第4話 最初の失敗、崖の上にて。

 多数の剣に触れる中、昼食を食べていないと気が付いて王子の隠れ家に戻ったのは夕方過ぎ。時間管理が出来ていなかったと後悔する私に、王子が気にすることはないと笑うから、さらに緊張してしまう。


「町の料理店に入っても良かったんだけどね」

「恐れ入りますが、護衛騎士のいない状況での町歩きは危険です」

 武器を持たない私では、一時の盾にしかなれない。わずかな時間稼ぎで、王子を逃がすことができるのか考えても勝率は低い。


「隠れ家にいる時には、護衛は付けていないよ。側近たちは王城で僕の替わりを務めてくれていて、何か緊急の件があればやってくる」

 無防備どころか、無謀。馬車を操る御者と従僕の二人だけを連れていると聞いて頭が痛い。


「身分が判明すれば、誘拐の危険もあります。騎士を呼ぶことを進言致します」

 金色や銀色の髪は高位貴族に多い。王子が護衛なしでふらついているなどと知られては、国の威信にも関わる。


「この港町には、様々な国の人々が行き交っている。髪の色も複雑で、僕のような金髪はありふれている。これまでバレたことはないから大丈夫だよ」

 微笑む王子を説得するのは無理だと感じた。宿に置いたままの自分の荷物を回収し、騎士に戻って王子の護衛をするしかないと考えて、これなら隙をついて殺せるのではないかと思いついた。


「恐れ入りますが、外出の許可を頂けますでしょうか」

「外出?」

「昨夜泊る予定だった宿に、荷物を残しております」

「ああ、それなら運んでくれてると思うよ」

 今日の昼、仲間の騎士が荷物を運ぶ予定になっていると王子が笑う。慌てて部屋に向かうと、扉の前に私のトランクが一つと愛用している剣が置かれていた。


 部屋に持ち込んで仕掛けに注意して開封すると、誰も開けていないことがわかってほっとする。トランクの二重底に隠した王女の思い出の品もすべて無事。細身の剣も異常はない。


 荷物をまとめて屋敷を出発した日、父母に別れを告げた時のことを思い出す。私は最後の挨拶と思っていたのに、父母はいつもの態度だった。私が王女と共に海を渡るのではなく王子の婚約者になると知っていたのなら、涙もろい母が終始笑顔だったのも理解できる。


 事前に言っておいてくれたなら、酔って近づいてきた王子に警戒することも出来た。溜息と同時に、指輪へ視線が向かう。


 炎の色をした宝石は、光を受けると七色に煌めく。金の台座には植物の葉が彫られ、宝石は花を表している。美しいとは思っても王子の婚約者になりたいとは思えない。〝王子妃の指輪〟を手に入れたいと願う女性は王国中にいるのに、何故私なのか。


 扉を叩く音に応えると、侍女が入室してきた。ドレスを選ぶようにと促され、案内されるままに浴室を使って着替えが始まる。


 馬車での移動と、鍛冶屋で数え切れない程の多くの剣に触れた私が着ていたワンピースは、かなり汚れていた。シャワーを浴びて真新しいドレスを着用すると、気分が引き締まる。


 ドレスは淡いピンク色で、フリルとリボンが多用されていて可愛らしい。襟元が若干開いた準礼装は、軽い晩餐会に出ることも可能。女騎士として十年を過ごしてきた私が、このドレスを着て騎士仲間の前に出たら、驚かれるのは間違いない。


 髪の一部を結われ、残りは降ろされて再び軽く巻かれる。これまで諦めていた華やかな女性らしい髪型が、自分に似合うことに驚く。


 侍女が退出し、再び扉が叩かれた。

「ジュディット、夕食にしようか」

 王子を待たせてはいけないと慌てて扉を開くと、優しい笑顔が目に飛び込んできた。見上げる視線で王子が私の背を超えていたことを再確認して、何故か胸がどきりとする。


「似合っていて可愛いね。ロザリーヌの見立ては素晴らしいと思うよ」

 言われ慣れない言葉で心が動揺する。王女の見立てと聞くと心が温かくなる。二つの気持ちが揺れ動き、どう返答すればいいのかわからない。


「あ、ありがとうございます」

 かろうじて言葉を絞り出し、差し出された腕に迷いながら手を掛けた。準礼装の王子は落ち着いた雰囲気で、大人びている。これまでは私の命の恩人だと敬意は持っていても、王女の兄で年下の少年としか思えなかったのに。


 命の恩人を殺すことに迷いはある。それでも王女が私に願われた女性としての幸せを掴むには、この〝王子妃の指輪〟は邪魔にしかならない。

 

 もしも婚約者のアリシアがいなければ、貴族女性の義務として婚約を受け入れることも考えられた。何より王女の義姉になれることには心惹かれる。外国へ嫁いだ王女に会うことが可能になるかもしれない。


 それでも、全く非の無いアリシア一人に犠牲を強いようとする王子は許せない。未婚の貴族女性が一番価値のある時期を偽装婚約で拘束し、不要になれば捨てる行為は非難を受けて当然。


 アリシアの苦しみの上に築く幸せはあり得ない。このまま王子と結婚すれば、私は一生苦しむことになる。


「ジュディット、疲れた?」

「いいえ。大丈夫です。ご心配下さりありがとうございます」

 精神的に疲労を感じていても、貴人に対して疲れたとは口にできない。緩みかけていた気持ちを引き締めて背筋を伸ばす。


「ジュディット、もっと気楽にしていいよ。この隠れ家では自由だ」

 優しく微笑まれても緊張は解けない。それでも王子に気遣わせることはできないと、私は無理矢理に微笑みを作った。


      ◆ 


 夕食が用意されていたのは、整えられた庭園の小さな東屋だった。あちこちの木に魔法灯ランプが吊るされて、花々を照らす光景は幻想的。テーブルには黒い布が敷かれ、料理が盛られた白い皿がまるで宙に浮いているように見える。


 昼食を抜いていた為か、王子の食欲は旺盛だった。その細身の体に似合わない食事量を見ていると騎士仲間たちとの食事を思い出し、食欲がないのにつられるように料理を口へ入れてしまう。


 こうして正面から見ると、少年ではなく男性だと思う。手は私よりも大きくて、指が長い。ぼんやりと食事をする王子を見ていると、その青い瞳と視線が合った。青い瞳が優しい弧を描き、王子が耳を赤らめる。


「見苦しくてごめん。僕が王子だってこと忘れてた」

「平気です。騎士仲間の食事風景とは比べ物になりませんから、自由に食べて下さい」

 王子は食事の作法を完璧に守っている。騎士仲間は貴族が多かったにも関わらず、作法なんて気にもしていなかった。比べることもおこがましい。


「じゃあ、遠慮なく」

 そう言って、大きく口を開けて骨付き肉にかぶりついた顔が思いがけず可愛らしくて、私は作り笑いではない笑みを零した。


      ◆


 夕食の後、王子は私を図書室へと案内した。本が詰まった書架が並び、壁一面にも本が並んでいる。一生分以上の本があるのではないだろうか。


「ここからがロザリーヌの本だ。嫁ぎ先に持ってはいけなかったからここに移した。他は僕の本。どれでも好きに読んでいいよ」

 本の背表紙を見ると王女が密かに愛読していた恋愛物語が多い。勧められて読んだことのある本もあるし、一番好きだと仰っていた本も残っていた。手に取ると王女の温もりが残っているような気がして、寂しさが胸に迫る。

 

「実は向こうの王城にも同じ本が用意されてるんだ。ライニールがこの国に来た時に買い集めていてね。そのまま運べばいいって言ったんだけど、ロザリーヌが遠慮して持って行かないって言ってたから、贈り物にするって張り切ってた」

 ライニールとは王女の婚約者。王女は相手の国の文化に従う為に、荷物は最小限に留めていた。相手の国と口語は似ていても文語は異なる。我が国の本があるのなら、本がお好きな王女も気晴らしができるとほっとする。 


「ロザリーヌが到着するのは、十二日後くらいかな。喜んでくれるかどうか、ライニールがとても心配していたよ」

「きっと喜ばれるでしょう」

 王女が大事に思われていることが嬉しくて、笑みが浮かぶ。人の良すぎる王子と優しい王女が、仲睦まじく頬を赤らめながらお茶を飲んでいた光景を思い出す。


「僕たちも本を読もうか」

 王子に誘われるまま本を持ち、カウチに並んで座る。侍女が花茶を淹れた後、部屋に控えていた使用人たちが外へ出て部屋の中に二人きりで残された。


 本を開いた王子は何も話をせず、ひたすらに本を読む。その速度は早く、小気味いい律動リズムでページをめくる。警備の必要もなく、何もすることのない私も本を開いて物語の世界へと沈む。


 王女から勧められても時間が取れず、さっと目を通しただけだった物語は、しっかりと読み込むとまた違った世界を見せてくれた。王子と姫君が様々な苦難やすれ違いを乗り越えて、最後は結ばれるという結末を知っていても面白い。


 一気に最後まで読んで本を閉じ、冷めた花茶を口にしながら物語の余韻に浸る。


「ジュディット、そろそろ眠ろうか。真夜中を随分過ぎてるよ」

 声を掛けられて、血の気が引いた。そうだ。王子がいるのに全く気にも留めていなかった。

「も、申し訳ありません!」

「謝る必要はないよ。ここでは自由にしてくれていい。徹夜で本を読むのはおすすめしないけどね。僕もよくやるから」

 優しく笑う王子と、物語に出てきた王子が重なって胸が高鳴る。物語の中、優しい王子は姫君の危機を知り、伝説の剣を手にして魔物と戦う。


 現実と物語を混同してはいけないと思っても、鼓動が早くなるのは止められない。気付かれないようにと静かに息を整えながら、本を書架へと戻す。


 図書室を出て、王子と並び静まり返った廊下を歩いても、全く人の気配がしない。

「この隠れ家では、侍女たちの仕事は真夜中までなんだ。僕が着替えを手伝おうか?」

 楽し気に笑う王子はからかっているに違いない。殴りたい衝動を堪えて微笑みを作る。

「ありがとうございます。ですが私は一人でも着替えることができますので」

「それは残念だなぁ」


 部屋に戻ると本当に侍女はいなかった。その方がいいと思う。侍女を待たせていたら、時間を忘れて本を読むことに罪悪感を持っていたかもしれない。


 手短に寝支度を整えてベッドに入ると、何も考える間もなく眠りに落ちた。 


      ◆


 翌日、王子は私を伴って馬車に乗った。騎士の服装は許されず、今日も華美なワンピース。せめてもの武器として編み上げブーツの上部にベルトを巻き、短剣を忍ばせる。


 馬車は港町の反対側、岩の多い場所に入って途中で止まった。

「ジュディット、少し歩くよ」

 そう言って王子が案内したのは切り立つ崖。頂上には黒く大きな岩が、中央を斬られたように割れている。


「昔、この岩には〝烈風の剣ゲイル・ブレイド〟と呼ばれる剣が刺さっていた。剣を手にした者は、愛する人々に風と幸せを運ぶと言われていて、王族の男が成人になるとこの場所へ来て剣を抜く儀式を行っていた」

 懐かしいと王子が目を細めても、肝心の剣はどこにも見当たらない。


「剣はここにはないよ。建国以来、誰も剣を抜けなかったんだ。父王も抜くことはできなかった。子供だった僕も、こっそり試したことがある。もちろん抜けなかったけどね」


「僕は隠れて何度もこの場所へ来ては、剣を抜こうとした。そして僕が八歳の時、ふらりと現れた魔術師が僕の目の前で岩を割って剣を手にしたんだ」

 海から吹く強い風が、私の髪とスカートをなびかせる。魔術師を示す黒いローブを着た長い白髪の男の幻影が見えた気がした。


「僕は驚くと同時に、とても悔しかった。成人して儀式で剣を抜くことが当時の夢だったから」

 王子は崖の縁に立って、割れた黒い岩を撫でる。憧れていた物が目の前で持ち去られる光景は、子供にとって悲しすぎる衝撃だっただろう。


「国の宝を勝手に持っていくなと咎めた僕に、魔術師はこう言った。『どうしても欲しいと思ったのなら、何故他の手段を試してみなかったのですか』とね。剣が抜けないのなら岩を砕くなり、油を差すなり、いくらでも方法はあったと言われて、剣を抜く事だけを考えていた僕は衝撃を受けた」


「本当に欲しいのなら、体裁を気にしていてはダメだ。たとえ見苦しくても、考え付くあらゆる手段を使わないと本当に欲しい物を逃してしまうと、僕はその時に学んだ」

 思い出を語る王子が、遠回しに何を言いたいのか理解した。


 ――アリシアを踏み台にしてでも、私を手に入れようと思った。

 そう言われて、喜ぶ女がいるだろうか。誰かの幸せを踏みにじった上で成り立つ幸せを、心から幸せと感じることは私にはできない。


 また強い風が吹いて、王子が風に抗うように海を見る。無防備な背中がそこにはあった。魔法が使えるといっても、万能ではないと聞いている。この断崖絶壁から落ちて助かるとは思えない。


 王子を殺すことに迷いはある。それならば一緒に死ねばいい。瞬間の結論は、即時の行動へ。その背中へ体当たりして、二人で崖下へと飛び込む。


 ふわりとした落下感の直後、右腕に強い衝撃と痛みが走って体が宙に停止した。

「え?」

「ジュディット……大丈夫か?」

 見上げると、崖の途中の岩に手を掛けた王子が私の右腕を掴んでいた。震える王子の腕は、かなりの負荷が掛かっている。


「ごめん。……今は……魔法が……使えない」

「……手を離して下さい。私はこのまま落ちてかまいません」

 王子一人なら、きっと崖を登ることができる。これが王子を殺そうとした私への罰と思えば仕方がない。指輪の自動防御反応オートディフェンスも、私自身が死ぬことまでは止められないだろう。


「嫌だ……ジュディット、だけは……何があっても……助け……る」

 王子がぎりりと歯噛みする音を聞きながら、私は後悔に苛まれていた。

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