第21話 王子の紋章、第一礼装のドレスに輝く。
街道沿いのいくつかの村で魔鳥を退治して王城へたどり着いたのは、当初の予定よりも一日遅くなった上に深夜の到着となった。王子の帰還であっても儀式はなく、夜間警備の兵士たちだけが、胸に手を当てて王子を迎える。
王女の護衛に明け暮れていた私は、行事等の関わりのある時でなければ王子の動向は参考程度にしか頭に入れていなかったけれど、思い返してみると兄王子たちとは違い、派手な出迎え等を避けていた。
第二王子以降の王子は王や第一王子の命の予備ということと合わせて考えると、万が一のことがあれば静かに身替りになって消え去る覚悟があるのだろう。それは、あまりにも寂しい。
門を過ぎ、城の入り口への道を馬車は静かに進む。石畳にも関わらず、何の音も響かない。
「いつも僕に同行してくれる御者の二人は微量の魔力持ちなんだ。魔法と熟練の技で馬車の音を消すことができる」
御者二人がそれぞれの馬を操ると聞いて驚く。王女担当の御者は熟練者ばかりだったというのに、魔法との合わせ技を持つ者はいなかった。
馬車が停まり、従僕ではなくブノワが扉を開く。
「帰城の報告は俺が全部やりますんで、お二人はどうぞ先にお部屋にお戻りください」
「ありがとう。頼むよ」
「ありがとうございます。お願いします」
王城に入る者は、その人数や目的をあちこちに報告しなければならない。本来は側近か従僕の雑事を騎士が行うことに違和感を覚えつつも、当たり前のようにこなすブノワの細やかな気遣いを見ていると自らの至らなさを感じて身が引き締まる。
深夜の廊下には人影もなくてほっとした。私が戻ってきたと知られるのは明日以降のことになるとわかっていても、少しでも時間を遅らせたい。
城に着いてからは、王子が私の手をひくことはない。王子の左腕に私が手を添えるように掛けるだけで、その温もりが物足りないと感じる自分がいる。あれ程、手を繋がれることに慣れてはいけない、当たり前になってはいけないと自分の心に言い聞かせていたのに。
王女の護衛騎士として与えられていた部屋は、他の護衛騎士たちの控室からは離れた女性ばかりの区域にある。王子はわざわざ私を部屋の前まで送り届けた。
「ジュディット、疲れてる?」
「いいえ。疲労はありません。お気遣い下さりありがとうございます」
私の疲労を王子はすべて自らに移している。わかっていても何もできないことが心苦しい。疲労しないようにと気を付けていても、馬車による長時間の移動と魔鳥との戦いでの疲労は逃れようがなかった。
「明日、出掛ける予定があるんだ。日の出前に起きることは可能かな」
「はい。お供いたします」
私の答えを聞いて、ほわほわとした笑顔で王子が頷いた。貴人が出掛けるのであれば、多少無理をしてでも従うのは当然。
就寝の挨拶を交わし、王子は部屋に入ることなく自室へと戻っていく。その背中が頼もしく思えてどきりと胸が高鳴る。数で圧してくる魔鳥との戦いの中、何度庇われたかわからない。私は王子を護らなければならないのに完全に護られていることが口惜しい。
久しぶりに戻った自室は、出発した時のままで私物は何も残っていない。清掃が行われていてシーツや掛け布が真新しい物に替えられているのがわかった。慣れた部屋の中、肩に入っていた力が抜けていく。
ずっと我慢していた溜息を盛大に吐き出して、思考を占める王子を追い出す。王女を見送ってから、王子のことばかり。
完璧すぎるアリシアが元婚約者でなければ、この指輪を受け入れることができただろうか。ふとよぎった疑問に唇を噛み締めて、指輪に視線を落とす。王子から逃げると誓ったというのに、共に戦うことが楽しいと、密かな努力を重ねる王子を支えたいと思ってしまう自分の優柔不断な心が見苦しくて嫌になる。
静かに息を整え、自らの採るべき道を思い描く。一刻も早く国内の魔鳥を退治して、その原因を排除する。その後に王子に仮死の薬を盛って〝王子妃の指輪〟を外し、港町の魔術師ユベールの店へと向かうことを目標に設定する。正直言って、その後はあやふやで不確定過ぎるので想像できない。
いつでも逃げられるように荷ほどきはせず、最低限の物を取り出して就寝した。
◆
日の出前、寝室の扉が静かに叩かれた。これは侍女特有の扉の叩き方と気が付いて鍵を開くと、王女の侍女たちが笑顔で待ち構えていた。王女と共に相手の国へ同行したのは一人の侍女だけだったことを思い出す。
「ジュディット様、お召し物の御仕度を致します。どうぞこちらへ」
夜着の上に、王女が着用していた部屋移動用の裾の長い上着が重ねられる。時折、この上着を着た王女を護衛することはあっても、自分自身が着ることになるとは想像もしていなかった。
五人の侍女に囲まれながら、廊下を歩く。事前に人払いがされているのか誰も歩いてはおらず、窓の外はまだ暗い。
到着したのは王女の更衣室。併設の広い浴室で侍女たちに髪や体を洗われて整えられていく。この十年、自分で体を洗うことに慣れていたので恥ずかしくて仕方ない。
「本日のお召し物はこちらでございます」
肩から背中へと下がるレースのマントと、両袖に施された刺繍の中央に王子の紋章が輝いているのを見て、これは王族の第一礼装のドレスだと気が付いた。大礼装に次ぐ格式の高いものを着用する理由を考えて血の気が引く。
王族に王子の婚約者として正式に会うことになるのか。でも出掛けると言っていた。まさかバルニエ公爵に挨拶に行くのだろうか。公爵への挨拶にしてはドレスの格式が高すぎる。
ぐるぐると思考する間に、侍女たちによってドレスが着せ付けられ、髪を結われて化粧が終わっていた。
「ジュディット様、とてもお美しいです」
「ええ、本当に。ドレスもとてもお似合いです」
頬を赤く染めた侍女たちが口々に誉めそやす。毎朝、王女に向けられた言葉は聞き慣れていたのに、いざ自分に向けられると恥ずかしい。
「あ、ありがとう」
かろうじて感謝の言葉を口にして、鏡に映る自分の頬が赤くなっているのを確認してうろたえる。完璧に整えられた髪、美しく施された化粧、繊細なドレス。自分自身であるというのに、物語の姫君を見ているようなくすぐったさを感じる。
扉が静かに叩かれ、王子と側近二人が入って来た。青紺色の王子の第一礼装に白いマントを着けた姿は、若干少年の面影を残しつつも凛々しい。この半月近くで見慣れたシャツとズボン姿から受けていた印象とは違っていて、緊張してしまう。
「ジュディット、綺麗だ」
ほわほわとした笑顔ではなく、王子の微笑みで告げられた言葉が鼓動を早くする。
王子が目配せすると、紺色の髪の側近が恭しく持っていた木箱を開く。黒い
「今日だけでいいから、着けて欲しい」
真剣な表情で求められれば、断ることはできない。無言で頷くと王子の手で一式が着けられ、ティアラを付けた後、侍女がさっと髪を直して退いた。
「刻限が迫っている。行こう」
これから、どこに行くのだろうか。正式な婚約者として王や王妃に挨拶を行うのだろうか。不安に揺れる心を隠し、王子の腕に手を掛けて歩くしかない。
赤い絨毯が敷かれた廊下を歩き、見慣れた王女の部屋の前を過ぎたあたりで、後ろを歩いていた側近二人が足を止めた。
「我々は、ここまでです」
「ああ。昼前には戻る予定だ。戻る前に連絡する」
振り返った王子の凛々しさは王族の威厳を感じる。身近だった存在が、急に遠い存在になったことで、違和感が鼓動を加速させていく。
側近二人に見送られ、さらに廊下を歩く。何度も廊下を曲がり、階段による上下を繰り返すと、城のどこにいるのか全くわからなくなった。
無言のままの王子を見上げると、私の視線に気が付いて王子が微笑む。言葉を発してはいけない空気が漂い、口を開くことはできなかった。
やがて白い石の扉へとたどり着いた。王子が手をかざすと誰もいないというのに両開きの扉が開き、部屋の内部は真っ白な石で覆われている。
中に入ると、後ろで扉が閉まった。
「はー。久しぶりに王子やると疲れるよね。ジュディットは何着ても可愛いね」
唐突に言葉を崩した王子を見上げると、ほわほわとした笑顔。つられるように肩の力が抜けていく。
「王子、よろしければ、これからどこへ向かうのかお教え下さい」
見慣れた表情を見ると言葉もすらすらと口から零れ、心が潰されそうだった不安も薄らいだ。
「それはまだ秘密だよ。すぐにわかるよ」
そう言われてしまうと早く教えて欲しいという言葉は飲み込むしかない。
この場所はおそらく城の最深部と呼ばれる場所。白い部屋の中、正面には三つの扉。王子は私の手を引いて、一番右側の扉へと向かう。
「ジュディット、暗くなるから気分が悪くなったら言って」
王子の言葉通り、扉の中は一転して黒。急激な色の変化に視界がぐらりと揺れる。目を閉じ腹に力を入れ、その差を慣らす。
ゆっくりと目を開くと部屋の中はすべて黒い艶やかな石で覆われ、中央の丸い壇上には複雑な図形が描かれていた。天井にも似たような図形がびっしりと描かれている。所々に煌めくのは宝石だろうか。
「これが転移
私の手を握る王子の手の力が、少しだけ強くなった。逃げても追いかけると言われているようで、どきりとしてしまう。
魔法陣の中央へと導かれ、王子の手がしっかりと私の手を握り直した。王子の体からあふれた赤い魔力光で魔法陣が光り輝くと、埋め込まれた巨大な宝石が七色の光を生み出し扉を描く。
王子が指を鳴らすと扉が開いた。七色の光で、その先は見えない。
「さあ、行こう。ジュディット」
上機嫌で笑う王子に導かれ、私は扉へと踏み出した。
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