第33話 貴族の別邸、寝台にて。

 王城から辺境伯の城まで、馬車で二十日以上かかる。十二日後の夜会に間に合わせる為、王子は馬で走る予定を立てていた。

「……王子、まさか本当にお一人で行くつもりだったのですか?」

 まだ夜も明けきらない早朝、王城の裏門に集まったのは、王子と私、そしてティエリーとジュリオのみ。私も含めて、平民のような生成色のシャツと茶色の上着、こげ茶色のズボンにブーツという出で立ちに、薄茶色の旅装マントを羽織っている。 

 元々の予定では二人の側近が私の護衛に付く予定だったのだから、独りで行く計画だったのかと呆れてしまう。第三王子専属の護衛騎士の姿もない。エクトルとブノワはまだ帰城していないものの、他にも所属騎士がいるはず。

 王子は気まずいという顔をしながら口を開く。

「えーっと。その……途中で一人合流する予定なんだ……」

 合流すると言ってもたった一人。無謀過ぎて頭が痛い。せめて護衛騎士はつけるべきだと言いかけて、王子にも何か考えがあるのだろうと口をつぐむ。


 黙り込んだ私のことを誤解したのか、王子はますます焦ったような声を出した。

「あっ、もちろん男だよ?」

「……ルシアン様、そろそろ出発しなければ人目につきます」

 ジュリオが低い声でそっと王子に告げる。薄れ始めた夜空の色を見れば、確かにそろそろ第一の鐘の時間が近づいている。鐘が鳴ると使用人たちが目を覚ましてしまう。

「そうだね。急ごう」

 私たちは馬に荷物を縛りつけ、人目を避けながら王城を後にした。


      ◆


 久しぶりに乗る馬はしっかりと調教されており、乗りやすくて助かった。騎士として馬術の訓練も欠かさなかったものの、王女の護衛騎士としては儀礼時や馬車の先導で馬に乗る程度で、専用の馬は持っていなかった。

 王子が乗っている馬は、王子専用の白馬ではなく伝令用に飼育された馬。その走りは軽やかで速い。

 王都の大通りや人の多い場所、石畳の道を避けつつ馬は駆ける。先導するティエリーの馬も慣れているのか迷うことなく進んでいる。舗装されていない道は土埃を上げ、フードを目深に被っていても顔が汚れる不快感は免れない。

 王都を抜けると屋敷や人家がまばらになり、森と草原が街道沿いに広がっている。石畳で舗装された道は整っていて、馬の調子も良い。

 並走する王子の視線を度々受けていることを感じる。私が遠乗りに耐えられるのか心配されてしまっているのかと気付くと、ますます心配を掛けたくないという意地が沸き上がり、父の教えと騎士団で学んだ馬術の基礎を思い出して手綱を握る。


 駈歩かけあしから襲歩しゅうほへ完全に切り替わると、馬は飛ぶような速度になり、前後に感じていた体の揺れがほぼ無くなる。我が国の馬は改良されていて、三日間休みなく全速力で駆けることも可能な体力を持っている。

 昼を前にして、先導するティエリーから合図があり馬の速度を落としていく。そろそろ昼食をとる頃だろうかと思ってみても、周囲に広がるのは草原ばかり。目を凝らしてみると、まばらに生えた木の下に一頭の馬と旅装マントを着た男が立っていた。


「ごめん、待たせちゃったかな?」

 王子の声に応じてフードを取り去った男が、右手を胸に当てて左手を横に伸ばし、腰を落として礼をする。待っていたのは港町で会った楽器屋であり吟遊詩人のガヴィ。緑がかった灰銀髪で精悍な顔。瞳は濃い橙色。左耳には竜血石の耳飾りが揺れている。

 吟遊詩人が美しい竪琴を背負っているのは、その職業を示すことで野盗に殺されない為と聞いた。吟遊詩人なら、金品を盗られても命は盗られない。平民にとっても吟遊詩人の歌や物語は貴重な娯楽で、貴族や有力者が後援者パトロンとしてついていることもある。吟遊詩人を下手に殺せば、様々な恨みを買うことになる。

 ふと思い出して竪琴を観察すると、武器が仕込まれていることを示す小さな八芒星の金具が光っていた。武器を携え、王子と共に辺境伯の夜会へ赴くのか。


「いいえ。先程訪れたばかりでございます」

 爽やかな笑顔のガヴィはティエリーとジュリオに挨拶を行い、私にも挨拶を行った。側近二人も顔見知りらしい。

「同行者は貴方でしたか」

 ティエリーの意味ありげな含み笑いに、ガヴィが気が付いた。

「おや。私では何か不都合がありましたでしょうか」

「いえ。同行者は女性ではないかと疑っておりましたので」

 その言葉を聞いて、ガヴィは一旦眉を上げ楽しそうな含み笑いで返す。

「成程。ルシアン様が愛人とご旅行などと疑われましたか。誓って妙な関係ではございませんよ。ご安心下さいませ、ジュディット様」

 唐突に話題を振られて、どんな顔をすればいいのかわからなかった。戸惑いつつ王子の顔を見ると、眉を下げ口を引き結んだ金色の子犬がぷるぷると首を横に振っている。……疑ってはいないから大丈夫と頭を撫でて慰めたい衝動に駆られつつも、馬上では手が届かない。

「大丈夫です。疑いは晴れました」

 一言で済ませると、ティエリーとガヴィが噴き出すように笑い始めた。普段は無表情なジュリオまでが笑いで口を歪めているのは気にしないことにする。

「……出発しようか……」

 何故か遠い目をした王子の声を合図にして、私たちは再び馬を走らせた。


      ◆


 馬の調子はとても良く、途中の街で昼食を取っただけで最初の目的地まで休みなく走り続けることが出来た。

「この街が最初の宿泊地だ」

 街は灰色の石で造られた高い塀に囲まれていて、どういった街なのかはわからない。周囲に農地はなく、森が広がっている。

「かなり早く着いちゃったなー。ジュディット、疲れてない?」

「はい。疲れてはいません」

 朝から夕方近くまで馬に乗っていたというのに、危惧していた程の疲労感はなかった。これなら、丸一日緊張し続ける王女の式典警護の方が疲れる。父と騎士団の指導に心の中で感謝を捧げつつ、馬を歩かせる。

「もうすぐ門がある……ジュディット、フードをしっかり被って顔を隠して欲しい。僕が必ず護るけど、女性は危ない場所なんだ」

 言われたとおりにフードを目深に被り顔を隠すと、馬が向かう方向に煌びやかな赤い魔法灯ランプが吊るされているのが見えた。

「ここですか……」

「近辺で一番マシな宿がありますので」

 ジュリオが呆れたような声を上げ、ガヴィが苦笑しながら答える。特徴のある赤い魔法灯で私も気が付いた。ここは男性向けの歓楽街。高すぎる壁の理由もわかった。

 塀で囲まれた街へ入るには、門で通行料を払うことになる。それなりの金額を支払い、馬に乗ったまま通り抜けると、塀は分厚く要塞のような造りだった。鉄で出来た巨大な門を閉めてしまえば、野盗が徒党を組んで襲ってきても十分撃退できるだろう。


 内部は目が痛くなるような派手な色に塗られた建物や看板、案内板が溢れていた。馬に乗っているからなのか、少し離れた場所から着飾った美しい女性たちが手招きしながら声を掛けてくる。

『物陰にご注意下さい』

 そっとガヴィから静かに告げられた言葉で気が付いた。視線を奪う煌びやかな色彩と美女たちとは対照的に、看板の陰や路地の角に怪しい風体の男たちが隠れている。これは気を引き締めなければ。


 王子が目指す宿は、街の中でも一番奥に建っている立派な建物だった。白い壁に水色の屋根。貴族の上級町屋敷タウンハウスと言っても不思議はない外観は美しく、瑞々しい赤薔薇の生垣が小さな庭を囲っている。道を挟んで広がる歓楽街の猥雑さとは対照的。それでも門には赤い魔法灯が下げられていた。

 事前に予約はしていなかったものの、一番高い部屋と指定すれば問題なく案内された。王子と私、側近二人とガヴィと五人を二部屋に分けた際、ジュリオがめずらしく不満気に口を引き結んでいたのは印象的。


 ガヴィを加えた賑やかな夕食の後、王子と私は豪華な一室へと入った。これまで見た平民の宿とは全く異なっていて、立派で巨大な寝台は美しく整えられており、広い浴室が併設されている。室内を点検しながら、まるで貴族の主寝室のようだと思った時、王子が口を開いた。

「ここは昔、とある貴族の別邸だった。とても臆病な人で自分の屋敷を護るためにあの塀を築いたそうだ。ところが安全になった街の住民が減った。どうやら通行料を住民にも求めていたのが原因らしい」


「元々は商売が盛んな街で、税収も豊かだったのに一気に衰退を始めた。慌てた貴族は税収を取り戻す為に、それまでは街の外でしか許していなかった娼館の営業を認めたんだ。そうすると普通の商売人は減って、そういった怪しい店が増えていく。ついには歓楽街になってしまったので、貴族はこの屋敷を売って逃げてしまった。でも、未だに子孫はこの街の税収をしっかり受け取ってる」

 その貴族の名前を聞いて、意外に思いつつも領地面積に対して羽振りが良い理由がわかった。


 寝支度を終え、シャツとズボンという服装でベッドへと並んで横たわると王子が緊張した表情で話し始めた。

「……ジュディット……この旅の目的地は、モンドンヴィル伯爵の城だ。僕は辺境伯の夜会へ招待されている」

「私は参加できるでしょうか」

「いや。辺境伯の夜会は男性のみだ。……元々、ジュディットと一緒に招待されていたから宿泊はさせてくれると思う」

 王子の表情は硬いまま。

「王子、何かあるのなら先に教えて下さい。事前情報があるとないでは対処が全く異なります」

 手を伸ばし、王子の顔にかかった金色の髪をそっと払うと、ほんの少しだけ王子の表情が和らいだ。


「……以前から僕を誘拐しようという事件が起きてる。すでに僕の護衛騎士五名が騎士として再起不能になってるんだ」

 それは全く聞いたことはなかった。五名もの騎士が退職すれば、王女の護衛騎士内でも話題になるだろう。

「負傷したことは他の騎士たちにも知らせていない。五名は僕の密偵として働いていることにして、地方都市で療養してもらってる。全部を把握しているのはシャイエだけだ」

 療養の手配をシャイエが行っているということか。これはシャイエが常に心配になるのも仕方ないと思う。

 王子がふと目を逸らした。

「……これは……絶対に僕が口にしてはいけないことだと思うんだけど……この件に関しては、犯人は抵抗しない人間を絶対に攻撃しないとわかっている。だから、抵抗せずに逃げてくれた方がいい。……僕一人だけなら魔法で逃げられる」


「だからいつも警護の人員を減らしていたのですか? 護衛騎士が王子を護って負傷したのなら、それは名誉です。何故、隠れて療養をしているのでしょうか」

「……犯人は、騎士が一番嫌うことを把握している。負傷させて動けなくさせた後、背中を斬りつけたんだ」

「それは……」

 その手法が卑怯すぎて言葉もでなかった。騎士が背中を斬られると、敵に背を向けて逃亡したということになる。途中経過がどうであれ、敵前逃亡した騎士という不名誉な烙印は免れない。遠い地方都市で療養させることで、王子は騎士の名誉を護っているのか。

「ユベールの魔法で治療できないのですか?」

「できなかった。犯人の仲間に強い魔力を持った魔術師がいるらしくて、犯人の武器に呪法が掛けられている。……その犯人が辺境伯の客人として城に滞在していることがわかった」

 強い魔力を持った魔術師と聞いて、真っ先に思い浮かんだのが魔物を制御している者。もしも同一人物だったとすれば、バルニエ公と辺境伯が繋がる。


「……王子、辺境伯にわざと捕まって囮になるおつもりですか?」

 本当に無謀過ぎて頭が痛い。

「……そのつもりだったんだけど……犯人の武器だけ奪って戻ることにするよ」

「武器を奪う?」

「その武器を直接見る事ができれば、解呪の可能性があるとユベールが言ってた」

 護衛騎士の為に主君が命を掛ける。それは美談に聞こえるかもしれないけれど、仕える側にとっては、迷惑極まりない話。


「……わかりました。何か手伝えることがあればお申し付け下さい」

 生来の人たらし。そんな気がしてきた。他人の為に自らを犠牲にすることをいとわない姿を見ていると、心配で離れがたくなってくる。

「ジュディット……君は僕が必ず護る。だから安心して」

「安心できません。自分の身は自分で護ります。目的を果たし、皆で無事に王城へ帰りましょう」

 私の言葉を聞いて、何故かしょんぼりとした金色の子犬は、掛け布で顔を隠してしまった。

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