第13話 奇妙な協力関係は、共犯関係へ。
誰も声を発しない奇妙な静寂。爽やかな海風が場違いに通り過ぎ、木々を静かに揺らしていく。
最初にユベールが口を開いた。
「こ、こ、これは、剣を見せてもらっていただけです。誤解なさらないで下さい」
そう。その通り。何もやましいことはない。うなずきながら、まだ手を掴まれていることに気が付いて振りほどく。同時にユベールが一歩離れた。
「え……あ……そう……なんだ……」
王子の視線が伏せられて、何故か焦ってしまう。これは完全に誤解されている。そうはいっても、何を言えばいいのかわからない。
「あ、あ、あ、あのっ……ち、違います」
誤解を解くために何かを言わなければと口を開いても、有効な言葉が見つからない。助けを求めてユベールを見ても、同じように焦っているのが丸わかり。二人で顔を見合わせながら、おろおろとするばかり。
「……ごめん。邪魔しちゃったね……」
目を伏せたまま寂しげに微笑まれると胸が痛い。私たちに背中を向け、王子は早足で去っていく。何も思いつかないまま、とにかく追いかけようとして、ユベールに手を掴まれ引き留められた。
「何をするのっ?」
「……お前、王子妃になりたくないんだろ?」
そうだった。頭から水を掛けられたように焦る心が冷えていく。
「恩人の王子に誤解されるのは心外だが、王子を嫌いだと思っている女を伴侶にする不幸には陥って欲しくない。…………俺の母親がそうだった。俺と姉貴は家を出るまで、毎日呪詛のように父が嫌いだと聞かされ続けたんだ」
唐突な身の上話に驚きつつも、この男が王子を大事に思っていることは伝わってくる。
「……王子が嫌いという訳ではないわ」
「じゃあ、何故逃げたいんだ?」
「私自身が王子妃にふさわしくないと思っているだけ。……正直に言えば、騎士としてなら仕えてみたい。あの方が何を見て、何を思うのか知りたいとは思うのよ」
「王子が嫌いと言う訳ではないのか……」
ユベールが微かに溜息を吐いた。それは安堵の意味にも聞こえて。
そう。王子に対して愛とか恋という甘い感情はない。ただ、主君として仕えたいと思うだけ。命を助けられ、様々な物を与えられて甘やかされても、王子の好意を受け取ることはできない。……王子には、もっとふさわしい相手がいる。
「……今の私は、王子という婚約者がいながら、魔術師と逢瀬した浮気性の女ということね」
「相手が俺というのがムカつくが、そうなるな」
二人同時に溜息を吐き、どちらからともなく苦笑が零れる。
「ま、仕方ないな。その〝王子妃の指輪〟が外れたら、俺の店に来い。足取りの隠蔽と、船の手配くらいならしてやれるぞ」
「それは嬉しいわ。どうやって外国に行くか考えてた所よ」
奇妙な協力関係は共犯関係へと変化して、私とユベールはがっちりと手を握った。
◆
与えられた部屋に戻り服を着替えると、扉が静かに叩かれ生成色のシャツに黒のズボンという出で立ちの王子が立っていた。
「……ジュディット……出掛けるの?」
どことなく不安げに揺れる瞳で問いかけられて、胸が苦しい。私よりも背が高いというのに、悄然とした金色の子犬のようで慰めて抱きしめたくなる。
完全にユベールとの仲を誤解されているとわかっていても、この誤解は解かない方がいい。これで私が姿を消した後、追いかけようとは思わないだろう。
「いいえ。先程、服を汚してしまいましたので替えました」
それは本当。丸太を運んだ時に泥汚れを付けてしまった。
「……もしよかったら、昼食はどうかな? サメ料理が食べられるって連絡が来たんだ」
「はい。サメは食べたことがありませんので、楽しみです」
私の返答を聞いて、王子の顔が少しだけ明るくなった。何故か安堵する心と、拒絶するべきだったという思考がぶつかり合う。
「行こうか」
微笑む王子が差し出す手に、迷いながら手を乗せると王子が私の手を強く握る。拒否する理由も思い浮かばず、私はただ素直に手を引かれて歩き出した。
◆
馬車に乗って港へと向かい、再び海が見える料理店へ到着した。相変わらず客は多く、王子の手に引かれながら人を避けて店内を進む。
私の手を握る王子の力は少し強すぎる。まるで逃がさないと言外に示されているようで、困惑するしかない。
「今日は屋上に特別席を設けてもらったんだ。帽子は預けた方がいいかな」
先日の小部屋ではなく、王子は私を建物の屋上へと導いた。
扉が開いた途端、爽やかな海風が吹きつける。風は私の髪を撫で、ワンピースの裾が舞う。
「少し風が強すぎるかな。でも、本当に良い眺めなんだ」
屋上は白いタイルが敷かれ、周囲は細い鉄の飾り格子で囲まれているだけ。中央に置かれたテーブルには白い布が敷かれ、蓋付きの白い陶器の皿が並んでいる。
小部屋から見る窓枠で切り取られた海も素晴らしい光景だった。それ以上に解放感のある海は青く煌めき、数隻の船影が見える。
〝王子妃の指輪〟を外して、あの船に乘る。騎士としてではなく、平民としてなら王女がいる国にいてもいいだろうか。ただ遠くから王女の幸せを願うだけなら許されると思いたい。
労働をしたことのない私が働くことは難しいと理解はしている。髪を切り男装をして、貴族か豪商の護衛ならできそうな気がする。再びドレスを捨てることはできても、一生持つと誓った〝華嵐の剣〟を捨てることはできない。
「船に乘りたい?」
「え? ……いえ。海が綺麗だと思っていました」
考えていたことが知られてしまったのだろうかと、どきりとする。王子は微笑みながら私を席へと誘導し、店員が料理の蓋を取り去りながら一つずつ説明した後、屋上で二人きりの昼食が始まる。
「サメの香草焼きは久しぶりだ。とても美味しいよ。最初は何も付けずに試してみて」
勧められるまま、一口大に切られて焼かれた切り身を口に入れると、王城で食べていた塩や油漬けの魚とは全く違うことに驚く。香ばしくて柔らかな噛み応えが美味しい。
「これは……全く違いますね」
「王都は遠すぎて、生のままでは運べないからね。美味しい魚を食べられるのは港町の特権だ」
サメと野菜のスープ、サメとキノコのグラタンも、サメのフライも美味しい。塩味は薄くても、しっかりとした旨味を感じる。
ふと強く風が吹き、籠にもられたパンが飛びそうになって王子と一緒に慌てながら受け止める。ふわふわに焼かれた丸くて平たいパンは、白くて軽い。
「このパンは軽すぎます」
「王城のパンが重すぎるんだよ。薄く切っても、これより重いよね」
たっぷりと小麦が使われたパンではなく、卵が多く使われていることがこの柔らかさと軽さの秘密だと王子が笑う。
「子供の頃、このパンの作り方を聞いた時、こんなに活気に溢れた町なのに小麦が行き渡っていないのかと僕は驚いた。小麦を配給することを提案したら、必要ないと笑われたよ」
「何故ですか?」
「王都で好まれてるパンは、魚料理に合わないらしい。あれは肉料理に合うパンなんだ」
そう言われてみれば頷ける。肉の硬さにこのパンの軽い食感は負けてしまうだろう。
「それに、料理に小麦が沢山使われているから、結局は王都の人間と変わらないくらい消費しているんだって」
料理をする機会は全くないので、小麦が使われていると言われてもさっぱりわからない。そんなものかと皿を見つめるばかり。
話しながら食べる中、王子の手が遅いことに気が付いた。ここ数日見慣れた食べっぷりは控えめで大人しい。
何故と口にしそうになって止めた。馬車の中でも、どことなく遠慮がちだったのは私とユベールのことを気にしているのかもしれない。
「ジュディット、もうお腹いっぱいなら店を出ようか」
手を止めた王子はいつもの半分程度しか食べていない。皿には料理が半分以上残っている。
「いえ。この変わったパンをどうやって食べるのが一番良いのか考えている所です。一つずつ試してみたいと思います」
私が時間を掛けて食事をすることで、王子にもっと食べてもらいたい。そんなことを考えながら、私は白くふわふわとしたパンを手に取った。
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