第14話 繋がれる手、抱きしめられた腕の中。

 街中を歩きながら私の手を引く王子の笑顔に微かな憂いが滲む。ずきずきと痛む心を抱えながら、努めて平静を装うしかない。いっそ悪女という印象を持ってもらった方がいいとは思っても、どうすればそう思ってもらえるのかはわからない。


 浪費する女を演じようとしても、すでに王子は私に服や装飾品を与え、美しい短剣まで購入している。あの素晴らしい短剣の値段は相当高価な物だと思う。私が姿を消した後、それらがどうなるのかと考えると物をねだることは考えられない。


 ならば浮気性の女を演じるかと思っても、男性を誘惑する方法を思いつかない。鍛冶屋のロランや吟遊詩人のガヴィに手を繋がれる光景を想像するだけで寒気がする。騎士仲間は論外。


 何故、私は王子に手を繋がれても平気なのだろうか。


 今更ながらに感じた疑問で、繋がれた手に目を落とす。この数日、侍女たちの手技によって磨かれた爪は輝き、揉まれた手はクリームを塗られてしっとりとしている。それでも剣を持つ私の手はあちこちが硬くなっていて、女性らしい美しさとは程遠い。


 王子の手も剣や武器を扱う者特有の硬さを示していて、親近感がある。長い指に大きな手。王女とは何度も手を繋ぐ機会はあっても、舞踏会に出たことすらない私は男性に手を繋がれる機会はなかった。


 最初は相手が王族だから拒否はできないという理由だったように思う。では、今は。……王子の手を見ていると、崖で助けられた瞬間を思い出した。数日前のことが、鮮やかに心によみがえる。


 普段の柔らかな笑顔を浮かべる顔とは違って、真剣な表情は凛々しく頼もしいものだった。この手は私を助け上げ、そうして私を許した。


 どきどきと高鳴り始めた胸を押さえ、深く息を吸う。やはり私は王子にふさわしくはない。アリシアなら優しく王子を支えることができるだろう。私は王子の重荷にしかならないと理解したはず。


「ジュディット、疲れた?」

「え? ……いいえ。疲れてはおりません」 

 唐突な問いに答えが遅れると、王子の手がわずかに力を強めた。それは本当に微かな力だというのに、逃がさないという意思を感じる。


「それじゃあ、王城までの旅に必要な物を買いに行こうか」

「はい」

 少年のような笑顔を見せた王子に戸惑いながら、私は頷き返した。


      ◆


 港町の市場には、様々な舶来の品が溢れかえっている。店員から掛けられる声に明るく、時には冗談で返答しながら、王子は歩く。

「日持ちするお菓子を買おう。よく行く店があるんだ」

「お菓子……ですか?」

 貴人の男性が菓子を食べる姿が想像できない。菓子といえば女性のものという印象が強く、貴族だけでなく騎士仲間たちも菓子を食べる者はいなかった。馴染みの店があるということは、王子が食べるのだろうか。


 白いレンガにベージュと茶色の石で装飾がされた可愛らしいお店に入ると、数組の客がいた。老若男女が注文をして、店員が菓子を茶色い紙袋に詰めていく。


 並ぶ菓子は、色とりどり。飴やクッキー、丸や四角の砂糖菓子が皿やカゴに積まれている。


 王女が密かに好んでいた、薔薇の形の砂糖菓子に目が留まった。中身は乾燥果実とナッツがふんだんに使われたケーキ。重厚な甘さとナッツの歯ごたえが複雑に絡んで美味しい物だった。


「これはロザリーヌが好きなお菓子だね。いつも僕が買ってたんだよ」

「そうだったのですか」

 時々お茶の時間に出されるのは知っていても、王子が買っていたとは全く知らなかった。王女に求められて一緒にお茶を飲んだことを思い出すと、胸が温かくなる。


 王女はこれが好きだとはっきりと口にしたことはない。自らの好みを仰ることもなく、何事も控えめで優しく微笑んでいた。


「このお菓子を作っている店は、ライニールの領地にあるんだ。作りたてより、熟成した方が美味しいってライニールが言ってた」

「それでは……ロザリーヌ様はいつでも口にすることができるのですね」

 これが遥か海の向こうから運ばれてきたお菓子だったとは全く知らなかった。王女が好きな時に食べることができるのなら良かったと思う。

   

「僕が好きなのはこれ。炒った大豆を砂糖で包んでるんだ」

 王子が指し示したカゴには、白、ピンク、緑、黄色、紫と優しい色合いの小さな砂糖菓子が盛られている。


「こんちはー。今日は何にします?」

 陽気な男性店員が王子に気安く話し掛けた。片手には空気を入れた紙袋を持ち、片手には木のカップを持っている。どうやらカップで軽量して値段が決まるらしい。王女の護衛騎士だった時には見たこともない商売の方法が興味深い。


「何かおすすめはある?」

 王子の問いに店員が目を輝かせる。待ってましたとばかりに、茶色の蝋引き紙で包まれた四角いレンガのような菓子を机に置いた。


「栄養満点、乾燥果実入りの焼き菓子! 酒がたっぷり使われてるからお子様には勧められないが、これを一緒に食べた恋人たちは、必ず結ばれるという話だ!」

「買った!」

 同じく目を輝かせた王子が即答していて、少年のような可愛らしさに笑ってしまう。笑ってから、もしかしたら私と食べるつもりなのかと気づいてしまった。そうはいっても、必ず結婚するなどという都合の良い菓子がある訳はない。高く売る為の宣伝話だろう。


 大豆の砂糖菓子が三つの小袋にたっぷりと詰められ、薔薇のケーキが小箱に入れられる。レンガのような包みも袋に入った。王子は想像よりも遥かに安い代金を支払い、受け取った大きな紙袋を片手に抱えて片手は私の手を離そうともしない。


「あの……私が……」

「大丈夫。僕もたまには自分で荷物を持ちたいんだ」

 そう言われてしまうと何も言えない。機嫌良く笑う王子に手を引かれ、店を出た。


      ◆


 お菓子を買った日から王子は出掛けることを辞めてしまった。隠れ家のあちこちで本を読む。今は中庭の東屋で、爽やかな風を受けながら本を楽しんでいる最中。


「ジュディット、出掛けてもいいよ」

 そうは言われても、何の目的もない。ユベールの店にも、ガヴィの店にも用はないし、ロランの店の武器はほぼすべて見てしまった。旅の支度といっても、王女と同行しようと思っていた私の荷物は揃っている。


 護衛も側近もいないこの隠れ家で王子に薬を盛って指輪を外したいと考えていても、花茶に入れると薬の匂いでバレてしまう。料理に入れることを考えても席が近すぎて仕込めない。何にどうやって混ぜればいいのかと悩ましい。


「……ジュディット、何か気になることがある?」

 王子が隣にいることも忘れ、溜息を吐いてしまった。慌ててみても失態は取り繕えない。


「い、いえ。あの、失礼しました」

 貴人の前で溜息という、あり得ない失敗に青ざめる。護衛の職務もなく何も起こらない日々の中、気が抜け過ぎていた。


「僕に気を遣わなくていいよ。何でも言っていいよ」

「それでは、この指輪を外して下さい」

「それは無理」


「……何でも言っていいと仰ったではないですか……」

 思わず零れた愚痴に驚いて自分の口を手で塞ぐ。まるで拗ねたような声色になっていたように思う。貴人に対して失礼過ぎる言葉と態度。失態を重ねたせいか、血が音を立てて引いていく。


 ちらりと王子に目を向けると、王子は目を見開いて驚いていた。それはそうだろう。親しい友人間でのやり取りなら許されても、王子とのやり取りでは許されない。恥ずかしさを隠すように本を胸に抱いて背を丸めてみても隠しきれない。


「ジュディット、可愛い!」

 唐突に横から抱きしめられて困惑する。避けようにも本を抱いていたから咄嗟に避けることもできなかった。王子の腕は私をすっぽりと包み込む。


「お、お、お、王子っ?」

 可愛いとはどんな意味なのだろうか。貴人に対して許されない失礼な態度でしかなかった。本ごと王子に抱きしめられて腕は動かせず、頬に口づけできそうなほど王子の顔が近すぎて胸の鼓動が跳ね上がる。


「僕に遠慮はしなくていいよ、もっと自然で素直なジュディットが見たいな」

 ほわほわとした王子の笑顔と言葉で、羞恥が頬に集まっていく。熱くなっていく頬の意味を誤解されたら困ると思っても、胸のどきどきは止められない。


「あの、その、臣下としましては、失礼が無いようにと……」

 ユベールや騎士仲間たちとの馴れ馴れしいやり取りと同じ態度は取れない。どう説明すればいいのか考えても、頭が熱を帯びてきて正常な言葉選びが難しい。


「臣下じゃないよ。だって僕はジュディットの未来の夫だから」

 王子の言葉で、すっと頭が冷えた。王子は私の未来の夫になってはいけない人。


「ジュディット?」

「大変失礼致しました……申し訳ありません」

 私の謝罪を聞いて、王子の瞳が憂いを帯びた。それでも王子の腕は解けず、私を抱きしめたまま無言の時間が流れた。

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