第40話 騎士の剣、心の中で王子へと捧げる。

 シビルの私室に設置された浴室で体を清め、持参したドレスを着用した。濃いピンク色の落ち着いた意匠のドレスは王女が気に入っていたものと色違いで、懐かしさを感じると同時に王女に励まされているような気持になる。

「可愛らしいドレスね。貴女にとても似合っているわ」

 着替えと身支度を手伝うシビルは、ずっと私を誉め続けている。剣を扱う為に硬くなった手指を見ても、これなら剣の舞姫が出来ると微笑むから心が浮き立つ。


 シビルが施してくれた化粧は王城の侍女とは全く違っていて、淡い砂糖菓子のような色使い。金茶色の髪がゆるやかに巻かれ髪飾りが付けられると、鏡に映る私の顔はふんわりと可愛らしい王女にどことなく似ていた。

「……これは……?」

「以前遠くから拝見したロザリーヌ様に似せてみたのだけれど、どうかしら? 並んだらきっと姉妹に見えると思うわ」

「は、はい……! とても嬉しいです」

 美しく可憐な王女に義姉と呼ばれた光景が脳裏に蘇って、胸がときめく。化粧による一時的な効果とはいえ、王女に近づいたようで嬉しい。


「さーって、これでお姫様の変身は完璧ね。先に下へ降りていてくれる? 私も支度するから」

「支度? 私に何か手伝えることがあればおっしゃってください」

「ありがとう。気持ちだけ頂いておくわね。踊り子の支度は人には絶対見せないものなのよ。綺麗な夢が壊れちゃうから」

 朗らかに笑うシビルに見送られ、私一人で王子たちが待つ階下の部屋へと向かうと廊下で窓の外を見ていたティエリーに出会った。金褐色の髪に緑色の瞳という私と同じ色彩を持つティエリーはすでに王子の側近としての身支度を完璧に終えており、深緑色の上着に黒のトラウザーズとブーツ。タイには王子の紋章のピンが輝く。


「これはこれは。美しい姉王女様のお戻りですね。ロザリーヌ様がご覧になれないのが残念です。きっとお喜びになったでしょう」

 恭しい挨拶の礼と共に贈られた姉王女という呼び名に戸惑いつつも、やはり他人からも王女と姉妹に見えるのかと、嬉しくて頬が緩む。

 ティエリーが扉を開くと、部屋にいた王子とガヴィが目を見開いて驚き、ジュリオは静かに目を瞬かせる。

 金髪碧眼の王子は紺青色の上着に白のトラウザーズと黒のブーツ。白のマントを着用していて凛々しい。緑がかった灰銀髪で濃い橙色の瞳のガヴィは生成色のシャツに緑の革のベスト、茶色のズボンとブーツいう吟遊詩人特有の姿で、左耳には竜血石の耳飾りが揺れている。白金色の髪に水色の瞳のジュリオは鉄紺色の上着に黒のトラウザーズとブーツ。タイには王子の紋章のピン。


「……お待たせして申し訳ありません」

 最初に声を上げるのは王子だと思っていたのに、誰も言葉を発しない。似合っていないのだろうかという不安と奇妙な沈黙の中、耐えきれずに自分から口を開く。

「おや。ジュディット様のお美しさに驚いて声もでないようですね」

 軽く優美な口調で沈黙を破ったのはティエリー。

「申し訳ありません。ジュディット様のお姿を拝見して新しい物語が思いつき、言葉を失ってしまいました。とてもお美しいです」

 吟遊詩人の礼をしながらガヴィが語る。

「失礼しました。ロザリーヌ様に姉君がいらっしゃったのかと驚いてしまいました」

 静かに頭を下げたのはジュリオ。


 王子は見開いたままの瞳を揺らした後、困惑交じりの寂しそうな笑顔で近づいてきた。差し出された王子の手で三人掛けのソファへと誘導されて、私一人が座る。

「ジュディットはどんな姿でも綺麗で可愛いね。…………ユベールが喜びそうだね」

 何故ここで、港町の魔術師の名前が出てくるのかわからない。ドレスの隠しポケットに入れた魔具のペンダントが急に存在感を主張してきた。

「王子、それは一体……」

 どういう意味なのかと問いかけた時、開いたままの扉からシビルが入ってきた。褐色の髪はきっちりと結い上げられていて、黒に近い紺色の詰襟ワンピースを着た姿は侍女のように見える。

「お待たせしちゃったわね。馬車の方は準備できているから出発しましょうか」

 シビルの提案に王子が頷き、私は答えを聞けないままソファから立ち上がった。


      ◆


 用意されていた馬車は高位貴族が使用するような豪華な二頭立てのものだった。慣れた様子で馬車を操るのはジュリオ。王子の側近は全員が馬車を操ることができると聞いて驚いた。ティエリーとガヴィは馬で並走。馬車の内部では私と侍女役のシビルが並んで座り、王子が手前に向かい合って座っている。

「今回は侍女を連れて来れなかったからね。滞在中はシビルに頼むことにした」

 シビルが同行している為なのか、王子は『礼儀正しい王子の笑顔』を保っている。物足りないような歯がゆさを感じつつ、王子の言葉を聞き逃さないようにと注意を向ける。

「辺境伯からの招待状には、僕とジュディットの名が書かれていた。僕が夜会に参加している間、ジュディットはおそらく辺境伯の夫人たちと茶会や食事会になると思う。……もしくは……」

「何か心配していることがあるのなら、はっきり言っておいた方が良いと思いますよ」

 言葉を濁した王子をシビルが咎めた。


「……簡単に言えば、ジュディットを監禁して僕を脅す材料にする可能性がある」

「そんな! わかっていて何故、危険な場所にお姫様を連れていくんです?」

「シビル、待ってください。私が同行すると申し出たのです。王子は私を安全な場所へと避難させておく予定でした」

 王子は自らの側近を護衛に付け、私を遠ざけて護ろうとしていたと説明するとシビルは大きく溜息を吐いた。


「辺境伯が僕の誘拐未遂に関わっていることも、バルニエ公爵と繋がっていることも僕が知っているとは思っていないだろう。もしも僕が知っていると疑っていたとしても、ジュディットを連れて来たことで油断するんじゃないかな」

「そうかもしれませんが……何もご自身が罠に飛び込まなくても……」

 あきれ果てたシビルの声を聞きながらも、何にせよ王子と共に来てよかったと思う。この方は自らを危険に晒すことを大したこととは思っていないと痛感する。王城に残っている側近シャイエの気持ちが本当によくわかった。


「今回の僕の目的は、呪法が掛かった剣の確保だ。長剣よりも若干短く、湾曲した刃が特徴だ。鞘は黒。使い手は茶色の髪と目の三十代前後の痩身の男で、死に際の病人のような姿をしているから剣を使えるようには見えないらしい」

 成程。負傷した騎士たちはその姿を見て油断したのか。

「剣を確保次第、離脱して王城へと帰還する。……辺境伯と二人きりで話を聞いてみたかったけど、それは次の機会にするよ」

 果たして次の機会はあるだろうか。呪われた剣を確保して持ち帰った時点で、辺境伯が王子の誘拐に関わっていることを知っていると突きつけるようなもの。


「ジュディット、何か聞きたいって顔してるよ」

「剣を確保して我々が離脱した後、王子がすべてを知っていると気付いた辺境伯とバルニエ公爵が即時反乱を起こすのではないでしょうか」

「今、バルニエ公爵と辺境伯の領地内では、主要作物の収穫の時期なんだ。何よりも国を愛する二人が王家に反旗を翻すのなら、その後になるだろうね。あと、辺境伯はともかく、バルニエ公爵側の貴族たちは武器も兵糧の蓄えも全く足りていない。内戦の準備が整うまで、どんなに急いでもあと半年程度は必要だろう」

 王子は貴族たちの動向を調べつくしているらしい。王女とは全く異なる〝国を背負う王族〟の顔をした王子は凛々しく気高い。


「まだ時間はある。僕は考えられる最善を尽くして必ず勝つよ」

 自信に満ち溢れた強い視線を受けて胸がどきりと高鳴るのを自覚しながら、私は心の中で騎士の剣を王子に捧げた。 

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