第41話 婚約祝いの言葉、辺境伯の城にて。

 辺境伯の城の周囲には堀が作られ、五カ所の門へと続く石橋が架かっている。正門は王族と貴族専用の為なのか、他に馬車はいなかった。馬車の中から見える他の石橋は、入城待ちの馬車が列を成している。


「あら。こちらの橋は全然揺れないのねー。他の橋を通った時には、なんだか頼りない造りだなと思っていたのだけれど」

「えーっと……秘密でも何でもないけど正門への橋以外は、すぐに落とせるようになっているはずだよ。敵が攻めて来た際に橋を落として、侵入経路を減らすのが目的だ。そうはいっても、あれだけの馬車が乗っていても平気な強度はある」

 シビルの疑問に王子が苦笑しながら答えている。視界に入った石橋はしっかりとしているように見えても簡単に崩せるのか。


 高い塀を貫く正門を馬車で通り抜けると、中庭の広場には黒と銀の儀礼服を着用した騎士と兵士が数百名列を成していた。馬車止めからは赤い絨毯で道が作られていて、その先には辺境伯夫妻が正装で待っている。王族を迎える為だとしても、これは破格の扱いと言える。まるで国王陛下を迎える為のような仰々しさに内心驚く。


「さて。ここからは戦いの時間だ」

「はい」

 王子の微笑みが凛々しさを増し、シビルは侍女らしく表情を消す。私は一体どういった表情をすればいいのかと考えて、王女を手本に微笑むことにした。

「ジュディット、行こう」

 王子の手を借りて馬車を降りた途端に、金管楽器による音楽が高らかに鳴り響いた。王子と私が並んで赤い絨毯の道を歩く間も騎士と兵士は微動だにせず直立のままで、壁のような威圧感がある。

 中でも一際存在感を放つ辺境の騎士団は全員が黒の儀礼服に黒いマントを着用しており、その容姿からして曲者ばかりの印象を受けた。さりげなく視線を巡らせて茶髪で痩身の男を探してみても該当者は見当たらない。客人として滞在しているのだから、ここに並んでいなくて当然か。


 齢五十を目前にして背が高く騎士に劣らず体格の良い辺境伯は、金褐色の短髪に緑色の瞳。王城の主要行事にしか参加しない辺境伯は常に黒と銀の厳めしい儀礼服を着用していたのに、目の前に立つ辺境伯は緑青色の上着に白のトラウザーズという明るい色の儀礼服を着用していた。隣に立つ夫人は白金髪に青い瞳。その容貌はどことなくティエリーに似ていて緑青色の落ち着いたドレス姿で微笑んでいる。


「ルシアン様、ジュディット様、ご婚約おめでとうございます」

 辺境伯の最初の挨拶が婚約祝いとは予想しておらず、隣に立つ王子の横顔に瞬間の戸惑いを感じ取った。目尻を下げた笑顔の辺境伯と夫人は心の底から喜んでいるように見え、二人の満面の笑みは王城では見たことがなかった。

「ありがとう。皆、変わりはないだろうか」

「はい。我が領民も国境も変わりなく、平穏な日々を過ごしております」

 王子の問い掛けに対して、辺境伯の返答は国境を護る者の自信に溢れている。


「長旅はお疲れでございましょう。お部屋を準備しておりますので、まずは休息をお取りください」

 この規模で王族を出迎えた場合、流れのまま歓迎式典や茶会へと向かうのが我が国の慣例で、正直な気持ちとしては休めるのはありがたい。長距離の移動でも疲れを見せることなく微笑みながら参加していた王女のことが懐かしく思い出される。


 辺境伯夫妻の案内で通されたのは、豪華な客室。広いバルコニーからは、城の中庭だけでなく街の全域を見渡すことができる。

「本来なら舞踏会を開くべきですが、今回の宴に参加する者は妻を同伴しておりませんので、晩餐会のみを予定しております」

 王城では一切笑わず無口で威風堂々とした辺境伯を密かに恐れる者は多かった。目の前の辺境伯は快活な笑顔で、同じ姿をした別人と言われても信じてしまいそうになる。


「驚かれましたか。辺境を護る者としての威厳を見せなければ侮られますから『当主は領地の外では感情を隠すべし』という家訓があるのです。現役の王族で私たちの普段の顔を知っておられるのは、王と王妃、第一王子だけでしょう」

 ならば王子も知らないということかと納得しつつも、その笑顔の裏にさらに隠された顔があるのではないかと疑ってしまう。


 辺境伯夫妻は早々に退出し、入れ替わりでティエリーとジュリオ、ガヴィとシビル入室した。ティエリーの表情はいつもと変りなく優雅な微笑みを浮かべていて、無表情のジュリオは若干緊張気味。淡い笑顔のガヴィは吟遊詩人らしい謎めいた雰囲気を強めている。私の視線に気が付いたシビルは、一瞬だけ人のよさそうな可愛らしい笑顔を返して侍女の顔へと戻った。


 ワゴンで運ばれて来た茶器を使ってシビルが手際よく花茶を淹れ、ジュリオが毒の検査を行ってティエリーが試飲をした後に喉を潤す。若干の苦みを感じる爽やかな風味は今まで飲んだことのない花茶だった。

「これは疲労と胃腸に良い効能がある花茶です」

 その花茶はこの地の特産品でもあるらしい。王子と私がお茶を飲む間、ジュリオとティエリーは室内の確認を行っていた。


「ここは王族用の客間です。数年に一度使うか使わないかという部屋ですね」

 ティエリーに案内され、豪華でありながら居心地の良い場所であると確信。バルコニーに続く、ソファの置かれた居間を中心にして、巨大なベッドが置かれた寝室が三つ、広い更衣室、食事用の円卓が置かれた部屋、従者用の部屋も揃っていて、長期滞在も可能な造りだと見て取れる。この城の主の部屋と言われても違和感がない。


 王子の目配せに応じて、ジュリオが防音結界を部屋に張り巡らせる。右手に紫色の光が煌めく寸前、何か小さな木片を指先で潰すのが見えた。王子はボタンに魔法陣を封じ込め、ジュリオは木片に封じ込めているのか。


「……予想外のことが多すぎて驚いたよ。これは僕を油断させる為なのかな」

 王子の顔は保ちつつ、苦笑する口調は砕けた様子。

「予想外とは?」

「辺境伯は僕を心の底から歓迎しているように見えた。最初の言葉が僕とジュディットとの婚約祝いというのも驚きだ」

 ジュリオの問いに王子が答える。確かに辺境伯夫妻からは歓迎と喜びの感情が溢れていた。

「……あれが演技だとは思いたくないな」

 ふと零された王子の言葉に含まれた憂いで、魔術師であることを隠して王子を襲撃したエルベ男爵を思い出した。エルベ男爵も王子を屋敷に迎えたことを感激しながら歓迎し、国の将来のことで熱い議論を交わす程だったのに王子を裏切っていた。


「辺境伯夫妻の王族礼賛は昔からです。……この部屋は……万が一にも王城が落とされた時、生き残った王族を迎え仮の王城として機能する為に作られたと伝わっています」

 ティエリーの言葉でこの豪華すぎる部屋の理由がすっきりと腑に落ちた。ここは王城の代わりになる城なのかと考えた所で、王と第一王子を護る為の代替魔法のことが頭に浮かぶ。王の命も王城も常に代わりを用意して、一体何に備えているのか。


 こことは反対側の国境は、高い岩山という天然の城壁で護られている。攻め入られる危険があるのは、この国境線。それでは、戦争だけではない何か……あの魔物の復活に備えて作られた仕組みなのかもしれないと思いつき、五百年の間に一体何人の王族が代替魔法の犠牲になったのかと背筋が冷える。


 今後の話をしている途中、扉が叩かれて晩餐会の時間が来たことが知らされた。

「なるべく早く剣を見つけて離脱しよう」

 王子の金髪と窓の外の空を赤く染める夕日が、神殿で見せられた過去の凄惨な戦いの光景に結び付く。魔物との決戦は次の満月。……王子がこの剣を急ぎ欲しているのは自らの不利を考えて、その前に護衛騎士たちを助けようということか。


 この無謀な王子を護ることができる力が欲しい。

 歯噛みしたくなる程の悔しさを感じながら、差し出された王子の手を取った。

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