第6話 自由への道、奇妙な協力を得る。

 隠れ家に戻って着替えた後、早めの夕食を取った。食欲はなくても、王子の食べっぷりを見ていると自然と料理を口に入れてしまう。


「食事の後は、本を読もうか」

「いえ。就寝することを進言致します」

「えーっと。だったら、ジュディットが本を読んでる隣で寝る……とか」

 図書室のカウチで寝ると、ほわほわとした笑顔で提案されても承諾はできない。きちんとベッドで眠らなければ疲れは取れないだろう。怪我はほとんど治癒されたとはいえ、徹夜の後、崖を登り馬車での移動。鍛えた騎士や兵士でも疲労して当然。戦場ではないのだから、ゆっくり休息して欲しい。


「お許し頂けるのであれば、王子がベッドで眠っていらっしゃる枕元で読書致します」

 このままでは平行線。最速で最善の解決方法はこれしかない。

「……変な寝言を言っても笑わないで欲しいな」

 耳を赤くした王子は、カップに残っていた花茶を飲み干した。


      ◆


 王子の寝室は、私が使っている部屋の隣にあった。お伽話の世界のような部屋と違って、こちらは重厚な色合いの内装と丁寧に磨かれた歴史を感じる家具が並ぶ。置かれたベッドは王族が使っている寸法よりも小さく、大人三人が並べる程度しかない。


「そこの扉で繋がってるんだけど、ジュディットの方からだけ鍵を掛けられるから安心して」

 言われて見れば壁に同化してわかりにくい扉があった。部屋に戻った後で必ず鍵を掛けようと心に留める。


 王子が寝支度を整える間に、私は図書室で数冊の本を選んで戻った。白く裾の長い上着とゆったりとしたズボン姿が、薄闇に輝く精霊のようでどきりとする。


 耳を赤らめた王子が、首を傾げた。

「……ジュディットも一緒に……寝る?」

 その一言を聞いて、ぞわりと背筋に寒いものが走り抜けた。反射的に殴らなかった私を褒めて欲しい。


「辞退致します。どうぞお一人で、ゆったりとお眠り下さい」

「えー。残念だなぁ。ジュディットも寝れるのにー」

 とにかく早く眠ってもらおうと王子をベッドへと誘導する。掛け布で顔を半分隠した王子が子供のように見えて、不敬と思っても頬が緩む。


「ジュディット、おやすみ」

「はい。良い眠りを」

 就寝の挨拶に言葉を返すと、目を閉じた王子はすぐに眠りに落ちた。余程疲れていたに違いない。


 眠りにくいだろうと、顔半分に掛かった布を降ろす。無防備に眠る顔は、まだ少年。……私を助ける為に必死だった顔は凛々しかった。柔らかそうな金髪に手を伸ばし掛けて止める。


 殺すつもりだったのに、助けられ許されてしまった。私には自らの命を掛ける程優しくて、一方ではアリシアの一生を不意にするような酷いことを平気で行う。この格差を喜ぶことは私にはできない。


 私が自死すれば解決するのかと考えても、代替魔法を掛けられてしまったら、王子が死んでしまう。失踪するにしても、この不思議な指輪を外さなければ王子の魔力で辿られてしまうかもしれない。


 王子を暗殺するよりも、指輪を外す方法を探った方がいいのか。


 枕元に置いた椅子に座って本を開いても、ぐるぐると回る思考が止まらない。思考を止める為に深い溜息を吐いて、私は目を閉じた。


      ◆


 朝の光で目が覚めて、与えられた部屋のベッドで飛び起きた。昨夜着ていたドレスではなく下着姿。化粧も落とされ、髪は降ろされている。


 いくら考えてみても、この部屋に戻って来た覚えがない。お酒も飲んではいないし、記憶が飛ぶことはないだろう。椅子に座ったまま眠ってしまった私を、誰かが運んだと考えるのが合理的。


 王女との別れの夜、私を軽々と抱き上げた王子の腕を思い出して、何故か胸がどきりとした。綺麗に落とされた化粧は、おそらく侍女の手によるもの。


 居てもたってもいられずに下着姿のまま部屋着ガウンを羽織り、王子の寝室へと繋がる扉を開く。ベッドには王子が眠っていて、ほっとした。


 王子の寝室の窓布も透ける布が使われていて、早朝の白い光が柔らかく部屋を包んでいる。昨日、私が座っていた椅子と、サイドテーブルには本が置かれたまま。一冊も読まないうちに眠り込んでしまった。


 このまま眠っていてもらうほうがいいだろう。私は音を立てないように部屋へと戻った。


      ◆


 部屋に戻ってベッドに横たわってみても、もう一度眠ることは難しい。仕方なく起き上がった所で、遥か遠くで鳴る時報の鐘を耳が拾った。これは二番目の朝の鐘。上級使用人の起床時間。


 我が国では時報の鐘を管理するのは、その土地の領主の屋敷。敷地内には鐘楼が必ず設置され、正確な時を人々に知らせることが義務付けられている。ここでいえばアリシアがいる屋敷かと気が付いて、一気に心が重くなった。


 侍女を呼ぶためのベルを手に取ろうとして止めた。今はちょうど目覚めて自身の身支度をしている頃だろう。普通の貴族の娘とは違い、騎士であった私は自分のことは自分で出来る。


 浴室でシャワーを浴び、化粧着ローブを着用する。化粧水と香油で肌を整え、濡れたままの髪を身拭いタオルで乾かす。侍女に何もかもを任せるよりも、気楽でいい。


 何の予定もない一日に、何をすればいいのかわからない。棚に置かれた水替わりの発泡酒をグラスに注ぎ、窓の外を眺めながら、その爽やかな喉ごしを楽しむ。


 王女を護る騎士の生活は、毎日が緊張感に包まれていた。やらなければならないことが多く、一日中王女の為に心を砕き神経を使うことばかりで、私のすべては王女の為だけに動いてきた。


 心に穴が開いたようだという表現は、まさに今の私の心境。解任されてしまった私が王女に出来る事は、遠くから王女の幸せを祈る事だけ。考え無しに追いかけていけば、王女に迷惑が掛かると理解し過ぎていることがつらい。


 この休暇の内に、どうにかして指輪を外したい。……外して……それから?


 自分の疑問に答えられないことに溜息を吐く。騎士に戻ろうにも、王子の求婚を断ったことになるのだから王城にはいられない。侯爵家も処罰とはいかないまでも、貴族社会での発言力は無くなってしまうだろう。


 だからと言って、アリシアの前で王子妃になることは無理。指輪を外し、王家に次ぐ絶大な権力を持つアリシアの父に渡して侯爵家の庇護を願い、外国へ出奔するのが唯一の道……かもしれない。


 ひとまずの目標は出来た。私はグラスを置き、髪を乾かすことに専念した。


      ◆


 私が一人で身支度を終えても、王子は眠ったままだった。外出の許可が取れないので、仕方なく図書室へと向かう。王女が好んでいた本を手に取る前に、魔法に関する本があるのではないかと気が付いて書架を見て回る。


 収蔵された本は、棚ごとに大きく分類されていた。戦略や戦術、武具に関する本に心惹かれながら、魔法に関する本の区画へとたどり着く。


 王子を殺さず、魔力を枯渇させて指輪の魔力を削る。もちろんそんな都合の良い方法が書かれた本はない。魔力量や魔力行使について書かれた本を数冊手に取って、カウチに座る。


 この世界には、精霊や魔法を行使することができる魔力と、無から有を生じさせる奇跡を起こす神力が存在する。この国の貴族には、大なり小なり魔力か神力のどちらかが必ず備わっている。


 私には神力がある。とはいえ奇跡を起こす力量はなく、花のつぼみを開かせるのが精一杯。王族である王女もささやかな魔力しかなく、春が近くなると二人で王城庭園の花を咲かせる小さな悪戯が楽しみだった。


 王女との思い出は温かく、その光景を思い出すだけで頬が緩む。この思い出だけあれば、この先生きていけるかもしれない。


 思い出に沈みそうな思考を振り切り、本へと意識を振り向ける。まずは私自身が自由になることが最優先。早く方法を探さなければと焦る気持ちを抱えて、私は本を読み始めた。


      ◆


 分厚い本の三分の一を読み終わった所で、これは目的の本ではないと本を閉じる。魔力の基礎的な知識が増えても仕方ない。もっと禁呪を扱う本や禁書的な本でなければ、魔力を枯渇させる方法は書かれていないような気がする。


「ジュディット、そろそろ昼食はどうかな?」

 笑いを含んだ王子の声で心臓が跳ね上がった。隣を見ると白い夜着のままの王子が、開いた本を膝に乗せて座っている。


「も、も、も、申し訳ありませんっ!」

 本を手にして、立ち上がる。王子が隣に座ったことにすら全然気が付かなかった。騎士でいた時にはあり得なかった失態に、冷や汗が流れる。


「慌てなくてもいいよ。休暇中なんだし」

 王子が立ち上がり、私に手を差し伸べる。拒むこともできずに手を置くと少年ではない男性の手を感じた。そのまま手を繋がれて、図書室から廊下へと出る。


「王子、着替えを……」

「えーっと。食べたら、もう一度寝ようかなって思うんだ。時々、一日中このまま過ごすこともあるよ。城でやったら、きっと側近たちに怒られるけどね」

 裾の長い上着にゆったりとしたズボンという服装は、王族というよりも神官や精霊のよう。波打つ柔らかそうな金髪が窓からの光で輝き、少年と大人の境界を揺れ動く姿が神秘的に感じて、不思議と胸を高鳴らせる。

 

「ジュディットも一緒に寝る?」

 呑気な言葉で幻想的な光景は一瞬で粉々に砕かれ、繋がれていない方の拳に思わず力が入った。これが騎士仲間なら、間違いなく殴り倒している。


「辞退致します。睡眠は足りております」

 本気で殴りたい衝動を抑えながら、私は無理矢理笑顔を作った。


      ◆


 昼食を食べて王子の再度の就寝を見届けた後、外出の許可申請を忘れていたことに気が付いた。深く眠ってしまった王子を起こすことは気が引ける。


 本を読むかと思っても、晴れた空を見ていると体を動かしたくなる。敷地の外に出る事はできなくても、庭なら許されるだろうと剣を持って出た。


 ワンピースの上に剣帯を掛け、愛用の剣を下げると気持ちが引き締まる。誰も相手がいないから、剣を振るしかない。剣を振っているうちに物足りなくなって、せめて木片でもあればと庭の中を歩いていると、魔術師ユベールと鉢合わせた。


「……何の用なの?」

「……お前か。……昨日の代金をもらいに来ただけだ」

 王子に対する態度と違い、憮然とした顔でユベールが答えた。


「いくら? 私が支払うわ」

 私が原因の怪我なのだから、私が支払うのが当然だと思う。今までの給与のほとんどは大小の金貨に替えて荷物の中に入っているし、万が一足りなければ、褒賞として受けた宝石類もある。


「……俺の薬の値段は、限られた者にしか教えない」

「どうせ、人によって値段を変えているのでしょう?」

 意地悪く放った言葉は、図星だったらしい。ユベールの目が泳ぐ。


 聞き出した値段は、あの素晴らしい効果に比べて安価過ぎるものだった。

「それは……安すぎない?」

「……王子は俺の命の恩人だ。本当は無料タダにしてもいいと思っているが、それは王子が許してくれない。材料費に少し足した程度だな。お前はこの値段にはしないからな。覚えとけよ」


 王子は一体、何人の命を救っているのだろうか。命を助けたのは私だけではなかったと、何故か少しだけ残念な気持ちを感じて複雑。


 部屋へ金貨を取りに行く途中、昨日の治癒魔法の光景を思い出し、少女趣味の変態でも世間的には優秀な魔術師であることに気が付いた。〝王子妃の指輪〟を外す方法を知っているかもしれない。


 戻るとユベールは大木に寄り掛かって待っていた。代金を手渡し、左手を差し出す。

「……この指輪を外すことはできる?」

「あ? ……変わった指輪だな。魔力を固めてあるのか……おい、これはどこで手に入れた?」

 嵌められた指輪に触れると、ユベールの目が知識欲に輝く。


「それは教えられないわ。外せるかどうか聞いているの」

「ふーん。これを作ったヤツは生きてるか?」

「生きてるわ。製作者の魔力を枯渇させて、魔力とこの指輪を回収させるというのはどう?」


「面白いことを言う女だな。外殻はきっちりと永久凝固されているから、魔力回収だけでは形だけ残る。まぁ、魔力を空にすれば固定結界が無効になるから外せると思うぞ」


「どうやって魔力を枯渇させればいいの?」

「そうだな……ここまでの指輪を作ることができるなら、相当強大な魔力量の保持者……まさか、王子か?」

 ユベールの目つきが探るようなものに変わった。いくらこの男が気に入らなくても、指輪を外す為に協力してもらわないと困る。


「……お前の黒歴史を確認する?」

「そ、そ、それだけは、やめろ! ……〝王子妃の指輪〟か?」

「何だ、知ってるんじゃない。王子が左手の小指に嵌めていらっしゃった指輪よ」


「表面上は完璧に普通の指輪を偽装してるからな。この俺でも触れなければわからん。……そうか。これがその指輪か」

 ユベールは私の手を掴み、指輪を様々な角度で舐めるように観察する。不快と思っても、この男が指輪を外してくれるのなら、我慢しなければ。


 長い観察の後、ユベールは私の手を解放した。さりげなく手を後ろに回し、スカートで手を拭う。

「……魔力を枯渇させる方法はあるにはあるが……仮死状態にして魔具に魔力を吸わせるのが確実だろうな」

「仮死状態? 命の危険は?」


「俺の薬なら問題ない。仮死状態にすれば、体内での魔力生成が遅くなる。魔力が完全に枯渇した状態でその指輪を近づければ、指輪に込められた魔力が元の持ち主を護る為に惹かれて戻るだろう」

 ユベールの金茶色の瞳が輝き、心の底から楽し気に笑う。


「……楽しそうね」

「俺は魔術師だぞ。新しい試みに心が踊らない訳はない。何よりも、お前が王子妃になるのを阻止できるしな」

「それは頼もしい言葉だわ。是非とも成功させて頂戴」

 不本意ながら奇妙な協力関係が結ばれて、私とユベールはがっちりと手を握った。

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