第22話 白い光の翼、青い空に羽ばたく。

 七色に輝く光に包まれると、自らの姿すら見えなくなった。感じるのは私の手を握る王子の体温だけ。不安になって握り返すと、強く握り返されて安堵する。


 長いように思っても、ほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。光が消え去ると視界が急速に広がって、青い絨毯に花紋様が彫りこまれた白い壁の部屋の中にいた。


「え?」

 自分が見ている光景が俄かには信じられない。そこには王女と婚約者のライニールが立っている。王女は白に限りなく近い薔薇色の美しい婚礼衣装を身に着け、婚約者は淡い緑色の婚礼服に白く豪華なマントを着けている。


 これは夢なのだろうかと動けない私に向かって、王女が近づいてきた。裾が長く相当重いドレスだと気が付いて、私も駆け出すと部屋の中央で王女に抱き着かれた。


「お義姉ねえさま! お会いしたかった」

 正直言って自分の耳が壊れたのかと思った。王女が私を義姉と呼ぶ。指輪を嵌めてから何度か想像はしても、その光景は思い浮かばなかったのに。現実は美しく本当にお伽話の世界のようで、感極まって言葉が出てこない。


 護衛騎士をしていた頃のように王女を抱きしめて、巻かれた美しい金色の髪を乱してしまわないように注意しながら撫でる。宝冠は儀式の中で着けるのだろう。


「ずっとドレスを着たお義姉さまを見てみたいと思っておりました。とても素敵です」

 潤んだ青い瞳と紅潮した頬が王女の可愛らしさをさらに輝かせる。王女の婚礼姿の美しさは、想像をはるかに超えていた。ほろりと零れた王女の涙を咄嗟に指で拭う。


「ロザリーヌ様が様々なドレスをお選びくださったと王子からお伺い致しました。素晴らしい物ばかりで感謝の気持ちが絶えません」

「お義姉さま、様は必要ありません。ロザリーヌとお呼び下さい。……ドレスは私と色違いの意匠デザインも多く選ばせて頂きました。……離れていても、姉妹でいられるように」

 微笑む王女に姉と呼ばれて嬉しいと思う気持ちと、後ろめたい気持ちで胸がきゅっと痛む。王子から逃げるということは、王女を裏切るということ。


「お義姉さま? どうなさったの?」

「……ロザリーヌ様……ロザリーヌの婚礼衣装を見る事ができるとは思っておりませんでしたので、驚いているのです」


「私、どうしてもお義姉さまに婚礼を見て頂きたくて、ライニールとお兄様にお願いしました」

 いつの間にか近くに並んでいる王子とライニールを見ると、二人とも優しく微笑んでいる。


「本当に……ありがとうございます。……感謝以外の言葉が思いつきません」

 この対面を実現させる為、どれだけの密やかな努力があったのだろうかと考えるだけで心が感謝で震える。


「大変だったのはライニールだけだよ。あちこちに話を通す必要があったからね」

「いいえ。私の方は特に問題ありませんでした。今回はルシアン様の御力によるものです」

 二人は謙遜しながら大したことではないと笑っていても、多くの人々と関わる王族が予定を変えることの大変さは想像に難くない。その上、王城から遠い外国までの転移魔法には、どれだけの魔力が必要なのだろうか。王子の負担を考えると申し訳なくて心が痛む。


「お義姉さま。この国では、国民の前で誓いの鐘を二人で鳴らすのです。少し遠いのですが、一番良く見える場所に案内いたしますので、どうかご覧になって下さい」

「拝見いたします。……一生忘れることのないよう、今日一日の光景を心に刻みつけます」


 王女と手を握り合い、微笑み合う。今、この瞬間が永遠になればいいのに。そうは思っても、別れの時間は訪れる。


 時間が来たと知らされた王女と私は、もう一度固く抱き合って涙をこらえながら笑顔で別れた。


      ◆


 ライニールの護衛騎士二人が、王子と私を案内していく。白い建物の外、窓から見えるのは青い海。ここは、この国の離宮の一つ。我が国とは違って柱は丸く、丸い半円状の白い屋根が青い空に映える。廊下には青い絨毯が敷かれ、花瓶には色鮮やかな花が活けられていた。


 隣を歩く王子にお礼を言いたくても、騎士の前では話をしないようにと念押しされている。溢れそうな感謝を胸に王子の顔を見上げると優しく微笑まれて、どきりと胸が高鳴る。


「こちらです」

 広いバルコニーからは、青い空と煌めく青い海を背にした白く美しい塔が見えた。塔の上部、半円状の屋根を丸い八本の柱が支え、中央には金色の鐘が下がっている。


 塔の下の広場には、多くの国民がひしめき合い、主役の登場を今や遅しと待ち構えていた。


 他のバルコニーで手を振る人影に王子が手を振り返す。

『兄だよ。気付かれちゃったな』

 こそこそと囁く王子は、どうやら兄王子にも知らせずに来たらしい。悪戯がバレてしまった子供のような顔をする王子が可愛い。兄王子と王子妃が笑いながら手を振っているのが見え、私も手を振り返し会釈した。


 バルコニーには小さなテーブルが置かれ、果汁が満たされたグラスや、軽く摘まめる果物や焼き菓子が皿に盛られている。そういえば朝食を取っていなかったと気が付いたものの、私の食欲は全くない。王子は果物を少しだけ口にする。


 しばらくして結婚式の始まりを知らせる鐘が一斉に鳴り響き、国民の歓声が広場に大きく湧き上がった。塔の上空に白い光が現れ、何かと思って目を凝らすと光輝く大きな翼を背に持つライニールが王女を横抱きにして羽ばたき飛んでいる。透けるレースのベールとドレスの長い裾がたなびき、幻想的な世界が広がっていく。


 気付いた国民たちが興奮の度合いを増し、翼を大きく羽ばたかせながらライニールは離宮の上をゆっくりと旋回する。


「あれは?」

「神力による飛翔の術。ライニールは神力属性なんだ。ジュディットもたぶん同じくらい神力量があるから、練習すればできると思うよ」

「いえ。空は飛びたくありません」

 反射的に正直に答えてしまう。あまりにも派手過ぎて恥ずかしいのと、一瞬王子を抱きかかえて飛ぶ自分の姿を想像してしまった。


「残念。僕も魔力で飛ぶ練習してみようかと思ったのに」

 からかうように笑う王子の腕をぺちりと軽く叩くと、王子がさらに笑顔になる。


「そろそろかな。塔へと降りるよ」

 王子の視線を追って、塔に注目する。鳥のように飛ぶライニールが軽やかに塔の屋根の下、丸い柱に囲まれた場所に降り立ち、翼が白い光の花びらになって広場に降り注ぐ。


 ライニールは王女を優しく腕から降ろし、二人並んで国民へと王族の感謝の礼を行う。その姿は未来の王と王妃。美しい夢のような光景を前にして国民の熱狂は頂点へと達した。


 唐突に金管楽器の音楽が鳴り響き、離宮のバルコニーの一番高い場所、国王の手から白い鳥が羽ばたいて広場を旋回し塔の上へと向かう。


 ライニールが手を伸ばすと、白い鳥はサファイアが輝く金の宝冠ティアラに変化した。

「……あ……」

「同じ職人に頼んだからね。違うのは、サファイアの色合いだけかな」

 遠目からでもわかる。その意匠デザインが私が今着けている宝冠と同じであることを。

 

 ライニールは跪いた王女へ宝冠を授けて、その手を握って立ち上がらせる。二人で金色の鐘の下に立ち、綱を引いて鐘を鳴らす。


 鳴り響く鐘の音と国民の祝福の声。護衛騎士になってから夢見ていた王女の結婚式は、想像以上にお伽話の世界のよう。


「これから二人は、王城へ馬車でパレードだ。僕たちが見る事ができるのは残念だけどここまでかな」

「……ありがとうございました。長年の夢が叶いました」

 感動で震える胸を押さえ王子を見上げる。厚意を受け取るだけでは自分の心が落ち着かない。この恩を返さなければと強く思う。


「ジュディットが喜んでくれてよかった」

 ほわほわと微笑んだ王子が、金色の子犬のように見えて笑ってしまう。


 元の部屋へと戻り、王子は用意していた宝石を使って帰還の魔法陣を描く。護衛騎士に王女とライニールへの伝言を頼み、王城へと戻った。


      ◆


 最深部の部屋を出る直前、王子が立ち止まった。 

「さて。ここから真面目に王子やらないとね」

 そうして王子の雰囲気が一変する。表面が変わっても中身が同じとわかった今では、緊張する必要もない。


 笑顔を交わし、王子は私を王女の更衣室へと案内した。

「着替えた後、昼食を一緒に取ろうか」

「はい」

 更衣室の扉が閉まった後、外でどさりと何かが倒れる音がした。嫌な予感がした私は、侍女に止められたにも関わらず自分で扉を開く。


「王子!」

 赤い絨毯の上、青い顔をした王子が倒れていた。

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