第15話 華嵐の剣、魔鳥を斬り裂く。

 仮死の薬を盛る機会が掴めないまま、休暇が終わってしまった。王城へと向かう馬車に乗ると、隣に座る王子はすぐに眠りに落ちた。


 十日間一緒に過ごした今では、この王子の眠りが魔力の使い過ぎであることがわかる。夜に王城へ転移しているのか、それとも複雑な魔法を使ったのか。


 転移魔法で戻れるのに、わざわざ馬車に乗る理由を聞いてはいけないと思う。私を連れて転移は出来ないのかと考えて、王子が転移魔法が苦手だと言っていたことを思い出す。私に負担を掛けないようにと腕を組み、壁に寄り掛かる王子の寝顔は無防備で可愛らしい。


 それにしても。この警備の薄さはあり得ないと窓の外を見る。並走する騎士の馬も無く、ただただ地味な黒い箱馬車には、御者が二人と従僕一人しかいない。隠れて警護する者がいるのかと尋ねると誰もいないと答えが返ってきて頭が痛い。


 王子は生成のシャツに黒のズボン姿、私は落ち着いたピンク色の綿のワンピース。上質ではあっても平民のような簡素な服を着ているのは、襲撃を避ける為だろうか。港町と違って王都に近づけば金髪が少なくなる。一目で貴族だとバレてしまうから警戒しなければ。


 二頭立てでも速度はかなり早く、王城へと向かう街道を馬車が走る。揺れが最低限に抑えられているのは馬車の性能が良い証拠。一切の装飾を捨てることで軽量になっているのか。見た目よりも機能優先というのは好感が持てる。


 主な街道には馬車の為に石畳を敷くことが決められていて、馬車や馬が多く行き交う道はすぐに傷んでしまうから管理には費用がかかる。街道の整備具合で、その場所を領地としている貴族の懐具合を推測することもできる。


 アリシアの父、バルニエ公爵家の領地を過ぎると道の痛みが激しくなった。馬車ががたがたと音を立てて揺れ、口を閉じていなければ舌を噛んでしまいそう。


 そんな中でも王子は眠っている。どれだけ魔力を使ってしまったのか心配になっても、貴人にその理由を聞くこともできないし、逃げようとしている私が王子を心配する資格はない。


 なるべく港町に近い場所で薬を盛らなければ。指輪を外してユベールの店にたどり着けば、後はどうにでもなるだろう。外した指輪はユベールに託し、バルニエ公爵へ手紙と共に届けてもらうだけ。


 首から下げ、服で隠したペンダントが重い。ユベールの魔法薬の効き目を信頼していても、自分で試したことのない物を他人に使うことにためらいを感じる。


 石を踏んだのか馬車が大きく揺れ、王子の体が傾いだ。座席から落ちないようにと抱きしめた時、王子が目を開く。


「あ……」

「こ、こ、これは……」

 言い訳をするまでもなく、また馬車が酷く揺れて今度は王子が私の体を抱きしめる。断続的に揺れ続ける馬車の中、王子の片手が窓枠を掴んで体は安定した。


「ジュディット、大丈夫?」

「はい。ありがとうございます」

 見上げた王子の耳は赤く、私の頬も熱い。座席から落ちないように取った行動なのだから、何も恥じることはないと思っても王子の腕の中、胸の鼓動は治まらない。


「……この街道を管理する貴族は、財政状況が危ないと聞いている。去年も一昨年も小麦が不作だったらしい。今年は王家から小麦の種を借りる程だった」

「それは……初めて聞きました。去年も一昨年も豊作の祝いがありましたが」


「国全体では豊作だった。……三十年くらい前から、あちこちの特定の地域だけ農作物が育たないという不思議な現象が起きてるんだ」

「何故ですか?」

「それは今、僕と兄が調べてる。最初は兄がその不自然さに気が付いた。でも第二王子という立場では、なかなか調べ回ることはできない。だから僕が中心になって動いてる」


「何も貴方が調べなくとも、人を使えばよろしいのではないでしょうか」

「貴族にも……国民にも知られる訳にはいかないんだ。下手をすると王家の威信を揺るがすことになりかねないからね」

 音を立てて揺れる馬車の中、王子の腕に護られながら聞く話の重大さに血の気が引く。このまま深く話を聞いてはいけないという理性と、王子の手助けをしたいという感情がせめぎ合う。


 馬車の速度が弱まり、街道から土の道へと進路が変わった。時折石を踏むことはあっても、体が座席から投げ出されそうなほどではない。窓の外、赤いレンガの小さな建物が見えてきた。町という規模ではなく、どこかの村だろう。

 

「そろそろ昼食かな。この村で一番美味しい料理屋へ行こう」

 何度も訪れていると笑う王子の腕の中、私はどきどきとする胸を押さえて頷くしかなかった。


      ◆


 馬車を降りて向かった料理屋は閑散としていた。昼時だというのに、客が一人もいない。そもそも、村に入ってから村人の姿が無かった。


「いらっしゃーい。ああ、久しぶりだねー。元気だったかい?」

 厨房の奥から出迎えたのは老齢の女性。どうやら店員もこの一人のみ。


「ああ。元気だよ。今日は休みなのかな? 誰もいないんだね」

 王子が慣れた様子で返答する。女性は王子とは知らないのか、王族に対する礼もない。


「それがねぇ。みーんな昼間は村の外に出稼ぎに出てるんだよ。先月から小麦や作物が駄目になっちまって、今年の収穫は諦めてるんだ。夜になったら帰ってくるよ」

「そうなんだ……」


 定番料理として出てきたのは、玉ねぎのスープとパン。一口大に切られた肉の香草焼き。どれも素朴でありながら旨味が強い。貴族が普段食べている複雑な味とは全く異なる。


「美味しい……」

「気に入ってくれてよかったよ」

 ほわほわと笑う王子の食事量は凄まじい。慣れているのか店員の女性が山のように料理を皿に盛って運んでくる。


 大量の料理を綺麗に食べきって、王子は代金を支払った。

「これから、麦畑を散歩してもいいかな?」

「それは自由にしていいよ。お前さんの顔なら皆、知ってるからね。次に来た時は、そのお嬢ちゃんの話も聞かせてくれると皆、喜ぶよ」


「え……」

 王子と二人で顔を見合わせる。この女性に私たちはどう見えるのだろうか。王子の耳が赤くなり、私の頬が熱くなっていく。


「ほらほら、二人で仲よく散歩してきな!」

 女性は人の良い顔で笑って、また厨房へと入ってしまった。一人で料理を作っているので忙しいらしい。


「ごちそうさま! また来るよ!」

「ありがとうございました」

 王子と二人、厨房へと声を掛けて扉を開けた。


      ◆


 料理店を出た王子は馬車で待っていた御者と従僕たちに引き続き待機するようにと告げ、私の手を引いて歩き出した。


 散歩が王子の目的ではないとわかっている。それは馬車から剣を持ち出したことが証明していた。

「……小麦や作物が駄目になるというのは……貴方がお調べになっている件に関わりがあるのでしょうか」

「それはわからないな。ただ、突然というのが気になる。作物の病気でもなく、虫の害でもないという点も共通している」


 素朴なレンガで出来た住居の姿が途切れると、青々とした麦畑が広がっていた。風にそよぐ麦がまるで海の波のように揺れている。

「痛んでいるようには見えませんが……」


「違う。穂が無い」

 王子の言葉を聞いて目を凝らすと、確かに穂がない。穂があったと思われる茎が残っているだけ。


「ジュディット、少し待っていて」

 微笑んだ王子の手が離れ、枯れた麦の穂を拾い上げた。麦の実が熟す前に切られてしまったのか、中身は空。王子の手の中で、麦の穂が粉々になっていく。

「酷いな」

 溜息を吐いた王子が周囲を見渡すと、あちこちに枯れた麦の穂だけが散らばっている。これでは収穫は見込めないだろう。


 落胆する王子の背を見ているのがつらくて視線を逸らす。麦畑の端の枯れた大木の枝に黒い鳥の集団がとまっているのが視界に入った。二十から三十羽程度。カラスかと思ったのに雰囲気が違う。


 禍々しい鳴き声が響き渡った方向へ視線を向けると、数羽が麦畑に降りて青い麦の穂がついた茎をくちばしで折っている。

「あれは……」


「……ジュディット、何が見えてる?」

「カラスに似た黒い鳥です。鳥が茎を噛んで折っていて……目が……赤……い……?」


 赤い目の色を見て、脳裏に魔鳥の姿が鮮やかによみがえった。王女の誕生日の際に放たれた呪われた魔鳥に酷似していて、あの時よりも二回り大きい。


「……ジュディット、残念だけど僕には見えない。たぶん、他の人も見えてないよ」

「大きさは異なりますが、ロザリーヌ様の誕生日会で見た魔鳥にそっくりです。……まさか、あの時も皆見えていなかったのですか?」


「あの時は見えてたよ。……そうか。そっくりなのか……見えないとどうしようもないな。行こう、ジュディ……」

 私の手を握った王子が、息を飲んで目を見開く。


「何か?」

「……僕にも見えた。あの枯れた木にたくさんとまってるよね。……ジュディットに触れてるからかな」

 王子の手が離れ、再び戻ってきた。


「ジュディットに触れてる間だけ見えるらしい。……そうとわかっても、これはどうしたらいいのか……。魔鳥に僕の魔法は効くかな……」

 魔鳥の力を見定めようとしているのか、王子の目が細められる。


「あの時、私は短剣で斬り裂くことができました。同じように剣なら斬れるのではありませんか?」

「……そうか。試してみよう。ジュディット、手を繋いで戦える?」


「……試したことはありませんが、やってみます。ただ、利き手が右ですので……」

 暴漢に襲われた際、王女の手を引きながら剣を振るった経験はある。その時には右手に剣、左手で王女の手を握った。今は王子に右手を繋がれているから、左手で剣を持つしかない。


「大丈夫。僕は王族だから両利きの訓練をしてるけど、元々は左利きだ」

 そう言って王子は、器用に左手で剣を抜いて構えた。


「逃がさないように空間結界を張って閉じ込める」

 王子がシャツのボタンを一つ引きちぎってかみ砕くと、赤い炎がその右手に宿る。


「僕を守護する風の精霊よ、力を貸してくれ!」

 赤い炎が強い風で渦巻きながら周囲の空間を駆け抜けていく。瞬きの後、魔鳥と私たちを半球状の空間に隔離した。これで魔鳥たちは逃げられない。……私たちも。


 駆け抜けた炎に驚いて飛び立った魔鳥たちは見えない壁に阻まれて、何度もぶつかり不吉な声を上げながら、とまどいの様子を見せている。


開錠アンロック、〝華嵐の剣ストーム・ブレイド〟」

 剣を呼び出すと、魔鳥たちの雰囲気が変わった。唐突に攻撃的な表情となり、私の方へと攻撃する構えを見せた。


 王子の右手が私の左手を握る。

「僕が合わせる。ジュディットは自由に動いて」

「はい。行きます!」


 魔鳥たちは私をめがけてというより〝華嵐の剣〟を攻撃してくる。剣は白い光を帯びて、魔鳥を斬る。王子の剣も白い光を帯びて、魔鳥を斬り裂く。


 上下左右、あらゆる方向から飛んでくる魔鳥を二人で斬り捨てる。三十羽程度と思っていたのに、数が増えているような気がした。


 とにかく目の前の敵を斬る。ただそれだけを念じながらの戦いは、いつしか王子と二人の剣舞のようになっていく。王子は私の動きに合わせ、時々手を握る方向を変える。


 次々と向かってくる黒い影の中、楽しむ余裕はないというのに、楽しい。斬り捨てた魔鳥は地面に落ちて砂になって消え、徐々に数が減っている。


「あと三羽だ!」

「はい!」

 油断は禁物。相手は魔鳥なのだから、何か魔法を掛けられているかもしれない。逃げられないと悟ったのか、三羽の魔鳥が一つになって突撃してきた。


 王女の誕生会の時と同じ。周囲の時間が止まったように感じるこの一瞬。あの時は短剣で、今は長剣。


 ――私は必ず王子を護る。

 気合と共に振り抜いた剣は、三羽を一撃で切り裂いた。

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