九尾の能力

「おー、やっぱり島崎君って強いんだな。幻術でもあんな力を発揮するなんて」

「相変わらず容赦がないからちょっと怖いかも」

「俺ぁそんなに島崎君の事怖いとは思わんけどなぁ。ほらさ、何か詰めが甘くね? 今だって、フミっちの狐を根絶やしにしようと思ったのに、自分の狼も消し炭にしちゃってるし」

「まー確かに島崎君って間抜けかもしれんなぁ。カッコつけた時の中二病度合いと同じ位にさ」


 源吾郎と文明ふみあきが呟きを終え、それぞれ頬を火照らせながら戦況を見守っていると、ギャラリーたる若手妖怪たちの数名が思った事を口にしていた。萩尾丸の部下にして文明の同僚に相当する彼らは、主に源吾郎の技の事について言及している。

 中には源吾郎の術を称賛する声もあるにはあったがむしろそれは少数派だった。彼らはやはり、源吾郎の迂闊さや未熟さをあげつらっていた。

 連休前の一件で、萩尾丸の部下たちと多少は打ち解けたと源吾郎は思っていた。だがやはり、彼らの源吾郎に向ける評価は中々に手厳しい。人間の血も多分に引く源吾郎と異なり、彼らが純血の妖怪であるからなのかもしれない。もしかすると、純血ながらも庶民狐庶民狸ゆえに、相手が混血と言えども妖狐界の大貴族であるという僻みもあるのだろう。源吾郎はそのように解釈していた。


「うーむ。俺が思っていたのと大分違うみたいだね、島崎君」


 前足でひげや顎を撫でながら文明が呟いた。彼の淡い黄金色の毛は、耳毛の先から尻尾の毛の先まで何故か逆立っている。


「僕さ、ボスから島崎君は妖力も多くて変化術の名手だって聞いていたんだよ? だから実はあのドラゴンに火焔放射されたときにはもう終わりかなって思ったんだけど……みんなが言うように詰めが甘いなぁ。ま、それで俺にもまだ勝機が残されてるって事でラッキーな話なんだがな」


 詰めが甘い。源吾郎はぎょっとして会場のドラゴンを見やった。金の鱗と銀色の羽毛を持つドラゴンの頭や後足は、何となく狐のそれに変化していた。だが今はその事をあれこれと気にする余裕はない。

 ドラゴンの攻撃が終わった直後、チビ狐たちの残りは五、六匹だけだった。しかし今は攻撃を受けていないのにひとりでに狐たちは増殖し、今再び数十匹の軍勢になっていた。

 毛を逆立てた文明の全身から、一定の濃度を保った妖気が放出されているのを源吾郎は目撃した。濃密な妖気は湯気のように揺らぎ、若い獣の香りが仄かに漂う。獣の香りと言っても悪臭であると思わなかったのは、源吾郎もまた妖狐の血を引いているからであろう。文明の闘志や意気込みを内包した、爽やかさと荒々しさを併せ持つ香りだった。


「さーて、ここからが俺にとっても君にとっても正念場だろうねッ!」


 文明の声とともに、陽炎のごとき妖気がチビ狐たちに降り注いだ。チビ狐たちの三分の一は既にドラゴンに取り付き、その羽毛をむしったり翼を引っ張ったりして相手の動きを封じようと奮起している。一方のドラゴンはチビ狐を振り払おうと身をゆすり頭を激しく振り彼なりに応戦しているが……ある種の決定打となった焔を吐く素振りは無い。

 それもこれも、ある意味あるじである源吾郎自身の考えが大いに関係していた。別に源吾郎の妖力の消耗度合いから考えれば、一度と言わず二度、三度ばかりは火焔を吐き出すほどの力は残ってはいる。

 しかし他ならぬ源吾郎自身が、ドラゴンが火焔を吐くには数分のインターバルがいると思い込んでしまっていた。これは図書館で借りた書物や源吾郎自身の考えが組み合わさってできた発想である。皮肉にも勉強を深めたからこそ、源吾郎とその幻影は隘路に追いやられていたのだ。

 そうこうしている間にも文明は着々と準備を進めているらしかった。ドラゴンに取り付いていたチビ狐が、ふいにドラゴンたちから離れ、仲間の許へと集結していく。彼らが手にしていた羽毛が中空を舞う。白銀の、表面が虹色の光沢に覆われた羽毛が浮かぶさまは中々に幻想的だった。

 しかし、集まったチビ狐たちが見せる様相は、その幻想を打ち砕くほどに奇怪で、いっそ悪夢的なものだった。文明のチビ狐たちは、最初に切り刻まれて細切れになり、それにより増殖していった。今はその逆の事が繰り広げられていたのだ。要するに、何十匹もいたチビ狐たちが一か所に集結し、互いに融合し、一匹の個体に戻ろうとしていたのだ。

 文明も苦労しているのだろう。彼はもはや源吾郎などは眼中になく、融合していくチビ狐たちだけを見つめていた。黄金色のチビ狐は粘土や液体のように他の個体とくっつきあっているが、粘土細工のようにすぐにはなじまず、頭部や手足が複数個見え隠れしている。それらもゆっくりと他の部分と馴染み、少しずつ大きな狐になっていくという様相だ。

 金色のドラゴンはそれを見つめていたが、耳を伏せ首を垂れて情けない様子で後ずさっている。奇妙な融合の状況を見て、源吾郎のテンションが下がったのを如実に表していた。

 そうこうしているうちに、文明のチビ狐は一匹の狐に集結してしまった。かなり大きい。源吾郎が顕現させたドラゴンもまぁまぁ大きい。仔牛や仔馬程の大きさはあるだろう。しかし文明の完全に融合した狐も、今やそのドラゴンに迫るほどのサイズに変貌していた。しかも直立し、鎧兜に身を包み刀剣をしっかと握っている。完全武装だった。恐らくは、ドラゴンが反撃したらまた分裂するのかもしれない。


「よっしゃ、これでタイマン勝負……だぜ」


 源吾郎に視線を向けながら、文明は口許を歪めた。白い牙の覗く口許からはだらりと舌が垂れ、見開かれた両眼の白目は妙に充血していた。

――本気で繰り出すつもりだ!

 文明の意図を察した源吾郎は、すぐに視線を文明から外した。幻術を万全のコンディションに仕立てた文明が、ここから仕掛けてくるのは明白な話だ。源吾郎はだから、ドラゴンと侍狐に視線を向け、次なる動きを読まねばならなかった。源吾郎の手札はもはや羽毛をむしられたドラゴンだけなのだ。慢心し、虚を突かれればたちまちにして負けてしまうだろう。

 ところが、文明の狐は動き出さなかった。それどころか幻影の様子がおかしい。初めは目の錯覚かと思った。質の悪い画像にノイズが入るがごとく、狐の輪郭がブレたように見えたのだ。

 目の錯覚ではなかった。完全武装した狐の幻影は数秒を待たずして輪郭を保てなくなったのである。呆然とするドラゴンと源吾郎を置き去りにして、そのまま輪郭が揺らぎ、ぼやけ、儚く消えてしまった。


「…………」


 源吾郎はドラゴンを見ていた。多少白銀の狐の特徴が色濃くなっているが、彼は消える気配はない。すぐ隣で荒い息遣いが耳に入り込んでくる。


「はぁ……、途中まで追い詰めた、と思ったんだけどな……」


 源吾郎はゆっくりと首を動かした。言葉と言葉の間で喘ぎながら文明は呟いていた。逆立っていた毛並みはぺたりと寝ており、ついでに耳も半分伏せていた。

 源吾郎と目が合うと、彼はにたりと笑った。少年らしからぬ、諦念と悔恨の滲む笑みである。


「ははっ。詰めが甘いのは俺も同じだったみたいだよ……まさか、ここからが正念場っていう所で、妖力……が尽きるなんてな……」


 自嘲気味に言ってのける文明を、源吾郎は戸惑いながら見つめ返していた。彼の妖気が大分と目減りしている事に気付いたためだ。そのような事に注目せずとも、文明が熱がる犬のように舌を垂らし、毛皮の下にある肌が青白くなっている所からも彼が疲れ切っているのは明らかである。



 会場から少し離れた敷地内のベンチに、源吾郎と文明は腰を下ろしていた。元々萩尾丸の部下たちは戦闘訓練が終われば文明もろとも仕事場に戻る予定だったのだが、妖力を消耗した文明が落ち着くまでしばし待機となったのである。

 ちなみに今回、源吾郎の方はそれほど消耗も疲労もない。従って休む必要はないのだが、文明の様子が心配だったので仲良くベンチに腰かけていたのだ。戦闘時は闘志をむき出しにしていた源吾郎であるが、その後に相手が体調を崩したとなればやはり寝覚めが悪い。


「二人ともお疲れ様」

 

 ベンチにゆっくりと近付いてきたのは萩尾丸だった。彼は先程まで紅藤や青松丸と何か話し込んでいたが、彼らとの打ち合わせも終わったらしい。文明の周りに集まっていた同僚たちは、萩尾丸を見ると居住まいを正した。余談だが源吾郎に話しかけてきたのは二尾の妖狐の姿に戻った珠彦と、小休止する文明くらいである。


「豊田君も大丈夫かな?」

「はい、もう本部に戻れますよ」


 同僚たる若手妖怪に囲まれつつ、文明は上司の問いによどみなく答えた。相変わらず狐本来の姿のままだが、手渡されたおしぼりを肉球の目立つ前足で器用に丸めている。つい先程まで、おっさんみたいな声をあげて顔や首周りをぬぐっていたのだ。毛皮に覆われていると言えど、クールダウンし気分を持ち直すのに冷えたおしぼりは有効だったようだ。


「心配させてしまいましたか、ボス」


 萩尾丸に気付いた文明が、ちょっと畏まった様子で問いかけている。チャラ男と言えども彼もいっぱしの社会妖しゃかいじんだったのだ。


「まぁ、少しはね」


 萩尾丸は淡々とした様子で応じる。とはいえ、普段のひょうひょうとした態度は若干なりを潜めていた。


「心配しているというよりも予想外だなって思っただけだよ」


 言い終えると、萩尾丸の視線は文明から逸れて、源吾郎、珠彦と順繰りに移動した。


「まだ二回目だから確証を得るには少し弱いけれど……戦闘訓練に入ったたちが、普段以上にガチになるってところが気になっただけさ。

 野柴君はまぁ普段から元気一杯だからまだ解らなくもなかったのだけど、豊田君も中々に頑張りを見せてくれたからね、いつもと違って」


 何やら部下を慮っているのかと思ったが、萩尾丸はやはり萩尾丸だった。しんみりとした文言の中にも炎上できそうな内容を差し挟むあたりがさすがである。

 ちなみに文明はムッとした様子は見せず、ただ気まずそうに俯いて肉球を眺めるだけだった。


「それって、もしかして……」


 おずおずと口を開いたのは源吾郎だった。萩尾丸の部下たち、少年少女と呼べる年齢の妖狐や化け狸らの視線に気づいたからだ。


「僕自身に、その何がしかの能力でもあるって事ですかね? 接した相手の、やる気とかに作用するような能力とかが……」

「島崎君にそんな力があるのかどうか、僕には解らないっす」


 源吾郎の疑問にまず応じたのは珠彦だった。前足で頬のあたりを撫で、ついで尖った鼻先を触ったりしている。どうだろうなぁ……文明も首を傾げるのみだった。

 萩尾丸はそんな妖狐二人の様子と源吾郎とを交互に眺めながら口を開いた。


「別に、島崎君自身には兄君の一人のように誰かの心を操る能力は無いだろうと、経験を積んだ一妖怪としては思うけどね。島崎君の事だ。そんな能力を持っていたとしたら、すぐに有効活用しようと画策するのではないかな?」


 確かにそうかもしれないな。口には出さなかったが源吾郎は素直にそう思った。源吾郎自身は相当な野心家であり、おのれの大望を叶えるべく今でもあれやこれやと奮起している。使える能力の手数は多い方が良いと思っているし、新たに使える能力は、それこそ萩尾丸の言うように有効活用しようと考えるであろう。

 そんな事を考えていると、萩尾丸は言葉を続けていた。


「だから、野柴君や豊田君は自分の意志でギリギリまで自分を追い込んで島崎君に挑んだって事だろうね。何、島崎君は確かに玉藻御前の末裔ではあるけれど、あのお方が持っていたような不可思議な力にて野柴君たちを操った訳ではないから安心したまえ。

 ただ何というか……普通の妖怪である君らの闘志を掻き立てるような何かがあるのは事実だろうね。人間の血が濃い癖に妖怪としての能力が高いとかね。

 それ以上に……態度とか言動とかも大きく影響しているのかもしれないと僕は思うね」


 くれぐれも気を付けるように。萩尾丸は主語をぼかした一文で締めくくると、含みのある笑みを皆に向けたのだった。

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