第44話 呪われた騎士、砂塵となって消滅する。
ボドワンの手をガヴィが掴んで止めた。
「申し訳ありませんが、この娘は舞姫見習いでございます。舞姫を一夜の慰みにすることは、風の精霊の不興を買うと言われておりますよ」
それは微笑みながらの丁寧な口調でも、ガヴィの醸し出す雰囲気は迫力を持っていた。にらみ合うまでもなく、ボドワンがガヴィの手を乱暴に振り払う。
「……精霊の不興は避けねばならんな。ならばその見習いの舞を見せてもらおうか。女嫌いと名高い〝
そう言い放ったボドワンは、美しい花が飾られた花瓶を蹴り落とし石の台へと腰かけて足を組む。
「ちょっと! 今晩の約束はどうなるのよ!」
女性の抗議に対して、ボドワンは服の
「それでいいだろう?」
「はいはーい。どーもー!」
落ちた金を拾えという、他者を馬鹿にしきったボドワンの態度に対して怒ることもなく、女性は喜びの笑顔で金貨を拾い集めて走り去った。
「それでは、準備のお時間を少々頂きます」
丁寧な礼をボドワンに向けた後、ガヴィが振り向いて囁く。
『今なら他の人間は見ていません。気絶させますか?』
『待って下さい。宴の初日に騒ぎを起こすことはできません』
廊下にいるのはボドワン独りであっても辺境伯の夜会は数日間続く。ガヴィの顔が知られている上に、明日の夜もこの姿で王子の警備につくことを考えると、その選択はできなかった。
『……踊った経験はありますか?』
『……王女の相手役で戯れに何度か』
完全に覚えているのは男性用のダンスのみ。少女の頃に習い覚えた女性用のダンスは記憶しているかどうかも危うい。
『それは舞踏会用のダンスですね…………確か護衛騎士には式典用の演武があったと記憶しておりますが、剣無しで再現できますか?』
式典用の演武は、華美な儀礼服を着用した護衛騎士が二人で組となり、決まりきった型で剣を打ち合わせて騎士の戦いを表現する。動作も大きく華やかで、厳かな式典の中であっても人々の歓声を呼ぶ。王女にねだられて時折一人で実演することもあったので、相手がいなくても問題はなかった。
『はい。剣も持っています』
『それは良かった。貴女の動きに音を合わせますから、演武でなくても自由に動いて下さい』
優しく微笑んだガヴィは、数歩離れて竪琴で明るく短い旋律を奏でた。
「見習い舞姫の初演でございますので、多少の失敗はどうかご笑納下さい」
『
吟遊詩人の優雅な礼を横目に見ながら小声で唱える。目立たないようにと願った為なのか、手の中に白く輝く光が出現して剣を形作っていく。
「ほう。神力持ちの舞姫か。これは将来、伝説の舞姫シビルの再来となるかもしれんな」
ボドワンがからかうような声を上げ、片手に持っていた酒瓶を傾けて飲む。
「敵陣の宴の中、美しき舞姫は輝く剣を携え、軽やかに踊る――」
演武は記憶にある剣の舞姫の踊りとは全く違う。それでも剣を振り身をひるがえすと透けた布がひらりと舞い、華奢な鈴からしゃらしゃらと美しい音が鳴る。シビルから贈られた衣装とガヴィの竪琴から紡がれる音色と口上が私を飾り、舞姫へと近づけてくれている。
「敵の将は宴の上座で酒を飲み、剣の舞の素晴らしさに心と目を奪われた――」
仮想の敵から剣を受け、打ち返す。時には数歩踏み込み、数歩下がる。即興とは思えない音楽が剣の軌道に合わせて軽やかに流れ、徐々に体の硬さがほぐれると思考に余裕が生まれてきた。自分の希望をほとんど口にしない控えめな王女からの可愛らしい『お願い』を思い出し、頬が緩む。
「舞姫にしておくのは惜しいな。私の妾になれば何でも買ってやるぞ」
ボドワンの酷い言葉で王女との美しい思い出から目が覚めた。ムカつく心を抑えつつ剣を操る。
そろそろ演武が終わることを知っているのか、ガヴィが激しく竪琴をかき鳴らし始めた。剣の舞姫が敵将の首を取る直前、最高潮の場面で締めようというのだろう。そう察した私は、徐々にボドワンへと近づいていく。
私は演武の最後の一振りをボドワンの喉元ぎりぎりの位置で止めた。同時に曲も終わりを迎えて周囲に静寂が訪れる。
「……剣の舞の続きをご覧になりますか?」
背後から聞こえたガヴィの優雅な声には挑戦的な迫力が滲み出していた。この続きといえば、舞姫が敵将の首を刎ねる場面。私にその意図はないものの、ボドワンは息をのんで全身を硬直させている。
「い、いや。ここまででいい」
ボドワンの答えに応じ、突きつけた剣を降ろした私は軽く一礼をしてガヴィの元へと戻る。ボドワンが何か反撃してくるのではないかと思っていたのに、立ち上がる様子もなくて内心ほっとした。
「それでは、失礼致します」
花台に座ったままのボドワンを残し、私たちは廊下を早足で歩き出した。
◆
「申し訳ありません。油断していました」
頭に被りなおしたベールの端をしっかりと手で握りしめ、私はガヴィに謝罪する。私が気を付けていれば、時間を無駄にはしなかった。
「構いませんよ。おかげで美しい剣の舞を見ることができましたので、新しい物語が作れそうです」
先ほどまでの緊張感が抜けたガヴィは、何事もなかったかのように微笑む。
大広間へと近づくと明るい笑い声と音楽が聞こえてきた。開かれたままの扉から中を覗くと上座で辺境伯が酒を飲んでおり、その隣には誰かが座っていたのか空席が設けられている。グラスの中の酒が半分残っていることから察すると、空席の主は手洗いにでも行っているのだろう。
「おそらく辺境伯の隣が王子の席でしょう」
大広間では、いかがわしい光景は一切見当たらない。吟遊詩人が喜劇を歌い、道化師が時折茶々を入れて観客が笑いに包まれる。舞姫どころか下女すらおらず、従僕たちが酒や料理を運んでいて、騎士仲間だけで飲む際のむさくるしさを思い出して苦笑する。
しばらく待っていても王子が戻ってくる様子がなかった。辺境伯も背後の扉を気にするようにたびたび振り返る。
『飲み過ぎて倒れていらっしゃるのかもしれません』
嫌な予感がしてガヴィに囁く。ティエリーとジュリオが付いているはずだとは思っても、側近たちに弱みを見せまいと無理をする可能性もある。
回り込んで様子を見に行こうと大広間から出た途端、〝王子妃の指輪〟が熱を帯びて激しく振動した。それは何かを警告しているようであり、私の意識を廊下の奥へと向かわせる。
「……王子の身に何かが起きています」
そうとしか思えない。王子の魔力で出来た指輪は、きっと王子と繋がっている。たまらず走り出した私をガヴィが追ってくる。
「どこへ行くのですかっ?」
「わかりません! 指輪が私を誘導しています!」
「その馬車を確保しろ! 絶対に城外へ出すな! 逆らう者は斬れ!」
窓の外から叫び声が聞こえ、凄まじい剣戟が響き渡る。ガヴィと共に窓の下を見ると、黒塗りの箱馬車を取り囲む数十名の黒装束の男たちと辺境伯の騎士たちが剣を交え戦っていて、篝火の中、もはや戦場ともいえる光景が広がっていた。
「王子が!」
馬車の中に王子がいる。指輪はそう私に教えてくれていた。辺境伯の騎士たちは馬車が城の外へ出ないようにと道を塞ぎ戦っている。よく見れば、ティエリーとジュリオも馬車に近づこうとして剣で戦っていた。
黒装束の男たちは、剣で斬られても殴られて倒れても赤い血をまき散らしながら無表情で起き上がってくる。斬られた腕は再び繋がり、陥没した頭はごぼごぼと不気味な音を立てながら再生していく。馬車に繋がれた馬も同様で、足止めの為に戦斧で斬られても元の姿へと戻る。ぱちぱちと音を立てて燃える篝火に照らされて、その不気味さと醜悪さがさらに増していた。
呪われている。そう直感した。不死の呪いとは、これほど凄惨なものなのか。
城の構造は入り組んでいて、私たちが見下ろす窓は三階にあった。この高さから飛び降りて平気なわけがない。そうは思っても遠回りをするのはもどかしい。
「……翼!」
王女の婚礼で見た神力の翼による飛翔を思い出した。今の私の神力量なら同じことができるはず。
「何をっ……!」
制止しようとするガヴィを避け、私は窓枠を蹴って跳んだ。〝華嵐の剣〟に翼が欲しいと願うと背中に光の翼が現れて、ふわりと体が宙に浮く。神力による翼が白く輝き夜の闇を照らすと、乱闘していた黒装束の男たちが武器を取り落とし目を手で覆いながら動きを止め、馬車に繋がれた馬も時間が停止したかのように固まった。
「今のうちだ! 馬車を確保しろ!」
石の彫像のように動かなくなった黒装束の男たちを薙ぎ倒しながら副団長が叫ぶ。騎士たちが近づこうとした時、馬車の扉が開いて黒づくめの痩身の男が姿を現した。
『……うるさい奴らだ』
茶色の髪の顔色の悪い男の頬はこけ、まさに死ぬ直前の病人のような生気のない茶色の瞳。何よりも、その腰に下げられた湾曲した剣へと目が行く。
騎士の一人が斬りかかった時、男は目にもとまらぬ速さでその剣を避け、見たこともない剣の動きで騎士の腕を斬りつけた。騎士は剣を取り落としそうになりながら、後退していく。
次々と斬りかかる騎士に対して、まるで曲芸のような巧妙な動きで、防具に覆われていない場所や防具の合わせ目を狙って的確に斬りつける。騎士が一番苦手とする戦法は見ているだけで歯がゆい。
男が馬車から離れ、数名の騎士と対峙するのを確認して馬車の扉へ向かって飛ぶ途中、戻ってきた男が斬りかかってきた。
「
白い光の魔法陣は男の剣を跳ね除け、私は輝く剣を手にして男の前に立つ。地上に降り立ったためなのか、光の翼は消えた。
『……その剣は……? 〝
「違います。これは我が国の鍛冶職人が作った最高傑作。〝華嵐の剣〟です」
私が答えると男の目に光が現れた。それは明確な意思と共に、戦いの喜びに満ち溢れている。
『久しぶりに本気を出せる……いや、本気にならねば勝てぬ相手だ』
男の全身から揺らめく黒の炎が立ち昇る。禍々しい魔の力は周囲の空気を圧倒し、斬りかかろうとしていた騎士たちを拘束して動きを止めた。
『女性に戦いを申し込むというのは気が引けるが、受けてもらえるか?』
男は姿勢を正し、その剣を鞘に納めて私へと向き合う。それは騎士の一騎打ちの申し込みの作法に則っている。
「受けましょう。我は王女ロザリーヌ殿下の護衛騎士。名はジュディット・レオミュール」
解任されたと頭で理解していても、私の心は王女の護衛騎士のまま。騎士としての名乗りは変えられなかった。
『……レオミュール? ……そうか……君は……』
「父をご存じなのですか?」
『いや…………始めよう』
男が鞘から剣を抜くと、その湾曲した刃は赤黒く輝き禍々しい気を放っている。最初の一撃を剣で受けて男の剣筋が変化したことに気が付いた。曲芸のような動きではなく、完全に騎士の動き。
互いの剣を避け、時に斬り結ぶ。神力を帯びた剣と呪われた剣の衝突は、雷のような光を放った。いつの間にか周囲の騎士たちの拘束は解けていたものの、生死を賭けた騎士の一騎打ちに当事者以外は誰も手は出せない。
戦いの中、男に黒い残像が見えるようになってきた。速度を増す男の動きに置き去りにされる影。その距離が開く度に男から禍々しさが消える。……男の背後に何者かがいる。それが何かはわからなくても、消滅させなければという使命感が沸き上がった。
剣に浄化の祈りを込めると輝きが増した。剣を振りあげ、私は叫ぶ。
「避けろ!」
私が振り下ろす剣を男は避け、背後にいた黒い人影は避けることができなかった。右肩から左の腹までを斬り裂くと、人影は恐ろしい断末魔の叫びを上げながら消えた。
「……君の勝ちだ。……ありがとう」
膝をつき大きく息を吐いた男からは禍々しさが感じられなくなっていた。男の剣は鞘に納められて戦いが終わった。
「今の影は何だったのですか?」
「この剣に掛けられていた呪いの核となった魔物だ。元は人間の盗賊だったが、処刑の際に呪いの材料にされたらしい。……私は昔、騙されてこの剣を手にしてしまった。それ以来、魔物に体を使われていた」
元は騎士だったのかとは聞けなかった。男の態度や剣筋は、あきらかに騎士だったことを示している。これ以上の恥辱を与えるべきではないと私は判断した。
「呪いは完全に解けた。……これまでに斬った者たちの傷も消えるだろう」
「誰が呪いを掛けたのかご存じですか?」
「私はその名前を口にすることを封じられている。淡い茶色の髪、金茶色の瞳をした魔術師だ。公爵と共にいる」
その色彩で港の魔術師ユベールを思い出して血の気が引いた。公爵とはバルニエ公爵のことだろう。
「魔術師の名はユベールですか?」
「いや。違う」
男のきっぱりとした返答で、ほっと胸をなでおろす。
「……そろそろ限界らしい。……ありがとう。やっと……死ねる」
一瞬の微笑みは消え、男は骨になって崩れ落ちた。骨は砕けて砂になり、砂は地面に溶けるように消えて、鞘に納められた剣だけが残った。
同時に黒装束の男たちと馬も砂のように崩れて消え、その場にいた全員が安堵の息を付いた時、馬のいない箱馬車が勢いよく走り出した。城門は固く閉ざされていて、このまま衝突すれば中にいる王子の無事は望めない。
誰もが止めようと走り出す中、黒い風が強く吹き抜けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます