻っていた源吾郎は、やけに整った電子音で目を覚ました。数秒ほどしてインターホンの音だと気付いた。源吾郎が今「本宅」としている研究センターの居住区は、外観も内装も小ぢんまりとしたアパートにほぼ近い。従って鍵も掛ける事が出来るし、外部からの連絡手段としてインターホンもあるという事だ。

 源吾郎はそこから更に数秒ほどぼんやりとしていたが、犬のように頭を振るとそのままドアの出入り口に向かい、鍵を開けた。一人暮らしの若者の動きとしてはいささか不用心であるが、場所が場所なので無問題だ。居住区にも紅藤の護りの術がかけられているらしいし、そもそも関係者でもないのにこんなところにやって来る物好きもそうそういない。

 というよりも、紅藤が来訪したのだろうと源吾郎は思った。時間は朝の九時をとうに回っている。休日だからどうという事は無い。しかし明日はへばってホップの面倒が見れないかもしれないなどと言う繰り言を帰りの道中でこぼしてしまったのだ。源吾郎と紅藤たちは別々に帰った形になるが、源吾郎を送った妖狐の男が、この事を萩尾丸に報告したとしても何もおかしくない。


「おはよう、島崎君」

「おはよう、ございます……」


 ドアを開けた先にいた訪問者を見て源吾郎は目を瞬かせた。予想に反し、やって来たのは紅藤ではなく青松丸だったのだ。


「昨夜は大変だったでしょ。大丈夫かな?」

「は、はい一応……」


 爽やかに微笑む青松丸に対して、源吾郎も笑みを返した。一応大丈夫と言ってみたものの、その言葉が本当なのかどうか源吾郎には判らなかった。起き上がって話が出来ているのだから大丈夫であるともいえる。しかしまだ頭がぼんやりとしていてあんまりやる気が出てこない。寝起きだからなのか、昨日の今日で疲れ切っているからなのか、やはり判らなかった。

 源吾郎の使い魔・ホップの面倒を見にきたのだと青松丸は説明してくれた。


「本当は母様が、ああいや紅藤様が来ても良かったんだけどね。若い男の子の部屋に紅藤様が上がり込むのもアレだろうって事で代わりに僕が来たんだ」

「お気遣いありがとうございます」


 青松丸の追加説明に対して源吾郎は即座に礼を述べていた。実は源吾郎の脳裏に紅藤が部屋に来訪する姿が浮かんでいたのだ。青松丸の言う通り、紅藤が来たとなると源吾郎は結構緊張するだろう。こちらの本宅にはやましい書籍は無いと言えども、それとこれとはまた別の話である。


「それにしても、思っていたよりも元気そうで安心したよ。萩尾丸さんによると、雷園寺君はまだずっと寝てるみたいだからさ。島崎君もしんどいんじゃないかなって」

「僕はあいつとは違いますよ」


 あいつ、という言葉に鋭さを込め、源吾郎は鼻を鳴らした。青松丸や萩尾丸にしてみれば、源吾郎と雷園寺雪羽はほぼ同格の存在らしい。それが源吾郎には気に喰わなかった。寝起きで、まだ疲れが残っているからイライラしているだけかもしれないが。


「あいつ……雷園寺の野郎は夜行性だから、朝に弱いんじゃあありませんか。しかも乱痴気騒ぎを起こすほどしこたま呑んでたんで二日酔いにもなってそうですし」


 源吾郎の脳裏には、二日酔いでへばる雪羽の姿がおぼろに浮かんだ。イメージしたその姿は小生意気な少年の姿ではなく大きな猫のような本来の姿の方だった。雪羽は好きでも嫌いでもないが……フワフワした猫のような獣が苦しんでいるのかと思うと少しだけテンションが下がった。源吾郎は猫のような生物が好きなのだ。

 そんな事をぼぅっと考えていると、青松丸がややわざとらしく高い声を上げた。


「そろそろホップ君の面倒を見ようと思うんだけど、僕はどうしたら良いかな?」



「ピュイッ、ピィッ、プ、プッポポッ」


 源吾郎や青松を見るや、ホップは機敏な動きでもって方向転換をし、そのまま止まり木から離陸して鳥籠の壁面にへばりついた。

 ホップはいつも通り元気そうだ。変わった所はない、と言いたいところだったがあるじである源吾郎はホップの動きがいつもと違う事に気付いてしまった。いつも以上に動きがすばしっこいというか、落ち着きがない。新鮮な餌や水を早くくれと言わんばかりの態度だった。あるいはもしかすると、外に出してほしいという主張なのかもしれないが。

 結局のところ、餌と水の交換は青松丸に行ってもらう事にした。やはり源吾郎も十全な状態とは言い難く、ホップの世話はお任せしたほうがよさそうだと判断したためである。何しろ、いつもは可愛く聞こえるホップの声が、今日はやけに頭蓋に響くのだから。


「誰だっていつでも元気一杯という訳には行かないよね。そういう時は、気負わず身近な人に頼っても大丈夫なんだよ」


 青松丸は鳥籠の前で丸まって作業をしていたが、言葉を紡ぐときにはわざわざ首を曲げて源吾郎の方を向いていた。源吾郎は頬を火照らせながらも頷いた。誰かに頼る事。それは源吾郎には馴染み深く、それ故に鬱陶しくも感じる事柄だった。末っ子気質故に誰かに甘えて頼る事には抵抗は薄い。しかし甘えて頼ってばかりとは思われたくない……一見すると相反する感情なのだが、それが源吾郎の中では矛盾なく共存しているのだ。


「……君、島崎君」


 青松丸の静かな呼びかけに源吾郎ははっとした。ホップを外に出して遊ばせるべきか否かと、青松丸は問いかけてきていた。ホップは数十分ほど籠の外で遊ばせる事になった。いつもホップが籠の外に出れるのは朝と夕方の短い間だけだ。朝の放鳥タイムは餌と水の交換というイベントと抱き合わせになっている。

 今日は掃除の時間がいつもより遅くなってしまったが、ホップも外で遊べるならば文句は言わないだろう。


「ピ、ピピピィ!」


 籠から放たれたホップは小さな喉を膨らませて啼いたかと思うと、一直線に源吾郎の許に飛んできた。身体が小さいためか翼を翻す回数が多いためか、羽ばたきの音は小鳥というよりむしろセミやハチの羽ばたきの音に似ていた。

 ホップは源吾郎の何処に着陸しようかと悩んでいた。源吾郎が見かねて両手でお椀の形を作るとそこにすっぽりと収まった。ホールインワンのごとき見事な収まりぶりである。


「どうしたんだ、ホップ。いつもは探検ばっかりするのに、真っ先に俺の手の中に入って来るなんて」

「ピ、プイー」


 戯れに源吾郎が声をかけると、ホップも啼いた。源吾郎の言葉を聞いて、彼なりに何かを主張したのだ。

 源吾郎はしばらく手の中に納まったホップを観察した。嘴で指の内側の部分をつついたり甘噛みしたりしているが、飛び立つ気配はない。指を近づけて頭や頬を撫でてもなすがままだった。


「やっぱり、ホップ君は島崎君の事が好きみたいだね」


 いつの間にか青松丸は源吾郎の方を向いていた。ついでに言えば少し源吾郎たちに近付いてもいる。


「僕が掃除をして新しい餌や水を用意したらホップ君は確かに喜んでいたよ。だけど、今の二人を見ていると、島崎君はホップ君に心底信頼されてるんだなって思ったよ」

「そう、ですね……」


 青松丸の話を聞いていた源吾郎は、今一度ホップに視線を戻した。先程まで撫でられて目を細めていたホップであるが、今は丸く目を見開いて首を伸ばしている。相変わらず十五グラムと軽くて小さいが、手の平に収まっているものがそんなにちっぽけなものだとは思えなかった。

――俺、今以上に強くならないとな。


 源吾郎は今以上に強くなる事を密かに決意した。強くなりたいと思っている事そのものはいつもの事だ。しかし、おのれの為ではなくのために強くなりたいと思ったのは今回が初めてかもしれない。

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九尾の末裔なので最強を目指します【第二部】 斑猫 @hanmyou

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