第42話 酒豪の夫人、辺境伯の晩餐会にて。
晩餐会への案内を務めるのは驚いたことに辺境伯の騎士二人だった。一人は白金の短髪に緑の瞳で私よりも頭一つ半背が高く体格が良い男。全身黒の儀礼服にマント、剣帯に下がる長剣は幅広で分厚く、その体格の良さを活かして力で圧す戦いが得意と見て取れる。その襟章と服の装飾が副団長を示していた。もう一人は紺色の短髪に青い瞳、背は私よりも少々高い男。剣帯の左右に短めの長剣を下げていて、双剣の使い手だとわかる。
名乗ることもなく、ただの従僕としての案内を上位の騎士が務めることに違和感があった。城内を歩くだけだというのに、周囲を警戒していることが全身から伝わってくる。副団長の後ろを王子と私、ジュリオとシビルが歩き、後ろを双剣使いが護る。ティエリーとガヴィは荷物や部屋に仕掛けをされないようにと部屋へ残った。第三王子とはいえ、最小限どころか少なすぎる従者の手が全く足りなくて頭が痛い。
辺境伯の城内は、戦い易さに特化した造りになっていた。
これなら鉄やガラスで作られることの多い魔法灯を気にせずに剣や戦斧を振り回すことが可能。扉は燃えにくく硬いラギの木特有の色を帯び、鉄の装飾が施されている。窓枠は鉄製で、布や木製の装飾品がないのは放火されても延焼させないためだとわかる。
凛々しい王子の横顔は微笑みながらも緊張を帯びていて、心配で見つめていると王子の視線が返ってきた。優しい完璧な王子の笑顔の中、その目が少々の戸惑いと苦笑の光を帯びていることに何故かほっとする。
緩やかに傾斜する廊下や、高さの違う階段といった初めて訪れた者の方向感覚を惑わせる為の仕掛けを感じつつ、狭い通路を経て豪華な両開きの扉の前へとたどり着いた。副団長が右手を胸に当てる騎士の礼を取り、王子と私を扉の前へと誘導すると何の前触れもなく扉が開く。
「第三王子ルシアン様、ご婚約者ジュディット・レオミュール様、ご入場!」
名前を呼ばれた後、金管楽器による派手派手しい音楽が鳴り響く。その華々しさと仰々しさに怯んではいられない。王女を護衛していた時と同じように、状況を瞬間の視線移動で把握する。
大広間の周囲には豪華な料理が置かれたテーブルが並べられ、百名以上の男性たちが起立して王子を出迎えていた。これが今回の辺境伯の夜会の参加者だろう。その顔を頭に叩き込んだ貴族名簿と照らし合わせると、伯爵から男爵までの比較的低位の貴族が多いことに気が付いた。高位貴族たちがいないのは領地収入以外で貴族自身が金を稼ぐことを良しとしていない為か。広間の奥、遠い場所で立つ男性たちには全く面識はなく、上質ではあっても貴族とは違う服装で商人だと推測できる。
そんな中、壇上に近いテーブル席に目から上を白い仮面で覆った銀髪の男性を視界の端に捕らえた。服装から推測できるのは、まだ若く私よりも少々年上。髪色と年齢で絞り込んで、バルニエ公爵の第一子であり、アリシアの兄ボドワンが頭に浮かぶ。銀髪に青い瞳で常に温和な笑顔を浮かべるバルニエ公爵とは違って、傲慢さが言動の端々に現れた人物だったと記憶している。……これで辺境伯と公爵とのつながりが証明されてしまった。
王子と私が案内されたのは、最上段に設けられた席。テーブルの正面は開けていて、大広間のすべてを見渡せる。王子の隣には辺境伯、私の隣には夫人が座る。
巨大な酒樽と牛や羊の丸焼きがよく見える場所に置かれていて、同じ酒樽から透明なグラスに赤ワインが注がれた。王城の特別な宴で使用されるグラスよりも透明度が高く、酒の色が良くわかる。
酒は二人の従僕が運んできた巨大な銀の盆に複数並んだグラスから自分で選ぶ形式で、最初に王子が選び、次に私。その後で辺境伯夫妻と辺境伯の息子たち、そしてボドワンがグラスを手にした。これなら毒を仕込まれる心配はないだろうと密かに安堵の息を吐く。貴族や商人たちには金属で作られた杯が配られていた。
「ルシアン様とジュディット様のご婚約を祝って! 乾杯!」
辺境伯の祝いの言葉の後、全員が最初の酒を飲み干す。大広間のあちこちから起きる乾杯の言葉の勢いにつられそうになりつつも、貴婦人は一口二口で止めるのが習わしだと果汁を飲んでいた王女の姿を思い出して間に合った。横に座る夫人のグラスには半分以上の赤ワインが残っている。
渋みも優しく飲みやすい味で、もっと飲みたいとは思いながらも王子のことが気になって仕方ない。王子は完全に飲み干していて、二杯目の新しいグラスを手に取っていた。飲み過ぎて酔ってしまうのではないかと心配する私の視線に気が付いたのか、王子は凛々しい王子の笑顔を見せながら『大丈夫だよ』と声無く告げる。
騎士の必須能力として学んだ読唇術がこんな時に役立つとは思わなかったと苦笑していると、隣の席に座る夫人から声を掛けられた。
「ジュディット様、よろしければもっとお飲みになって下さい。我が領民が丹精を込めて作り上げたワインは、我が国一番と誇れる美味しさですのよ」
王城で見せる辺境伯夫人としての厳しさとは程遠い、優しい笑顔で心の警戒が緩みそうになる。これがこの方の本当の姿なのだろうか。それとも、これもまた仮面なのだろうかと判断に迷う。
勧められるままにグラスを空にすると夫人もグラスを傾けて飲み干す。すかさず新しいグラスが配られて、夫人がグラスを空にする。
「わたくしがジュディット様と同じ年の頃は、小酒樽一つを一晩で空にしたものですが、今は半分が精一杯ですのよ」
ため息交じりで微笑む夫人の言葉を聞いて、張り付けた笑みがひきつる。小酒樽といえば酒瓶三十本分。王城の騎士でもそれだけ飲める者は数名しか知らない。
「夫の求婚を受けたのは、好きなだけ酒を飲んでいいと言われたからですの」
夫人の酒豪伝説は面白くて、つられてついつい酒を飲み干してしまう。大広間の中央で牛や羊の丸焼きが見事な手つきで捌かれて、料理が参加者へと配られていく。
時間が経つにつれ、貴族と平民との境界が無くなって酒宴の様相を帯びてきた。通常では関わることのない人々が、酔った勢いで肩を組み祝いの歌を歌い大声で笑いあう。ほろ酔い顔の王子も辺境伯とその子息たちと酒を酌み交わし、祝いの歌や言葉に返礼をしている。それは王城では絶対に見られない光景。あまりにも自由過ぎる空気に頬が緩みつつ、私は杯を重ねていた。
◆
賑やかで自由な晩餐会が終わり、再び辺境伯の騎士の案内で部屋に戻った。どうやら騎士たちは大広間の外で警備していたらしい。晩餐会の自由な雰囲気を壊さないようにという配慮なのだろうか。それとも別の意味があるのか。
寝支度を終えて寝室に入った途端、王子が崩れ落ちて床に手と膝をついた。
「王子! どうされましたっ?」
また毒でも盛られたのかと、慌ててしゃがみ込む。
「……無理。もう一滴も飲めないよ……」
「は?」
先ほどまで見せていた、ほろ酔いながらも凛々しい王子の顔は崩れ、眉尻を下げてふにゃりと締まらない顔は少々情けないながらも可愛らしい。
「ジュディットがいっぱい飲んでるから、僕も頑張って飲んだのに……」
ふにゃふにゃと嘆く王子に肩を貸し、ベッドへと放り込む。
「それは仕方のないことです。私はワインだけでしたが、王子は何種類も飲まれていたでしょう? 種類の違う酒を混ぜて飲むと酔いが強くなります」
敵の疑いがある辺境伯の城にいる状況で、密かに対抗していたのかと呆れてしまう。テーブルに置かれた水差しからカップに水を注ぎ、一口含んで毒見をしてから王子に差し出す。
「水は飲めますか?」
「飲む」
半身を起こした王子を支えながら水を飲ませると、王子の頬が真っ赤に染まっていく。完全に酔いが回ったらしく、横になった王子はすぐに眠りに落ちた。
その無防備な寝顔が可愛らしくて、どうしようもなく笑顔が零れた。
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