傍若無人は命取り――狐のダシは何が出る

 雷園寺雪羽に下された再教育という処遇は、ある意味妥当なものかもしれない。源吾郎はぼんやりとそんな事を思った。不祥事に対する処遇は謹慎処分や罰金、状況によっては禁錮や極刑も存在している。

 源吾郎は悪事を働くヒトの心理や、それをどう更生させるかなどについては詳しくない。しかし禁錮や罰金と言った懲罰では案外効果が薄いのかもしれないと思う時もあるにはある。

 一方で再教育はどうだろう。指導内容が適切であれば善い市民として生まれ変わる事は出来るのではなかろうか。よく考えれば雪羽は妖怪としてはかなり若い。下手をすれば萩尾丸の部下である珠彦や文明たちよりも年下かもしれない。そう思えば、きちんとした指導者の許で教育を受ければまともになる可能性だって十二分にあるだろう。


「萩尾丸さん。雪羽の再教育って誰が行うんですか」


 再教育の件についていの一番に質問を出したのは三國だった。保護者であるから雪羽がどのような扱いを受けるのか気になるのは当然の事だろう。その声や態度には、何故か緊張の色がひしひしと滲んでいた。


「雪羽君の教育についてはさほど心配しなくても大丈夫だよ三國君。もちろんこの僕が手ずから行うつもりだからさ。ふふふ、何処の馬の骨とも解らぬ妖怪に教育を委託するよりは安心できるだろう」

俺には不安なんですよ!」


 三國はたまらず吠えていた。但し、灰高や紅藤に吠え付いた時とは異なり、わずかな怯えの色が見え隠れしている。


「萩尾丸さん。あなたは部下たちに陰で『存在自体がパワハラだ』なんて言われているのをご存じないんですか? まぁ確かに、俺も若い頃はあなたに色々と教育指導していただいたのは事実ですが……だからこそ不安でもあるんですよ」

「存在自体がパワハラというのならば、それは萩尾丸さんだけではなく私たちに等しく当てはまる事ではないでしょうか。普通の妖怪たちには、大妖怪と呼ばれる存在はプレッシャーになるのですから」

 

 存在自体がパワハラ。文字通りのパワーワードに面食らっていた源吾郎だったが、八頭衆はそうでもなかったらしい。灰高などは諭すような口調で反論している。他の妖怪たちも納得していると言わんばかりに頷きあっているし。


「それにね三國さん。萩尾丸は組織を運営しているけれど結構ホワイトだと思うわ。だってもここ六十年くらいゼロパーセントを更新中ですもの」


 事もなげに言ってのける紅藤を前に、若手妖怪の表情が引きつる。パワハラだとかホワイトだとかの基準として殉職を挙げた所に闇の深さを感じた。しかし突っ込んで聞くのは恐ろしい案件でもある。その考えは源吾郎のみならず、八頭衆である三國や双睛鳥も同じだったのだろう。

 殉職という単語により微妙な空気が流れ始めたが、萩尾丸がその流れを変えてくれた。


「ははは、三國君。君も中々可愛い所があるじゃないか。そう言えば君も若かった頃はおイタが多かったねぇ。涙を呑んで君をしつけた日々は今でも覚えているよ……

 だけど安心したまえ三國君。雪羽君は在りし日の君によく似てはいるが、君と違う所もある事は僕も解っているよ。育ちとか、気質とかがね。だから君に対してしつけた程には厳しくはしないつもりさ。雪羽君がマズいからね」


 萩尾丸はうっすらと微笑み、三國は唇を噛んでいた。萩尾丸の笑みもそらぞらしく、いっそ酷薄な気配さえあった。お坊ちゃま育ちな雪羽にある程度は配慮するが、配慮したうえで厳しく教育するという事だろうなと源吾郎は思った。

 萩尾丸は優秀であるし、相対する存在に対して色々と容赦しない事は源吾郎もよく心得ていた。


「そんな顔をしなくても良いだろう、三國君。曲がりなりにも君は雪羽君の保護者じゃないか。そんな風にして不安がっていれば、可愛い甥っ子も心配するだけに過ぎないよ?」

「しかし――」

「別に僕は、雪羽君をいじめたくて言ってるんじゃないよ。よく考えてごらん。今のうちに彼を外部できちんと教育するのは彼の為でもあるんだよ」


 三國の反駁を抑え込み、萩尾丸は声高に言い放つ。敬っている兄弟子の言葉であったが、実は源吾郎もやや懐疑的ではあった。あなたの為と言いながら行われる年長者の振る舞いは、実は自己満足に根差したものである事が往々にして存在するのを源吾郎は知っている。


「今はまだ変にじゃれたりするような他愛のない悪さかもしれないけれど、あのまま放っておいたら取り返しのつかない事になるかもしれないんだよ? それこそ、野良の女妖怪と交尾でもして隠し仔をあちこちに設けるかもしれないし」


 雪羽はともかくとしてこの言葉に三國も何も言えなかったらしい。喉がゴロゴロと動く程度である。それにしても、後妻の仔によってごたごたが生じたと知りつつも、隠し仔という具体例を挙げる萩尾丸の胆力は尋常ではない。

 とはいえ、雪羽のような少年であっても生物学的な意味での父親になれる事はまごう事なき事実でもある。妖怪は大人と見做されるまでには百年以上の歳月はかかる。しかしそのうんと前に思春期を迎えるわけであり、そうなればオスの妖怪は繁殖が可能になる訳だ。

 極端な話、齢十八の源吾郎も相手さえいれば仔を設ける事は物理的に可能という事だ――その相手を見つけ出すのが大変なのだけれど。


「か、隠し仔は厄介な話だな……おい雪羽。まさかそんなのが二、三匹もいるとかそんなんじゃないだろうな」

「大丈夫だって。俺もは気を付けてるし」


 叔父というよりも小姑めいた口調で三國は問いかけ、雪羽は少し口をとがらせながら応じていた。やっぱり女と遊び呆けてるんだなこいつ。源吾郎はじっとりとした眼差しを雪羽に向けていた。隠し仔云々の話で近親者がうろたえるという事は、そういう可能性がある事の第一の証拠ではないか。源吾郎にも色々な噂が出来しているが、隠し仔の話は出てこない。そこがまぁ、雪羽と源吾郎との違いともいえるだろう。


「それにだね雪羽君。実を言えば今日だって君はかなり危なかったんだよ」


 わかってたかな? まるで教育テレビに出てくるナントカのお兄さんみたいな物言いで、萩尾丸は雪羽に問いかけている。

 あからさまに小馬鹿にした萩尾丸の態度に、雪羽は鼻を鳴らしながら応じた。


「あれだろう。グラスタワーの崩落に巻き込まれるとか、そんな事を心配だったって事だろ。だけどあれは――」

「はいブー。不正解でっす」


 自信たっぷりに答えようとする雪羽の言葉を萩尾丸は軽い調子で遮った。どこかで見たような光景だと、源吾郎は反射的に思った。


「君ほどの妖力があれば、君が作ったしょっぼいグラスタワーの崩落に巻き込まれたとてタンコブが三つ四つ出来たくらいで済むんじゃないかな。

 それよりも雪羽君。君は知らないと言えども変化していた島崎君に絡んだだろう。島崎君は仕事中という事もあって君に何もしなかったけれど、もし彼が逆上して襲い掛かってきてたなら、死んでたかもしれないよ?」


 相変わらずナントカのお兄さんでも気取っているのか、萩尾丸の口調は軽かった。しかし軽い口調とは裏腹に言っている事自体は大変な話である。雪羽は既に大人を小馬鹿にしたような表情を浮かべてなどいなかった。

 萩尾丸はそんな雪羽たちの様子に満足げな笑みを浮かべ、真面目な表情になった。


「はっきり言っておくけれど、妖力の保有量や瞬間的な出力の烈しさ、どちらも島崎君は雪羽君を上回っているんだよ。実際に島崎君が術を使う所や僕の部下である若手妖怪たちと闘う所も見たから断言できる。彼はその気になれば、雑魚妖怪が一度に十匹くらい襲い掛かって来ても、それらを全て返り討ちにして皆殺しにする事くらい訳ないんだ」


――いやいや萩尾丸先輩。それはいくら何でも話し盛り過ぎじゃないですか。

 真剣に、或いは澄ました表情で言ってのける萩尾丸に対して、源吾郎は静かにツッコミを入れていた。

 源吾郎が萩尾丸の部下と戦闘訓練とか鍛錬に励んでいるのは事実だ。妖怪としては極めて若いにも関わらず、豊富な妖力に恵まれている事もまた事実である。しかし絡んできた雪羽を襲撃して殺すだとか、雑魚妖怪たちを返り討ちにできるという話は源吾郎を困惑させた。もちろんその気になれば源吾郎には出来る事なのかもしれない。しかしその気になる事は多分訪れないだろう。

 というか萩尾丸がここまで源吾郎の能力の高さを評価するのは初耳だ。日頃訓練の時は術の制御度合いが粗いだの動体視力や身体的スペックは純血の妖怪に劣るだの、要はダメ出しばかり寄越していたのだ。そこまで俺を高く評価しているのならば、日頃からそういうお声がけをしてくださいよ……源吾郎は心の中で呟いていた。まぁもしかすると、所かまわずおイタを敢行する雪羽を脅すためだけに、話を盛っただけかもしれないけれど。


「まぁそんな訳で、あんまり好き勝手やってると早死にするかもしれないって事だね。だけど、僕の許で再教育を受ければそういう不安とはおさらばできるという事さ。

 一応は僕の保護下に入る訳でもあるから、妖怪を殺したいって言う欲求に囚われた変態術者に捕まって玩具にされる事も無いだろうしね」

「それにしても萩尾丸さん」


 萩尾丸の主張が終わったところで口を開いたのは三國だった。


「雪羽に教育が必要な事は解りました。ですが場合によっては雪羽さえ殺しかねない物騒な狐を、よくぞまぁ野放しの状態でウロウロさせてくれましたね」

「いやまぁ別に島崎君は野放しなんかじゃあないさ」


 始終笑みを絶やさぬ萩尾丸の視線は、一瞬源吾郎に向けられた。


「確かに島崎君はスペック的に物騒だし、普通の妖怪たちの脅威になり得る存在だよ。だけど何処かの誰かと違ってうちの狐は教育が上手く行ってるからね。むやみやたらと誰かを襲撃したり殺したりする事は無いんだよ。

 本当は、紅藤様が彼を迎え入れた時に僕が色々と躾を入れないといけないかなって思ってたんだ。何せ九尾の末裔で野心家だからね。だけど僕にもさほど反抗せずお行儀よくしてくれるから、何というか物足りな、いやこっちとしても問題は少なくて安心しているんだ」


 言うて萩尾丸先輩は俺の教育にあんまり関与してないじゃないですか。しかも俺が反抗しない事を物足りないって言いかけてましたし……ニコニコとしている萩尾丸に不穏さと不気味さを感じつつ、源吾郎は心中でツッコミを入れまくっていた。

 もちろん、空気を読んで実際に口には出さなかった。

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