第32話 無謀な主君、側近の計略に掛かる。

 自室の扉を開き、無言のまま側近のジュリオを迎え入れる。防音結界を即時展開することができる程の魔力を持っているとは意外に思いつつも、王子の側近なら魔法での護衛も兼ねているのかもしれない。

 一応礼儀として椅子を勧めてみるとジュリオは断り、立ったままの会話になった。

「十五日後に辺境伯が領地で開催する夜会に王子が招待されております。夜会自体は毎年開かれておりますが平民も参加することもあって、これまで王族が招かれることはありませんでした」

 辺境伯の夜会の噂は騎士仲間から聞いたことはある。年に一度、辺境伯と交流のある貴族と国内の商人が招待され、無礼講の酒宴と商談が行われていた。この夜会で動く金額の合計は、平均的な貴族の一年分の領地税収を超えるらしい。

 貴族自身が税収以外で直接金を稼ぐことを蔑み、反対する貴族は多い。これがバルニエ公と辺境伯との不仲の理由の一つでもあった。


「王子はお一人で参加するおつもりです」

 その言い回しでケイツ村で毒杯をあおった王子の姿を思い出した。再び王子は単独で囮になるつもりなのかもしれないと、内心頭を抱えたくなる。王女の護衛騎士でいた頃のように平静を装うつもりでいたのに、思わず天を仰いでしまった私を見て、それまで緊張の色を示していたジュリオがその表情を和らげた。

「……何か?」

「申し訳ありません。貴女が王子を心配して下さっていると理解致しました」

「……無謀な主君を心配するのは仕える者として当然です」

 私は騎士としての意見を述べているのにジュリオは淡く微笑む。


「王子は万が一の時には転移魔法で城に戻ってくると約束して下さってはいますが、本当に危険な場合は我々に相談して下さらないのでシャイエは常に胃痛を感じています」

 ジュリオの静かな言葉の中に悔しさが滲む。それは私も感じることがある。主君として臣下を護りたいという王子の考えを頭では理解していても、信頼して欲しいと思う気持ちは消えないだろう。……最も、将来王子を裏切ることになる私がそれを言うのはおこがましいこと。


「その夜会で何かあるのですか?」

「辺境伯とバルニエ公との同盟の密約が結ばれた疑いが強くなっています。当日の招待客にバルニエ公のお名前はありませんが、王子は何かあるとお考えのようなのです」

 具体的な予測はなく、ただ懸念事項があるだけという状況なのは王女の護衛の際にもあったのでよくわかる。

「わかりました。王子は私が必ず護ります」

「……今回、王子は貴女を同行させない予定を組んでいます。結婚式の準備に専念して頂くという名目でティエリーと私が貴女の護衛に付き、王子が不在の間は御実家で滞在していただくことになっています」

 正直言ってめまいがしそうになった。これまでの王子の行動を考えれば、絶対に何か危険がある。私に護衛を付けるというのも何かを予測している。

「それでは私から同行を求めるか、認められないようであれば追いかけます」

 私は物語の姫君たちのように王子を待ってはいられない。姫君のようなドレスを着ていても、私は剣を携える騎士でありたい。


 ティエリーの名を聞いて、気になっていたことを思い出した。ティエリーは辺境伯の第三子。

「確認しておきたいのですが、辺境伯とティエリーの繋がりは?」

「ティエリーは勘当されているので家との繋がりは絶たれています。辺境伯は王子の側近ではなく、辺境の騎士団長になることをティエリーに求めていました」

 ティエリーの柔らかな振る舞いと美貌を思い出し、荒くれ者の巣窟と言われる辺境の騎士団を率いていくのは難しいのではないかと率直に思った。その気持ちが顔に現れてしまったのか、ジュリオが淡く苦笑して口を開く。

「ティエリーの剣技と体術は王家の騎士に引けをとりません。本人は嫌がっていますが、傲慢な新米騎士の稽古相手として密かに呼ばれることもあります。あの軽い雰囲気で侮られますが、試合が始まると一瞬で魔性のように変化します」

 魔性とは悪魔とも呼ばれる存在。それ程恐れられるのなら、剣で戦ってみたいという興味を感じる。そうはいっても、今は王子を護ることを考えなければ。


「バルニエ公の現状をお教え頂けますか?」

 私が聞いているのはアリシアとの婚約が解消となった直後、王子の面談に応じないという話まで。

「当初は体調不良とのことでしたが、現在は領地での問題が発生したと王に上申されて領地へ戻られています」

 我が国の高位貴族は、王城を囲む王都に建つ上級町屋敷タウンハウスで一年のほどんどを過ごす者が多い。

「問題とは何ですか?」

「それは解決まで秘密にしたいとの公爵の仰せです」

 公爵自身が対処しなければならない重大な問題なのか、それとも何か企みがあるのか。

「他には何かありますか? 私に出来ることであればお任せ下さい」

 私の問いにジュリオは迷うように視線を揺らす。

「……貴女が神殿で御覧になった魔物は討伐することができるとお考えですか?」

 忙殺されて考える時間がなかった件を問われ、今度は私が戸惑う番だった。

「そうですね……過去には〝烈風の剣ゲイル・ブレイド〟がありました。今回は〝華嵐の剣ストーム・ブレイド〟があります。魔力を持つ者が心臓を剣で突き、神力を持つ私が首を落とせばいい。王子は私を戦闘から遠ざけるおつもりですが、私は引くことはありません」

 あの魔物がどれだけ恐ろしくても立ち向かうと心に決めた。神殿の神官たちよりも強い神力を〝華嵐の剣〟によって与えられた私は、魔物の首を落とす役として最適。


「王子が望まれているのは、魔物を討伐し、バルニエ公の企みを潰すこと。私は、我が国の平和の為に王子と共に戦うと誓います」

 魔物を倒して魔鳥を使役できなくなれば、バルニエ公の権力を削ぐことができるだろう。問題を片付けた後、私がいなくなればアリシアが王子の伴侶となって、王家とバルニエ公爵家との血の繋がりができる。……それが一番良い解決策。

 何故か痛む心を隠し、私はジュリオに微笑んだ。


      ◆


 ジュリオが退出した後にシャワーを浴び、侍女を呼んで身支度を整えた所で王子の使者から夕食の誘いが告げられた。王子自身の迎えでないことに内心がっかりする自分の心に戸惑う。いつの間にか、王子との距離が近くなり過ぎた。常識から考えると王子が結婚前の婚約者の部屋を直接訪問することはありえないし、同室で夜を過ごすこともありえない話。

 かつての王女と同様に、侍女に囲まれて王族の食事部屋へと向かう中、やはり私は護る側でありたいと考えてしまう。廊下の壁に飾られた鏡に映る私の姿は、王女が選んだ薔薇色のドレスと侍女の手技による化粧で完璧な貴族の娘に仕上がっている。美しいドレスが気恥ずかしく嬉しいと思う心と、騎士でありたいと思う心が複雑に絡み合う。


 使者に案内されたのは、王族が個人的に使う小さな食事部屋だった。扉が開かれると深緑色の上着を着た準礼装姿の王子が待っていて、その姿を見るとほっとする。

「ジュディット、今日も綺麗だね」

 ほわほわとした王子の笑顔と声で肩と頬の力が抜けていく。差し出された手に導かれ、王子の隣の席へと着いた。

 歴史を感じる濃い飴色の円卓は六人掛け。そのうち五つの席にはグラスが用意されている。王子が人払いを行い、侍女と従僕が部屋から退出すると三人の側近たちが配膳台を押して料理を運んできた。これは手伝わなければならないかと立ち上がりかけた私を王子が制する。

「ジュディット、座っていていいよ」

「ジュディット様、今は我々にお任せください」

 明るく笑う側近たちは慣れた手つきで料理を並べ、グラスに水替わりの発泡酒を注ぐ。大皿には大量の肉料理やゆで卵、籠にはパンや果物が盛られている。


「晩餐会や行事がない時には、こうして食事することもあるんだ」

 今や凛々しい王子の仮面は外れ、金色の子犬のような笑顔が可愛らしい。側近たちも砕けた様子で席に着き、それぞれが食事の祈りを捧げた。

 先程までの王子の苦悩と落胆は消えていて、三人の側近と一緒に次々と料理を胃に納めていく。騎士仲間との食事風景よりも上品ではあっても、四人が食べる量は騎士と変わらなかった。むしろ平然としているので、魔法を掛けたように料理が消えていく光景は楽しく感じてしまう。

 大量の料理が半分になった頃、シャイエが口を開いた。

「王子、今後の予定をジュディット様にお知らせした方がよろしいのではないでしょうか」

 その言葉を聞いて王子のほわほわとした笑顔が変化した。微妙な違いでも、ここしばらく一緒に過ごしていた為か、はっきりと緊張したことがわかる。

「ん? ……あ、えーっと、そうだね。明日か明後日、ジュディットは侯爵家に戻って欲しい」

「何故ですか?」

「えーっと……母君としばらく過ごすのもいいんじゃないかな。ずっと王城にいただろう? きっと寂しい思いをされているよ」

 結婚式の準備という言葉が出てこないことに戸惑いつつも、ドレス好きの母なら婚姻用衣装の準備をする為に私を待ち構えているに違いないと気が付いた。

「王子はその間、王城で過ごされるのですか?」

 私の問い掛けに、王子は一瞬瞳を揺らしつつも言葉を返してきた。

「地方視察に行く予定がある。転移門が使えない場所だから、戻ってくるまで二十日くらいあるかな」

 ジュリオから事前に情報を聞いておいてよかったと思う。もしも聞いていなかったら、これ幸いと逃亡する為の準備に入っていたかもしれない。


「私は視察に同行できないのでしょうか」

「……ごめん。今回は難しい」

 しょんぼりした金色の子犬のような顔をされても、何とか食い下がらなければと言葉を探す。

「ジュディット様は王子の浮気を心配していらっしゃるのですよ」

 さらりとティエリーが口を挟み、王子の顔色が青ざめた。

「ぼ、僕は絶対に浮気なんてしないよ!」

 焦る王子にシャイエが追撃を入れる。

「そうですね。先日まで他の方と婚約していらっしゃったのですから、心配なさるのはしかたのないこと」

「これまでの行動が引き起こした結果です」

 ジュリオまでが静かに断言する。私は浮気を疑っているのではないと言いかけて、これは三人の助けに乘った方がいいと気が付いた。

「……そうですか……私には知られたくない秘密がおありなのですね」

 以前読んだ物語の主人公の台詞を口にしてみると、王子の顔色がさらに悪くなった。若干棒読みになったのは気付かれなかったらしい。視界の端でティエリーの口をジュリオが手で押さえているのは、見えないふりをする。

「え、えーっと。そんな。秘密なんて……」

 うろたえる王子の青い瞳をじっと見つめていると、王子は側近たちに視線で助けを求める。奇妙な静寂の中、ついに王子が折れた。

「……わかった。ジュディットも連れて行く。……僕は浮気者じゃないからね!」

 王子の悲痛な叫びに、私たち四人は耐え切れずに笑い出してしまった。

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