第19話 王子妃の指輪、真の婚約者を選ぶ。

 しばしの沈黙の後、灰茶色の髪のエクトルが口を開き、茶色の瞳が王子を真っすぐに見据えた。

「王子、それは本気ですか?」

「本気だよ。いつもの話し方でいいよ」


 王子の返答を聞いて、直立していた騎士二人の全身の力が抜けた。

「マジですかー。〝王子妃の指輪〟が真の婚約者を選んだらしいって城では噂になってるんですよ」

 もうすでに知られているのかと、エクトルの言葉に背筋が凍る。


「先に戻って来た側近も騎士も、誰が婚約者になったのかは口を割らないんで賭けまで行われる始末で」

 茶髪のブノワが肩をすくめる。名前まで知られている訳ではなかったのかと若干安堵はしても、城に戻ればすぐに噂は広まってしまうだろうと考えると頭が痛い。


「伝説の騎士レオミュール侯のお嬢さんでしょう? 貴女の侍女からの人気に俺は嫉妬してたんですよ。いやー、もう、女装姿もお綺麗で」

「おい、お嬢さんは女なんだから、女装じゃないだろ。……エクトルの馬鹿が失礼しました。とても可愛らしいと俺は思います」

 王子の前だというのに、あまりにも砕けた話し方に驚くしかない。これがいつもの話し方なのか。せっかく容姿を褒められても、狼狽するあまりに耳を素通りしていく。


「誰か当てたヤツはいる?」

 王子までもが気楽な言葉づかいで、自分の耳を疑う。

「いますよー。一人だけ。神官のドニがお嬢さんじゃないかって。掛金あいつが総取りだなー」


「ドニが? えー? バレるようなことしたかなあ?」

 王子が首を捻る。神官ドニの顔を思い出そうとしても、接点がないので全くわからない。


「皆、お嬢さんはロザリーヌ様の護衛で海を渡ったって思ってたんで、頭にも浮かばなかったんですよ」

 私だって、出航の直前までそう思っていた。改めて言われると胸が痛む。


「いやー、でも、良かった良かった。おめでとうございます!」

「本当に良かった。おめでとうございます!」

 エクトルとブノワの言葉は、王子と私の婚約を心の底から喜んでいるようにしかみえなくて困惑する。アリシアという婚約者がいたことを知っているはずなのに。


「ありがとう。じゃ、とりあえず村長の家に行こうか」

 笑顔の王子が私を抱き上げ、騎士二人が目を見開いた後、口笛を吹いて冷やかす。……今、体が動くのなら殴りたい。


 動かない自らの体を心の中で呪いながら、私は王子に運ばれるしかなかった。


      ◆


 村長の家の居間を借りて、王子と私、騎士二人でソファに座りブノワが淹れた花茶で喉を潤す。村長は皆を呼び戻すと言って別室で手紙を書いていた。


 ブノワは棚に設置してあった卓上焜炉と茶器を使い、慣れた手つきで花茶を淹れた。

「俺は花茶を淹れるのが趣味なんで。……正直、あんまり良い花じゃなかったんで、いろいろ混ぜてます。苦手な味だったら言って下さい」

 屈強な騎士が淹れる花茶を意外に思っても、口にした茶の花味はこれまで飲んだことのない爽やかな美味しさがある。乾燥した花を見ただけで状態や味がわかるのは、素晴らしい技術だと思う。


「えーっと、まず俺たちの状況から報告します。村長から中央神殿に手紙が届きました。女神の像が何者かに壊されて、一斉に作物が枯れ家畜が死に始めたから助けて欲しいという内容でした」

 エクトルが手紙の写しをテーブルに広げた。


「たぶん領主のヒルシュ子爵にも手紙を出してると思いますが、今、子爵はそれどころじゃないんで」

「何かあった?」

「王城でバルニエ公爵に殴りかかったんですよ。王が仲裁に入って、子爵は神殿の一室で謹慎中です。……実質、王の保護ですね」


「保護、ですか?」

 その言葉が理解できずに疑問となって口から零れた。

「あ、そうか。お嬢さんはご存知ないと思いますが、バルニエ公爵に逆らうと直後に何故か事故にあったり、何故か賊に殺されたりするんですよ。ご家族も謝罪名目で、神殿で奉仕活動をされてます。裁定が下るまではそのままですね」

 全く知らなかった。不幸な事故を偽装して公爵が裏で手を下しているということだろうか。銀髪に青い瞳で物腰柔らかく、高位貴族特有の傲慢さを一切感じない温和な方という印象しかない。


「殴りかかった理由は?」

「それが、王が聞いても答えないらしいです」

 酒に酔った貴族が高位貴族に殴りかかる事件は数年に一度はあって、大抵は高位貴族が寛大な対応を見せて終わる。今回は酔っていた訳ではなさそう。


「バルニエ公爵は表向きは寛容ですけど、それなりに重い処分を下さないと今後が危なそうですね」

「可能性としては、代替わりかな。……そちらは父王に任せよう。こちらの話だけど……」


 王子は魔鳥の件を簡単に説明した。何故か〝華嵐の剣〟についての言及はない。


「神力があれば魔鳥の姿が見えるんですかね?」

「でも、今までは神官どころか誰も見えなかったですよね」

 剣についても話さなければ正確に理解されないのではないかと思っても、王子には何か考えがあるのかもしれないと口をつぐむ。


「あ! お二人の愛の力ですか!」

 呑気に笑うエクトルの言葉でキレそうになった。膝の上、無言で拳を作っただけで殴らなかった私を褒めて欲しい。

「お、お、おい、エクトル。お前黙れ、な?」

 私の拳をちらりと見たブノワは、顔色を青くしてエクトルの口を塞ぐ。耳を赤くした王子は目を泳がせる。


 今後の対処方針を軽く話し合った後、王子が口を開いた。

「この近辺にいた魔鳥は退治したから、後処理を任せていいかな」

「はい。俺が残ります」

「俺は同行します。王子のことだから、どうせ誰も護衛連れてないんでしょう? いくらなんでも無茶ですよ」

 ブノワの言葉に王子が苦笑する。やはり皆は護衛を連れていないことを心配しているのか。


 しばしの休憩の後、エクトルと村長に見送られて馬車は出発した。


      ◆


 村からさほど離れてはいない町の中、馬車は大きな酒場兼宿の前で止まった。まだ日は高く夕方にもなっていない。

「予定外だけど、ここに泊まろう」

 昼と夕方の間の為か、一階の酒場には客が一人もいない。皆で食事を済ませて、部屋へと入った。今日の宿も素朴すぎる家具ではあっても、清掃が行き届いていて気持ちがいい。


 旅人集団の為に作られた部屋は、中央の居間を取り囲むように小さな寝室が作られている。居間には四人掛けテーブルと椅子、四つの寝室はベッドが一つぎりぎり入る広さ。同じ構造の部屋を二つ借りて、一方は王子と私とブノワ、もう一方は御者たちと従僕が使う。


「ジュディット、先に浴室を使って」

「はい」

 休憩して体は動くようになったものの、まだ体のあちこちが悲鳴を上げている。温かいシャワーを浴びながら体をほぐすと若干回復した。


 ブノワの前で夜着を見せたくないのでシャツとズボンを着用した。久しぶりに男装すると心持ちも違ってくる。背筋を伸ばして浴室から出ると、王子とブノワは地図を見ながら話をしていた。


「お待たせしました」

「あ、じゃあ、僕が先に浴室を使っていいかな」

 立ち上がった王子が、私の髪を乾かしてから浴室へと向かう。


 ブノワ一人を残して寝室へ入るのも失礼かと、テーブルに座る。

「お嬢さんは、どちらもお似合いですね」

「ありがとうございます」

 何がと聞きそうになって、服のことかと理解する。これまで全く自分に関心が無かったので容姿を褒められても、どこか他人事のような気がしてならない。


 ブノワは水替わりの発泡酒を木のカップに注ぎ、私の前に置いた。この侍女のような細やかな気遣いは、王女の護衛騎士の誰も持ち合わせていなかったので、内心うろたえる。

「いや、ほんとお嬢さんが王子の婚約者になってくださって安心しました」

「……それは……」

 逃げようと計画しているとは言える訳もない。


「正直に申し上げますとお父上のことは気になりますが、アリシア嬢の方が王子妃にふさわしいように思います」

 バルニエ公爵の裏の顔は知らなかったけれど、アリシア嬢本人とは関係ない。何事も控えめで清楚、華奢な美しさが王子妃に似合う。


「俺はアリシア嬢より、貴女の方がふさわしいと思いますよ。……王子もアリシア嬢もお互いに距離を取っていて、これは完全に政略結婚なんだなと残念に思ってました。日々、国と国民の為にと頑張る王子が安らげる相手じゃないって感じてたんです。貴女と一緒にいる王子の楽しそうな顔を見て、俺はこっちが正解だ。指輪は王子の為に真の婚約者を選んだんだと確信しました」

 ブノワの明るい笑顔を見ていると胸が痛む。

 

「突然すぎて驚いていらっしゃると思いますが、普段の王子を見て下されば伴侶としての良さがわかってもらえるんじゃないかなって思います。本当に良い主君ですよ」

 良い主君。それだけは完全同意する。


 人の良すぎるブノワの笑顔を直視するのが厳しくて、私は視線を落とすしかなかった。

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