第43話 剣の舞姫、辺境伯の夜会にて。

 何事もなく夜が明けた。部屋に付属の個室で情報を交換しながら朝食を取った後、王子は私の手を取ってバルコニーへと向かった。

「とても賑やかだね」

 夜会と聞いていたのに朝から城内のあちこちで商談が行われていて驚く。バルコニーから見渡せる中庭では様々な形状の荷馬車や小舟、檻に入った家畜が並んでおり、威勢のいい声が響いている。昨日は中庭に何もなかったというのに、いつ運び込んできたのだろうか。

「まるで市場のように盛況ですね」

「聞いた話によると、新しく開発された技術も売買の対象らしい。これまでは金銭になるとは思えなかったことも、ここでは対価が受け取れる。技術開発には大金が必要になるからね。その資金が稼げるのなら更なる向上が期待できる。この仕組みが広まれば、国全体が豊かになれる可能性がある」

 眼下に広がる光景を隅々まで眺めつつ王子の瞳は楽しそうに輝いている。


 空はどこまでも青く、高い城壁の向こうには街が広がり、金色の麦畑や緑の果樹園。豊かで凝縮された光景が一つの国のようだと感じる。王子の横顔に、民を慈しむ王を見てはっとした。もしも王子が王位についたなら。咄嗟に浮かんだ不敬な想像を慌てて打ち消す。


「何か気になる?」

「これだけの品をいつ運び入れたのかと不思議に思っています」

「まだ夜も明けない頃に運び込む声が聞こえていたよ。あれだけお酒を飲んでいたのに商人たちは働き者だね」

 夜明け前と言われて、全く気が付かずに眠っていたと自らの失態に動揺する。私が同行しているのは王子を護るためなのに。

「僕は喉が渇いて目が覚めただけだから、お酒を飲んでいなければきっと気付かず眠っていた。皆が交代で不寝番を務めてくれているし、僕たちはしっかり眠ろう」

「……はい」

 私とシビルは女性だからということで不寝番を免除されている。いざという時に睡眠不足で動けないようでは足手まといになると頭で理解はしていても感情が焦りを生む。


「太陽が出ている間は城内を自由に見てもいいらしい。一緒に見て回ろうか」

「はい」

 王子の明るい笑顔につられて反射的に即答してしまった。何故太陽が出ている時間と限定されているのかと考えて、今日から辺境伯の夜会が始まるためかと納得する。


 ジュリオを連れ、王子と私は部屋を出た。扉の外で控えていた辺境伯の騎士の一人が随行の許可を求め、四人で歩き出す。

「今回の人気の品は何か聞いても良いだろうか?」

「はい。魔法石を使用して、自動で時報の鐘が鳴らせる装置が一番人気と聞いております」

 全身黒の騎士服をまとい長剣と短剣を剣帯に下げた男は、若干緊張した様子で答えている。あまり社交的な性格ではないのか、人と話すことが苦手と感じた。本来は接客をする立場ではない騎士がこうして王子を案内する意味を考えると、この城の中でも何らかの危険が予想されているのか。

「それは面白そうだ。早速見に行こう」

 王子の明るい返答が場の空気を和ませて、私たちは歩き出した。


 皆が魔力や神力を持っていた昔には精霊たちが鳴らしていた時報の鐘は、現在では人の手で鳴らしている。人々の一日の行動に多大なる影響を及ぼす鐘の音は重要で、酷い遅延や鳴らされなかった場合は領主に重い罰金が課される。王城でも専門的に従事する者たちがおり、常に緊張感を伴う仕事だと聞いていた。


 その装置を扱う商人がいるという部屋は扉という扉が開け放たれていて、多くの人々の熱気が廊下へと溢れている。人数の割には静かだと疑問に思った所で、滔々とその装置の仕組みを説明する声が耳へと届いた。

「――毎月一度、魔法石を交換し日時と日の出の時刻を合わせるだけで、この装置は正確に綱を巻き取り、鐘を鳴らすことができます。これまでは失敗を恐れて多くの人手が必要でありましたが、この装置があれば人の手は最小限。ご心配であれば、一人か二人を雇うだけでよくなります。では実際に鐘を鳴らす仕組みをお見せ致しましょう」


 実際に時報の鐘は鳴らせない為なのか、美しい高音を響かせる鐘が鳴り人々の歓声が上がった。人が多すぎて、その装置も販売している商人の姿すら見えない。前へ案内しようとした騎士を王子は引き留めた。

「僕は商売の邪魔をしたくない。ここでも十分説明が聞こえていたよ。落ち着いた頃に、もう一度覗いてみよう」

 優しい完璧な王子の顔で微笑みながら、王子は歩き出す。背後では、これは買いだ、画期的だという人々の声が耳に届く。


「王城へ呼んで説明してもらうのもいいかもしれないね。……ジュディット、何か疑問がある?」

「これまで専従で雇われていた者たちの仕事がなくなりませんか?」

 唐突に王子に質問されて、考えていたことが口から零れてしまった。王子が良いと思った物への批判に聞こえてしまっただろうかと心が焦る。


「そうだね。この装置が広まれば、専従の仕事はきっと無くなっていく。でもこの仕事が無くなっても、他に仕事はいくらでもあるから大丈夫だと思うよ。時報の鐘を鳴らすことは重要ではあるけれど、多くの人の手を無駄に縛り付けていたように思うんだ。余った人の手は、別の仕事できっと生かされていくよ」

 微笑む王子の説明を受けると、心にわだかまっていた疑問が溶けていく気がした。この世界には私の知らない仕事が沢山あって、一つの仕事が消えても他があると希望が持てる。


「ジュディット、次を見に行こうか。……二番人気はどの商品か教えてもらえるかな?」

 明るく笑う王子は私の手を握り、騎士へと話しかけた。


      ◆


 日没を迎えると、開放的な明るさに包まれていた城内が一転して何とも言いようのない怪しい雰囲気へと変化して昨日の夜とは全く異なっている。辺境伯夫人との個人的な晩餐会を終えた私は、部屋へと戻っていた。


「久しぶりで懐かしいわー」

 厳重に内側から鍵を掛けた部屋の中、閉ざされた窓の外を眺めながら侍女の顔を解いたシビルが笑う。柔らかで甘い香りの花茶を出されても、側近二人を連れて夜会へと向かった王子のことが心配で仕方ない。

「ルシアン様が気になる?」

「はい。……あの方は王子というご自分の立場を理解しておられません」

 貴人は従者に指示するだけで、自ら動くべきではない。周囲を信頼して任せてくれればいいのにと、やるせない気持ちで溜息を吐いてしまった私を見てシビルが優しく微笑む。


「とても心配しているのね。本当にルシアン様は思い切りが良すぎて驚いてしまうわね。じっと動かずにはいられない……というのは、きっと年を取っても変わらないから諦めて覚悟しておいた方が気持ちが楽よ」

「諦めて覚悟する……ですか?」

「ええ。私の夫がそうなの。面倒事には絶対関わらないっていつも自分で言っているのに、いつの間にか手伝っていたり後始末に追われていたりね。最初は心配で心配で喧嘩もしたけれど、この人は他人が困っているのを黙って見ていられないんだと諦めたら楽になったわ。一応、私を一番大事に考えてくれているというのもあるわね」


「それでね。仕方ないと諦めた時に、私は思ったの。このどうしようもないお人好しの夫を私が最善と思う方法で支えようって」

 静かに微笑むシビルを見て、強いと感じた。剣や力の強さではなく、心の強さ。ならば私はどうかと心に問うと、いつか王子を裏切ることが決まっていても今は王子を支えたいと気が付いた。


「シビル。私に知恵と力を貸してください。私はここで待っていることに耐えがたい苦痛を感じています。私は騎士として王子を護りたいと同行しました。この部屋から出て、隠れてでも王子を護ることが私の希望です」

「……ルシアン様だけでなく、自分の身を護る武器はある?」

「はい。私は剣を持っています」

 〝王子妃の指輪〟に封印されているとは明かせない。私の瞳を真剣な表情で見返したシビルが頬を緩めた。


「舞姫に扮していれば、女性が夜会で歩いていても不思議には思われないわ。さらに〝神隠しのベール〟を被れば目立たない。酒が入った男ばかりの場所では王子よりも女性の方が危険なの。……危ないと感じたら、まずは自分の身を護ること。それを約束してくれるのなら私も手伝うわ」

 私が約束するとシビルは部屋を出て、従者の控室にいたガヴィへと声を掛けて戻ってきた。


「私が荷物番に替わって、ガヴィに案内役をお願いしたの。さあ、舞姫になりましょうか」

 シビルに促されるまま、私は譲り受けていた剣の舞姫の衣装を荷物から取り出した。改めて見ると信じられないくらいに肌の露出が多い。ローズピンク色の上着の袖は肩を覆う程度しかなく、上着の裾のリボンを絞ると胸は隠れてもお腹が見える。薄い布を重ね、ゆったりとしたズボンは膝下までしかない。腰にひらひらとした飾り布を巻きつけても、お腹と足首を晒すという淑女にあるまじき姿が鏡に映って顔が強張る。


「やっぱり、やめておく?」

「いえ。大丈夫です」

 騎士としてズボンを穿いていた時点で淑女としては失格している。王子を護るという大義名分があるのだから、衣装が恥ずかしいなどとは言える訳もなかった。

 しっかりとした底のある靴を履き、足首へとリボンで結び付ける。舞姫用の靴は、初めて履いたというのに不思議と足へと馴染んで動きやすい。


「次はお化粧ね」

 シビルの鮮やかな手つきで施された化粧は、昼間の王女に似た化粧とは全く違い、どことなく気まぐれな猫を連想させるような艶やかさを感じさせた。土台は同じ私であるのに、化粧一つでここまで印象が変わるのかと驚いてしまう。髪は軽く巻かれて自然に降ろされた。


「さて。仕上げは装飾品」

 そういってシビルが自らの荷物から取り出した箱の中には、金色の小さな鈴で作られた腕輪や足飾り。取り出すとしゃらしゃらと美しい音を奏でている。

「シビル……それは……」

 剣の舞姫の装飾品。芸術的であまりにも美しい物だったので、辞退した物だった。

「お別れの時にこっそり荷物に入れるつもりだったの。衣装はすべて揃っている方がいいと思って」


 装飾品を付けた姿は、完全に舞姫。自分でもここまで変わるのかと驚いてしまう。全くの別人と言ってもいい。

「貴女は姿勢が良いから映えるわね。時間があれば舞を教えたのに残念だわ。さあ、このベールを頭から被って。必ず頭を隠すのよ。頭から外すと効果が無くなってしまうから、それだけは気を付けて」

「ありがとうございます。行ってきます」

 白く繊細なレースで出来たベールをしっかりと頭から被り、私は部屋の扉を開けた。


      ◆


「お待たせしました」

 私の声を聞いて驚いた顔をしたガヴィは色とりどりの羽根が着けられた深緑色のつば広の帽子を被り、生成のシャツに黒いズボン。帽子と同色のロングベストの裾には華やかな花々の刺繍が施されている。竪琴を手にする姿は絵に描かれたような吟遊詩人。

「舞姫の身支度は大した時間ではありませんので、お気になさらず。……成程。これが〝神隠しのベール〟の効果ですか……」

「何か不都合があるのでしょうか?」

「いえ。貴女が隣にいることが全く感じられないので戸惑っています。離れないようにしてください」

 

 ガヴィと共に歩き回って王子の姿を探す中、辺境伯の夜会は男性のみであり、妻帯者が妻を同伴しない理由がわかった。城内のあちこちの大部屋では、吟遊詩人が男女の激しい情事を語り、全裸に近い姿で舞う女性たちや、際どい衣装で曲芸を見せる男女を囲んで酒を飲む人々が騒いでいて、思わず赤面するような掛け声が耳に入ってくる。


 およそ昼間の商談の真面目さとは程遠い。そうはいっても遠慮も配慮もない自由過ぎる酒宴の中で、貴族と商人との境目があいまいになって連帯感のような協力関係を生むことが辺境伯の狙いなのかもしれない。王城では気難しい顔しか見たことの無い子爵が商人と肩を組んで歌い、笑いながら飲んでいる姿は印象深い。


「大丈夫ですか?」

「はい。特に問題ありません」

 この程度の喧騒で驚いていては、王女の護衛騎士を務めることはできない。ここまで猥雑な光景は見たことはなくても、仲間と訪れた酒場の延長と思えば視点の切り替えはできる。 


 窓からの風がふわりと頭に被っていたベールをめくりあげて髪が乱れた。ベールが飛ばないようにと手でつかみ、再度被りなおそうとして誰かの視線に気が付く。

「これはこれは、何とも美しい舞姫だ」

 視線と声の主は白金髪に目元を隠す白い仮面を付けたボドワンだった。優美なシャツの胸元ははだけ、片手に酒瓶を持ち、片腕に半裸の女性をまとわりつかせた姿は王城で見る貴公子の顔とは全く異なっている。


「今宵の相手はこの舞姫に決まりだな」

 そう言いながら女性を突き飛ばすようにして解放したボドワンの手が、私の肩を掴もうと迫ってきた。

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