第20話 泉の中、神力の流れを整える。

 馬車と並走する馬に乗るブノワは、騎士の誇りであるはずの紋章入りの腕章を外して騎士服を脱ぎ、平民と変わらないシャツと茶色のズボンとブーツ姿。簡易鎧である革製のベストを着用して剣を下げているから、裕福な商人の護衛に見える。


 ブノワやエクトル、王子の護衛騎士の一部は平民上がりで騎士服にこだわりはないらしい。外見よりも心で主君に仕える姿勢は見習うべきものがある。


 王子は馬車の壁にもたれて眠っている。昨晩、おそらくは代替魔法を使って、私の怪我と疲労を自らの体へと移したのだと思う。目覚めた私の体には、昨日の戦闘の影響が残っていなかった。


 代替魔法の理由を聞いてはいけない。共に戦うことが楽しいと思い始めている自分の心が制御できなくなりそうで怖い。剣を振るう高揚感が心を乱しているだけと繰り返し自らに言い聞かせる。


 主君への想いを超え、ぐらりと揺れる心を感じても〝王子妃の指輪〟を目にするとアリシアを思い出して冷静になれる。この指輪はアリシアの指にあるべきもの。王子妃としての能力がない私が王子の隣に立てば、足手まといになるのは目に見えている。


 ブノワは政略結婚と言っていたけれど、私という邪魔者が消えればアリシアも安心して王子を支えることができるだろう。最初から他の女と結婚すると言われれば、距離を取るのも当たり前。


 窓際に寄り掛かり、青い空を見上げる。……王女はもう相手の国の王城へと到着しているだろう。王女の婚約者ライニールの国民からの人気は高いと聞いている。まだ少年の幼さを残した婚約者と愛らしい王女の結婚式を見たいと長年思っていた。


 婚礼式のドレスも、すべて相手の国が用意しているから試着姿を見る事も叶わなかった。ライニールも王女も互いの好みを熟知しているから、心配することはないとは思っても気になる。


 馬車が街道から外れ、土の道へと入った。道の両脇に広がる畑には青々とした麦が広がっている。注意して見回しても魔鳥の姿は見えない。


 鉄の飾り格子とレンガの塀、木々で囲まれた建物の前で馬車が止まった。周囲の家が赤いレンガ造りの素朴な造りの中、塀に囲まれ灰色の石で作られた外観は風景から浮いている。


「王子、到着しました」

 声を掛けても王子は目を覚まさない。騎士仲間なら頭でも殴って起こす場面でも、流石に手は出せないから、静かに肩へと手を乗せる。


「王子」

 再度呼びかけると青い瞳がゆるやかに開き、ふわりと微笑んだ王子の手が私を抱き寄せた。突然のことで胸の鼓動が早くなる。どうするべきなのか迷う私の耳元で、王子の寝息が聞こえた。


「何か問題でも……し、失礼しましたっ!」

 扉を開けたブノワが、慌てた声を上げて扉を閉める。羞恥で一気に頭に血が上った私は、眠ったまま私を抱きしめる王子の腕を思いっきりつねり上げた。


      ◆


 王子の目は覚め、私たちは馬車から降りた。ブノワの視線が落ち着かないのは、気が付かないふりをするしかない。


 反射的に腹へ拳を叩きこまなかった私を褒めて欲しい。一応、理性は働いていた。どきどきと高鳴ったままの胸をそっと抑えながら、自らに言い訳をする。もしも騎士仲間が相手なら、きっと体に触れられる前に避けるか殴っていた。体が動かなかったのは、王子に対する敬意の為なのか、それとも……。


 服の下、しゃらりと音を立てたペンダントを感じて浮ついた頭が冷えた。現状、身体的に距離が取れないのなら、心の距離を取らなければ。


 飾り格子で出来た扉の中へ入ると、林の中の小道が建物入口へと続いている。灰色の石で出来た建物は妙に角ばっていて、正面の扉は鉄。ブノワは外で待ち、王子と私だけが扉の前に立つ。


 王子の手が扉に触れると、かちりと金属音が鳴って扉が開いた。内部は暗く、何も見えない。魔法灯も無い中に入ると背後で扉が閉まった。


 驚いて振り返った私の手を王子が握る。何も見えない暗闇の中では、その体温に頼るしかない。

「大丈夫。ジュディットの神力でも扉は開くよ。ここは、この国が出来る前からある女神の泉だ」

 ぱちりと指が鳴る音がして、建物の内部が柔らかな光で照らされた。


「魔力か神力のある者にしか、扉は開かれない」

 建物の奥へと歩いていくと、白い石で出来た部屋へとたどり着いた。その光景は神殿内部を思い出させる。清浄な空気を感じて身が引き締まる。


 白い石で囲まれた泉の中央には巨大な水晶の結晶が花のように咲いていて、七色に煌めく水が溢れ落ち泉を満たす。まばゆい光が踊る幻想的な光景は、まるでお伽話の世界のよう。


「魔力を持つ者が、この泉に浸かると一時的に魔力を奪われる。その後、回復すると魔力量の限界値が少しだけ増加するんだ。この道を通る時には毎回浸かってるけど、今回は魔力の無い時間は作れない」

 ならば私にこの泉を見せに来ただけなのだろうか。


「神力を持つ者がこの泉に浸かると、力の循環が整うと聞いてる。〝華嵐の剣〟を持ったジュディットの神力量が不安定なのは、急激に上昇した神力の制御ができなくて循環が滞っている可能性があるらしいんだ。もし嫌でなければ、泉に浸かって欲しい」

 私の為と聞いて、ふと気が付いた。もしかしたら夜に王城へ戻って、私の不安定な神力のことを調べていたのかもしれない。感謝すると同時に後ろめたさで心が痛む。


「お気遣い下さりありがとうございます。泉に入ります」

「頭まで浸かる必要があるけど、水は平気かな」


「大丈夫です。着衣での水泳は父に叩き込まれています」

「あ、やっぱりジュディットも特訓されたんだ」

 苦笑する王子の言葉で血の気が引いた。父は王子も着衣のまま湖で泳がせたのか。


「何の準備もなく湖の真ん中で、いきなり水に放り込まれたんだけど、ジュディットも?」

 父の笑顔を思い出し、心の中で殴り倒す。いくらなんでもそれは無茶過ぎる。


「いえ。私の時には湖畔で練習した後でした」

 貴族の娘は外で服を脱ぐことは絶対に出来ない。水を含んだ服は重く、無駄な動きは体力を奪われる。水中での衣類の捌き方や、いかにして身体への負担を軽くするかを徹底的に教えられ、何度も着衣泳を行ってから湖の中央に舟で連れて行かれた。


 岸まで泳ぎ着いたら短剣でも長剣でも何でも買ってやるという父の言葉に釣られた訳ではない。断じて。


「僕は後ろを向いているから、準備が出来たら言って」

「はい。失礼致します」

 王子が背中を向けたのを見届けてから、ブーツの上部にベルトで止めた短剣を外し、革のブーツと靴下を脱いで裸足になる。貴婦人が足を見せることは、はしたないこととは学んでいても騎士団の生活の中では上品な作法を護ることは難しく、大した羞恥はない。


 ペンダントを外して手巾ハンカチに包み、隠しポケットに入れていた王女から贈られたリボンと共に濡れない場所へと置く。


 準備が出来たと王子に声を掛けると手が差し出され、恭しく泉へと導かれた。泉の縁に腰を掛けて脚を浸すと冷たいだろうと覚悟した泉の水は、意外にもほんのりとした温かさがある。


 泉の水は澄んでいて底まで見通せる。浅いように感じても、それは目の錯覚でかなり深い。乾いた服では沈みにくいので水で濡らす。


「何かあったら、僕の名前を呼んで。必ず助ける」

「水の中では呼べません。大丈夫ですから、ご心配なさらないで下さい」  


「泉の深さは僕の背丈の二倍くらいある。かなり深いから気を付けて」

 それだけ深いのなら飛び込んでも問題ないだろうと、服の裾を足に巻きつけるようにして挟む。見た目の美しさも淑女としての作法を無視することになっても仕方ないから諦める。


 泉の縁に立って大きく息を吸い込み、口と鼻を片手で塞ぐ。濡れた服の重さを利用して足から水へと飛び込むと、水が泡立ち体を包む。


 足が泉の底に着き、水の泡立ちが鎮まったことを感じて目を開く。水の中で足に巻きつけていたワンピースの裾が解けて揺らめき、結んでいたリボンは解けて髪が広がる。


 久しぶりに息を止め続ける苦しさと水に包まれる心地よさ。揺らめく光の煌めきが、体を優しく撫でていく。自分の鼓動をうるさいくらいに感じる。


 胸の前で手を組み、静かにしていると体が勝手に浮かぶ。全身の力を抜けば、あっという間に水面に顔が出た。

「ジュディット、手を」

 微笑む王子の手を借りて、泉から上がる。水に濡れてまとわりつく服と髪は、王子の魔法によって乾かされた。


「何か変化を感じる?」

「特に何も……」

 自分の両手を見ると、薄っすらと白い光に包まれていることに気が付いた。


「これは?」

「今、滞っていた神力が体の中を巡ってる。息を整えて、女神に祈りを捧げると効果が上がるらしい」

 王子に言われるまま、息を静かに整え、女神への感謝の祈りを捧げると、体がふわりと軽くなり、白い光は消え去った。


「神殿で測ってみないと正確なことはわからないけど、ジュディットの神力量は上がったと思う。王城に帰ったら、中央神殿に行こう」

 優しい王子の言葉に、私はただ頷くことしか出来なかった。

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