第45話 囚われの王子、解放される。

 巨大な戦斧を持った辺境伯と、黒い覆面でマントを翻す男の二人が馬車の進路に大岩のように立ちふさがった。

「ルシアン様は渡さぬ!」

 見事としかいえない辺境伯の戦斧の一閃で馬車の車体が砕かれ、覆面の男がなおも動き続ける車輪を長剣で切り刻む。

 破壊された馬車から、中に納められていた黒い棺が勢いで宙に飛んだ。

「危ないっ!」

 地面に叩きつけられる前に、紫色に光る蜘蛛の網と黄緑色に光るツタが棺を受け止めた。その魔力光の色から、どうやら網はジュリオの魔法。


「馬鹿野郎ども! お前らは、どうして後先考えずに突っ走るんだ! いつもいつも尻ぬぐいする俺の苦労を考えろって言ってるだろ!」

 ツタの魔法の元を見ると覆面をしたもう一人の男が怒鳴っていた。辺境伯と長剣の男を馬鹿と呼ぶ魔術師の正体は不明。

「あー、すまん。すまん。体が勝手に動いた」

 長剣を肩で担いだ男の軽い声には聞き覚えがあった。金褐色の短髪に堂々とした体躯。翻るマントが、父の特徴をこれ以上にないくらいに示している。

「…………ち、父上?」

「元気そうだな、ジュディット。先ほどは素晴らしい騎士の戦いを見せてもらった」

「挨拶は後です!」

 軽すぎる言葉に脱力しそうになりつつも、私は棺へと走り寄る。硬い木で出来た黒い棺には、しっかりと鍵が掛けられた上に黒い鎖で縛られていた。


「ジュディット様、触れてはいけません! 魔法による仕掛けがあるかもしれません!」

 ジュリオの叫びで伸ばした手を止める。一方でツタ魔法を行使していた魔術師が両手をかざして何かを探っていた。

「……しっかり呪いの魔法が掛かってるぞ。……鎖には絶対に触れるなよ」

 見にくいと呟いて覆面を剥ぎ捨て、魔術師はあちこちに手をかざす。茶色の髪に茶色の瞳の中年。細身には見えても、腰に下げた長剣と身のこなしは騎士に通じるものがある。父と辺境伯の友人なのだろうか。

「ここだ! ここに呪いの核がある! 誰か解呪が得意な者はいるかっ?」

 魔術師の指さす場所をジュリオがのぞき込む。

「これは……開封者が指定されています……解呪には時間が必要です」

「そうか。解呪より浄化が早そうだな。お嬢さん、さっきの白い剣でバッサリここを斬ってくれ」

 魔術師が呼びかけたのが私と気が付くまで瞬き数回の時間が掛かった。

「は、はいっ」

 剣を呼び出し、示された箇所を斬ると棺を縛り付けていた鎖がすべて消滅した。


「よし、開けていいぞ」

 辺境伯の指示で騎士数名がかりで慎重に棺の蓋を開くと、黒い絹製のクッションの中、赤い文字や模様が記された黒布で目隠しをされ、手足を同様の布で縛られた王子が横たわっていた。王子の胸はゆっくりと上下していて、生きているとわかってほっとする。

「かーっ! 厄介だな! この布も勿論呪符ってことだ! お嬢さん、もう一度出番だ!」

 頭を抱えるようにして短い髪をかきむしり、魔術師が私に指示をする。

「いいか。この部分だけを真ん中から斬ってくれ。集中が必要だ! 他の者は少し下がれ! 上からでも下からでも構わん。とにかくこの模様が真っ二つになればいい」

 赤い模様は小指の爪程度の大きさで右のこめかみに近い場所にある。表から斬ろうとして、万が一にも王子の顔に傷がついたらと、ためらいの心が生まれてしまった。迷う心では剣は正しく扱えない。一呼吸で心を鎮め、王子の肌を傷つけないようにと慎重に剣の切っ先を布との間へ滑り込ませた。

「こちらの模様で間違いありませんね?」

「ああ。間違いない」

 浄化を祈ると、輝いた剣を動かすまでもなく赤い模様が割れ、布から離れて宙へと浮かぶ。見る間に布に描かれたすべての模様が黒い煙を上げて消え去っていった。

「こりゃすげーな。中央神殿の神官以上の神力だ」

「この布を外してもかまいませんか?」

 魔術師の頷きを確認して、私は王子の目を覆っていた黒布に手を掛ける。布を外すと穏やかな表情が憐れた。これが騎士仲間なら、頬を叩いて起こしているだろう。黒い棺の中で眠る王子は金色の精霊のようで神々しい。


「王子、どうか目覚めて下さい」

 ひやりとした王子の頬に指先が触れると、祈るような言葉が口から零れた。無事であって欲しいという願いは女神に通じたのか、王子の目がゆっくりと開く。

「ジュディット? これは夢かな?」

 ほんの少し離れていただけなのに、普段の柔らかな口調がとても懐かしい気がして肩の力が抜けていく。

「お体に異常はありませんか?」

「ああ。大丈夫だよ」

 良かった。ただただ安堵の気持ちが溢れていく。手首を拘束する布を解こうと手を伸ばす前に、手首と足の布がするりと解けた。

「あ、外してたんだ。いつでも動けるようにと思って」

 その言葉で、王子がわざと敵に捕まったのだと察して、頭に血が上る。

「……何故、自ら罠へと乗り込むのですか! 何かがあるというのなら、先に言っておいてください! 私が信用できないのですか!」

 いつでも命を奪われる可能性はあった。王子なら呪符を無効化することもできたかもしれなくても、気を失った状態で正体不明の敵に身体を預けることは危険過ぎる。せめて一言相談してくれていたのなら。

「……ごめん、ジュディット。信用していないんじゃない。僕は君を護りたいだけだったんだ」

 半身を起こした王子に抱きしめられて、少し頭が冷えてきた。王子を裏切ろうとしている私が、信用して欲しいなどと言える立場ではなかったという後ろめたさを今更感じる。抱きしめる力が緩み、王子が周囲を見回すとティエリーの声が背後から聞こえてきた。

「もしよろしければ、こちらをお使い下さい」

「ありがとう。少し借りるよ」

 王子はティエリーから上着を受け取り、私の肩に掛けた。何故と考えて、自分が舞姫の衣装のままだったことを思い出し、慌てて上着の前を両手で合わせる。


 王子が立ち上がると、辺境伯と辺境伯の騎士たちが全員地面に片膝を付いて、右手を胸に当てていた。

「ルシアン様、ご無事でなによりでございます。此度の落ち度はすべて私の責任。如何様な罰も受ける所存でございます」

 頭を低くした姿勢は、首を刎ねられてもいいという従順の意思を示している。

「モンドンヴィル卿、後程この城で何が起きていたのか話を聞かせてもらおう。……今は皆の尽力に感謝する」

 静寂の中、凛々しい王子の声は隅々まで響き渡り、辺境伯と騎士たちは首を垂れた。成人したばかりだというのに、圧倒的な王族の威厳を感じる。王子に肩を抱かれていなければ、私自身も跪きたいと思うほど。


 夜会は続けて良いと辺境伯に指示した後、ティエリーとジュリオに先導され、王子と私は滞在している部屋へと戻った。

「ジュディット、少し話がある」

 そう言って私の肩を抱いたまま寝室へと入った途端、口を引き結んだ王子は私からティエリーの上着を剥ぐように取り去り、壁際に掛けられていた自らの上着を持って来た。

「お酒飲んで暑いからって上着脱ぐんじゃなかったー」

 ため息交じりで上着を私の肩に掛ける王子の行動の意味がさっぱり理解できなくて、首を傾げそうになって慌てて止める。眉尻を下げ、しょんぼりとした金色の子犬が可愛い。

「ジュディット。助けてくれてありがとう」

「私一人の力ではありません。〝華嵐の剣〟と皆様のお力です」

 もしも剣が無ければ私には何もできなかった。そして馬車を外に出さないように防いだ辺境伯の騎士たち、ティエリーとジュリオ、ガヴィとシビル。魔術師と辺境伯と父。誰が欠けても王子の救出は叶わなかったと思う。

「えーっと、話の前に着替える?」

「そうですね。その方が良いでしょう。手早く済ませます」

 今更ながらに淑女としてあるまじき舞姫の衣装に羞恥心が沸き上がってきた。王子の上着で露出した腹部が隠れているとはいえ、辺境伯との会談の場には不似合い過ぎる。


 寝室から出ると、そこにはティエリーとガヴィが待っていた。

「ルシアン様、一言報告をお許し頂けますか?」

 ガヴィの問いに、王子が頷く。

「ボドワン様は騒ぎの中で逃亡されたようです。従者と馬車の姿もありません」

 ガヴィの手には神隠しのベールが下がっていた。今更ながらに忘れ去っていたことに動揺しつつ感謝の言葉を述べてベールを受け取る。


「彼の逃亡先は限られているよ。彼の役割がどんなものだったにせよ、僕の誘拐の失敗はすでに知られているだろう。辺境伯に事情を聞いて、これからの計画を練ろう」

 王子を封じていた呪符が浄化された時点か、もしくはそれ以前の呪われた騎士の消滅で公爵の魔術師には知られているだろう。ボドワン自身には人望も力もないと王子は見抜いている。


 凛々しい王子の横顔を見ながら、王子が無事だったことに安堵する自分の心を感じていた。

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それは呪いの指輪です。~年下王子はお断り!~ ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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