第17話 金色の子犬、夢の中にて。

 青空の下、小さな白い花が一面に咲く丘で、しょんぼりとした金色の子犬を胸に抱きしめた。ふわふわとした毛並みは柔らかくて手触りが良く、ほのかな柑橘の爽やかな香りが心地いい。


 どれだけ撫でても、おとなしくされるがままの子犬は可愛らしい。屋敷で飼うことはできるだろうかと考えて、違和感に気が付いた。


「ん?」

 目を開けると見慣れないベッドの中。私の腕の中には、柔らかそうな波打つ金髪。それが王子の頭と気が付くまで、数回の瞬きが必要だった。


「――っ!」

 声無き絶叫の後、腕の中の王子が眠っていることに胸をなでおろす。広いベッドの反対側に寝ていたはずなのに、私が王子をベッドの端まで追いやっている。


 起きないでと願いながら、そっと王子の頭の下から腕を引き抜く。途端に腕がしびれてきて悶絶。


 奥歯を噛み締めてしびれに耐えながら、静かに静かに王子から体を遠ざける。私が元の場所まで移動した時、寝返りを打った王子がどさりと音を立てて床に落ちた。


「王子っ!」

 慌ててベッドの上を移動して覗き込むと、それでも王子は眠っている。これなら私の失態も気が付かなかっただろうと内心安堵しながら、ベッドから降りて王子の半身を抱き起こす。


 王子の青い瞳がそっと開いた。

「…………あれ? ジュディット?」

 口づけできそうな程の至近距離。恥ずかしさの余りに手を引くと王子が再び床に落ちる。木の床だというのに、非常に痛そうな音がした。


「あ! も、申し訳ありませんっ!」

「……あー、もしかして、僕はベッドから落ちたのかな?」

「は、はい」


 王子が完全に眠っていたことに安堵する心と、手を引いてしまった罪悪感で視線が落ち着かない。起き上がろうとする王子に手を貸す。


「だ、大丈夫ですか?」

「慣れてるから大丈夫。城でもよく落ちるんだ。柵でも作ろうかと真剣に考えたこともあるよ」

 首を動かし、腕を回しながら笑う王子に異常はないようで一安心。


 ずっと避けてきた王子の髪は、想像通りに柔らかくて撫で心地が良かったと考えている自分に気が付いて血の気が引く。


「着替えて出発しようか。お腹も減ったし」

 何故か耳を赤くして笑う王子に、私は慌てながら頷き返した。


      ◆


 宿屋の階段を降りて、一階の酒場で朝食を取った。昨晩の乱痴気騒ぎは綺麗に払拭されていて、行き届いた掃除のお陰なのか窓からの日の光も明るく室内を照らしている。店員もすべて入れ替わっていて、まるで違う店のような雰囲気の中で食事を終えて出発した。


「ジュディット、どうしたの?」

「……平民用の宿は初めてで、驚きました」

 酒場と賭博場はともかく、お湯の出ないシャワーなんて聞いたこともなかった。


「あれでもマシな方だよ。小さな宿は浴室がないのが当たり前だし、シーツ類が洗濯されていないことも多いからね」

 気軽に笑う王子の言葉に背筋が凍る。そういった宿に泊まったことがあるような物言いに、まさかと心の中で首を振る。


「隣の部屋の会話が全部聞こえることもよくあるし、人が歩くと揺れる床があったり、階段に踏んではいけない場所があったりもする。壁に穴が開いてる部屋もあったよ」

 恐ろしいとしか思えない平民用の宿について、王子の口から言葉が途切れない。側近や護衛騎士は止めないのかと過去のことながらハラハラしてしまう。


「……恐れ入りますが、誰も止めないのですか?」

「止めないなぁ。皆で楽しんでるから」

 さらりと返された言葉が怖い。

「た、楽しむとは一体……」


「ん-、泊った客を襲って、荷物やお金を強奪する宿が一番楽しかったかなぁ」

「は?」

 今、耳が全力で拒否した。宿が客から強奪? 完全に理解不能。


「絶対夜に来るってわかってたから、皆で準備して待ってたんだ。意気揚々と宿の主や強盗団が入ってきた時、準備万端の僕たちを見た顔といったら……!」

 その光景を思い出したのか、王子は笑い出す。


「あ、もちろん捕らえて領主に引き渡したよ。昨日泊った宿も、あの見た目だから絶対何かあると皆で疑って泊まったんだ。ところが意外にも何にもなかった。壁は厚いし、何より清潔だから皆も使うようになったんだ」

 言われてみれば、お湯が出ないことと家具の素朴さを除けば、手入れの行き届いた部屋だった。


「今夜泊る宿も知っている所だから安心して」

 そうは言われても不安しかない。明るく笑う王子に無理矢理作った微笑みを返した。


      ◆


 馬車は痛んだ街道をかなりの速度で走り続けている。王女と視察旅行に出る際には、これ程揺れることはない。


 王子は私を片腕に抱き、片手で窓枠を掴んでいる。辞退したくても私が窓枠を掴んで体を固定することができないので仕方ない。年下であろうとも、男女の体力差は埋めることは難しい。


「ロザリーヌや王族が視察に出る場所は、事前に調べられるからね。所有している貴族たちも無理をしてでも街道を整備するみたいだよ」

 王女と私が見てきた国民の生活は、綺麗に整えられたものだったと知って気分は複雑。


「多少無理してでも、見栄を張ってでも良く見せたいっていうのはさ、皆が王族に対して好意を持ってくれてるんだと思う。だって嫌いな相手に良く見せようなんて思わないよね」

 そう言われれば、そうかもしれない。


「だから僕は事前に知らせずにこっそりと視察してる。飾ることもなく、無理することもない国民の生活状況を知って、何か手助けできることがあれば手を差し伸べたいし、変えられることがあるのなら変えたい」

 王子は、王女が見ていた綺麗で優しい世界とは違う世界を見ているのだろう。王を陰から支え、この国を良くしていきたいという願いが伝わってくる。


 理想を目指して人からは見えない努力を続ける王子。そう考えるとますます主として仕えたくなる。服の中、胸に下げたペンダントが重い。


 馬車の揺れが緩やかになり、痛みきっていた場所は抜けたらしい。私は王子の腕を断り、座り直す。残念だと嘆いていた王子は、しばらくすると壁にもたれて眠り始め、昨日の戦闘の影響が残っているのかとやっと気が付く。


 結界魔法や探査魔法、それがどれだけの魔力を使うものなのかはわからなくても、あれだけの派手な効果を見せたのだから、相当な負担だったのだろう。


 眠る王子を横目でみながら、〝王子妃の指輪〟に目をやって溜息を吐く。婚約者ではなく騎士として望まれたなら、どれ程良かったことだろう。そもそも、私が王子に命を掛けて求められる理由がわからない。


 明確な接点といえば、事件が起きた王女の誕生会と騎士の任命式だけ。その際に多少の言葉を交わしただけだった。


 私自身は珍しい女騎士というだけで、特別美しいという訳でもない。繊細な貴族令嬢たちと違って、がさつで礼儀も忘れている。王子妃として必須の技術である刺繍もろくに出来ず、歌や楽器も苦手。得意なのは剣術だけ。そんな私のどこが良いというのだろうか。


 比べるまでもなく、アリシアの方が貴族令嬢として完璧で美しい。王子の隣に立つのは、年上の私よりも同じ年齢の方が良いとも思う。


 考えに沈む中、馬車が大きく揺れた。体が大きく傾いだ王子が座席から落ちないようにと手を伸ばすと、王子の頭を胸で受け止めてしまった。


「……お、王子、大丈夫ですか?」

 不自然な体勢で私と抱き合う王子は全く動かない。まだ眠っているのかもしれないと、抱き締めたまま髪を撫でる。柔らかな髪はふわふわで、まさに金色の子犬のよう。


 そうして私は気が付いた。王子の耳が赤く染まっていることに。

「……王子?」

 王子は完全に目が覚めている。間違いない。私の我慢はついに切れ、王子の頭に拳を落とした。 

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