それは呪いの指輪です。~年下王子はお断り!~

ヴィルヘルミナ

第1話 別れの夜は、始まりの夜。

 夕闇が迫る港町の、割と上品な宿の一室。金糸銀糸で仰々しく飾り立てられた儀礼服を着た騎士八名が、円卓を囲んで酒を酌み交わしていた。


「おつかれー!」

 がつんと木のカップをぶつけ、麦酒を飲み干して、またお互いにお酒を注ぎ合う。

「はー。肩の荷が下りるって、こういうことなのねー」

 麦酒の苦味が程よい刺激。悲しいかなカップ一杯くらいでは全然酔えない。それなりに美形ぞろいの騎士の中、女騎士は私だけ。とはいえ女扱いはされていないので気楽ではある。


 侯爵家の娘でありながら十四歳で王女の護衛騎士になって十年。長いと言えば長く、あっという間と言えばあっと言う間。


 十八になった王女は今日、迎えの船に乘って遠い外国へ嫁いでいった。相手は同い年の第一王子、表裏のなさそうな良い人だった。……未来の王として政治の表も裏も知っておかなければならないのに、それでいいのかと思うこともあっても、なかなか腹黒そうな側近が付いていたから問題ないだろう。


 王女と王子は初顔合わせからお互いに一目惚れで、いつも仲の良い二人だった。六歳年下の弟と妹のように思えて、いつも微笑ましく見守っていた。


「ジュディット、これからどーするんだ? 愛する王女からクビにされちまったんだろ?」

「うるさいわね! クビって言うな!」

 思い出に浸る邪魔をされたのがムカついて、空になったカップを投げると命中した。他の騎士たちがげらげらと笑う。


 男の騎士の同行は認められなくても女である私なら認められるだろうと、一緒に行くつもりだったのに、出発直前に王女から解任されてしまった。この国で女性としての幸せを掴んで欲しいと言われても、もう二十四歳。この国での貴族女性の婚期を逃しかけている。


 護衛の任は解かれても騎士であることは変わらない。明日から、どうやって生きていけばいいのか。


 イラつく気分を鎮めようと髪のリボンを解こうとして手が止まる。私の金褐色の長い髪に結ばれた白いリボンは、出航前に王女が結んでくれたもの。金と青と緑で美しい刺繍が施されていて、金は王女の髪の色、青は王女の瞳の色。そして緑は私の瞳の色。


 私が警護を終えた後、就寝までの貴重な時間を費やして王女自ら刺繍していたと侍女に聞いた。別れの時に、微笑みながら王女が零した美しい涙は一生忘れる事はないだろう。……今日は夜までこのリボンを着けていようか。


 酒盛り中の部屋の中には王女の護衛担当だった騎士が八名。私を除く七名には、すでに他の職務が割り当てられていて、十日の休暇の後はそれぞれの担当へと移っていく。


「今更、女に戻れって言われてもねー」

 溜息一つ。十四の時にドレスを捨てて、王女を護る為だけに生きてきた。ほぼ全員が貴族出身とはいえ、男だらけの騎士団の中で馴染む為に言葉遣いも仕草も荒くした。貴婦人としての作法を覚えているかどうかは危うい。


「まぁなぁ、俺たちより剣術の達人だもんなー。他の王族の護衛の話はなかったのか?」

「全然」

 体術と馬術は他の騎士に劣っても、剣術では勝てる。剣で王女を暴漢から護った回数は両手で数え切れない。それなのに、私には何の任務もない。非常時にだけ呼ばれる名誉騎士になってしまうのだろうか。


 王女からクビにされたと噂になることを想像すると耐えられない。領地に戻って引きこもるかと思いながらも、それでは結婚相手を見つけることはできない。私の同年代の貴族たちや騎士仲間は、ほとんどが結婚しているか婚約しているから、狙うなら年上か年下か。


 そこまで考えて、独り身で気楽に暮らすのも幸せかもしれないと思いついた。騎士として受けた爵位があるから生活には困らない。職を辞し、これまで我慢してきたことを楽しむ生活を考えると心が浮き立つ。


 祝い酒でも飲もうかと、投げつけたカップの替わりに手近な酒瓶を掴んで直接口にする。

「おいおい、ジュディット、酔うなよー」

「この程度じゃ酔わないって知ってるでしょ。いつも酔いつぶれたお前らの世話してるのは誰だと思ってるの?」

 大体、私がどれだけ飲んでも酔えないのは、酔った人間の世話があるという使命感からだと思う。若干ふわふわとした気分は味わえても、酔いつぶれたことはない。


「そういや、そうだなー。感謝感謝ー」

「適当過ぎてありがたみも何もないわね」


 唐突に叩かれた扉が開いた。ふらつきながら現れたのは第三王子のルシアン。柔らかそうな波打つ金髪に青い瞳の二十歳の青年。王女と一番仲の良い兄であり、私を護衛騎士に任命した方でもある。


 王族の礼装の上着とタイは無く、白い優美なシャツに黒のトラウザーズという砕けた姿でも、酔い始めていた空気が一気に引き締まる。私を含め、だらけていた騎士たちが一斉に直立して王子を迎えた。


「王子、どうなされました。従者も連れずに」

 一番年長の騎士が王子に問いかけると、王子がふにゃりと締まらない笑顔を浮かべた。初めて見る緩んだ笑顔が可愛く思えて、どきりと胸が高鳴る。


「あー、ごめん。ごめん。皆、楽にしていいよ。妹が嫁いだら気が抜けちゃってね。僕も一緒に飲んでいいかな?」

 王子の手にぶら下がっている瓶は、私が飲んでいたものと同じ酒。先月二十になったばかりの王子は酔っているらしい。


 今回、外国で結婚する王女と同行したのは第一王子と王子妃。のんびりとした日程が組まれ、結婚式を見届けた後は、あちこちを外遊する予定と聞いている。

 

 座るようにと指示されて座る。他の騎士が何故か私の右隣に王子の席を作った。

「上座は……‥王子っ?」

 よろめいた王子が倒れ込んできて、受けとめた私は椅子ごと床に倒れた。


「……?」

 衝撃があったのに、柔らかな何かが背中を包んでいて痛くない。何故と思えば、王子が私を抱きしめながら笑っている。

「あ、魔法で衝撃弱めたから。ごめん、ごめん。大丈夫?」

 王族は精霊を使役し、魔法を使う魔力を持っている。王女の魔力はささやかなものだったのに、この王子は現在の王族の中で一、二を争う魔力量を秘めているとは聞いていた。


 口づけできそうな近すぎる距離に血の気が引いていく。

「は、離して頂けませんか?」

「んー、どうしようかなー」

 早く離せ。心の中で叫んでみても、王子はふわふわと笑うだけ。


「よいしょっと。いやー、飲みすぎちゃってー」

 何故か王子が私を横抱きにして立ち上がった。四歳年下の王子の腕は意外としっかりとしていて、どきりとする。


「お、お、王子?」

 ここからどう逃げるか。他の騎士の目があるから暴力行為は許されない。ぐるぐると迷う間に、他の騎士によって戻された椅子へそっと降ろされて、笑う王子が隣の椅子に座る。


 ……近過ぎる。普通に座ると、王子と私の肩が触れ合う距離。そもそも狭い円卓を囲んでいた状況で、右に座る王子を避けて左に寄れば騎士仲間の腕に触れてしまうかもしれない。どちらがマシかと自分に問えば、まだ王子の方がいいと結論が出た。


「これ、もらっていいかな?」

 王子は私が飲んでいた酒瓶を手に取った。私が新しい物を用意すると言う前に、周囲の騎士たちが承諾してしまう。王子が持っていた酒瓶は床に転がっていて、どうやら中身は空らしい。先程の私と同じように、酒瓶に直接口を付けて傾けていても、生まれ持った気品のせいなのか見苦しいということはないのが不思議。


「お酒って、美味しいよねー」

 この国では飲み水替わりの弱い発泡酒以外の酒は二十歳になるまで飲むことが許されない。飲み慣れてはいないのだろう。

「飲み過ぎは御体に良くありません」

 これ以上飲むことは諦めた。王子にお酒を飲ませないように、ナッツやチーズを勧める。


「王子、このチーズは山岳地方のケイツ村の特産品です」

「そうなんだー。あーん」

 王子が口を開けている。……食べさせろということか。周囲の騎士たちに視線で助けを求めると、全員に顔を背けられた。肩を震わせているのは、笑いをこらえているからだろう。


「あーん」

 相手は酔っ払い。きっと明日になれば忘れている。覚悟を決めて、一口大に切られたチーズを王子の口へと運ぶ。能天気な笑顔で咀嚼する顔が可愛く見えてきたから不思議。


「んー。おいしいよねー。次はそのナッツかなー。あーん」

 ねだられるままに今度はナッツを口へと運ぶ。犬か何かに餌付けしている気分。……そう考えると王子が金色の犬に見えてしまう。いやいや。それは不敬過ぎ。


 周囲の騎士たちが必死で笑いをこらえているのがわかるから居たたまれない。いっそのこと、大声で笑ってくれた方が宴会芸的な諦めもつくのに。


「これ、美味しいよ。ジュディットも、あーん」

 チーズを摘まんで微笑む王子の前で、思考が停止した。この方は、お酒を飲んではいけない人だ。後で側近たちに進言しておくべきだろう。


 断ることもできずに口を開くとチーズが半分口の中に入れられた。私が一口かじると残りのチーズを王子が自分の口へと運ぶ。

「ジュディットと半分ずつだね」

 そういって微笑む王子を、反射的に殴らなかった私を褒めて欲しい。背筋をぞわぞわとうすら寒い何かが走り抜けていく。


 ふわふわと笑いながらお酒に伸ばした王子の手を止める。

「王子、これ以上酔ってしまわれては明日の公務に支障が出ます」

「明日の公務は入ってない。久しぶりの休日なんだ。ジュディットと一緒に過ごしたいな」

 自分の耳に異常をきたしているのではないかと思う。王子が何故、私と休日を過ごすというのだろうか。


「申し訳ありませんが、私には騎士の職務が」

「十日の休暇って聞いてるよ」


「……何をして過ごすのですか? 一日お酒を飲むことはできません」

 折角の休日に酔っぱらった貴人の世話をするのは免れたい。

「んー。何しようかー?」

 駄目だ。首を傾げた王子は完全に酔っている。真剣に相手をしていては、こちらの心が折れてしまう。


 私が王子に餌付けしているのを見て、周囲の騎士たちはにやにやと笑いながらお酒を酌み交わしている。いつも酔った奴らの世話をしてやっているのに、誰も助けてくれないのがムカつく。


「あ、そうだ。この指輪、嵌めてみて」

 おもむろに王子が左手の小指から金の指輪を抜いた。赤い炎のような色をした宝石が美しい。

 

「何故ですか?」

 理由なく、他人の指輪を嵌めるのは抵抗がある。

「ジュディットに似合うかなーと思って。あ、左手の薬指だよ。僕が嵌めていい?」

 指輪は私の薬指には大きいと見て取れる。年下と言えども、男の手なのだと今更ながらに知る。

 

 どうせ酔っ払いのたわごとなのだから、すぐに外してしまえばいい。そう思った私は、王子に手を差し出した。

「嬉しいな」

 微笑む王子が私の薬指に指輪を嵌めると、大きいと思っていた指輪が、指に合わせて縮んだような気がして驚く。指輪に残っていた王子の体温が伝わってくる。見間違いでも何でもなく、確かに縮んだ。


「あ、ぴったりだねー」

 満面の笑みを浮かべる王子の顔を見て焦る。

「……待ってください。寸法サイズが変わったように見えました。何の指輪ですか、これは」

 引っ張ってみても全く抜けない。指輪を回す余裕はあるのに、抜こうとすると動かない。


「僕の〝王子妃の指輪〟」

 王子の言葉を聞いて、私の耳が異常をきたしていることをまず疑った。〝王子妃の指輪〟は、王国中の女性の羨望と夢の詰まった指輪。その指輪を嵌めると自動的に王子の婚約者になるという。話には聞いていても、私には全く興味の無い物だった。


「お、お、お、お待ちください。こ、こ、こ、これは御婚約者のアリシア様の物では?」

 王子は同い年のバルニエ公爵家のアリシア嬢と四年前に婚約している。王子の結婚は二十歳を過ぎてからと決められていて、結婚式の準備が進められているはず。


「あははー。仕方ないよね。指輪がジュディットの指にあるってことは、アリシアとは婚約解消ってことになるかなー」

 やたらと明るく笑う王子を目の前にして、私の血の気が音を立てて引いていく。


「失礼します!」

 咄嗟に短剣を抜き、テーブルに置いた自らの指を斬り落とそうとしたのに炎の色の光が刃先を止めた。

「指輪の自動防御反応オートディフェンス。あ、手とか腕とかも同じだから」

 呆然として動けない私の手から、王子がそっと短剣を取り上げて壁へと投げた。短剣は小気味いい音を立てて窓枠に刺さり、王子が私の手を握るように包み込んで私を椅子に座らせた。


「悪気は無かったんだ。一緒に幸せになろうね」

 王子のさわやかな笑顔に殺意が沸いた。こういう、悪気は無かったというのが一番始末に悪い。


「申し訳ありませんが、私の幸せは別の場所にありますので外してください」

 騎士を辞職して、褒賞金を受け取って領地に引きこもろう。それが一番平和な解決方法。王子と婚約者を引き裂く悪女にはなりたくない。


「えー、そんなこと言わないでよー。あ、その指輪、僕が命を落とさないと抜けないよー」

 顔を赤くして、ふにゃりと笑う王子が私の膝の上に頭を置いて目を閉じた。止める間もなく寝息へと変わる。


 王子が完全に眠ったことを確かめ、息を詰めてやりとりを見守っていた騎士たちが一斉に沸いた。

「ジュディット! 婚約おめでとう!」

「行き遅れは逃れられそうだな! よかったな!」


「お前ら、後で覚えてなさいよ!」

 眠る王子の頭を床に落とせないから動けない。睨みつけてもげらげらと笑うだけ。


「護衛騎士が王子妃かー。すげー出世だなー」

「ねえ、今のやり取り見てた? 王子は酔っていらっしゃるし、私は承諾してないってわかるでしょ?」

 これは酔っぱらっての奇行でしかない。明日の朝、正気に戻った王子が頭を抱える姿が目に浮かぶ。


「そうは言っても、外れないんだろ? 運命から逃げられる訳ないぞ」

「何が運命よ。この指輪が運命だっていうのなら、私は必ず外してみせるわ!」


 もしも絶対に外れないというのなら、私が自由になる方法はただ一つ。ただし王子を殺したとなれば、一族郎党罪人扱いで吊るされてしまう。なんとかバレないように計画を立てなければ。


「こうなったら、とことん飲むわよ! そこの酒瓶取って!」

 呑気に眠る王子の頭を膝に乗せたまま、私はお酒を飲み続けた。

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